マイクロソフトはなぜスマホ時代の敗者となったのか、
元アスキー西和彦が語る
ダイヤモンド2018.7.17 
西 和彦:東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクター

 ビル・ゲイツとWindowsを開発、その後、袂を分かって日本に帰国し「アスキー」の社長になった西和彦氏。現在は、東京大学でIoTに関する研究者として活躍している。日本のIT業界を牽引したと言っても過言ではない西氏に、まずはWindowsの開発について語ってもらった。
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自叙伝をまとめて改めて思う
15年刻みで転機迎えた私の人生

 2016年、松の内が明けると同時に、私は、「自叙伝」の執筆を始めた。そんな気になったのは、2月に60歳を迎えることに加え、マイクロソフトのビル・ゲイツと共にMS-DOSやWindowsの開発に没頭した過去のいきさつなどについて、書き残しておくことが重要だと思っていたからだ。そして、パソコンやインターネットの創生期から関わってきた者として、これからの未来についても考えを記しておく責任があると考えていたこともある。

 自伝をまとめてみて改めて確認できたのは、私の人生は「15年刻み」で転機を迎えていることだった。今、62歳だから、結局、私の人生は四つの“時代”で成り立っていたことになる。

 最初の15年は、「電気少年」の時代だ。物心ついた頃から、プラモデルやラジオの製作、アマチュア無線などに夢中になった。身の回りにあるものは、何でも分解して中身を確認しないと気が済まなかったほどだ。初めてコンピュータに触れたのは1972年、16歳の時だった。

 二つ目の15年は、大学在学中にパソコン雑誌(当時はマイコンと呼ばれていた)を創刊したことから始まり、米国では同世代のビル・ゲイツという若者がWindowsの開発を進めていることを知って、その開発に参画すると共に、Windowsベースの日本語版のパソコンOSの開発を進めていた時代だ。大学生から30歳くらいまでの頃だ。

 80年代初頭だったこの頃、私は日本と米国を毎月2往復するような生活を続けていた。今でこそ、海外を飛び回るビジネスマンは当たり前になったが、当時は、海外赴任を命じられたら数年は帰国できないような時代。そんな頃に、日米を頻繁に往復する生活は特異なもので、それだけパソコン革命の胎動に並々ならぬエネルギーを感じていたのだ。

 三つ目の15年は、半導体開発をめぐる方針の違いからビル・ゲイツと袂を分かち、日本に帰国してアスキーの社長に就任した時代だ。株式公開の喜び、バブルの熱狂、そしてリストラの苦しみなど、良くも悪くも会社経営のすべてを体験した時代だ。結果的にアスキーをCSKに売り、私自身もアスキーを去る。それが2002年のことだ。

 四つ目の15年は、教育者、研究者の時代だ。アスキーの仕事から身を退く前から大学で講師をしたり、1999年には博士号を取得したりするなど、研究に目が向き始めていた。アスキーのすべての役職を退いて以降は、マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授に就任したのを皮切りに、祖母が創立した須磨学園(神戸)の学園長と、尚美学園大学の教授を兼務する生活が続いてた。

 2017年には、東京大学工学系研究科の「IoTメディアラボラトリーディレクター」に就任。学部生や院生に「設計工学」や「産業総論」を共同で教える一方、インターネットを軸としたクラウドとIoT、つまり「ポストスマホ」時代のIT技術を研究している。具体的には、16Kカメラやディスプレイ、次世代の光ディスク、次世代FM音源チップの開発などだ。

 と、これまでの人生を振り返ったところで、まず語っておかなければならないのが「Windowsの蹉跌」についてだろう。

スマホにフルスペックWindowsなら
競争の風景は変わっていた
 東大でこうしたテーマに取り組んでいる背景には、ITのパラダイムシフトの中で、マイクロソフトもビルも、そして私自身も「負けた」という意識があるからだ。

 マイクロソフトはWindowsに磨きをかけていく過程で、必然的にCPUやメモリーといったハードウエアの問題に直面した。簡単に言えば、自らが作ったOSを動かすためのハードを自ら用意すべきなのか、それとも他社に委ねるのかという問題だ。
 当時、私はマイクロソフトで、OSの受け皿となるパソコンの開発を担っていたから、必然的に自社開発を主張したのだが、ビル・ゲイツは最終的にハードウエアは他社に委ねることにし、ソフト開発に特化することにした。この戦略によりマイクロソフトは、半導体の景気サイクルに巻き込まれることもなく、ソフト開発で莫大な収益を獲得していく。

 Windowsが果たした偉大な功績は、改めて紹介するまでもないだろう。パソコンは、1992年頃から世に出始め、マイクロソフトが1995年に発売したWindows95を契機に劇的に普及する。また、業務用ソフトとしても発展を続け、ビジネスオペレーションのインフラにもなっていった。

 そんな巨人が、初めてうろたえるほどの衝撃を受けたのが、スマートフォンの登場だった。

 マイクロソフトも、「Windowsモバイル」というスマホを開発した。このOS自体は、「iOS」や「アンドロイド」に決して負けない優れたOSだった。しかし、最大の戦略ミスは、Windowsのフルスペックをスマホに移植しなかったことだ。スマホでWindowsが動く世界、言い換えればWindowsがプラットホームとなるスマホを創らなかった。それが最大の敗因になった。

 スマホでWindowsがフルで動かせたならば、絶対にWindowsが勝者になっていただろう。なぜならば、日常の暮らしや仕事で使っているOSが、そのままスマホというユビキタスなツールでも使えるからだ。

 しかし、マイクロソフトにその発想はなかった。「スマホにはスマホのOSが必要だ」と考えたのだ。フルスペックWindowsのスマホへの移植に挑戦していれば、今の状況は大きく変わっていたはずだ。

 こうしたマイクロソフトの戦略ミスを誘引したのはインテルだ、というのが私の見立てだ。

 皆さんご存じの通り、マイクロソフトとインテルは、“ウィンテル”と呼ばれるコンビで躍進を続けてきた。「卵が先かニワトリが先か」ではないが、Windowsの機能向上にCPUの機能向上が呼応し、CPUの機能向上にWindowsの機能向上が呼応した。

「複雑な作業をとにかく早く」がウィンテルの基本思想だが、スマホにそれほどの機能はいらない。むしろローパワーな機能で十分だった。インテルにとっては“うまみ”がないが、もしマイクロソフトが彼らにローパワーなCPUを作らせていたら、戦いは変わっていただろう。
スティーブ・バルマーの辞任で

スマホ戦略に幕引き
 マイクロソフトのスマホOS戦略は、CEOだったスティーブ・バルマーの実質的な引責辞任という形で幕を閉じる。

 スティーブの辞任については、ちょっとした裏話がある。ビルは、その前からスティーブを辞めさせる時期を模索し続けていたのではないか。その絶好の機会となったのが、スマホOSの覇権をめぐる中でスティーブが手掛けた、ノキアの買収と失敗だった。

 スティーブは、ビルの後を受け2000年にCEOに就任した。当時は、Windowsが覇権をさらに拡大させようとしていたと同時に、静かに“ポストWindows”とでも言うべき新たなITの主役が模索されていた時代でもあった。

 スティーブは、Windowsの覇権拡大については、辣腕営業マンとしての力量をいかんなく発揮していた。しかし後者の、次なるIT世界の主役の模索と開拓については、まったくと言っていいほど成果を出せていなかった。その象徴が、ゲーム用機器「Xbox」への多額投資の決断と挫折だろう。ただスティーブは、自分の失敗でも人のせいにするところがあり、言い方は妙だがなかなか汚点を残さなかった。

 ノキアの買収が持ち上がったときだ。私は「そもそも、失敗するつもりで買ったら犯罪だけど、ノキアを買って失敗してもマイクロソフトが揺らぐことはない。ならば買ったらいいんじゃない」と思った。

 これはあくまでも私の推測だが、このときにビルには、「ノキアを買収してもスマホ分野で勝ち名乗りを上げるのは難しい。だが、ノキア買収に失敗すれば、その責任を取らせる形でスティーブを平和に辞めさせることができる」というシナリがすでにあったのではないだろうか。つまり、ノキアに投じた金は、スティーブ・バルマーを辞めさせるための“工作資金”的な色合いを備えていたと思えて仕方がないのだ。

 寄り道になるが、一つ思い出話を書けば、私はビルがスティーブを雇う現場に立ち会っていた。
1980年夏のことだ。私と妻、そしてビルとその彼女ら6人は、カリブ海でヨットクルーズを楽しんでいた。そこで話題に出たのが、ビルに参謀役をつける時期が来たのではないかということだった。

 私が、「ビルにもそろそろ男の秘書役がいるんじゃないの」と言ったらビルは、「東京に行くと、お偉いさんは皆、運転手つきのクルマに乗っているけれど、あれは贅沢だと思わないか」と反論する。

 そこで、「それは日本の常識であって、今、言っていることは話が違う。女性の秘書はすでにいるけれど、男の秘書は役割が違う。君の分身として動く人物だ。メールを送っても返事が遅いし、電話もつながらない。そんな状態は、今後、ビジネスが拡大していく中で会社のリスクになっていくのではないか」と言った。

 ビルが納得したようなので、「誰かいないか」と聞くと、「スティーブがいい」という話になった。

 スティーブは、ハーバード時代にビルと学生寮で同じ部屋に住んでおり、第2優等で卒業した秀才だった。学校を出た後はP&Gに勤め、当時はMBAを取得するためにスタンフォードの経営大学院に学んでいた。

 カリブ海のヨットから、スティーブに無線経由で電話をかけた。「年俸5万ドルでマイクロソフトに来ないか」。当時の無線電話は、秘話システムなどないから話の内容はダダ漏れだったろう。と言っても、マイクロソフトという会社名など、一般の人はまだ誰も知らない頃のことだから、なんら問題はなかった。

「コンピューターはメディアである」
具現化で決まるIT世界の栄枯盛衰
 
 結局、ビルも私も、パソコンやネット、デジタルメディアの分野ではそれなりの仕事を残せたものの、スマホでは仕事らしい仕事はなにもしていない、いや、できなかった。それは、われわれにとって蹉跌であった。

 だからこそIoTやクラウドでは、結果を残したいと頑張っているのだが、基本的な考えは、初期の頃と何ら変わっていない。「コンピューターはメディアになる」という認識だ。

 私が仲間と『月刊ASCII(アスキー)』を創刊したのは1977年のこと。その創刊号のコラムで、私は「コンピューターはメディアになる」と書いた。その意味するところは、コンピューターはまず数字を扱い、次に文字を扱うようになり、そして写真やグラフィックスを扱うようになる。そこでとりあえずの成熟を迎え、そこからさらにオーディオ編集やビデオ編集などの世界が始まってくるというものだった。
なぜそんな認識を持ったかといえば、私がアマチュア無線をやっていたからだ。無線そのものは、音声や電信での通信を楽しむものだが、実はアマチュアでも電波を利用して音声映像を送受信したり(つまりテレビだ)、テレタイプをやったり、ファックスのような送受信を行うなど「上級者ならではの」楽しみ方があった。

 無線家にとって、コンピューターは通信機に他ならなかったし、ならば通信機と同様に数字や音声、映像などさまざまなメディアを展開できると考えるのはすごく自然な発想だったのだ。

 メディアとは、具体的には「情報を運ぶ」「情報を売る」「情報に広告を載せる」という三つの要因で成立している。従前は、運ぶを郵便や電話が担い、売るを新聞や雑誌が担い、広告を載せることはテレビが担うという形で、事業として成立させてきた。

