加冶田刀剣 日本刀の製作
日本刀の製作行程
世界には中国の青龍堰月刀  フランスのフェンシング、中東の ジャンビア(半月刀)など特徴的な刀がたくさんあります。なかでも日本刀はその姿、形が美しく、製作技術の点から言っても世界の最高位と言っても過言ではないでしょう。
ここではその製作工程を順を追ってみていくことにしましょう。

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日本刀鍛錬に使用される炭は松から作られた木炭に限られています。それは備長炭のよう楢樫から作られた木炭は火もちはいいのですが一気に火力を上げたり、いわゆるあおい炎の一酸化炭素の還元雰囲気を作り出すのに適していないからです。 
製作途中では折り返し鍛錬を何度も繰り返して鍛えていくのですが、 鋼中の炭素が酸化作用により脱炭されるのをできるだけ少なくしておく必要があり古来より伝わる日本刀伝統の鍛えかたはまさに理にかなった方法であるといえます。
砂鉄イメージ
砂鉄
日本刀に用いられる原料は古来より、出雲地方で産出される砂鉄を使用してきました。製鉄原料この地方の砂鉄を使い粘土で築いたたたら炉による低温還元精錬は純度の高い鉄が得られ、強靭な日本刀をつくることができました。
現在の製鋼法の主流である鉄鉱石と、還元剤にコークスを使用して作る洋鋼材に比べて、粘りがあり、不純物が少なく極めて純度の高い上質の鋼材を得ることができ、折れず、曲がらず、よく斬れる日本刀に最適な素材です。
現在にいたってもこのいわゆる和鉄を使用した日本刀のみが日本刀として製造されるとこを許されています。
ちなみに、鉄鉱石とコークスで製鋼されたいわゆる洋鋼は日本刀の素材として認められていません。
出雲地方は古事記、日本書紀にもやまたのおろち退治の神話として伝わる草薙の剣でもわかるように古代より出雲安来地方は良質の鉄の産地としてしられています。現在でもヤスキハガネは優秀な刃物鋼として高級な刃物に使われています。
玉鋼
和鋼玉鋼を加熱し煎餅状に打ち延ばし(厚み3~6mm)、水焼入れした後、小割選別(割れにくい少し含有炭素量の少ない鋼部は芯鉄などに使う)します。鍛錬途中に素材はどんどんとやせていきます。日本刀1振りを作るのに最初に準備する原料、玉鋼は完成品の約10倍、仕上がり重量1kの刀ではおよそ10Kg程度の上質玉鋼が必要となります。

積み沸かし、折り返し鍛錬
大きめの同質鋼板をあらかじめ沸かしつけてある(余熱してある)テコ棒の先(皿)に小割り選別済みの玉鋼を隙間なく並べ、積み重ねぬれた和紙で包み、さらに水溶き粘土と稲藁の炭、灰で包んだものを、火炉中に入れ、約1300℃程度に加熱(沸かし)大槌(先手)で打って鍛接し、鏨(タガネ)で切れ目を入れて折り返し、また沸かしをかけて鍛接する、1連の動作を繰り返し約10~20回ほど折り返し鍛錬を行う。このときタガネによる折り返しを縦横、交互に折り返す鍛錬法を十文字鍛えといいます。その際用いる。わら灰はもち藁が理想的とされていますが、それは赤めた鋼隗によくなじみからみつくからです。このおかげで折り返し鍛錬をする場合表面の酸化鉄がきれいに吹き飛ばされて内部の混じりけのない部分が表面となり、折り返してもきれいに鍛接され境目のない日本刀とすることができるのです。
作り込み 素延作り
 2種、または、それ以上のそれぞれ鍛錬された玉鋼等の鋼塊を組み合わせて鍛接(固める)し、沸かし延ばし(まくり、甲状、本三枚、四方詰め、)刀匠の意図した原型作り出します。・・・・・・素延べ工程 

左の画像は四方詰めの概略図です

形成・火造り
素延べを加熱して先端の峰側を三角に切り出し、小槌を使って刃の部分と峰を薄く延ばして大体の形に形成する。直刀、しのぎ造り、反り加減など大まかな形はこの行程で決定されます。

セン
センスキ・荒仕上げ
火作り後、センとヤスリで荒く形成し、砥石等で場ならし、焼きいれ前の形を整える。

土置き
藁灰(アク)で油分を取り除き、水洗い後、焼刃土(粘土、炭粉、砥の粉などを水で溶いて混合したもの)を塗ります。刃となる部分は薄く、地となる部分は厚く塗った後火炉中でやく800度ほどに赤熱し、船とよばれる水槽中へ投入して焼き入れ硬化させます。この土置きは刀匠独自の美意識による模様付けがあり刀匠を特定する決めてにもなっています。土置きを施す理由としては、完成したおりの刃文の美しさを得ることも目的ではありますが、もっとも大きな理由には切り刃部分は硬く、棟に近い部分は柔軟性をもたせるために硬度を押さえて焼き入れするのが目的です。これは折れず、しかも斬れ味の良い刀であることを求められる日本刀独特の要求から行っています。

焼き入れ
小さめ、柔らかめの炭で刀身を800℃~900℃程度に加熱し、全体に火が通ったらフネと呼ぶ水槽で急冷する。このとき反りが生じます。昭和の一時期冷却剤として油を使用した時期もありましたが、現在の日本刀制作においては刃文の冴えを重要視するために冷却剤は水のみが使用されています。水と言っても正確にはお湯ですが、この湯の温度が刃切(急冷することによる焼き割れ)や、刀の硬度に大きく影響することから、古来一子相伝の秘密とされ、講談などでは湯船に手を入れてその適温を盗んだということで弟子が、師匠に腕を切り落とされたという話しがしばしば登場します。

ヤスリ目
鑢(ヤスリ)目
  初期のころには茎(ナカゴ)にヤスリがけをするのは、その表面のざらつきによって、茎と柄とが滑りにくくなり柄から刀身が抜け落ちないという実用に基づいてヤスリがけがおこなわれてきましたが、時代を経るにしたがって、茎の美観を増すためにもっぱら施されるようになりました。このヤスリ目には時代や流派によって顕著な特徴がみられ、鑑定上の重要なポイントとなっています。


樋入れ
樋入れ、彫刻
  刀によっては樋と呼ばれる、くぼんだ溝を彫ります。これは刀の強度を増すためとも、重量を軽くするためにほどこされるようになったとも言われています。樋を彫ることにより、その形状的美しさも増しています。

銘切り
 銘を入れ込むための小さな銘切りタガネを使って茎(ナカゴ)に製作者名、年紀等を刻銘します。


研ぎ
研ぎ
センとヤスリで大まかに形作られたあと、研ぎ師によって粗砥からだんだん細かな目の砥石へと研いでいき、最終は鳴竜と呼ばれる砥石を薄く小さく切り取った小片を和紙に漆を使ってのり付けした、特別な砥石を使って地肌の青みがかった色までに仕上げていきます。この工程の後、金属の磨き棒を使って刃文を際だたせるように入念に研ぎ、光沢を出していきます。研ぎ師は刀匠に次ぐ日本刀制作工程の重要な職人であり、刀匠は研ぎ師を誰にするかにとくに気を遣っています。

仕上げ調整 柄巻き
意図した通りに焼きが入った場合、刀姿修正、中心調整などの修正を行ったのち、砥ぎ、外装などの専門職人へ依頼します。 左図は柄巻きの様子。鮫皮の上に独特のしばりかたで柄巻きを行っています。
セッパ
金具作り 鍔
 江戸時代には簪や鍔、目抜き、根付といった細かな金工細工をする職人が多く存在して、客の注文に応じて凝った細工を仕上げていました。現存するこういった金具類はそれ自体で美術品としての価値も高く、収集家の絶好のアイテムのひとつになっています。

仕上げ調整 ハバキ作り
 本身と鞘、そして鍔をガタツキなくぴったりと収まるように隙間調整する金具です。こういった細部の細かなパーツを作る職人さんを白銀師と呼んでいます。江戸時代の刀のはばきには、その素材に金、銀を使用してあるものもあり、現代に変わらぬ持ち物へのこだわりを感じます。



仕上げ調整
 写真は普段真剣を収めて保存する白さやの制作風景です。1本々反りが違っているので、たとへ似た形状の刀といえども決して他の鞘にはおさまることはありません。