 それぞれ個別の事業が、IT革命でどんな変容を迫られているかは、次回で詳しく述べてみようと思うが、いずれにしもスマホというツールが、メディアとしてどのような機能を発揮するかについて私は具体的な認識を持たず、技術的にもソフト的にも具体的な関わりを持つことができなかった。これは非常に悔しい。

 15年周期の第4時代である45歳以降は、研究者や教育者として生き、成果物も少なくなかった。マイクロプロセッサー「ネクスジェン686」、日本初のメディアセンター、世界初の64ビットパソコン、日本最速スーパーパソコンクラスターなど、自慢できる成果はあるのが、主流となるスマホに関わっていくものではなかった。

 ネットを軸にしたIoTとクラウドの新しいIT世界は、私が取り組んできたことを存分に活かせる場でもある。コンピューターはメディアとなる、という基本認識をどのように拡張していけるか、また流れに重ねていけるか。それが具体的にどのような形で展開されるか。次回は、その展開のアイデアについて既存メディアの変容などを踏まえつつ述べてみたいと思う。

*次回は7月30日(月)公開予定です。

(記事引用)


「ジョブズの再来」ともてはやされた女性起業家の虚構を暴く あのマードックも騙された   - 森川聡一 
WEDGE Infinity2018年07月13日 15:38
実用化できていなかった技術
 名門スタンフォード大学を中退し19歳の若さで血液検査ベンチャー、セラノスを起業したエリザベス・ホームズは、大学の教授や大物政治家、有名ベンチャーキャピタリスト、大企業トップたちを次々と味方につける。若くて美貌と知性を兼ね備えたエリザベスは、アップルのスティーブ・ジョブズの再来ともてはやされ、テレビや雑誌などマスメディアがこぞってとりあげスターダムにのしあがる。

 しかし、一滴の血液からいろんな検査をするという肝心の新技術は実はエリザベスの夢に過ぎず実用化できていなかった。世界を変える革新的なスタートアップとしてセラノスと、そのCEOであるエリザベスを世間がもてはやすなか、2015年10月にその虚像を暴くスクープ記事を掲載したのが米経済紙ウォールストリート・ジャーナルだった。その調査報道を手掛けた同紙の記者が上梓したのが本書だ。

 セラノス側は資金力を盾に全米ナンバーワンの弁護士を雇い、取材を続けるウォール紙に圧力をかけると同時に、記者の取材に応じているらしい元従業員らにも脅迫まがいの手法を使い口を封じようとする。しかし、ウォール紙が報道した後、セラノスは当局から血液検査業務の免許を取り消された。2018年3月には、アメリカのSEC(証券取引委員会)から、投資家をだましたとして提訴された。さらに、同年6月には検察当局がエリザベス・ホームズらを刑事訴追した。
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 アメリカ経済の革新性の象徴であるシリコンバレーで発生した詐欺事件で、世間を騒がせただけに、硬派の内容ながら本書は6月10日付のニューヨーク・タイムズ紙の週刊ベストセラーリスト(単行本ノンフィクション部門)で10位で初登場した。ランクイン4週目となった7月15日付リストでも8位につけた。いまや、多くの日本企業もイノベーションの種をもとめてシリコンバレーのスタートアップへお金を投じている。うますぎる話に騙されないよう、日本の経営者やビジネスパーソンたちこそ本書を手にとるべきかもしれない。


『Bad Blood』 (John Carreyrou,Knopf

各界の大物を味方につけたエリザベス
 セラノスを創業して間もなく、CEOのエリザベス・ホームズは600万ドルの資金調達に成功する。最初に、世界的に有名なベンチャー・キャピタリストであるティム・ドレイパーから1000万ドルの出資をとりつけたことが追い風となった。人脈や口コミを重視するシリコンバレーでは、有名な投資家を引き込むことで会社にはくがつく。ところが、エリザベスは幼いころドレイパーと家が近所で、その娘と友達だった縁を利用しただけだった。

 エリザベスはさらに、ドナルド・ルーカスという古参のベンチャー・キャピタリストからも出資を仰ぎ取締役にも就任してもらう。エリザベスは父親が政府系機関で働いていたときの人脈もたどり、元国務長官のジョージ・シュルツやヘンリー・キッシンジャー、今ではトランプ政権で国防長官を務めるジェームズ・マチスまで、セラノスの取締役会のメンバーに据える。ほかにも、大手銀行の元CEOや元国防長官のウィリアム・ペリーといった政財界の大物たちがセラノスの取締役に就いた。いずれも高齢で社会的な名声を確立した大物で、バイオテクノロジーの専門知識はない。才気あふれる若き美貌のCEOの魅力にほだされたといったところだろう。

 大手ドラッグストアのウォルグリーンのCEOら大手企業の経営者もエリザベスを崇拝し業務提携のために多額の資金を投じる。ウォルグリーンの社内では、話題先行で実証データを示さないセラノスの対応に疑問を持ち提携に反対する声も出た。しかし、経営トップがエリザベスを気に入り慎重論に耳を全く傾けなかったという。

 各界の大物を取り巻きとして味方につけながら、エリザベスの野望だけは大きくなる。起業家として成功することを夢見てきたエリザベスは当然ながら、スティーブ・ジョブズを崇拝しており、自身も黒のタートルネックを日ごろ着るようになりジョブズの真似をすることが多くなった。2011年11月にジョブズがなくなった直後のエリザベスの言動に関する、セラノスの従業員グレッグの次の証言は滑稽であると同時に、そうした単純な思考のCEOが率いるスタートアップが多額の資金を集めた現実に唖然とさせられる。

 A month or two after Jobs’s death, some of Greg’s colleagues in the engineering department began to notice that Elizabeth was borrowing behaviors and management techniques described in Walter Isaacson’s biography of the late Apple founder. They were all reading the book too and could pinpoint which chapter she was on based on which period of Jobs’s career she was impersonating.

 「ジョブズの死後、一カ月か二カ月たった後、グレッグのエンジニアリング部門の同僚たちは気づき始めた。エリザベスが、ウォルター・アイザックソンの手によるアップル創業者の伝記に書かれている行動や経営手法を借りていることを。みなも同じその本を読んでいたので、エリザベスが真似しているのがジョブズのキャリアのどの時期のもので、本のどの章に出ていたかをピンポイントで分かった」

 自らをジョブズの再来と信じるエリザベスの独善的な振る舞いを助長し、反対意見を許さない企業文化の醸成に一役買ったのが、セラノスのナンバー2だった通称サニーで知られる元起業家の男だった。エリザベスより20歳以上も年上にもかかわらずサニーはエリザベスと恋愛関係にあったという。

 サニーは徹夜してでも働くことを従業員たちに求め、監視カメラで社員の出社や退社時刻を監視した。社員のメールでのやり取りにも目を光らせ、会社に対して批判的なことを言う人物は次々に解雇した。辞める人間には会社の内情を洩らさないよう守秘義務契約に改めて署名することを求め秘密主義を徹底した。

 一滴の血液だけでは実際には正確に検査できないことを訴えてきた誠実な社員たちも退職を余儀なくされていく。エリザベスが新技術を開発したと対外的に喧伝していたのとは裏腹に、開発中の製品では基礎的な血液検査もできず、セラノスはシーメンスなど他のメーカーの血液検査装置を使って検査をしていた。しかも、十分な検査体制を整備せず間違いだらけの検査結果を利用者たちに伝えていた。
 たった一滴の血液だけで病気を検査する、という自分たちのビジョンを信じるあまり、それを否定する人たちの意見を全く寄せ付けなかった。自分たちのことをイノベーションで世界を変えるカリスマ経営者だと信じこんでいたのだろうか。もちろん、真に革新的なことを成し遂げるにはそれなりの信念がいるだろう。それでも、次の指摘のように現実と夢の区別がつかないようではまさに喜劇だ。

 Part of the problem was that Elizabeth and Sunny seemed unable, or unwilling, to distinguish between a prototype and a finished product.

 「問題のひとつは、エリザベスとサニーは、試作品と完成品の違いを理解できない、あるいは理解しようとしないことだった」

脚光を浴びることで崩壊が速まった
 シリコンバレーでは、これまでは夢でしかなかったことをテクノロジーの力で実現するというサクセストリーには事欠かない。その神話の磁力から逃れるのはなかなか難しい。スーパーマーケット・チェーンのセーフウェイもセラノスの虚像に取りつかれた大企業のひとつだった。店舗の一部を改装して顧客が気軽に血液検査を受けるコーナーを開設し、セラノスの製品を使う業務提携を結んでいた。計画は遅れに遅れ、セラノスとの提携を主導したセーフウェイのCEOは業績低迷の責任をとってついに退任させられる。それでも、セーフウェイは提携解消には消極的だったという。

 What if the Theranos technology did turn out to be game-changing? It might spend the next decade regretting passing up on it. The fear of missing out was a powerful deterrent.

 「もし、セラノスのテクノロジーが本当に物凄いものだとなったら、どうなる? セーフウェイは今後10年、それを見過ごしたことを後悔することになりかねない。チャンスを見逃すことになるかもしれないという恐れが、決断を鈍らせる大きな障害となった」

 シリコンバレーのスタートアップへの投資は、いま目の前にあるものへの投資ではなく、未来に大きな革新を起こすというまさに期待への投資だ。今の時点で具体的な成果がなくても、5年後、10年後に業界そのものの構造を変えてしまうイノベーションの芽があるかもしれない。だから、日本の企業も多額の資金をベンチャー企業に投じ始めている。将来への期待値が投資判断に影響するだけに目利きするのはかなり難しい。ましてや、セラノスのように、有名な投資家が株主に名を連ね、おまけに政財界の大物たちが取締役会にも名を連ねている場合、簡単に騙されてしまう経営者が出るのは想像に難くない。 

 セラノスがマスメディアで名声を築く過程では、セラノスの取締役だった元国務長官のジョージ・シュルツの果した役割が大きかった。シュルツは90歳を超える高齢にもかかわらず保守派の論客として一目おかれており、ウォールストリート・ジャーナルの論説委員会と太いパイプをもっていた。そのおかげで、ウォール紙にセラノスCEOであるエリザベス・ホームズのインタビュー記事が大きく掲載される。これがきっかけとなり2014年6月に、経済雑誌フォーチュンがエリザベスをカバーストーリーで取り上げ、エリザベスは一気に時代の寵児となる。新聞や雑誌などさまざまな媒体が競ってエリザベスを持ち上げテレビ出演も相次いだ。

 世間で脚光を浴びたことが逆に、セラノスの崩壊を速めたのは皮肉だ。いろいろな記事やインタビューのなかで、エリザベスが自社の技術の素晴らしさを訴える一方で、実証データや学術論文での裏付けなどが一切ないことに疑問を持つ専門家が出てきたのだ。そして、ウォールストリート・ジャーナルの記者である本書の筆者が本格的な調査へと乗り出す。元従業員やセラノスの血液検査サービスを利用して誤った検査結果で迷惑した開業医や患者たちに取材を重ね、セラノスの虚構をあばく記事を15年秋に報じるにいたる。重要な内部情報を記者に提供した元従業員の一人が実は、セラノスの取締役を務めるジョージ・シュルツの孫だったというのも驚きだ。

 記者が真相に迫るにつれて、セラノスの大物弁護士からの取材源への干渉も目立ち始める。大物弁護士はセラノスの株式を報酬として受け取っておりセラノスを守ることに必死だ。なんとか記事の掲載を止めようとするセラノスの弁護士がウォール紙のオフィスに来訪し、記者や編集幹部らと長時間の押し問答をするなど、報道にいたるまでの手に汗握る展開も読ませる。

調査報道を大切にするアメリカの新聞社
 なお、前述の通り、主要メディアのなかで最初に大きくセラノスのことを好意的に取り上げたのはウォール紙そのものだった。最初の記事は論説委員会が扱ったものとはいえ、同じ新聞の別の記者がセラノスの虚構を暴く記事を書くことにウォール紙の社内では何も問題はなかったのだろうか。本書の筆者は次のように書き、その疑問に答えてくれている。

 I thought: my newspaper had played a role in Holmes's meteoric rise by being the first mainstream media organization to publicize her supposed achievements. It made for an awkward situation, but I wasn’t too worried about it. There was a firewall between the Journal’s editorial and newsroom staffs. If it turned out that I found some skeletons in Holmes’s closet, it wouldn’t be the first time the two sides of the paper had contradicted each other.