さや研ぎ
  完成した刀は帯刀するために、漆仕上げの鞘をあつらえるわけですが、これらの行程はすべて専門職人さんの熟練した技によって作られています。


焼入れ ウイキペディア
AISI4140鋼(炭素含有量0.380 - 0.430%)の油焼入れによるマルテンサイト組織の拡大写真
焼入れ(やきいれ、英語: quenching)とは、金属を所定の高温状態から急冷させる熱処理である。焼き入れとも表記する。

狭義には、鋼を金属組織がオーステナイト組織になるまで加熱した後、急冷してマルテンサイト組織を得る熱処理を指す。材料を硬くして、耐摩耗性や引張強さ、疲労強度の向上を目的とする。

広義には、鋼に限らず金属を所定の高温状態から急冷させる操作を行う処理を指し[1]、オーステナイト系ステンレス鋼、マルエージング鋼などに適用される溶体化処理や高マンガン鋼に適用される水じん処理などの熱処理操作を含む。

本記事では、狭義の方の鋼の焼入れについて主に説明する。また本記事では、日本工業規格、学術用語集に準じて「焼入れ」の表記で統一する
物質は、組成、温度、圧力の条件により、液体や固体などに代表される相と呼ばれる物質の形態が変化する。組成、温度、圧力などを縦軸や横軸として変化させて、どの相が存在するか示した図を状態図、平衡状態図、あるいは相図と呼ぶ。合金の場合は、圧力一定として温度変化と組成変化で状態図を示す場合が一般である。また、合金の場合は、固体として存在する間でも種々の相に変化するのが特徴である[9]。このような相の変化を変態と呼ぶ。

ある1つの金属元素に別の1つの元素を加えたものを二元合金と呼ぶ。鉄と炭素から成る二元合金について、横軸に炭素の質量パーセント濃度、縦軸に温度を取り、相の変化を示した図を鉄-炭素系二元合金平衡状態図、あるいは鉄-炭素系平衡状態図などと呼ぶ。ここで「平衡」とは、非常にゆっくり冷却・加熱したときの変化を表している。鉄-炭素系二元合金平衡状態図は純鉄と純炭素のみを原料とした合金に基づくものであるが、一般的な鋼は、不純物として、あるいは性質改善のために、炭素以外の成分も含んでおり、これらの他の成分により状態図が多少変化するので注意が必要である。合金鋼の場合で、横軸:炭素濃度、縦軸:温度の状態図で比較すると、合金元素の総量が5%以下の低合金鋼では鉄-炭素二元合金とほぼ同形だが、総量10%以上の高合金鋼になると大きく異なってくる。以下では簡単のために鉄-炭素系二元合金平衡状態図を用いて鋼の相変化を説明する。

鉄-炭素系二元合金平衡状態図
(鉄-セメンタイト系)
質量パーセント濃度2%まで
純鉄と呼ばれる炭素質量パーセント濃度が0.022%以下の領域を除いて、鉄-炭素系二元合金平衡状態図を見ていく(右図を参照)。室温では、鋼の相はフェライト相およびセメンタイトで構成される。詳しく見ると、炭素濃度0.77%未満ではフェライト+パーライトで、0.77%丁度ではパーライトのみで、0.77%超過ではパーライト+セメンタイトで構成される。この0.77%の点を共析点と呼び、共析点未満の炭素濃度の鋼を亜共析鋼、共析点丁度を共析鋼、共析点超過を過共析鋼と呼ぶ[17]。硬さに注目すると、フェライトは軟らかく粘りのある組織で、パーライトも比較的柔らかい組織で、セメンタイトは非常に硬いが脆い組織となっている。

高温域を見ていくと、A1線と呼ばれる727℃の温度を超えた領域では、亜共析鋼はフェライト+オーステナイトに、共析鋼はオーステナイトのみに、過共析鋼はオーステナイト+セメンタイトになる。この温度では亜共析鋼にはまだフェライトが存在するが、さらに温度を上げてA3線と呼ばれる温度を超えると亜共析鋼もオーステナイトのみの相となる。オーステナイトもフェライトに似て軟らかく粘りのある組織であるが、炭素固溶領域が大きい特徴を持つ。

オーステナイトあるいはオーステナイト+セメンタイトの高温状態から、逆に冷却していくとする。ゆっくり平衡的に冷やしていくと上記で説明した順序を逆にたどって変態が起こるだけだが、冷却速度を上げて冷やすと、パーライトやフェライトに変態する時間が足りず、マルテンサイトと呼ばれる平衡状態図には示されない相が現れる。この変態をマルテンサイト変態と呼ぶ。マルテンサイト組織は、α鉄が過剰に炭素を強制固溶した組織で、非常に硬い性質を持つ。このように、急冷によるマルテンサイト変態を起こして鋼を硬くさせる操作が、一般的な鋼の焼入れである。

日本刀の焼入れなど、焼入れは古来から経験的な鍛冶職人の技術として存在していたが、1888年、ロシアの冶金学者ドミートリー・コンスタンチノヴィッチ・チェルノフ(Dmitry Chernov)により、焼入れが起こる具体的な加熱・冷却条件が発表され、これが鋼の焼入れ、及び熱処理の理論的な嚆矢とされる。

方法

加熱

982℃まで加熱された炉中の様子

鋼の加熱温度と加熱色の目安]
鋼の組織がオーステナイトになるまで加工物を炉などで加熱する。熱処理用の炉の種類には、熱源の種類別に、電気炉、重油炉、ガス炉、塩浴炉などがある。加熱前の前処理として、焼入れ不良の原因となるため、加工品に汚れや錆がある場合は洗浄やショットブラストで取り除く。

加熱は、一般に、亜共析鋼ではA3線から30 - 50℃高い温度まで昇温させ、共析鋼・過共析鋼ではA1線から30 - 50℃高い温度まで昇温させて、温度を保持する。前述の通り、A3線・A1線を超えるとオーステナイト化されるが、それよりも30 - 50℃高く設定する理由は十分均一なオーステナイトを得る確実性を上げるためである。このような焼入れのための最高加熱温度を焼入れ温度あるいはオーステナイト化温度と呼ぶ。上記の一般的な焼入れ温度は、焼なましの一種である完全焼なましとほぼ同じ加熱温度でもある。

亜共析鋼の場合、もし焼入れ温度がA3線より低い場合は、A3線以下ではフェライトが既に析出しているので、焼入れ後組織にもフェライトが含まれるようになり十分な硬度が得られない。このような、何らかの原因によりマルテンサイトのみの組織が得られなかった焼入れを不完全焼入れ、甘焼きと呼ぶ。これに対して、100%マルテンサイト組織が得られた焼入れを完全焼入れと呼ぶ。ただし、100%のマルテンサイトを得ることは現実的には困難なので、およそ90%程度で実用上は完全焼入れと見なされる。逆に焼入れ温度が高過ぎると、結晶粒が粗大化して焼入れ後の機械的性質が劣るようになる。また、後述の焼割れや変形の原因にもなる。

過共析鋼の場合、A1線を超えて Acm線以上まで加熱すれば全ての組織がオーステナイト化されるが、この温度から焼入れしても焼割れや残留オーステナイトの増加などが発生して上手く焼入れできない。これは鉄中への炭素の固溶濃度が大きくなり過ぎることが原因で、このため焼入れ温度を A1線直上に設定するのが一般である。ただし、後述の通り高合金鋼使用の場合は、Acm線以上で焼入れ温度を設定する場合もある。

温度保持
焼入れ温度に保持してセメンタイトをオーステナイト中に固溶させる操作を、固溶化熱処理、オーステナイト化処理とよぶ。昇温速度にもよるが、加熱するとき加工品の表面に比べて内部・中心は遅れて昇温するので、表面温度が焼入れ温度に達した後に内部・中心温度は遅れて焼入れ温度に達する。そのため、加工品表面が焼入れ温度に達してから冷却するまでの時間を保持時間、加工品全体が焼入れ温度に達してから冷却するまでの時間を有効保持時間と呼び分ける。必要な保持時間は、昇温速度、加工品の大きさ、化学成分や加熱前の組織状態によって変わる。

昇温速度の影響としては、A3線またはA1線を超えると昇温がゆっくりでもオーステナイト変態が進行するので、徐々に加熱した場合は保持時間は短くてもよく、急速に加熱した場合は長くする必要がある。

また、内部・中心温度は遅れて昇温するので、加工品の形状が大きくなるほど全体が均一温度になるのに時間がかかる。表層温度が焼入れ温度に達してから中心部温度が0.25%以内で表層温度と均一になる時間の概算式として、加工品が丸棒形状・低炭素鋼とした場合の次式がある。