 「わたしは考えた。自分の新聞は、主要メディアのなかで最初にエリザベスの偉業を報じ、彼女を一気にスターダムにおしあげるのに一役買った。やっかいな状況ではあったが、わたしはその点について悩まなかった、ウォールストリート・ジャーナルの論説委員会と報道記者の間にはファイアーウォールがある。もし、自分がエリザベスのクローゼットのなかで骸骨を発見したとしても、ウォール紙の論説委員会と報道記者の見解が相違するのは初めてのことではない」

 つまり、調査報道に従事するニュース記者の独立性が守られているわけだ。実際、不幸にしてセラノスを好意的に最初に報じたウォール紙が、手のひらを返して批判記事を掲載した事実が、調査報道を大切にするアメリカの新聞社の姿勢を如実に物語る。

 そしてもうひとつ、報道の独立性めぐるエピソードを本書は明かす。ウォールストリート・ジャーナルの親会社ニューズ・コーポレーションを率いるルパート・マードックも実は、セラノスに対し個人で100億円を超える出資をしていたのだ。本書の筆者がちょうど取材を進めている最中にセラノスは新たな資金調達を進めており、知人から紹介されてエリザベスと知り合ったマードックは何も調べずにセラノスの株式を購入したのだ。

 ウォール紙の記者はマードック個人がセラノスに出資したことを知らなかった。しかも、エリザベスはマードックに何回か接触し、ウォール紙に調査報道の記事が出ないようにしてくれと頼んだ。しかし、マードックは報道には介入しないと繰り返し答えたという。メディア王として毀誉褒貶のあるマードックだが、報道の独立性を守るその姿勢には感銘した。

 さて、ウォール紙の報道をきっかけに、凋落の道をたどったセラノスの株式をマードックはどう処分したのか。エリザベスらを相手取り訴訟を起こす投資家が多くいたなか、マードックの対応は一味違った。

 One notable exception was Rupert Murdoch. The media mogul sold his stock back to Theranos for one dollar so he could claim a big tax write-off on his other earnings. With a fortune estimated at $12 billion, Murdoch could afford to lose more than $100 million on a bad investment.

 「注目すべき例外のひとつがルパート・マードックだった。メディア王は持ち株をセラノスに1ドルで売却することで、多額の損失を税務上の損金として他の収入と相殺できた。個人資産が推定で120億ドルにのぼるマードックだからこそ、1億ドルを超える投資損失にびくともしないのだった」

 シリコンバレー神話の危うさと、アメリカのジャーナリズムの健在ぶりを示す好著である。スタートアップ投資に熱をあげる日本の経営者にはぜひ読んでほしい。

(記事引用)






EVにまつわる数々の「うそ」 既存産業が保身のため拡散
フォーブス ジャパン2018年07月05日 11:30
石油業界と自動車業界では、電気自動車(EV)に関する誤った情報を流布する試みが露骨さを増している。その目的は、地球環境や人々に害を及ぼすとの認識が日々高まるビジネスモデルを守ることだ。この問題については、英紙ガーディアンや米CNBCテレビなどが報じている。
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こうした偽情報の中には、EVは従来型自動車よりも大きな汚染源であるとするものがあるが、この説はこれまで再三に渡り否定されてきた。多くの州や国では持続可能な発電への切り替えが進んでいる。仮に化石燃料から発電する場合でも、EVの使用によって都市部の大気汚染は大幅に改善できる。

ほかの虚偽情報としては、交通手段は真の問題ではなく、汚染の実際の原因は暖房や産業だとする主張がある。だが実際には、乗用車やトラックの排ガスは二酸化炭素排出量の3分の1以上を占めている。そのうちの多くが、私たちが住み働く場所で排出されており、排出量を少しでも減らせれば私たちの生活改善につながるだろう。

また、EVは高過ぎるとか、航続距離に不安が残るといった声もある。だが、EVの航続距離は伸び続けており、既に化石燃料車の航続距離に近づいたり、さらにはそれを超えていたりする場合もある。メルセデスによると、同社の次世代EVの航続距離は500kmに到達した。さらにテスラは、次世代ロードスターなどで約1000kmの航続距離を実現する予定だという。これらEVは一般向けではないかもしれないが、このトレンドは明らかだ。バッテリー性能の飛躍に伴い、EVの走行距離は伸びる一方なのだ。

バッテリーもまた、偽情報の標的となっている。バッテリーはリサイクル不可能な希少鉱物がなければ製造できない、という主張だ。まず、バッテリーはリサイクル可能だ。バッテリーの材料は完全に再利用可能であり、さらに一般的な認識とは異なり、使用や時間経過によって劣化はしない。厳密な研究の結果、バッテリーの劣化率は3万km毎に約1%と、内燃機関よりもかなり効率が良いことが示されている。

全てのEVを充電するのには発電能力が不足している、との偽情報を広め、恐怖を煽る者もいる。英国では、国内のエネルギー供給事業者団体によりこの主張が既に否定されている。同団体によると、メンバーとなっている事業者らは今後数年間に生産されるEV数百万台分を超える電力を供給できる見通しだという。

メンテナンス性はどうだろう。従来の内燃エンジンは、潤滑油や定期交換が必要な1万個以上の可動部品でできている。マイカー持ちなら誰しもが知るとおり、部品の交換は非常に高くつく。一方、一般的なEVの可動部品の数は18で、劣化率は低く、内燃エンジンと比べメンテナンスの必要性も圧倒的に少ない。

私たちは、ハイブリッド車を完全に飛び越え、EVへの移行を迅速かつ効率的に進める必要がある(ハイブリッド車は非効率的であり、その唯一の目的は、今すぐにでも販売が禁止されるべきである時代遅れのテクノロジーとなった内燃エンジンの延命だ)。これから自動車の購入を検討している人は、ディーゼル車、ガソリン車、ハイブリッド車は忘れ、EVを選ぶべきだ。

スペインなどの国々では、自動車業界が今も”技術中立性”という虚構に基づく主張を持ち出しているが、その実態は中立的なものとは到底言えない。実際は極めて長い移行期間を作り出すことにより、既に倫理的にも企業の社会的責任の面からもすべての限界を超えている旧来の産業を守ろうとしているだけだ。

交通の未来については、うわさや半分だけの真実、あからさまなうそではなく、事実に基づいた議論をしようではないか。

EV(電気自動車)は本当にエコカーか
大西宏 2017年12月11日 11:50
世界各国がEV(電気自動車)ポピュリズムとでも言うのでしょうか、遅れてはならじと、つぎつぎに、ガソリン車やディーゼル車を規制し、EVへ切り替える政策が発表されてきています。ドイツはディーゼル車の排ガス不正で次世代の自動車市場をリードする技術を失ったためにEVで再び技術優位を生みだそうという思惑、中国は、ガソリン車やディーゼル車では、とうていドイツや日本には追いつけないため、EVにシフトし、国内産業に競争力をもたせようという思惑などもからみ、なにかEVは国策合戦の様相を帯びてきました。

(記事冒頭引用)














歴史が予見する"北朝鮮はまた必ず裏切る"
PRESIDENT Online2018年06月10日 11:15
中国との連携を強め、米副大統領を罵倒したかと思えば、「トランプ大統領を内心評価してきた」と手のひら返し。その一方でロシアにも接近し……。金正恩・朝鮮労働党委員長のあからさまな「コウモリ外交」について、著述家の宇山卓栄氏は「強大な中華帝国に隷属し続けた朝鮮半島の過酷な歴史がその背景にある」と指摘する――。
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大国の間を上手に飛び回りつつ、自国の生き残りを図るのは朝鮮半島の伝統だ――。平壌を訪問したロシアのラブロフ外相(左)と、笑顔で会話しながら歩く北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長。(写真=AFP/時事通信フォト)

■米中ロの間を渡り歩く北朝鮮
『イソップ寓話』の中に、「卑怯なコウモリ」という一話があります。かつて、獣の一族と鳥の一族が戦争をしていました。両者の戦いを見ていたコウモリは、獣の一族が優勢な時、彼らに「私は全身に毛が生えているので、獣の仲間です」と言いました。鳥の一族が優勢になると、コウモリは彼らに「私は羽があるので、鳥の仲間です」と言いました。

『イソップ寓話』は紀元前6世紀に、ギリシアのアイソーポス(英語読み:イソップ)という人物によって編纂されました。こうした寓話には、時代を超越した普遍の真理が隠されているものです。

北朝鮮の外交はまさに、イソップのコウモリと同じです。北朝鮮は中国との連携を強め、ペンス副大統領を罵倒するなど、アメリカを揺さぶっていました。トランプ大統領が5月24日、米朝首脳会談を中止すると発表すると、突如態度を変えて、「トランプ大統領を内心高く評価してきた」などと言い、今度はアメリカに抱き付いてきたのです。

その一方で、5月31日、ロシアのラブロフ外相との会談で、金正恩委員長は「(アメリカの)覇権主義に対抗して、(ロシアの)指導部と綿密に意見交換していきたい」と述べ、プーチン大統領を持ち上げました。

■反故にされるとわかっている「合意」
6月12日の米朝首脳会談やそれ以降の会談で、どんな合意がなされようとも、北朝鮮はお得意の「コウモリ外交」で、また手のひらを返し、約束を破ることは間違いありません。北朝鮮との外交において大切なのは、「どのような合意をするか」ではなく、合意が破られた後、軍事オプションも含めて、「どのように制裁するか」ということです。アメリカが多少の妥協をして、何らかの合意をしたとしても、どうせその合意は紙屑になるだけのこと。「トランプ大統領が妥協するかどうか」を詮索すること自体、無意味です。

ボルトン補佐官をはじめとするトランプ政権の強硬派の面々は、「卑怯なコウモリ」が裏切ることを前提にして、その首をどのように斬るかということを考えていると思います。それが彼らの最大の役割だからです。もし、それができないのならば、トランプ政権はオバマ政権と同様に、歴史に汚名を残すことでしょう。

■19世紀末李氏朝鮮の「コウモリ外交」
とはいえ北朝鮮には、「コウモリ」を演じているという自覚がありません。なぜならば、それは歴史的に培ってきた彼らのDNAであり、体に染み付いた自然の習性であるからです。

19世紀後半の李氏朝鮮時代に閔妃(びんひ)という人物がいました。彼女は王妃でしたが、夫の高宗に代わり、実権を掌握していました。

中国の歴代王朝は、朝鮮を属国にしていました。閔妃の時代の清(しん)も同様です。閔妃は宗主国の清にすり寄る一方、明治維新後の日本にも接近しました。日本を後ろ楯にすることで、清を揺さぶることができると考えたのです。

日本は閔妃の「コウモリ外交」を知りながら、惜しみなく朝鮮に資金を援助し、技術開発を支援しました。また、日本人の教官が派遣され、近代式の軍隊を創設して軍事教練を施したりもしました。

清は日本に対抗するため、朝鮮への駐在軍を増強し、朝鮮支配を強化します。この時、清の駐在軍を指揮していたのが、若き日の袁世凱でした。袁世凱らの軍勢は朝鮮で略奪・強姦を繰り返し、暴虐の限りを尽くします。こうして清の支配が強まると、閔妃は日本を裏切り、清にすり寄りはじめました。

しかし、この時、日本は閔妃を非難しませんでした。当時の対朝鮮外交の責任者であった井上馨は、閔妃の「コウモリ外交」を、属国ゆえの悲哀として憐れんだのです。



■国の創始者が「事大主義」を国是に
清と日本の両勢力が朝鮮半島でぶつかった結果、ついに戦争が始まります。これが日清戦争(1894~1895年)です。閔妃をはじめ、朝鮮の廷臣の誰もが「日本が大国の清に勝てるわけがない」と考え、清にますます追従しました。

しかし、日本が優勢になると、閔妃は清を裏切り、親清派の廷臣を切り捨て、親日派の廷臣を登用し、日本にすり寄りました。その一方で、閔妃はロシアにもすり寄りはじめ、日本の影響力を削ごうとします。ロシアが三国干渉に成功し、日本が清に遼東半島を返還すると、閔妃はロシアへの依存を強めていきます。ここに、閔妃の「コウモリ外交」が極まりました。最終的に閔妃は内乱に巻き込まれ、暗殺されます(*注)。

朝鮮半島は岩盤地質の山岳に覆われ、土地の痩せた貧弱な地域です。肥沃な中国大陸の東の果てに付随する半島国家として、中国など強い勢力に隷属するしかなかったのです。それが朝鮮の悲しい宿命でした。

この隷属は「事大主義」と呼ばれます。李氏朝鮮の創始者の李成桂(イ・ソンゲ)は「小をもって大に事(つか)ふるは保国の道」と言い残しています。これは『孟子』の「以小事大」からとったもので、大国の中国に事(つか)えることが肝要とする儒教の考え方で、李氏朝鮮の国是となり、代々受け継がれていきました。

そのときどきに力を持つ者にすり寄り、状況が変わればすり寄る相手を乗り換えることは、「事大主義」という名のもと、儒教によって大義名分を与えられた立派な倫理規範であるのです。長きにわたる属国としての歴史の中で受け継がれた彼らの価値観は、「コウモリ」的な振る舞いを悪しきものとするわれわれの価値観とは異なります。

■トランプの「ディール」の真の意味
トランプ大統領は6月1日、北朝鮮の金正恩委員長の右腕とされる金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長とホワイトハウスで会談しました。この会談で、トランプ大統領は「非核化はゆっくりで良い」と伝えたことを明らかにしました。その上で、「最大限の圧力(制裁)に変更はなく、現状のままだ。しかし、どこかの時点でディールをしたいと思う」と述べ、北朝鮮の主張する「段階的非核化」を受け入れる可能性に言及しました。

CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な非核化)が達成される前に、「圧力をディールする」というのは明らかに妥協です。トランプ大統領のこの発言には、多くの人ががっかりしました。

しかし、トランプ大統領が妥協をしたからと言って、大した問題ではありません。そもそも、CVIDを達成するには、5年かかるという専門家もいれば、15年かかるという専門家もいます。たとえCVIDを追及したとしても、時間稼ぎをされるだけのこと。CVIDであろうが、「段階的非核化」であろうが、「卑怯なコウモリ」は結局、裏切るのです。

そのことをトランプ政権はよく理解しており、次に裏切った時が「卑怯なコウモリ」の首が飛ぶタイミングでしょう。北朝鮮の背後にいる中国の存在を睨みながら、アメリカは今、諜報力・外交力・軍事力などありとあらゆる力を使っています。

■日本も「裏切り」を前提とした対応を
トランプ政権にも色々と策略があるのでしょうが、日本の立場からすれば、「首斬り」はできるだけ早い方が望ましい。ただ、トランプ大統領は日本のために動いているのではなく、アメリカのために動いていることを忘れてはなりません。

アメリカの利益と日本の利益が常に一致するわけではないことをきちんとふまえ、日本はアメリカにただ追従するのではなく、「拉致、核、ミサイルの包括的な解決がなければ、北朝鮮支援はしない」という従来の方針を維持するべきです。解決があいまいなまま資金援助を要請されたとしても、キッパリと断らなくてはなりません。

(*注)誰が閔妃暗殺の首謀者だったのかというかことについては、大院君首謀説、三浦梧楼首謀説など諸説あります。史料に乏しく、はっきりとしたことはわかりません。よく教科書や概説書では、「三浦梧楼によって暗殺された」と断定されていますが、根拠不十分である限り、そのような断定は不当であると考えます。

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宇山卓栄(うやま・たくえい)
著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『「民族」で読み解く世界史』(日本実業出版社)などがある。
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(著作家 宇山 卓栄 写真=AFP/時事通信フォト)

(記事引用)









脇役から主役へ、バニラの下剋上な歴史
 国際アイスクリーム協会のランキングによると、アイスクリーム好きの29%が真っ先に選ぶのはバニラで、2位以下のチョコレート(8.9%)、バターピーカン(5.3%)、ストロベリー(5.3%)を大きく引き離し、断トツ1位だ。

 こんなに人気のバニラなのに、英語で“プレーン・バニラ”と言うと、平凡、単調でつまらないものの代名詞となっている。華やかさに欠ける「プレーン・バニラなワードローブ」とか、オプション機能のない「プレーン・バニラな製品」、退屈な「プレーン・バニラな音楽」といった具合だ。ところが実際のバニラは、退屈とはほど遠い歴史をたどってきた。

チョコの脇役から主役へ
Photograph by Johan Zeeman, Creative Commons 2.0
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 バニラは、2万5000種から成る一大植物群、ラン科の仲間。中南米が原産で、メキシコの東沿岸に住むトトナコ族によって栽培が始められたと考えられている。15世紀にトトナコ族を征服したアステカ族がバニラを手に入れ、やがてアステカ族を征服したスペイン人の手に渡った。征服者エルナン・コルテスがヨーロッパに持ち帰ったとする説もある。しかしこの時は、ジャガーやフクロネズミ、アルマジロなどの珍獣に注目が集まり、バニラの影は薄かった。

 アステカ族は、カカオを原料としたショコラトルと呼ばれる飲み物にバニラを加えて飲んでいた。スペイン人はチョコレートを「豚の飲み物」と表現し、当初は気味悪がったが、徐々にアステカ族の飲み方を真似するようになった。

 17世紀初めになると、チョコレートに香りを添える脇役でしかなかったバニラの状況は一変する。英女王エリザベス1世の薬剤師ヒュー・モーガンが、チョコレートを使わないバニラ風味の砂糖菓子を考案し、それを女王が珍重したことから、バニラはにわかに主役の座についたのだ。18世紀には、フランスでアイスクリームの香味料としてバニラが使われるようになった。1780年代に米国大使としてパリに赴任していたトマス・ジェファーソンは、バニラアイスをたいそう気に入り、レシピを書き写した。現在、そのレシピは米国議会図書館に収蔵されている。

料理本にバニラが登場するのは、もう少し後のことだ。食物史家のウェイバリー・ルートによれば、バニラを使った最初のレシピは、英国の料理家ハンナ・グラスのベストセラー『The Art of Cookery』(1805年)に掲載されたもので、チョコレートには「バネラス」を加えるように、と書かれていた。

 米国では、メアリー・ランドルフが著書『The Virginia Housewife』(1824年)の中でバニラアイスのレシピを紹介したのが最初である。19世紀後半になるとバニラの需要は急増した。アイスクリームのフレーバーとしてすっかり定着しただけでなく、清涼飲料の原料としても欠かせない存在となったのだ。アトランタの薬剤師ジョン・S・ペンバートンが考案し、1886年に発売されたコカ・コーラにもバニラが配合され、「脳スッキリ、知性に効く大評判の飲み物」と宣伝されている。

世界で2番目に高価なスパイス

 問題は、バニラの値段である。生産に多くの人手と作業を必要とするバニラは、サフランに次ぐ、世界で2番目に高価なスパイスだ。バニラはつる性の植物で、他の植物に絡まりながら成長する。茎(つる)の長さは90m以上に達することもあり、直径10cmほどの淡い黄緑色の花を咲かせる。原産地のメキシコでは、オオハリナシバチやハチドリがバニラの花の授粉係だ。受粉しなかった花はわずか24時間でしおれて落ちてしまう。このように受粉機会がごく限られていることを考えると、バニラの存在そのものが進化の奇跡のようなものだ。  

 受粉に成功すると、長さ15~25センチほどのさやの形をした実がなる。さやの中には数千もの微細な黒い種子が詰まっている(バニラアイスに入っているあの小さな黒い粒だ)。ほかの地域でもバニラの移植が試みられたが、当初、さやは全く形成されなかった。授粉係のオオハリナシバチがいなかったからだ。1841年、インド洋に浮かぶ植民地レユニオン島で、12歳の奴隷の少年エドモンド・アルビウスがバニラの人工授粉の方法を編み出した。この技術がバニラ栽培に大きな変化をもたらし、バニラプランテーションはマダガスカルからインド、タヒチ、インドネシアと世界中に広がった。今日、世界のバニラの75%は、マダガスカルとレユニオンで生産されている。

バニラの実は、さや豆のように見えることからバニラビーンズと呼ばれ、成熟したものは、ひとつひとつ手で摘み取られる。収穫した実はじっくりと時間をかけて、発酵・熟成加工されていく。やがて十分に乾燥して黒く艶やかに熟成し、芳醇な香りを放つようになったさやが、スパイス専門業者によって販売される。

 さやが熟すのに9カ月もかかる上に、収穫や収穫後の処理に手間がかかるバニラは、世界的にも生産量は多くない。世界の天然バニラ総生産量は2000トンで、需要には到底追いつかない。バニラ風味のウォッカやバニラウエハース、バニラプディングなど、市場に出回っているバニラ製品のほぼ99パーセントは、天然のバニラが使用されていない。


Photograph by Jennifer Martinez, Creative Commons 2.0
市場の99%は合成バニラ

 バニラは驚くほど複雑で繊細なスパイスだ。含まれる様々な風味と香りの成分は250~500種類に及ぶと推測される。その中で、バニラ特有の芳香を生む主成分がバニリン(4-ヒドロキシ-3-メトキシベンズアルデヒド)だ。舌を噛みそうな化学物質名だが、比較的容易に人工合成が可能で、木材パルプ製造や製紙工程で出る副生成物のリグニンや、丁子油の成分のオイゲノールなどから合成される。変わったところでは、ビーバーの肛門腺から分泌される海狸香(かいりこう)という糖蜜に似た物質も、バニリンの原料となる。

 合成バニリンの値段は、天然バニラの20分の1以下。年間2万トンものバニリンが製造・販売されている理由はそこにある。何かにバニラの味や香りを感じたなら、それは多分、天然バニラではなく合成バニリンの味や香りなのだ。
いっぽう、国際環境保護団体「フレンズ・オブ・ジ・アース(FOE)」は、最近開始した「天然バニラを支持するキャンペーン」で、合成生物学を応用して作るシンバイオ・バニリンを槍玉に挙げている。シンバイオ製品は、DNA配列を人為的に操作し、藻類や酵母菌などの生細胞に組み込むことによって作られる。

 酵母の遺伝子を操作するこの方法で、香水にオレンジやグレープフルーツなど柑橘系の香りをもたらす化合物が作られている。また、合成生物学の技術を応用するベルギー企業、エコベール社は、遺伝子を組み換えた単細胞藻類を使ってシンバイオによるパーム核油を製造し、石鹸の原料として使用している(目的はアブラヤシを栽培するための伐採や破壊から熱帯雨林を守ることだ)。