{\displaystyle t=d^{2}/200} t = d^2 / 200
ここで、t は均一に要する時間 (h)、d は直径 (inch) である。高合金鋼の場合は熱伝導率が悪くなり、均一に要する時間は上式よりも長くなる。

材質の影響としては、焼入れ前の組織の結晶粒が微細化されているほど、均質なオーステナイト化にかかる時間が短く、保持時間も短くてよくなる。また、組成の影響も大きく、高炭素クロム軸受鋼、高速度鋼、ダイス鋼などでは、同じ条件で比較して、機械構造用炭素鋼などよりも約20分程度保持時間が長くする必要がある。

冷却

CCT図(連続冷却変態曲線)(亜共析鋼の場合)
Ps:パーライト変態開始線
Pf:100%パーライト変態完了線
Ms:マルテンサイト変態開始線
Mf:マルテンサイト変態終了線
(2)の冷却曲線が上部臨界冷却速度、(3)の冷却曲線が下部臨界冷却速度
加工品の加熱・保持後に冷却を行う。焼入れに必要な冷却速度は大体160℃/秒以上とされる。冷却速度を下げていくと、マルテンサイト変態の前にパーライト変態、ベイナイト変態、フェライト変態が発生するようになり、冷却後の組織にマルテンサイト以外の組織が混入し始める。この他の組織が発生するようになる限界の冷却速度を上部臨界冷却速度、あるいは単に臨界冷却速度と呼び[48]、完全焼入れになる限界速度でもある。上部臨界冷却速度からさらに冷却速度を下げていくと、他の変態が多くなりマルテンサイト変態の比率が下がっていき、遂にはマルテンサイト変態が発生しなくなる[32]。この限界の冷却速度を下部臨界冷却速度と呼び[49]、不完全焼入れになる下限速度となる。さらに冷却速度を遅くすると(亜共析鋼の場合は)焼ならしに、もっと遅くすると完全焼なましに該当するような熱処理操作となる。

このような冷却速度と変態の関係を、亜共析鋼を例にしてCCT図(連続冷却変態曲線)で見ていくと  、上部臨界冷却速度でパーライト変態開始線にかかり出す。上部臨界冷却速度と下部臨界冷却速度の間では、100%パーライト変態する前にパーライト変態領域を抜けて残りはマルテンサイト変態領域に入る。下部臨界冷却速度で100%パーライト変態線にかかり出し、これ以上になると全てパーライト変態となる。


TTT図(恒温変態曲線)
V1の冷却曲線がパーライト変態を免れている
また、降温中の焼入れ温度から約550℃までの範囲を臨界区域と呼ぶ。これはTTT図(恒温変態曲線)で見ると、オーステナイトからパーライトあるいはベイナイトへの変態開始曲線の左に張り出した鼻のような部分がこの約550℃に相当するこの鼻の部分を通り過ぎるときに、パーライトあるいはベイナイトへの変態が起きやすい。急冷させて鼻の部分を避けるところまで降温させれば、変態開始曲線はC形になっているためベイナイトへの変態開始点は長時間側へ逃げていき、冷却速度を落とせる余裕が生まれる。つまり、臨界区域を抜ける温度まで、できるだけ早く冷却することが完全焼入れを行うために重要となる。

一般的に理想的な冷却の仕方は、焼入れ温度から臨界区域を過ぎて後述のマルテンサイト変態開始温度(Ms点)手前まで出来るだけ早く均一に冷やし、Ms点以下の危険区域はゆっくり冷やすとされる。焼入れ温度からMs点までの急冷は、上記のようなマルテンサイト変態以外が発生する不完全焼入れを避けるためで、Ms点に到達した後は急冷の必要は無くなり、後述の焼割れや変形などの欠陥を避けるため冷却速度をゆっくりにする。

二段冷却・等温冷却
上記で説明したような理想的な冷やし方を実現するため、冷却剤と加工品の温度が平衡になるまで放置せず、降温途中のMs点前で、水冷などの急冷から空冷などのゆっくりとした冷却に切り替える方法が取られる。このような冷却を二段冷却などと呼び、焼入れを二段焼入れ、あるいは引上げ焼入れ、中断焼入れ、階段焼入れ、などと呼ぶ。また、二段焼入れを、水や油などの冷却剤へ漬けた瞬間からの時間を数えて引き上げる方法で実現する方法を、時間焼入れと呼ぶ。時間焼入れの場合の目安としては、水焼入れは肉厚3mm当たり1秒、油焼入れは同肉厚当たり3秒で引き上げるのが良いとされる。時間に拠らない場合の目安としては、加工品の振動や水鳴が止んだときに引き上げるのが良いとされる。ただし冷却時間を誤ると、極端に短いときは全く焼きが入らない、短いときは表面は焼きが入るが中心部との温度差で中間部が変態膨張して後述の焼割れが起こる、長すぎると危険区域を通過して同じく焼割れが起こるなどの難しさがある。

二段焼入れに対して、Ms点を通過して常温まで冷却する方法を連続冷却と呼び、焼入れを普通焼入れと呼ぶ。また、冷却の途中で一定時間等温に保ち、その後また冷却する方法を等温冷却と呼び[56]、焼入れを等温焼入れ、恒温焼入れなどと呼び、後述のマルテンパやオーステンパなどで利用される。

加工品形状の影響

冷却中の加工品温度分布の概念図
中心部は温度が高く、表面部から温度が下がる

局所形状による冷却速度比の目安(隅角効果)
3面角:7
2面角:3
平面:1
凹面角:1/3
焼割れや変形を避けるためにも、加工品全体が均一に降温するように冷却するのが理想的である。そのためには冷却速度を落とすことが1つの方策だが、その他に降温を不均一にする要因としては加工品形状やサイズの影響が大きい。

一般に、表面が最も冷却が早く、内部深くなるに連れて冷却が遅くなる。そのため、表面は100%マルテンサイトが得られるような冷却であっても、中心部ではパーライトしか得られないような冷却速度まで低下してしまうことがある。このように、内部深くになるほど焼きが入りにくくなるので、加工品のサイズが大きくなるほど焼きが入らない領域が大きくなる。また、内部の冷却が遅くなることに起因して、内部だけでなく、表面側も冷却速度が低下して焼きが不十分となることもある。このような加工品の大きさ(=質量)が大きくなるほど焼きが入りづらくなる現象を、質量効果と呼ぶ。焼入れ性が良い材料では深くまで焼きが入りやすいので質量効果を小さくできる。

大きさの他、加工品の形状(形)によって冷却速度は異なる。同じ条件で冷却しても、形状が球、丸棒、平材の違いによる冷却速度比は、大まかに以下のように異なる。

球:丸棒:平材 = 4:3:2
これを形状効果などと呼ぶ。

また、同じ加工品内でも局所的な形状の違いによって冷却速度が異なる。特に、凸部が冷却が早く、凹部が冷却が遅い。これを隅角効果などと呼ぶ。それぞれの冷却速度比は大まかに以下のようになる。

3面角:2面角:平面:凹面角 = 7:3:1:1/3
その他の影響
その他に、均一な冷却を実現するために、

冷却中は冷却材を適度に撹拌する。
加工品の薄肉部に当て物をするなどして冷却する。
酸化スケールなどの異物が表面に付着しないように冷却する。
などの方法・注意点がある。冷却剤の詳細については後述を参照。

マルテンサイト変態
「マルテンサイト変態」も参照
素早い冷却により、ある程度まで冷却が進むとマルテンサイト変態が開始する。冷却中のマルテンサイト変態開始温度をMs点、マルテンサイト変態終了温度をMf点と呼ぶ。Ms点とMf点の間では、時間によらず瞬間的にマルテンサイト変態が発生するが、冷却が進むことがマルテンサイト変態が進む条件となる。つまり、Ms点を通過しても冷却を一端停止させると変態の進行も停止する。

Ms点は鋼の化学成分とオーステナイト化温度によって決まる[47]。化学成分量から、鋼のMs点を予測する実験式は数多く提案されている[70]。以下に例を示す。

{\displaystyle Ms=538-317\times C-33\times Mn-28\times Cr-17\times Ni-11\times Mo-11\times W-11\times Si} {\displaystyle Ms=538-317\times C-33\times Mn-28\times Cr-17\times Ni-11\times Mo-11\times W-11\times Si} 
{\displaystyle Ms=550-350C-40Mn-20Cr-17Ni-10Mo-5W-10Cu-35V+15Co+30Al} Ms = 550-350C-40Mn-20Cr-17Ni-10Mo-5W-10Cu-35V+15Co+30Al 
{\displaystyle Ms=521-353C-24Mn-18Cr-17Ni-26Mo-22Si-8Cu} Ms = 521-353C-24Mn-18Cr-17Ni-26Mo-22Si-8Cu 
ここで各記号は、Ms はMs点 (℃)、各化学成分は C :炭素、Mn :マンガン、V:バナジウム、Cr :クロム、Ni :ニッケル、Cu :銅、Mo :モリブデン、W :タングステン、Co :コバルト、Al :アルミニウム、Si :ケイ素で単位は質量パーセント濃度 (%) である。共析鋼の場合で、Ms点は約260℃程度となる。