 米国の評論誌はシンバイオ・バニリンについて、「マダガスカルやメキシコの農民たちが支配している、高価な天然バニラ市場と真っ向から競合することになるだろう」と指摘している。果たしてそうだろうか。

 シンバイオ・バニリンの競合相手になるのは、石油化学製品や木材パルプからバニリンを作る、合成バニリン産業のほうだ。合成生物学と合成化学という2つの手法から作り出されるバニリンは、どちらも同じ4-ヒドロキシ-3-メトキシベンズアルデヒド分子である。シンバイオのバニリンだからといって、どこか薄気味悪いなどと考えるのは、まったくのおかど違いなのである。

 とはいえ、どちらのバニリンも、本物のバニラでないことに変わりはない。本物の“プレーン・バニラ”が食べたいのなら、バニラビーンズが必要ということだ。

(文=Rebecca Rupp/訳=小野智子)
(記事引用)

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♪マダガスカル2018507

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加冶田刀剣 日本刀の製作
日本刀の製作行程
世界には中国の青龍堰月刀  フランスのフェンシング、中東の ジャンビア(半月刀)など特徴的な刀がたくさんあります。なかでも日本刀はその姿、形が美しく、製作技術の点から言っても世界の最高位と言っても過言ではないでしょう。
ここではその製作工程を順を追ってみていくことにしましょう。

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日本刀鍛錬に使用される炭は松から作られた木炭に限られています。それは備長炭のよう楢樫から作られた木炭は火もちはいいのですが一気に火力を上げたり、いわゆるあおい炎の一酸化炭素の還元雰囲気を作り出すのに適していないからです。 
製作途中では折り返し鍛錬を何度も繰り返して鍛えていくのですが、 鋼中の炭素が酸化作用により脱炭されるのをできるだけ少なくしておく必要があり古来より伝わる日本刀伝統の鍛えかたはまさに理にかなった方法であるといえます。
砂鉄イメージ
砂鉄
日本刀に用いられる原料は古来より、出雲地方で産出される砂鉄を使用してきました。製鉄原料この地方の砂鉄を使い粘土で築いたたたら炉による低温還元精錬は純度の高い鉄が得られ、強靭な日本刀をつくることができました。
現在の製鋼法の主流である鉄鉱石と、還元剤にコークスを使用して作る洋鋼材に比べて、粘りがあり、不純物が少なく極めて純度の高い上質の鋼材を得ることができ、折れず、曲がらず、よく斬れる日本刀に最適な素材です。
現在にいたってもこのいわゆる和鉄を使用した日本刀のみが日本刀として製造されるとこを許されています。
ちなみに、鉄鉱石とコークスで製鋼されたいわゆる洋鋼は日本刀の素材として認められていません。
出雲地方は古事記、日本書紀にもやまたのおろち退治の神話として伝わる草薙の剣でもわかるように古代より出雲安来地方は良質の鉄の産地としてしられています。現在でもヤスキハガネは優秀な刃物鋼として高級な刃物に使われています。
玉鋼
和鋼玉鋼を加熱し煎餅状に打ち延ばし(厚み3~6mm)、水焼入れした後、小割選別(割れにくい少し含有炭素量の少ない鋼部は芯鉄などに使う)します。鍛錬途中に素材はどんどんとやせていきます。日本刀1振りを作るのに最初に準備する原料、玉鋼は完成品の約10倍、仕上がり重量1kの刀ではおよそ10Kg程度の上質玉鋼が必要となります。

積み沸かし、折り返し鍛錬
大きめの同質鋼板をあらかじめ沸かしつけてある(余熱してある)テコ棒の先(皿)に小割り選別済みの玉鋼を隙間なく並べ、積み重ねぬれた和紙で包み、さらに水溶き粘土と稲藁の炭、灰で包んだものを、火炉中に入れ、約1300℃程度に加熱(沸かし)大槌(先手)で打って鍛接し、鏨(タガネ)で切れ目を入れて折り返し、また沸かしをかけて鍛接する、1連の動作を繰り返し約10~20回ほど折り返し鍛錬を行う。このときタガネによる折り返しを縦横、交互に折り返す鍛錬法を十文字鍛えといいます。その際用いる。わら灰はもち藁が理想的とされていますが、それは赤めた鋼隗によくなじみからみつくからです。このおかげで折り返し鍛錬をする場合表面の酸化鉄がきれいに吹き飛ばされて内部の混じりけのない部分が表面となり、折り返してもきれいに鍛接され境目のない日本刀とすることができるのです。
作り込み 素延作り
 2種、または、それ以上のそれぞれ鍛錬された玉鋼等の鋼塊を組み合わせて鍛接(固める)し、沸かし延ばし(まくり、甲状、本三枚、四方詰め、)刀匠の意図した原型作り出します。・・・・・・素延べ工程 

左の画像は四方詰めの概略図です

形成・火造り
素延べを加熱して先端の峰側を三角に切り出し、小槌を使って刃の部分と峰を薄く延ばして大体の形に形成する。直刀、しのぎ造り、反り加減など大まかな形はこの行程で決定されます。

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センスキ・荒仕上げ
火作り後、センとヤスリで荒く形成し、砥石等で場ならし、焼きいれ前の形を整える。

土置き
藁灰(アク)で油分を取り除き、水洗い後、焼刃土(粘土、炭粉、砥の粉などを水で溶いて混合したもの)を塗ります。刃となる部分は薄く、地となる部分は厚く塗った後火炉中でやく800度ほどに赤熱し、船とよばれる水槽中へ投入して焼き入れ硬化させます。この土置きは刀匠独自の美意識による模様付けがあり刀匠を特定する決めてにもなっています。土置きを施す理由としては、完成したおりの刃文の美しさを得ることも目的ではありますが、もっとも大きな理由には切り刃部分は硬く、棟に近い部分は柔軟性をもたせるために硬度を押さえて焼き入れするのが目的です。これは折れず、しかも斬れ味の良い刀であることを求められる日本刀独特の要求から行っています。

焼き入れ
小さめ、柔らかめの炭で刀身を800℃~900℃程度に加熱し、全体に火が通ったらフネと呼ぶ水槽で急冷する。このとき反りが生じます。昭和の一時期冷却剤として油を使用した時期もありましたが、現在の日本刀制作においては刃文の冴えを重要視するために冷却剤は水のみが使用されています。水と言っても正確にはお湯ですが、この湯の温度が刃切(急冷することによる焼き割れ)や、刀の硬度に大きく影響することから、古来一子相伝の秘密とされ、講談などでは湯船に手を入れてその適温を盗んだということで弟子が、師匠に腕を切り落とされたという話しがしばしば登場します。

ヤスリ目
鑢(ヤスリ)目
  初期のころには茎(ナカゴ)にヤスリがけをするのは、その表面のざらつきによって、茎と柄とが滑りにくくなり柄から刀身が抜け落ちないという実用に基づいてヤスリがけがおこなわれてきましたが、時代を経るにしたがって、茎の美観を増すためにもっぱら施されるようになりました。このヤスリ目には時代や流派によって顕著な特徴がみられ、鑑定上の重要なポイントとなっています。


樋入れ
樋入れ、彫刻
  刀によっては樋と呼ばれる、くぼんだ溝を彫ります。これは刀の強度を増すためとも、重量を軽くするためにほどこされるようになったとも言われています。樋を彫ることにより、その形状的美しさも増しています。

銘切り
 銘を入れ込むための小さな銘切りタガネを使って茎(ナカゴ)に製作者名、年紀等を刻銘します。


研ぎ
研ぎ
センとヤスリで大まかに形作られたあと、研ぎ師によって粗砥からだんだん細かな目の砥石へと研いでいき、最終は鳴竜と呼ばれる砥石を薄く小さく切り取った小片を和紙に漆を使ってのり付けした、特別な砥石を使って地肌の青みがかった色までに仕上げていきます。この工程の後、金属の磨き棒を使って刃文を際だたせるように入念に研ぎ、光沢を出していきます。研ぎ師は刀匠に次ぐ日本刀制作工程の重要な職人であり、刀匠は研ぎ師を誰にするかにとくに気を遣っています。

仕上げ調整 柄巻き
意図した通りに焼きが入った場合、刀姿修正、中心調整などの修正を行ったのち、砥ぎ、外装などの専門職人へ依頼します。 左図は柄巻きの様子。鮫皮の上に独特のしばりかたで柄巻きを行っています。
セッパ
金具作り 鍔
 江戸時代には簪や鍔、目抜き、根付といった細かな金工細工をする職人が多く存在して、客の注文に応じて凝った細工を仕上げていました。現存するこういった金具類はそれ自体で美術品としての価値も高く、収集家の絶好のアイテムのひとつになっています。

仕上げ調整 ハバキ作り
 本身と鞘、そして鍔をガタツキなくぴったりと収まるように隙間調整する金具です。こういった細部の細かなパーツを作る職人さんを白銀師と呼んでいます。江戸時代の刀のはばきには、その素材に金、銀を使用してあるものもあり、現代に変わらぬ持ち物へのこだわりを感じます。



仕上げ調整
 写真は普段真剣を収めて保存する白さやの制作風景です。1本々反りが違っているので、たとへ似た形状の刀といえども決して他の鞘にはおさまることはありません。

さや研ぎ
  完成した刀は帯刀するために、漆仕上げの鞘をあつらえるわけですが、これらの行程はすべて専門職人さんの熟練した技によって作られています。


焼入れ ウイキペディア
AISI4140鋼(炭素含有量0.380 - 0.430%)の油焼入れによるマルテンサイト組織の拡大写真
焼入れ(やきいれ、英語: quenching)とは、金属を所定の高温状態から急冷させる熱処理である。焼き入れとも表記する。

狭義には、鋼を金属組織がオーステナイト組織になるまで加熱した後、急冷してマルテンサイト組織を得る熱処理を指す。材料を硬くして、耐摩耗性や引張強さ、疲労強度の向上を目的とする。

広義には、鋼に限らず金属を所定の高温状態から急冷させる操作を行う処理を指し[1]、オーステナイト系ステンレス鋼、マルエージング鋼などに適用される溶体化処理や高マンガン鋼に適用される水じん処理などの熱処理操作を含む。

本記事では、狭義の方の鋼の焼入れについて主に説明する。また本記事では、日本工業規格、学術用語集に準じて「焼入れ」の表記で統一する
物質は、組成、温度、圧力の条件により、液体や固体などに代表される相と呼ばれる物質の形態が変化する。組成、温度、圧力などを縦軸や横軸として変化させて、どの相が存在するか示した図を状態図、平衡状態図、あるいは相図と呼ぶ。合金の場合は、圧力一定として温度変化と組成変化で状態図を示す場合が一般である。また、合金の場合は、固体として存在する間でも種々の相に変化するのが特徴である[9]。このような相の変化を変態と呼ぶ。

ある1つの金属元素に別の1つの元素を加えたものを二元合金と呼ぶ。鉄と炭素から成る二元合金について、横軸に炭素の質量パーセント濃度、縦軸に温度を取り、相の変化を示した図を鉄-炭素系二元合金平衡状態図、あるいは鉄-炭素系平衡状態図などと呼ぶ。ここで「平衡」とは、非常にゆっくり冷却・加熱したときの変化を表している。鉄-炭素系二元合金平衡状態図は純鉄と純炭素のみを原料とした合金に基づくものであるが、一般的な鋼は、不純物として、あるいは性質改善のために、炭素以外の成分も含んでおり、これらの他の成分により状態図が多少変化するので注意が必要である。合金鋼の場合で、横軸:炭素濃度、縦軸:温度の状態図で比較すると、合金元素の総量が5%以下の低合金鋼では鉄-炭素二元合金とほぼ同形だが、総量10%以上の高合金鋼になると大きく異なってくる。以下では簡単のために鉄-炭素系二元合金平衡状態図を用いて鋼の相変化を説明する。