炭素含有量とMs点、Mf点の関係の例
Ms点が高くなるとMf点も高くなり、低くなる場合も同様に低くなる傾向を持つ。炭素鋼の場合で、Ms点からMf点までは200 - 300℃程度の温度幅である。上式にも示されるように炭素濃度が上がるとMs点は低くなるので、高炭素鋼の場合はMf点は室温よりも低くなる。そのため、室温まで冷却が完了してもオーステナイトが変態しきれず、焼入れ後組織中に残留オーステナイトとして残ることになる[73]。残留オーステナイトは放置しておくと、室温でも時間が経過するに連れて自然にマルテンサイト変態を起こす。このマルテンサイト変態による体積膨張で、最終製品の寸法変化が生じてしまう。これを避けるために、高炭素鋼を用いた製品、特に寸法の経年変化を嫌う精密部品では、焼入れ後直ちに0℃以下に冷却するサブゼロ処理を実施して、残留オーステナイトをマルテンサイト化させる。

Ms点以下になるとマルテンサイトが発生し始めるが、オーステナイトからマルテンサイトへ変態すると大きな体積膨張が起こる。Ms点以下になるとき、温度が不均一だと、上記の膨張発生と冷却による体積縮小の部分的ばらつきにより内部応力が発生して、内部応力が引張強さを超えると割れが発生する。そのためMs点以下の温度域を危険区域と呼び、ゆっくり均一に冷やすことが良いとされる。このため、上記で説明した二段焼入れや等温焼入れなどの手法がある。

焼戻し
詳細は「焼戻し」を参照
焼入れにより鋼の硬さを増大させることができるが、靭性が低下して非常に脆い状態となる。このため、粘り強さを得るために、焼入れ後には焼戻しを行うのが一般的である。焼入れと焼戻しの一連の熱処理をまとめて焼入焼戻し (quenching and tempering) と呼び、特に、約400℃以上の高温焼戻しでトルースタイトかソルバイト組織を得る焼入焼戻しは調質と呼ばれる。
焼戻しの種類にもよるが、焼戻しによりシャルピー衝撃値などの靱性や伸び・絞りなどの延性は回復するが、硬さや引張強さはある程度低下してしまう。そのため、不完全焼入れにより焼入れ硬さが低いものも、完全焼入れにより焼入れ硬さが高いものも、焼戻し条件を調整すれば、焼戻し後の硬さ及び引張強さを同じにすることができる。しかし、例え焼戻し後硬さが同じだったとしても、降伏点、伸び、絞り、衝撃値、疲労限度の値は完全焼入れされたものの方が良好である。よって、完全焼入れを狙った上で、所定の硬さに焼戻しで調整するのが理想とされる。

焼入れ後の材質
焼入れ硬さ
「焼入れ性」も参照
焼入れ後の最高硬さは、ほぼ炭素含有量によって決定され、他の合金元素の影響は少ない。概算式として、マルテンサイトの含有率に応じた硬さの計算式を示す。

90%マルテンサイト焼入れ硬さ
{\displaystyle HRC=30+50C}  HRC = 30 + 50C 
50%マルテンサイト焼入れ硬さ
{\displaystyle HRC=20+50C}  HRC = 20 + 50C 
微細パーライト焼入れ硬さ(0%マルテンサイト)
{\displaystyle HRC=10+50C}  HRC = 10 + 50C 
ここで、HRC はロックウェル硬さ、C は炭素質量パーセント濃度 (%) である。ただし、炭素量がある程度以上になると硬さの上昇は飽和して変化しなくなり、上記の概算式は成立しなくなる。炭素量が約0.6%を超えると焼入れ硬さが大体一定となる。

最高硬さは炭素含有量によって決まるが、どれだけ加工品の内部深くまで硬くなるかは加工品材料の焼入れ性によって大きく影響され、炭素以外のモリブデンなどの合金元素の影響もある。
(資料ウイキペディア)





黒染(くろぞめ)談義
当社が鉄鋼部品とアルミ、銅合金などの常温黒染剤、鉄鋼部品の加温黒染剤と加温黒染装置、後処理用の防錆剤の販売をはじめてから、もう40年近くなる。
「黒染処理」とそれに必要な「黒染剤」は機械を製造する工程で、必要不可欠なのだが、この工程は、意外と日があたらない場所のような気がする。生産技術部で、「黒染処理技術」担当にお会いしたことはないし、機械加工技術に関する本に、黒染処理工程に言及したものは、ほとんど見当たらない。つまり黒染処理は、職人技で、生産技術とはいえないものかと思っていたら、本文でふれるが、このところ外注依存が多かった黒染処理を自社の生産工程に入れる工場が増えてきた。そこで、この機会に「黒染処理」と「黒染剤」に多少だが、光をあててみようかというのが、この「黒染(くろぞめ)談義」である。
黒染処理概論と気張る気はないし、入門書というほどでもないが、お目通しねがえれば、光栄である。

染料を使わないのにナゼ“黒染?”
展示会の当社小間を訪れた方から、「黒染とありますけど、染料は使わないのでしょう」と素朴な質問を受けたことがある。
加温にしろ、常温にしろ、化学変化で金属の表面を黒くするので、染料を使う染物とは原理的にまったく異なるのだから、質問は至極当然である。
当社の金属処理機器事業部では、創業以来「黒染剤」を製造、輸入して販売しているから、「黒染」とのつきあいは長く、深い。でも、染めるという文字が入っているものだから、ときには「染料」と誤解され、頭髪を黒く染める染料などと混同されたりするのは確かである。
業界には黒染ではなく、「黒化処理」というべきだとの主張もあって、趣旨には大賛成なのだが、「黒染」は百年以上使われている歴史的職場用語で、なじみがあってすぐ分かってもらえる利便さがあるものだから、今すぐ用語を変えるという決断には到らず、不正確表現を承知の上で、使用させていただいている。
当社内でも、カタログ、リーフレットを作り変えるときなど、よく用語についての論議がされる。最近では、「黒染剤」とすべきか、「黒染め剤」とすべきかがテーマになった。「黒染剤」とすると、「こくせんざい」と読まれるから、送り仮名として「め」をつけたほうがいいという説と、発売以来「黒染剤」できたのだから、こんごとも送り仮名なしで行くべきだという保守的建前論がぶつかるのだが、これもなんとも決めかねる問題である。
ともあれ、今回はそんなことは一応棚上げにして、黒染、黒染剤のあれこれについて筆をすすめさせていただく。

何のために鉄鋼部品を黒くするか
『黒染』のニーズからスタートしよう。

錆を防ぐ 加温黒染法では強アルカリ溶液中で、鉄鋼部品を加温酸化して、四三酸化鉄の皮膜をつくるのだが、こうしてできる黒い皮膜は多孔質で、油に浸漬すると、油が黒染層に浸み込んで、鉄鋼本体と、外部の水分、湿気を遮断して、錆の発生を防ぐ。保管される条件にもよるが、マシン油でも、約半年の防錆力があるといわれるが、防錆剤を用いるなら、防錆期間はもっともっと長くできる。
常温黒染剤の黒染層は、四三酸化鉄の皮膜にみるような含油の特性はないから、マシン油では防錆性はほとんどなく、防錆剤を用いなくてはならない。
反射防止 機械部品などがキラキラ光ると作業がしづらいから、光る部分を黒染する。軍隊では、拳銃、小銃、機関銃、大砲に到るまで、外見はもちろん、中の部品もすべて黒染めしたのは、反射を防いで所在を分りやすくするのと、太陽光を反射して敵に所在が分るのを防いだのである。
兵器は刀身を除いて塗装や化学処理ですべて光らなくしたので、旧陸軍の兵器を生産する陸軍造兵廠では黒染工程が多く、「黒染」という職場用語はここで生まれたといわれている。
所在をはっきりさせる (2)の反射防止と逆で、光る鉄鋼製品のなかで、所在を分りやすくするために鉄鋼部品を黒染する。金属の切削加工を行う旋盤で使用するバイト(金属用刃物)を固定するホルダーや、ボルト,ナット、ゲージ類を黒染するのは目立たたせることが目的といえるだろう。
デザイン上のニーズ 黒をポイントにして機械、工具などをスマートに、格好良く、あるいは力強くみせる。つまり、デザイン上の理由によるもので、近年ふえてきた黒染のニーズである。
加温黒染、常温黒染とその他の黒染
現在、黒染には加温黒染と常温黒染があるけれど、歴史的には加温黒染の登場がずっと早く、正確ではないが、日本では100年ほど前、明治後期といわれている。
これに対して常温黒染が、アメリカで開発されたのが1940年代後半で、日本に輸入されはじめたのが、1965年(昭和40年)以降である。
黒染の大先輩、加温黒染は140℃に加熱したアルカリ溶液の中で四三酸化鉄を生成させる方法で、溶液の主成分は苛性ソーダだから、強アルカリ性である。一方新顔の常温黒染は銅をイオン化させた酸性の水溶液に鉄鋼部品を浸漬して鉄と銅を置換させ、セレンなどの酸化剤と銅を反応させて黒くするという置換メッキが原理だから原液は強酸性である。
寸法、精度、仕上げの美しさにこだわらなければ、黒染め方法はほかにも多々ある。ライフル銃の銃身などの、燐酸塩による黒染、いわゆるパーカーライジング法とか、酸素を制約した炉内で加温する方法なども加温黒染に分類されるだろうが、出来上がりが均一で美しい黒色で、黒染による寸法精度に変化なく、しかも設備費も含めた加工コストが低いという点からみて、強アルカリを用いた加温黒染が最右翼で、日本国内を含め世界中で広く採用されている。
一方の常温黒染は処理に熱を用いない、いわゆる省エネなのと、熱くないから、生産ラインに取り込むことができる利点が注目されて、いま、アメリカ、日本、中国で需要がのびてきている。

減少する黒染処理の専門工場―黒染加工の現状とこれから
以前は家内工業的な加温黒染処理工場があちこちにあって、都市部にある部品加工工場の黒染処理はそこへ持ち込めばよかったから、社内での黒染処理を必要としたのは、都市部から遠く離れたところにある工場か、製品の機密保持を必要とする工場だけであった。
しかし、いまは事情が異なる。都市部の黒染処理工場は減少の一途をたどっており、従来の処理工場の閉鎖で、発注先がなくなり、戸惑っている工場も多い。黒染処理工場減少の理由は

経営者が老齢化したのに後継者がいない
長引く不況で処理単価が引き下げられて採算がとれない
というものである。(2)は景気が上向けば、アップも期待できるが、(1)は何とも食い止められない現象である。黒染処理工場の経営者には、以前造兵廠などで黒染処理に従事していた人が、戦後独立開業したというのが多く、この人達はいま年齢的に80才を越している。後継者に引き継ぐといっても、町工場の設備では、一般に換気は悪いし、夏はべらぼうに暑い。いわゆる3K職場だから、就職難の時代とはいえ、後継者が現れないのは、無理からぬといえば無理からぬ現象であろう。
ではどうするか、部品黒染を必要とする生産担当者の悩みは深刻だか、結局は自社内で黒染め加工をするという結論になるのではないか。
一方、現在、自社内で加温黒染加工をしている工場でも多くは、黒染を熱処理と同じように、生産ラインの外、別棟でおこなっている。自前の黒染め処理工場を敷地内に抱え込んだようなものだ。加温黒染めの場合、熱と臭気が発生するから、強力な換気が必要で、タクトシステム、コンベアーシステムに組み込むのは困難だからである。
しかし、できれば、黒染め処理を生産ラインに組み込みたいものだ。
この夢を実現しようと自社開発の加温黒染めの自動機を生産ラインに組み込んでおられる工場も何社かあるから、黒染加工のライン化は決して不可能ではない。ただ、いまのところ、この自動機のコストは高いので、すぐには取り込めないようだが、少しずつでも自動化に踏み切る工場も増えていくのではないだろうか。設備の自動化のほか考えられるのは
加温黒染剤の処理温度の低温化
常温黒染剤の活用
である。
(1)現在の加温黒染の処理温度は140℃だが、これをもっと低温で、できれば100℃以下で四三酸化鉄を生成させるような商品を送り出すべく、加温黒染剤メーカーはいま開発にしのぎを削っている。
(2)の常温黒染剤の活用は、熱エネルギー節約とからめ、またラインへの組み込みが容易な点から、検討される工場も増えてきた。常温黒染剤もまた、量産を妨げていた黒染液に浸漬したときに発生したカスをふき取る作業をなくした改良処理液が登場、ライン化に近づいた。当社の常温黒染剤「インスタブラック333」と長期防錆剤「イーテック505プラス」の組み合わせなど、その先端を行くものと自負している。

再び「黒染剤」「黒染処理」の呼称について
こだわるようだが、「黒染処理」は化学変化で鉄鋼部品を黒くするので、染料で黒く染めるのではないから、「黒化剤」「黒化処理」のほうが、適切だと思う。
アメリカでは、いまは加温、常温は区別せずに Blackeningが一般呼称となっているから、歴史があり、使い慣れた「黒染剤」「黒染処理」ではあるが、黒染処理の自製化時代がはじまるのを機に「黒化剤」「黒化処理」にかえていってはどうだろう。こんどの当社のカタログ製作会議にでも提案してみようと思っている。(K)
(記事引用)


「足 銀」

中国製 宝石入れ「足銀」
■「紋銀」はスターリングシルバーの事。純度92.5%の銀。
■「足銀」は純度99%の銀の事。(99.99%ではない)
貴金属の純度に関しては、その国の歴史や慣習、習慣により基本的に、その国が独自の法律や規格を創っていて規制しています。国によっては、金はK18しか認めない国、純金と言えばK22を指す国、金と言えば純金しか意味が無いという国など様々。この中で例えばイギリスなどの国では「スターリングシルバーは純銀と同じ」と言う事が決めれれている。これは冶金技術がお粗末な時代、純度50%とかが普通だった時代に、純度92.5%という驚くべき精錬に成功したので、これはもう100%と大して変わらないと言う事でそれ以来の法律で決められているもの。
日本製品はそうはいかないけど、日本国内にもジッポーなど海外製品は「純銀SV92.5」とかいう商品が沢山あります。ですので「紋銀=スターリングシルバー=純銀」となります。また中国は、金は純金しか認めないと言うのがお国柄。その為に最低がK22で、純金が「99%」「99.9%」「99.99%」の三種類ある。それぞれ「足金」「千足金」「万足金」と言います。
これが銀など他の貴金属にも適応される。ですので「足金=純度99%=純銀(の一種)」と言う事になる。共に日本国内では99.99%の「純銀」とは認められてはいないですが、その国の法律では「純銀」と言う事になります。
※「足銀」とは調べた結果はそのような中国の規格でした。私もしらなかった。一時期、骨董に熱を上げ、そのとき買ったものです。買ったのはヤフオクでした。中国製は今では工業製品の信頼度も保証されますが、以前は、「メイドインチャイナ」をバカにして直ぐ壊れる代名詞でしたが、いまではそうでもない。この「足銀」は昔の製品ですから真贋判定が難しい。たぶん本物だったら0桁は一つ多くなるでしょう。そこそこの値段(相場価格)だったので流通品と判定しました。しかし装飾は凝っていて中国らしさは漂ってます。好き嫌いがありますので、特別興味のある方、限定のお勧め品です。
背景には他の龍や虎やカルラとか首飾り(ミャンマー)がありますが、今回は手前の「足銀宝石箱」のみです。
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中に気に入ったものがあれば指定してメールください。随時販売いたします。
今回限定販売品 「足銀」
サイズ・125×45×45㎝ 重量495g
価格6850円+送料込み1000円=7850円


















オリンピック競技サーフィン
日本に集いし世界のトップサーファーたち。波の上を疾走し、ダイナミックに踊る。
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競技概要
サーフボードという板を使って波に乗り、テクニックを競う。東京2020大会で新たに採用される競技。古代ポリネシア人によって始められ、ハワイで育った海のスポーツだ。これを広めたのはストックホルム1912大会とアントワープ1920大会の水泳で金メダルを獲得した、ハワイ出身のデューク・カハナモク(アメリカ)。カハナモクは近代サーフィンの父と呼ばれている。