鉄-炭素系二元合金平衡状態図
(鉄-セメンタイト系)
質量パーセント濃度2%まで
純鉄と呼ばれる炭素質量パーセント濃度が0.022%以下の領域を除いて、鉄-炭素系二元合金平衡状態図を見ていく(右図を参照)。室温では、鋼の相はフェライト相およびセメンタイトで構成される。詳しく見ると、炭素濃度0.77%未満ではフェライト+パーライトで、0.77%丁度ではパーライトのみで、0.77%超過ではパーライト+セメンタイトで構成される。この0.77%の点を共析点と呼び、共析点未満の炭素濃度の鋼を亜共析鋼、共析点丁度を共析鋼、共析点超過を過共析鋼と呼ぶ[17]。硬さに注目すると、フェライトは軟らかく粘りのある組織で、パーライトも比較的柔らかい組織で、セメンタイトは非常に硬いが脆い組織となっている。

高温域を見ていくと、A1線と呼ばれる727℃の温度を超えた領域では、亜共析鋼はフェライト+オーステナイトに、共析鋼はオーステナイトのみに、過共析鋼はオーステナイト+セメンタイトになる。この温度では亜共析鋼にはまだフェライトが存在するが、さらに温度を上げてA3線と呼ばれる温度を超えると亜共析鋼もオーステナイトのみの相となる。オーステナイトもフェライトに似て軟らかく粘りのある組織であるが、炭素固溶領域が大きい特徴を持つ。

オーステナイトあるいはオーステナイト+セメンタイトの高温状態から、逆に冷却していくとする。ゆっくり平衡的に冷やしていくと上記で説明した順序を逆にたどって変態が起こるだけだが、冷却速度を上げて冷やすと、パーライトやフェライトに変態する時間が足りず、マルテンサイトと呼ばれる平衡状態図には示されない相が現れる。この変態をマルテンサイト変態と呼ぶ。マルテンサイト組織は、α鉄が過剰に炭素を強制固溶した組織で、非常に硬い性質を持つ。このように、急冷によるマルテンサイト変態を起こして鋼を硬くさせる操作が、一般的な鋼の焼入れである。

日本刀の焼入れなど、焼入れは古来から経験的な鍛冶職人の技術として存在していたが、1888年、ロシアの冶金学者ドミートリー・コンスタンチノヴィッチ・チェルノフ(Dmitry Chernov)により、焼入れが起こる具体的な加熱・冷却条件が発表され、これが鋼の焼入れ、及び熱処理の理論的な嚆矢とされる。

方法

加熱

982℃まで加熱された炉中の様子

鋼の加熱温度と加熱色の目安]
鋼の組織がオーステナイトになるまで加工物を炉などで加熱する。熱処理用の炉の種類には、熱源の種類別に、電気炉、重油炉、ガス炉、塩浴炉などがある。加熱前の前処理として、焼入れ不良の原因となるため、加工品に汚れや錆がある場合は洗浄やショットブラストで取り除く。

加熱は、一般に、亜共析鋼ではA3線から30 - 50℃高い温度まで昇温させ、共析鋼・過共析鋼ではA1線から30 - 50℃高い温度まで昇温させて、温度を保持する。前述の通り、A3線・A1線を超えるとオーステナイト化されるが、それよりも30 - 50℃高く設定する理由は十分均一なオーステナイトを得る確実性を上げるためである。このような焼入れのための最高加熱温度を焼入れ温度あるいはオーステナイト化温度と呼ぶ。上記の一般的な焼入れ温度は、焼なましの一種である完全焼なましとほぼ同じ加熱温度でもある。

亜共析鋼の場合、もし焼入れ温度がA3線より低い場合は、A3線以下ではフェライトが既に析出しているので、焼入れ後組織にもフェライトが含まれるようになり十分な硬度が得られない。このような、何らかの原因によりマルテンサイトのみの組織が得られなかった焼入れを不完全焼入れ、甘焼きと呼ぶ。これに対して、100%マルテンサイト組織が得られた焼入れを完全焼入れと呼ぶ。ただし、100%のマルテンサイトを得ることは現実的には困難なので、およそ90%程度で実用上は完全焼入れと見なされる。逆に焼入れ温度が高過ぎると、結晶粒が粗大化して焼入れ後の機械的性質が劣るようになる。また、後述の焼割れや変形の原因にもなる。

過共析鋼の場合、A1線を超えて Acm線以上まで加熱すれば全ての組織がオーステナイト化されるが、この温度から焼入れしても焼割れや残留オーステナイトの増加などが発生して上手く焼入れできない。これは鉄中への炭素の固溶濃度が大きくなり過ぎることが原因で、このため焼入れ温度を A1線直上に設定するのが一般である。ただし、後述の通り高合金鋼使用の場合は、Acm線以上で焼入れ温度を設定する場合もある。

温度保持
焼入れ温度に保持してセメンタイトをオーステナイト中に固溶させる操作を、固溶化熱処理、オーステナイト化処理とよぶ。昇温速度にもよるが、加熱するとき加工品の表面に比べて内部・中心は遅れて昇温するので、表面温度が焼入れ温度に達した後に内部・中心温度は遅れて焼入れ温度に達する。そのため、加工品表面が焼入れ温度に達してから冷却するまでの時間を保持時間、加工品全体が焼入れ温度に達してから冷却するまでの時間を有効保持時間と呼び分ける。必要な保持時間は、昇温速度、加工品の大きさ、化学成分や加熱前の組織状態によって変わる。

昇温速度の影響としては、A3線またはA1線を超えると昇温がゆっくりでもオーステナイト変態が進行するので、徐々に加熱した場合は保持時間は短くてもよく、急速に加熱した場合は長くする必要がある。

また、内部・中心温度は遅れて昇温するので、加工品の形状が大きくなるほど全体が均一温度になるのに時間がかかる。表層温度が焼入れ温度に達してから中心部温度が0.25%以内で表層温度と均一になる時間の概算式として、加工品が丸棒形状・低炭素鋼とした場合の次式がある。

{\displaystyle t=d^{2}/200} t = d^2 / 200
ここで、t は均一に要する時間 (h)、d は直径 (inch) である。高合金鋼の場合は熱伝導率が悪くなり、均一に要する時間は上式よりも長くなる。

材質の影響としては、焼入れ前の組織の結晶粒が微細化されているほど、均質なオーステナイト化にかかる時間が短く、保持時間も短くてよくなる。また、組成の影響も大きく、高炭素クロム軸受鋼、高速度鋼、ダイス鋼などでは、同じ条件で比較して、機械構造用炭素鋼などよりも約20分程度保持時間が長くする必要がある。

冷却

CCT図(連続冷却変態曲線)(亜共析鋼の場合)
Ps:パーライト変態開始線
Pf:100%パーライト変態完了線
Ms:マルテンサイト変態開始線
Mf:マルテンサイト変態終了線
(2)の冷却曲線が上部臨界冷却速度、(3)の冷却曲線が下部臨界冷却速度
加工品の加熱・保持後に冷却を行う。焼入れに必要な冷却速度は大体160℃/秒以上とされる。冷却速度を下げていくと、マルテンサイト変態の前にパーライト変態、ベイナイト変態、フェライト変態が発生するようになり、冷却後の組織にマルテンサイト以外の組織が混入し始める。この他の組織が発生するようになる限界の冷却速度を上部臨界冷却速度、あるいは単に臨界冷却速度と呼び[48]、完全焼入れになる限界速度でもある。上部臨界冷却速度からさらに冷却速度を下げていくと、他の変態が多くなりマルテンサイト変態の比率が下がっていき、遂にはマルテンサイト変態が発生しなくなる[32]。この限界の冷却速度を下部臨界冷却速度と呼び[49]、不完全焼入れになる下限速度となる。さらに冷却速度を遅くすると(亜共析鋼の場合は)焼ならしに、もっと遅くすると完全焼なましに該当するような熱処理操作となる。

このような冷却速度と変態の関係を、亜共析鋼を例にしてCCT図(連続冷却変態曲線)で見ていくと  、上部臨界冷却速度でパーライト変態開始線にかかり出す。上部臨界冷却速度と下部臨界冷却速度の間では、100%パーライト変態する前にパーライト変態領域を抜けて残りはマルテンサイト変態領域に入る。下部臨界冷却速度で100%パーライト変態線にかかり出し、これ以上になると全てパーライト変態となる。


TTT図(恒温変態曲線)
V1の冷却曲線がパーライト変態を免れている
また、降温中の焼入れ温度から約550℃までの範囲を臨界区域と呼ぶ。これはTTT図(恒温変態曲線)で見ると、オーステナイトからパーライトあるいはベイナイトへの変態開始曲線の左に張り出した鼻のような部分がこの約550℃に相当するこの鼻の部分を通り過ぎるときに、パーライトあるいはベイナイトへの変態が起きやすい。急冷させて鼻の部分を避けるところまで降温させれば、変態開始曲線はC形になっているためベイナイトへの変態開始点は長時間側へ逃げていき、冷却速度を落とせる余裕が生まれる。つまり、臨界区域を抜ける温度まで、できるだけ早く冷却することが完全焼入れを行うために重要となる。

一般的に理想的な冷却の仕方は、焼入れ温度から臨界区域を過ぎて後述のマルテンサイト変態開始温度(Ms点)手前まで出来るだけ早く均一に冷やし、Ms点以下の危険区域はゆっくり冷やすとされる。焼入れ温度からMs点までの急冷は、上記のようなマルテンサイト変態以外が発生する不完全焼入れを避けるためで、Ms点に到達した後は急冷の必要は無くなり、後述の焼割れや変形などの欠陥を避けるため冷却速度をゆっくりにする。

二段冷却・等温冷却
上記で説明したような理想的な冷やし方を実現するため、冷却剤と加工品の温度が平衡になるまで放置せず、降温途中のMs点前で、水冷などの急冷から空冷などのゆっくりとした冷却に切り替える方法が取られる。このような冷却を二段冷却などと呼び、焼入れを二段焼入れ、あるいは引上げ焼入れ、中断焼入れ、階段焼入れ、などと呼ぶ。また、二段焼入れを、水や油などの冷却剤へ漬けた瞬間からの時間を数えて引き上げる方法で実現する方法を、時間焼入れと呼ぶ。時間焼入れの場合の目安としては、水焼入れは肉厚3mm当たり1秒、油焼入れは同肉厚当たり3秒で引き上げるのが良いとされる。時間に拠らない場合の目安としては、加工品の振動や水鳴が止んだときに引き上げるのが良いとされる。ただし冷却時間を誤ると、極端に短いときは全く焼きが入らない、短いときは表面は焼きが入るが中心部との温度差で中間部が変態膨張して後述の焼割れが起こる、長すぎると危険区域を通過して同じく焼割れが起こるなどの難しさがある。

二段焼入れに対して、Ms点を通過して常温まで冷却する方法を連続冷却と呼び、焼入れを普通焼入れと呼ぶ。また、冷却の途中で一定時間等温に保ち、その後また冷却する方法を等温冷却と呼び[56]、焼入れを等温焼入れ、恒温焼入れなどと呼び、後述のマルテンパやオーステンパなどで利用される。

加工品形状の影響

冷却中の加工品温度分布の概念図
中心部は温度が高く、表面部から温度が下がる

局所形状による冷却速度比の目安(隅角効果)
3面角:7
2面角:3
平面:1
凹面角:1/3
焼割れや変形を避けるためにも、加工品全体が均一に降温するように冷却するのが理想的である。そのためには冷却速度を落とすことが1つの方策だが、その他に降温を不均一にする要因としては加工品形状やサイズの影響が大きい。

一般に、表面が最も冷却が早く、内部深くなるに連れて冷却が遅くなる。そのため、表面は100%マルテンサイトが得られるような冷却であっても、中心部ではパーライトしか得られないような冷却速度まで低下してしまうことがある。このように、内部深くになるほど焼きが入りにくくなるので、加工品のサイズが大きくなるほど焼きが入らない領域が大きくなる。また、内部の冷却が遅くなることに起因して、内部だけでなく、表面側も冷却速度が低下して焼きが不十分となることもある。このような加工品の大きさ(=質量)が大きくなるほど焼きが入りづらくなる現象を、質量効果と呼ぶ。焼入れ性が良い材料では深くまで焼きが入りやすいので質量効果を小さくできる。

大きさの他、加工品の形状(形)によって冷却速度は異なる。同じ条件で冷却しても、形状が球、丸棒、平材の違いによる冷却速度比は、大まかに以下のように異なる。

球:丸棒:平材 = 4:3:2
これを形状効果などと呼ぶ。

また、同じ加工品内でも局所的な形状の違いによって冷却速度が異なる。特に、凸部が冷却が早く、凹部が冷却が遅い。これを隅角効果などと呼ぶ。それぞれの冷却速度比は大まかに以下のようになる。

3面角:2面角:平面:凹面角 = 7:3:1:1/3
その他の影響
その他に、均一な冷却を実現するために、

冷却中は冷却材を適度に撹拌する。
加工品の薄肉部に当て物をするなどして冷却する。
酸化スケールなどの異物が表面に付着しないように冷却する。
などの方法・注意点がある。冷却剤の詳細については後述を参照。

マルテンサイト変態
「マルテンサイト変態」も参照
素早い冷却により、ある程度まで冷却が進むとマルテンサイト変態が開始する。冷却中のマルテンサイト変態開始温度をMs点、マルテンサイト変態終了温度をMf点と呼ぶ。Ms点とMf点の間では、時間によらず瞬間的にマルテンサイト変態が発生するが、冷却が進むことがマルテンサイト変態が進む条件となる。つまり、Ms点を通過しても冷却を一端停止させると変態の進行も停止する。

Ms点は鋼の化学成分とオーステナイト化温度によって決まる[47]。化学成分量から、鋼のMs点を予測する実験式は数多く提案されている[70]。以下に例を示す。

{\displaystyle Ms=538-317\times C-33\times Mn-28\times Cr-17\times Ni-11\times Mo-11\times W-11\times Si} {\displaystyle Ms=538-317\times C-33\times Mn-28\times Cr-17\times Ni-11\times Mo-11\times W-11\times Si} 
{\displaystyle Ms=550-350C-40Mn-20Cr-17Ni-10Mo-5W-10Cu-35V+15Co+30Al} Ms = 550-350C-40Mn-20Cr-17Ni-10Mo-5W-10Cu-35V+15Co+30Al 
{\displaystyle Ms=521-353C-24Mn-18Cr-17Ni-26Mo-22Si-8Cu} Ms = 521-353C-24Mn-18Cr-17Ni-26Mo-22Si-8Cu 
ここで各記号は、Ms はMs点 (℃)、各化学成分は C :炭素、Mn :マンガン、V:バナジウム、Cr :クロム、Ni :ニッケル、Cu :銅、Mo :モリブデン、W :タングステン、Co :コバルト、Al :アルミニウム、Si :ケイ素で単位は質量パーセント濃度 (%) である。共析鋼の場合で、Ms点は約260℃程度となる。


炭素含有量とMs点、Mf点の関係の例
Ms点が高くなるとMf点も高くなり、低くなる場合も同様に低くなる傾向を持つ。炭素鋼の場合で、Ms点からMf点までは200 - 300℃程度の温度幅である。上式にも示されるように炭素濃度が上がるとMs点は低くなるので、高炭素鋼の場合はMf点は室温よりも低くなる。そのため、室温まで冷却が完了してもオーステナイトが変態しきれず、焼入れ後組織中に残留オーステナイトとして残ることになる[73]。残留オーステナイトは放置しておくと、室温でも時間が経過するに連れて自然にマルテンサイト変態を起こす。このマルテンサイト変態による体積膨張で、最終製品の寸法変化が生じてしまう。これを避けるために、高炭素鋼を用いた製品、特に寸法の経年変化を嫌う精密部品では、焼入れ後直ちに0℃以下に冷却するサブゼロ処理を実施して、残留オーステナイトをマルテンサイト化させる。

Ms点以下になるとマルテンサイトが発生し始めるが、オーステナイトからマルテンサイトへ変態すると大きな体積膨張が起こる。Ms点以下になるとき、温度が不均一だと、上記の膨張発生と冷却による体積縮小の部分的ばらつきにより内部応力が発生して、内部応力が引張強さを超えると割れが発生する。そのためMs点以下の温度域を危険区域と呼び、ゆっくり均一に冷やすことが良いとされる。このため、上記で説明した二段焼入れや等温焼入れなどの手法がある。

焼戻し
詳細は「焼戻し」を参照
焼入れにより鋼の硬さを増大させることができるが、靭性が低下して非常に脆い状態となる。このため、粘り強さを得るために、焼入れ後には焼戻しを行うのが一般的である。焼入れと焼戻しの一連の熱処理をまとめて焼入焼戻し (quenching and tempering) と呼び、特に、約400℃以上の高温焼戻しでトルースタイトかソルバイト組織を得る焼入焼戻しは調質と呼ばれる。
焼戻しの種類にもよるが、焼戻しによりシャルピー衝撃値などの靱性や伸び・絞りなどの延性は回復するが、硬さや引張強さはある程度低下してしまう。そのため、不完全焼入れにより焼入れ硬さが低いものも、完全焼入れにより焼入れ硬さが高いものも、焼戻し条件を調整すれば、焼戻し後の硬さ及び引張強さを同じにすることができる。しかし、例え焼戻し後硬さが同じだったとしても、降伏点、伸び、絞り、衝撃値、疲労限度の値は完全焼入れされたものの方が良好である。よって、完全焼入れを狙った上で、所定の硬さに焼戻しで調整するのが理想とされる。

焼入れ後の材質
焼入れ硬さ
「焼入れ性」も参照
焼入れ後の最高硬さは、ほぼ炭素含有量によって決定され、他の合金元素の影響は少ない。概算式として、マルテンサイトの含有率に応じた硬さの計算式を示す。

90%マルテンサイト焼入れ硬さ
{\displaystyle HRC=30+50C}  HRC = 30 + 50C 
50%マルテンサイト焼入れ硬さ
{\displaystyle HRC=20+50C}  HRC = 20 + 50C 
微細パーライト焼入れ硬さ(0%マルテンサイト)
{\displaystyle HRC=10+50C}  HRC = 10 + 50C 
ここで、HRC はロックウェル硬さ、C は炭素質量パーセント濃度 (%) である。ただし、炭素量がある程度以上になると硬さの上昇は飽和して変化しなくなり、上記の概算式は成立しなくなる。炭素量が約0.6%を超えると焼入れ硬さが大体一定となる。

最高硬さは炭素含有量によって決まるが、どれだけ加工品の内部深くまで硬くなるかは加工品材料の焼入れ性によって大きく影響され、炭素以外のモリブデンなどの合金元素の影響もある。
(資料ウイキペディア)





黒染(くろぞめ)談義
当社が鉄鋼部品とアルミ、銅合金などの常温黒染剤、鉄鋼部品の加温黒染剤と加温黒染装置、後処理用の防錆剤の販売をはじめてから、もう40年近くなる。
「黒染処理」とそれに必要な「黒染剤」は機械を製造する工程で、必要不可欠なのだが、この工程は、意外と日があたらない場所のような気がする。生産技術部で、「黒染処理技術」担当にお会いしたことはないし、機械加工技術に関する本に、黒染処理工程に言及したものは、ほとんど見当たらない。つまり黒染処理は、職人技で、生産技術とはいえないものかと思っていたら、本文でふれるが、このところ外注依存が多かった黒染処理を自社の生産工程に入れる工場が増えてきた。そこで、この機会に「黒染処理」と「黒染剤」に多少だが、光をあててみようかというのが、この「黒染(くろぞめ)談義」である。
黒染処理概論と気張る気はないし、入門書というほどでもないが、お目通しねがえれば、光栄である。

染料を使わないのにナゼ“黒染?”
展示会の当社小間を訪れた方から、「黒染とありますけど、染料は使わないのでしょう」と素朴な質問を受けたことがある。
加温にしろ、常温にしろ、化学変化で金属の表面を黒くするので、染料を使う染物とは原理的にまったく異なるのだから、質問は至極当然である。
当社の金属処理機器事業部では、創業以来「黒染剤」を製造、輸入して販売しているから、「黒染」とのつきあいは長く、深い。でも、染めるという文字が入っているものだから、ときには「染料」と誤解され、頭髪を黒く染める染料などと混同されたりするのは確かである。
業界には黒染ではなく、「黒化処理」というべきだとの主張もあって、趣旨には大賛成なのだが、「黒染」は百年以上使われている歴史的職場用語で、なじみがあってすぐ分かってもらえる利便さがあるものだから、今すぐ用語を変えるという決断には到らず、不正確表現を承知の上で、使用させていただいている。
当社内でも、カタログ、リーフレットを作り変えるときなど、よく用語についての論議がされる。最近では、「黒染剤」とすべきか、「黒染め剤」とすべきかがテーマになった。「黒染剤」とすると、「こくせんざい」と読まれるから、送り仮名として「め」をつけたほうがいいという説と、発売以来「黒染剤」できたのだから、こんごとも送り仮名なしで行くべきだという保守的建前論がぶつかるのだが、これもなんとも決めかねる問題である。
ともあれ、今回はそんなことは一応棚上げにして、黒染、黒染剤のあれこれについて筆をすすめさせていただく。