サーフィンはサーフボードのサイズによって大きく2つに分けられる。古くから親しまれたのは、長さ9フィート(約274センチメートル)以上のロングボードで、ボード上を歩くテクニックが中心となる。一方、1970年前後に登場したショートボードは、長さ6フィート(約183センチメートル)前後でボードの先端がとがっている。こちらは細かいターンがしやすいタイプだ。ショートボードは、それまで平面的な動きだったサーフィンに縦の動きを与え、三次元のダイナミックな技を可能にした。東京2020大会のサーフィンは、このショートボードで行う。

競技としてのサーフィンは、波を乗りこなすライディングテクニックをジャッジが採点し、勝敗が決まっていく。いかに難易度が高く創造的な技を繰り出すか、スピードがあってダイナミックかなどが評価される。選手は定められた時間内に10本前後のライディングを行い、高い2本の合計点によって得点が決まる。競技は男女20人ずつの選手で行われる。

種目
ショートボード(男子/女子)
ESSENCE OF THE SPORT/競技の魅力、見どころを紹介!
海という大自然と戦う選手たち ダイナミックな技に感動する
サーフィンの選手
競技が行われるのは自然の海。波の状態は、風の強さや方向、潮の満干などによって変わる。同じ波は2つとない。いかにいい波をつかむか、刻々と変化する波にどのタイミングで乗るかが重要になる。自然の中で運を味方につけながら戦うスポーツがサーフィンなのだ。

1つの波に乗れるのは1人だけだ。崩れる直前の波の頂上をピークというが、ピークに最も近い人にその波に乗る権利があり、これを「優先権」という。つまり、いい波をつかむためには、まずは優先権をとれる位置を確保するということが必要だ。一方、優先権を持った選手の邪魔をするとペナルティーが課されることになり、減点の対象になる。ただ、優先権があるにもかかわらず波に乗らないでいたり、選んだ波に乗ろうとしてパドリングを開始したものの途中でやめたりすると優先権を失ってしまう。

選手同士のかけひきも行われる。波に乗らないふりをして乗ったり、パドリングを開始するふりをして実際はいかなかったりすることで、他の選手を翻弄することもある。

オリンピックでは4メンヒートという方法が採用される。これは4人ずつで競技を行い、2人が勝ち抜けるという方式。1ヒート(試合)は波の状態によって異なるが、20~25分。その間に1人10~12本程度波に乗り、そのうちの点数が高かった2本の合計点が順位に反映する。

採点は、選手が行う技の種類や難易度、オリジナリティに、スピード、パワーなどの要素を加え、5~7人のジャッジが行う。選手は波に多く乗ればよいということではなく、1本の波における技の数が多い方がよいということでもない。大事なのは技の質だ。波をトップ(上部)に向かって上がっていき、そこから回転して降りる360(スリーシックスティ)や、波を駆け上がって空中に舞い上がり体勢を崩すことなく着水するエアリアルなどの高度な技を、リスクの高い大きな波でダイナミックに行い成功させると、必然的に高得点になる。一つ一つの技に決められた点があるのではなく、ジャッジが総合的に見て判断するため、いくつかの技が流れるように連続していると印象も良くなり、さらに得点が高くなる。いかに難易度が高く創造的で質の高い技を繰り出すか、ライディング全体がダイナミックでスピードがあるか、などに注目して観戦したい。

OUTLOOK FOR THE TOKYO 2020 GAMES/2020年に向けた競技の展望
強豪はやはり発祥の地アメリカ。まずは出場選手に注目だ。
サーフィンの選手
アメリカ、オーストラリアが強さを誇っているが、最近はブラジルが急成長。サーフィンがサッカーに次ぐ人気スポーツになっており、ハイレベルのサーファーが続々と登場している。南アフリカやフランスも強い選手を輩出している。

活躍中の選手は、男子ではジョンジョン・フローレンス(アメリカ)、ジョーディー・スミス(南アフリカ)、ガブリエル・メディーナ(ブラジル)など。過去に何度も世界チャンピオンに輝いたケリー・スレーター(アメリカ)は40歳代後半のレジェンドだが、東京2020大会に出場してくる可能性もある。女子はサリー・フィッツギボンズ(オーストラリア)、コートニー・コンローグ(アメリカ)などが有力だ。

<日本>
日本サーフィン連盟を中心に、約80名の強化指定選手を選出。そのうち次期世界大会で4位以内に入る可能性が高いA指定は男子10名、女子3名(2017年度)。注目選手は、世界選手権で入賞経験のある稲葉玲王。東京2020大会の会場は彼が慣れ親しんだ地元の海だ。地の利を活かした戦いに期待したい。横浜出身でオーストラリアを拠点に活動している新井洋人や、小柄だがダイナミックな技で世界の大会で上位に食い込む大原洋人にも注目だ。女子は世界選手権で何度も入賞している大村奈央、世界で活躍中の野呂玲花や、中学生にしてプロサーファーとして活動している松田詩野からは目が離せない。アメリカと日本の両方の国籍を持つハワイ出身のプロサーファー・五十嵐カノアが、東京2020大会にどちらの国籍で出るかが注目される。

TRIVIA/知られざる競技のヒミツ
Question
サーフィンをするにあたって主に必要な道具はサーフボード、ウェットスーツの他に何?

Answer
リーシュコード。
サーフボードと自分の体をつなぐために、足に巻き付ける。これをつけずにサーフィンをしてボードが海に流れたら大事故につながりかねないため、リーシュコードをつけることは最低限のマナーとなっている。

競技会場 釣ヶ崎海岸サーフィン会場(千葉県長生郡一宮町)
東京2020 お問い合わせ窓口:電話番号 0570-09-2020(有料)
竹見脩吾
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会




メソポタミア神話の『ギルガメシュ叙事詩』の朗読話

2007グエノルライオネス

そこに登場するレバノン杉を守る森の番人。
その命は最高神「エンリル」によって受け、太陽神「ウトゥ」により育てられた巨人伝説の生物、である。
フンババとは、一説では前述のように巨人であり、また恐ろしい怪物でもあり、森の精霊、時に神を示す「自然神」と解釈されることもある。

バビロン、についての最も早い言及は、紀元前23世紀頃・2300年・のアッカド帝国と伝えられる。




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そのスタイルは1.「古代バビロニア版」2.「ヒッタイト語版」3.「シュメール語版」などに記述されていたものである。 その話しは粘土板楔文字に記されていたものを、読み解いて現代語に翻訳されたものだ。







だから現代風には翻訳されたと理解していい。したがって話しの展開が嘘っぽい所もあるが楔文字解読の難解さも考慮したい。
4300年まえ、とはいっても我々現代人の遺伝子の大元であり決して渡来宇宙人ではない。そんなことを考慮すると現代人と古代バビロニア人の生活様式の違いがよく判るだろう。
 
この『ギルガメシュ叙事詩』は、古代メソポタミアの文学作品としてよく知られた神話となっている。

実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な「王ギルガメシュ」を巡る物語として語られる。
世界で人間の知られている歴史の中でも、最も古い作品の1つとされる。 『ギルガメシュ叙事詩』というタイトルは近代学者により後に付けられたもので、あった。




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主人公のギルガメシュは紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王であるが、後に伝説化して物語の主人公にされたと考えられる。 「シュメール語」版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性がある。これは叙事詩を構成する個々の題材が、「シュメール」時代には既に流布していたことを示している。 物語は、こうして書かれている。

「ウルク」城の王「ギルガメシュ」は、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた神「アヌ」は、女神「アルル」にギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。
「アルル」は粘土からエンキドゥを造り、ウルクから少し離れた野に置いた(その写本は粘土板によって書かれている)。 「エンキドゥ」は初め人の姿を持たず、野獣のように暮らしていた。




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「エンキドゥ」に狩りを妨害されたと言う狩人親子の助けを聞いた「ギルガメシュ」は、「エンキドゥ」のもとに神聖・娼婦「シャムハト」を遣わす。 エンキドゥは「シャムハト」の魅力に惹かれ、6夜と7日を共に過ごした。その過程で野にいた獣けもの、たちから孤立し力も弱くなるが、着衣や飲食などの作法を覚え、姿も人間らしくなっていった。
「シャムハト」から「ギルガメシュ」のことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かう「エンキドゥ」と、近々やって来る「エンキドゥ」という男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。
2人は顔を知る前から互いを意識していたが、「ギルガメシュ」が国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。
結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。




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彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なる「ギルガメシュ」と、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥは「ウルク」の民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった──。
画像(朗読者本人)









メソポタミア神話の『ギルガメシュ叙事詩』




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 ギルガメシュフンババ

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使った曲
1.22377mp3
2.サマービーチ826
mp3
3.疾風のように
mp3
(全オリジナル曲 14分29秒)

本文「ギルガメシュ叙事詩」
グーグル翻訳(ラテン語)
(ウイキペディア)による編集作話
 2018/3/3








岐阜市の畑で2012年に見つかった石が隕石と判明
国内での確認は14年ぶり
2018年3月1日 19時31分 時事通信社

岐阜市の住宅地にある畑で2012年に発見された石の分析結果が判明
東大や岐阜聖徳学園大などは1日、隕石であることが確認されたと発表した
国内での隕石確認は14年ぶりで、100年以上前に落下したと考えられるという

「長良隕石」と命名された隕石を持つ発見者の三津村勝征さん=1日午後、岐阜市
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畑の落下物、隕石と判明=12年、岐阜で農作業中発見-東大など

 東京大や岐阜聖徳学園大(岐阜市)などは1日、岐阜市長良宮口町の住宅地にある畑で2012年に見つかった石が分析の結果、隕石(いんせき)であることが確認されたと発表した。

 東大などによると、国内での隕石確認は14年ぶりだという。発見した同市の三津村勝征さん(74)は「驚きと喜びが半分半分だ」と語った。

 隕石は褐色で、幅が最大20センチ、重さ約6.5キロ。主に鉄とニッケルの合金で構成され「鉄隕石」に分類される。少なくとも100年以上前に落下したと考えられるという。
(記事引用)




136億年前までに最初の恒星
初期宇宙の解明に前進 ©一般社団法人共同通信社 2018/3/1 03:02

136億年前に宇宙に誕生した最初の恒星のイメージ(中央右寄りの円)。水素のガスの中で光り輝く(米国立科学財団提供・共同)
 【ワシントン共同】宇宙誕生から約2億年の136億年前までに最初の恒星が生まれた証拠を捉えたと、米国などの国際チームが28日、英科学誌ネイチャーに発表した。宇宙から届くかすかな電波を観測、分析した結果。宇宙の初期段階の解明に一歩前進する成果としている。

 太陽のように自ら光り輝く恒星が、初めて生まれたのがいつかは謎だった。

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チームは最初の恒星が放った非常に弱い光を直接捉えるのではなく、宇宙に広く放射されている電波から間接的に探る方法を採用。オーストラリアの電波天文台に設置した特殊な装置で観測した。
(記事引用)






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ランダム88  







「Spotify 」パーツリンク 不通~
spotify:user:hvfa53mogtah0inpmdt3jctfz
 







イスラエルの軍事費はどこから出ているのか
2009年01月16日 政治ブログ
イスラエル軍のガザ侵攻、国連の停戦決議も無視して継続されているようですが、この戦いは一体いつまで続くのでしょうか。イスラエルは1948年の建国以来、ほぼ途切れることなく60年間闘い続けています。かれらはどうやって戦費を調達しているのでしょうか。イスラエルの軍事費について調べてみました。
興味をもたれた方は応援をお願いします。

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■軍事費の割りに、以外と小さな国イスラエル
イスラエルの軍事費は125億ドルでGDPの9.7%もあります。軍事大国のアメリカでGDP費4.1%、日本は1%、世界平均が2.2%ですから、その突出ぶりは目立ちます。
イスラエルの国は以外と小さなものです。面積は2.2万平方kmで日本の四国程度、人口は約700万人で日本の17分の1。しかし2006年のGDPは1378億ドルで、日本の4400億ドルの約3分の1もあります。イスラエルの産業を支えているのが、ダイヤモンドとIT産業です。

■昔からユダヤ人が独占するダイヤモンド
ダイヤモンドは古くからユダヤ人が独占してきた産業です。ダイヤモンド取引の歴史をまとめたサイトがありましたので要約して引用します。
ダイヤモンド産業とデビアス社

現在もその取引の殆どをユダヤ人系の企業であるデビアス社が支配しています。イスラエルは建国以来、ユダヤ人ネットワークを通じてダイヤモンドの研磨と販売に力を入れてきました。
そして1980年にはダイヤモンドの輸出額が 14億 900万ドルとイスラエルの輸出の4分の1をしめるまでになります。しかし、イスラエルとデビアス社がダイヤモンド市場の覇権を巡って対立することになります。
現在では、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが進んでイスラエルのダイヤモンド産業も以前の活況を呈するようになってきています。

■世界有数のIT産業
次に、近年のイスラエルの産業を支えているのが、IT産業です。紹介記事を抜粋します。
イスラエル、ハイテク産業の強さの秘密を探る!

軍事技術が、イスラエルのハイテク産業に大きな変化をもたらしたことも注目したい。独自で開発した数々の暗号技術や、データ圧縮技術、独特のアルゴリズムの発想などは、軍での経験が生んだといっても過言ではないだろう。
米ソ冷戦以降、旧ソ連からの大量の科学者の移民などの頭脳の流入はすさまじい。それを証拠にIT産業の主要なR&D(研究開発)ディビジョンがほとんどイスラエルに集結してきている。たとえば、ハイファには、マイクロソフト、インテル、IBMが軒を連ね、ヘリツィスでは、サイテックスを古参として、インターネット、マルチメディア関連のスタートアップカンパニーが200社を越える勢いで生息している。あのWindowsNTやペンティアムがこのハイファでデザインされたことはあまり知られていない。
またイスラエル政府が、ハイテク、IT産業を最も重要な輸出産業として捉え、政府みずからベンチャーキャピタル的な投資に積極的である点にも注目したい。

■イスラエル・ロビーと米国の外交政策
ユダヤ人の歴史とユダヤ人の世界的なネットワークを駆使し、そして、国家を挙げて主要な産業を支援することで、小さな国家でありながら高い収益構造を維持しています。しかし、これだけで60年間も戦争を継続できるはずもありません。イスラエルが戦争を続けられる最大の理由はアメリカの支援によるものです。
反ロスチャイルド同盟の資料室:イスラエル・ロビーと米国の外交政策から関連する部分を抜粋します。

1973年の10月戦争以後、米国政府は他国への援助を矮小化させるほどの水準の援助をイスラエルに供与してきた。その総額は2004年のドル換算で1400億ドルを越える。イスラエルは毎年約30億ドルの直接援助を受ける。
多くの軍事目的の被援助国はその全額を米国で支出することを必要とされるが、イスラエルは配分額の約25%を自国の軍需産業への補助金に使うことを許されている。
ユダヤ系米国人は米国の対外政策に影響力を行使するために多数の強力な組織を作り上げた。その中でもアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)が最も強力で有名である。
ユダヤ系住民は全体の3% 未満の人口しかいないのだが、彼らは民主党と共和党の両方の候補者に多額の選挙献金を行う。ワシントンポスト紙は、民主党の大統領候補は選挙資金の60% をユダヤ系の支援者から得ているとかつて推計した。
イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は2003年3月のイラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいという欲望が動機であった。

■電話一本でアメリカ大統領を動かすイスラエルの首相
イラク攻撃もイスラエルロビーからの圧力でイスラエルのために行ったというのは、少し疑問も感じますが、今回の国連決議をアメリカが棄権したのも、イスラエルの首相が電話をかけた結果だと明言しています。
米の停戦決議賛成、10分前に阻止=ライス長官「恥かく」-イスラエル首相

1月13日19時23分配信
エルサレム13日時事】イスラエルのオルメルト首相は12日、パレスチナ自治区ガザでの即時停戦を求めた8日の国連安保理決議について、採決の10分前にブッシュ米大統領に電話をかけ、賛成しないよう要求していたことを明らかにした。これが奏功し、米国は棄権に回る方針に転換したという。ロイター通信などが伝えた。
 オルメルト首相は「ライス国務長官は自ら作成した決議案を棄権することになり、恥をかくことになった」と語った。

■世界のユダヤ人ネットワークが政治を動かしていることの証明
ユダヤ陰謀論を全くの捏造と考える人もいるようですが、イスラエルが60年間戦争をし続けることが出来るのは、世界に網を張るユダヤ人ネットワークと、そのロビー活動により世界の政界が大きな影響を受けていることの証だといえます。
世の中に流布している陰謀論の中身は捏造が多いかもしれませんが、ユダヤ人の世界的ネットワークが強い意思を持って、世界の政治経済に大きな影響を与えていることは間違いのない事実でしょう。
(記事引用)







ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正
 fujipon 2018年02月08日 10:46琥珀色の戯言
【読書感想】ロケット・ササキ
 佐々木正はシャープの技術担当専務である。カシオ計算機との激しい「電卓戦争」でシャープの陣頭指揮を執り、後に「電子工学の父」とも呼ばれた。電卓は当時、電子工学のあらゆる先端技術が詰め込まれた最先端のハイテク商品だった。
 1964年に早川電機(シャープの前身)が発売した世界初のオールトランジスタ電卓は、重さ25キログラムで価格は53万5000円。机の上を占拠する大きさで、自動車が1台買える値段だった。

 だが激しい開発競争の中で、電卓は劇的に小さく、安くなっていく。それを可能にしたのがLSIだ。軍需産業でしか使われていなかったLSIを「電卓に使う」と決めたのが佐々木である。
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 シャープは1969年に世界初のLSI電卓(9万9800円)を発売した。製品の重さはわずか1.4キログラム。わずか5年で重さは18分の1、価格は5分の1に減った。その後も電卓は進化を続け、1985年にはついに、胸ポケットに入る重さ11グラムのカード電卓(7800円)が発売された。凄まじい技術革新である。

 20年間に及ぶ「電卓戦争」は日本メーカーの独壇場だった。半導体を発明した米国も、電卓を発明した英国も、日本メーカーが仕掛ける激烈な小型・低価格化競争についていけず、続々と脱落した。電卓は日本が外貨を獲得する輸出産業としても、重要な役割を担った。

 今となっては、携帯電話の基本アプリの片隅にひっそりと入っている電卓が、日本のハイテク技術の最前線だった時代があったのです。

 僕も子供のころ、父親が買ってきた「電卓」(いまのiPadくらいの大きさ)に、いろんな数字を入れてみて、本当に複雑な計算が一瞬でできることに驚いた記憶があります。  

 佐々木さんは、京都大学工学部を卒業後、日本軍の施設で「殺人電波」を開発させられていたのです。
 実用化にむけて、人体実験が行われようとしていた直前に日本が降伏したとき、佐々木さんは「科学者として死なずに済んだ」と思ったそうです。

(ちなみに、この「殺人電波」と同じ技術が、のちに「電子レンジ」に応用されています)

 その後、さまざまな実績を築きながら川西機械製作所から神戸工業に移った佐々木さんだったのですが、48歳のときに、神戸工業の業績不振の責任をとる形で、母校の京大で研究者として生きる決心をしました。

 ところが、そこで「技術がわかる幹部」を求めていた早川電機の佐伯勉専務の熱心な誘いを受け、シャープの前身である早川電機へ入社することになったのです。

 あらためて考えてみれば、48歳になっての転身だったわけで、僕なども、まだまだ諦める年齢でもないのかなあ、なんて励まされるところもあるんですよね。  

 早川電機の開発陣は、苦心の末、1台53万5000円の「卓上計算機」をつくりあげます。しかしながら、その時点で、「自分たちの能力やこの会社の資金力では、これ以上は無理だ」と、燃え尽きた状態になっていたのです。

 佐々木と大阪市立大学教授の三戸左内が早川電機に入社したのはそんな時だった。三戸は笹尾の後任の研究室長になり、佐々木は浅田や鷲塚がいる産業機器事業部の事業部長になった。
(助かった)

 浅田は「地獄に仏」の思いで佐々木を迎えた。
 だが佐々木の第一声を聞いた浅田は、途端に不安になった。

 浅田や鷲塚が進めてきた電卓研究の資料を一通り読んだ佐々木は、開口一番、こう言ったのだ。
「浅田君、これ面白いね。この回路はいつかチップになって人間の脳に埋め込まれるかもしれないよ」

(この人は、本当に大丈夫か)
 地黒な浅田の顔が少し青ざめ、丸い目が一段と丸くなった。

(俺たちが死ぬ思いで小型化しても、まだ卓上を占拠している計算機が、たった一つのチップになる? それが人間の頭に入るだと?)
 突拍子もなさすぎて話にならない。宇宙人と話しているようだ。

 だが浅田と鷲塚が佐々木の部屋に入り浸るようになるのに、たいした時間はかからなかった。電卓の開発で何か問題に突き当たると、佐々木は必ず解を与えてくれるのだ。
「ああそれなら、三菱電機に頼みなさい。僕から電話をしておいてあげよう」

「それは(当時、世界最大の電機メーカーだった)RCAに聞くのが早い。向こうが朝になったら電話しよう」
 部屋に入って、課題を相談すると、その場で解決策が飛び出してくる。

 全ては人脈のなせる技だった。ベル研究所のショックレー、ブラッテン、バーディーンから始まったアメリカの人脈は半導体、エレクトロニクス業界全体に及んでいた。RCAの経営陣ともクリスマスカードをやり取りする仲。のちにインテルの経営者となるロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブも友人だった。

 浅田たちが「今まで狭い研究室でひざを突き合わせて悩んできた俺たちは何だったのか」と嫌になるほど、佐々木の見識と人脈は広かった。

「いいかい、君たち。わからなければ聞けばいい。持っていなければ借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」

 佐々木が座右の銘とする「共創」の思想を披歴すると、浅田と鷲塚は「なるほど」と頷いた。浅田たちは尊敬を込め、佐々木のことを「ドクター」と呼ぶようになった。

 なんてカッコいい人なんだ……
 佐々木さんは、優秀な技術者、というだけではなく、その技術を世の中に活かすことを考えていたし、生き馬の目を抜くような技術開発の世界で、その懐の広さで、多くの人に信頼されていたのです。

 佐々木さんはその「人脈」を惜しげもなくシャープのために使っていきました。
 自分にできないことは、できる人の助けを借りればいい、その代わり、逆の立場になったときには、惜しみなくサポートする。

 そんな佐々木さんも、マイクロプロセッサー(MPU)の開発で、インテルの遅れをとってしまったことを、ずっと「痛恨の失敗」として語っておられたそうです。

 ベンチャー企業だったインテルの創業期に、佐々木さんが救いの手を差し伸べたこともあったのに。  

 海外に送るクリスマスカードは5000枚を超え、そのすべてに直筆のメッセージを添えた。

「取締役20人で接待費が年間に2000万円」という質実剛健のシャープにあって、佐々木が使う交際費は群を抜いていた。社長の佐伯をはるかに上回る交際費を、「使いすぎだ」と問題視する役員もいたが、佐伯は「ドクターだけはしゃあない」と目をつぶった。佐々木の人脈によって会社にもたらされる利益もまた桁違いだった。

 本当に「破格の人」だったのだなあ、と。
 そして、当時のシャープの佐伯社長も、「ドクター」の価値と動かし方をよく知っていたのです。

 ただし、佐々木さんに対する評価は、必ずしも好意的なものだけではありません。

 それは1970年のことだった。半導体の開発で行き詰まったサムスン電子の会長、李健熙(イ・ゴンヒ)が佐々木の下を訪れた。
「佐々木さん、助けてください」
 韓国帽を脱いだ李健熙は、プライドをかなぐり捨て、佐々木に半導体の技術指導を求めてきた。その時、佐々木の頭に浮かんだのは、終戦直後、発見したばかりのトランジスタを教えてくれたベル研究所のバーディーンの顔だった。

(日本人だってアメリカに教わってここまで来た。技術は会社のものでも国のものでもない。人類のものだ)
 シャープはサムスンと技術提携し、4ビットマイコンの製造技術を供与した。これがきっかけとなってサムスンの半導体事業は大躍進を遂げ、日本の半導体メーカーは壊滅的な打撃を受けた。サムスンに技術を渡した佐々木を、人々は「国賊」と呼んだ。

 だが佐々木は、自分が間違ったことをしたとは露ほども思っていない。

 たぶん、佐々木さんがその決断をしなくても、誰かが同じことをやっていた、あるいは、いつかは追いつかれていたのではないかとは思うのです。
 佐々木さんは、自分自身の利益のためにやったというよりは、自分の研究者としての信念を貫いたにすぎない。

 しかしながら、これが直接のきっかけになったことは事実ですし、人というのは「そういう時代」という解釈よりも、わかりやすい「犯人」を探してしまうものなのです。

 世界の技術者・研究者が、みんな佐々木さんのような人なら、人類は、もっと先に進めているのではなかろうか。
 でも、現実は、そんなに綺麗なものじゃない。

 世界にとっての正しさは、身内を不幸にするかもしれない。
 そんななかで、君たちは、どう生きるかのか?

 佐々木さんの人生は、読者に、そう問いかけてくるのです。

(記事引用)







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