何のために鉄鋼部品を黒くするか
『黒染』のニーズからスタートしよう。

錆を防ぐ 加温黒染法では強アルカリ溶液中で、鉄鋼部品を加温酸化して、四三酸化鉄の皮膜をつくるのだが、こうしてできる黒い皮膜は多孔質で、油に浸漬すると、油が黒染層に浸み込んで、鉄鋼本体と、外部の水分、湿気を遮断して、錆の発生を防ぐ。保管される条件にもよるが、マシン油でも、約半年の防錆力があるといわれるが、防錆剤を用いるなら、防錆期間はもっともっと長くできる。
常温黒染剤の黒染層は、四三酸化鉄の皮膜にみるような含油の特性はないから、マシン油では防錆性はほとんどなく、防錆剤を用いなくてはならない。
反射防止 機械部品などがキラキラ光ると作業がしづらいから、光る部分を黒染する。軍隊では、拳銃、小銃、機関銃、大砲に到るまで、外見はもちろん、中の部品もすべて黒染めしたのは、反射を防いで所在を分りやすくするのと、太陽光を反射して敵に所在が分るのを防いだのである。
兵器は刀身を除いて塗装や化学処理ですべて光らなくしたので、旧陸軍の兵器を生産する陸軍造兵廠では黒染工程が多く、「黒染」という職場用語はここで生まれたといわれている。
所在をはっきりさせる (2)の反射防止と逆で、光る鉄鋼製品のなかで、所在を分りやすくするために鉄鋼部品を黒染する。金属の切削加工を行う旋盤で使用するバイト(金属用刃物)を固定するホルダーや、ボルト,ナット、ゲージ類を黒染するのは目立たたせることが目的といえるだろう。
デザイン上のニーズ 黒をポイントにして機械、工具などをスマートに、格好良く、あるいは力強くみせる。つまり、デザイン上の理由によるもので、近年ふえてきた黒染のニーズである。
加温黒染、常温黒染とその他の黒染
現在、黒染には加温黒染と常温黒染があるけれど、歴史的には加温黒染の登場がずっと早く、正確ではないが、日本では100年ほど前、明治後期といわれている。
これに対して常温黒染が、アメリカで開発されたのが1940年代後半で、日本に輸入されはじめたのが、1965年(昭和40年)以降である。
黒染の大先輩、加温黒染は140℃に加熱したアルカリ溶液の中で四三酸化鉄を生成させる方法で、溶液の主成分は苛性ソーダだから、強アルカリ性である。一方新顔の常温黒染は銅をイオン化させた酸性の水溶液に鉄鋼部品を浸漬して鉄と銅を置換させ、セレンなどの酸化剤と銅を反応させて黒くするという置換メッキが原理だから原液は強酸性である。
寸法、精度、仕上げの美しさにこだわらなければ、黒染め方法はほかにも多々ある。ライフル銃の銃身などの、燐酸塩による黒染、いわゆるパーカーライジング法とか、酸素を制約した炉内で加温する方法なども加温黒染に分類されるだろうが、出来上がりが均一で美しい黒色で、黒染による寸法精度に変化なく、しかも設備費も含めた加工コストが低いという点からみて、強アルカリを用いた加温黒染が最右翼で、日本国内を含め世界中で広く採用されている。
一方の常温黒染は処理に熱を用いない、いわゆる省エネなのと、熱くないから、生産ラインに取り込むことができる利点が注目されて、いま、アメリカ、日本、中国で需要がのびてきている。

減少する黒染処理の専門工場―黒染加工の現状とこれから
以前は家内工業的な加温黒染処理工場があちこちにあって、都市部にある部品加工工場の黒染処理はそこへ持ち込めばよかったから、社内での黒染処理を必要としたのは、都市部から遠く離れたところにある工場か、製品の機密保持を必要とする工場だけであった。
しかし、いまは事情が異なる。都市部の黒染処理工場は減少の一途をたどっており、従来の処理工場の閉鎖で、発注先がなくなり、戸惑っている工場も多い。黒染処理工場減少の理由は

経営者が老齢化したのに後継者がいない
長引く不況で処理単価が引き下げられて採算がとれない
というものである。(2)は景気が上向けば、アップも期待できるが、(1)は何とも食い止められない現象である。黒染処理工場の経営者には、以前造兵廠などで黒染処理に従事していた人が、戦後独立開業したというのが多く、この人達はいま年齢的に80才を越している。後継者に引き継ぐといっても、町工場の設備では、一般に換気は悪いし、夏はべらぼうに暑い。いわゆる3K職場だから、就職難の時代とはいえ、後継者が現れないのは、無理からぬといえば無理からぬ現象であろう。
ではどうするか、部品黒染を必要とする生産担当者の悩みは深刻だか、結局は自社内で黒染め加工をするという結論になるのではないか。
一方、現在、自社内で加温黒染加工をしている工場でも多くは、黒染を熱処理と同じように、生産ラインの外、別棟でおこなっている。自前の黒染め処理工場を敷地内に抱え込んだようなものだ。加温黒染めの場合、熱と臭気が発生するから、強力な換気が必要で、タクトシステム、コンベアーシステムに組み込むのは困難だからである。
しかし、できれば、黒染め処理を生産ラインに組み込みたいものだ。
この夢を実現しようと自社開発の加温黒染めの自動機を生産ラインに組み込んでおられる工場も何社かあるから、黒染加工のライン化は決して不可能ではない。ただ、いまのところ、この自動機のコストは高いので、すぐには取り込めないようだが、少しずつでも自動化に踏み切る工場も増えていくのではないだろうか。設備の自動化のほか考えられるのは
加温黒染剤の処理温度の低温化
常温黒染剤の活用
である。
(1)現在の加温黒染の処理温度は140℃だが、これをもっと低温で、できれば100℃以下で四三酸化鉄を生成させるような商品を送り出すべく、加温黒染剤メーカーはいま開発にしのぎを削っている。
(2)の常温黒染剤の活用は、熱エネルギー節約とからめ、またラインへの組み込みが容易な点から、検討される工場も増えてきた。常温黒染剤もまた、量産を妨げていた黒染液に浸漬したときに発生したカスをふき取る作業をなくした改良処理液が登場、ライン化に近づいた。当社の常温黒染剤「インスタブラック333」と長期防錆剤「イーテック505プラス」の組み合わせなど、その先端を行くものと自負している。

再び「黒染剤」「黒染処理」の呼称について
こだわるようだが、「黒染処理」は化学変化で鉄鋼部品を黒くするので、染料で黒く染めるのではないから、「黒化剤」「黒化処理」のほうが、適切だと思う。
アメリカでは、いまは加温、常温は区別せずに Blackeningが一般呼称となっているから、歴史があり、使い慣れた「黒染剤」「黒染処理」ではあるが、黒染処理の自製化時代がはじまるのを機に「黒化剤」「黒化処理」にかえていってはどうだろう。こんどの当社のカタログ製作会議にでも提案してみようと思っている。(K)
(記事引用)


「足 銀」

中国製 宝石入れ「足銀」
■「紋銀」はスターリングシルバーの事。純度92.5%の銀。
■「足銀」は純度99%の銀の事。(99.99%ではない)
貴金属の純度に関しては、その国の歴史や慣習、習慣により基本的に、その国が独自の法律や規格を創っていて規制しています。国によっては、金はK18しか認めない国、純金と言えばK22を指す国、金と言えば純金しか意味が無いという国など様々。この中で例えばイギリスなどの国では「スターリングシルバーは純銀と同じ」と言う事が決めれれている。これは冶金技術がお粗末な時代、純度50%とかが普通だった時代に、純度92.5%という驚くべき精錬に成功したので、これはもう100%と大して変わらないと言う事でそれ以来の法律で決められているもの。
日本製品はそうはいかないけど、日本国内にもジッポーなど海外製品は「純銀SV92.5」とかいう商品が沢山あります。ですので「紋銀=スターリングシルバー=純銀」となります。また中国は、金は純金しか認めないと言うのがお国柄。その為に最低がK22で、純金が「99%」「99.9%」「99.99%」の三種類ある。それぞれ「足金」「千足金」「万足金」と言います。
これが銀など他の貴金属にも適応される。ですので「足金=純度99%=純銀(の一種)」と言う事になる。共に日本国内では99.99%の「純銀」とは認められてはいないですが、その国の法律では「純銀」と言う事になります。
※「足銀」とは調べた結果はそのような中国の規格でした。私もしらなかった。一時期、骨董に熱を上げ、そのとき買ったものです。買ったのはヤフオクでした。中国製は今では工業製品の信頼度も保証されますが、以前は、「メイドインチャイナ」をバカにして直ぐ壊れる代名詞でしたが、いまではそうでもない。この「足銀」は昔の製品ですから真贋判定が難しい。たぶん本物だったら0桁は一つ多くなるでしょう。そこそこの値段(相場価格)だったので流通品と判定しました。しかし装飾は凝っていて中国らしさは漂ってます。好き嫌いがありますので、特別興味のある方、限定のお勧め品です。
背景には他の龍や虎やカルラとか首飾り(ミャンマー)がありますが、今回は手前の「足銀宝石箱」のみです。
IMG_0140
中に気に入ったものがあれば指定してメールください。随時販売いたします。
今回限定販売品 「足銀」
サイズ・125×45×45㎝ 重量495g
価格6850円+送料込み1000円=7850円


















オリンピック競技サーフィン
日本に集いし世界のトップサーファーたち。波の上を疾走し、ダイナミックに踊る。
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競技概要
サーフボードという板を使って波に乗り、テクニックを競う。東京2020大会で新たに採用される競技。古代ポリネシア人によって始められ、ハワイで育った海のスポーツだ。これを広めたのはストックホルム1912大会とアントワープ1920大会の水泳で金メダルを獲得した、ハワイ出身のデューク・カハナモク(アメリカ)。カハナモクは近代サーフィンの父と呼ばれている。

サーフィンはサーフボードのサイズによって大きく2つに分けられる。古くから親しまれたのは、長さ9フィート(約274センチメートル)以上のロングボードで、ボード上を歩くテクニックが中心となる。一方、1970年前後に登場したショートボードは、長さ6フィート(約183センチメートル)前後でボードの先端がとがっている。こちらは細かいターンがしやすいタイプだ。ショートボードは、それまで平面的な動きだったサーフィンに縦の動きを与え、三次元のダイナミックな技を可能にした。東京2020大会のサーフィンは、このショートボードで行う。

競技としてのサーフィンは、波を乗りこなすライディングテクニックをジャッジが採点し、勝敗が決まっていく。いかに難易度が高く創造的な技を繰り出すか、スピードがあってダイナミックかなどが評価される。選手は定められた時間内に10本前後のライディングを行い、高い2本の合計点によって得点が決まる。競技は男女20人ずつの選手で行われる。

種目
ショートボード(男子/女子)
ESSENCE OF THE SPORT/競技の魅力、見どころを紹介!
海という大自然と戦う選手たち ダイナミックな技に感動する
サーフィンの選手
競技が行われるのは自然の海。波の状態は、風の強さや方向、潮の満干などによって変わる。同じ波は2つとない。いかにいい波をつかむか、刻々と変化する波にどのタイミングで乗るかが重要になる。自然の中で運を味方につけながら戦うスポーツがサーフィンなのだ。

1つの波に乗れるのは1人だけだ。崩れる直前の波の頂上をピークというが、ピークに最も近い人にその波に乗る権利があり、これを「優先権」という。つまり、いい波をつかむためには、まずは優先権をとれる位置を確保するということが必要だ。一方、優先権を持った選手の邪魔をするとペナルティーが課されることになり、減点の対象になる。ただ、優先権があるにもかかわらず波に乗らないでいたり、選んだ波に乗ろうとしてパドリングを開始したものの途中でやめたりすると優先権を失ってしまう。

選手同士のかけひきも行われる。波に乗らないふりをして乗ったり、パドリングを開始するふりをして実際はいかなかったりすることで、他の選手を翻弄することもある。

オリンピックでは4メンヒートという方法が採用される。これは4人ずつで競技を行い、2人が勝ち抜けるという方式。1ヒート(試合)は波の状態によって異なるが、20~25分。その間に1人10~12本程度波に乗り、そのうちの点数が高かった2本の合計点が順位に反映する。

採点は、選手が行う技の種類や難易度、オリジナリティに、スピード、パワーなどの要素を加え、5~7人のジャッジが行う。選手は波に多く乗ればよいということではなく、1本の波における技の数が多い方がよいということでもない。大事なのは技の質だ。波をトップ(上部)に向かって上がっていき、そこから回転して降りる360(スリーシックスティ)や、波を駆け上がって空中に舞い上がり体勢を崩すことなく着水するエアリアルなどの高度な技を、リスクの高い大きな波でダイナミックに行い成功させると、必然的に高得点になる。一つ一つの技に決められた点があるのではなく、ジャッジが総合的に見て判断するため、いくつかの技が流れるように連続していると印象も良くなり、さらに得点が高くなる。いかに難易度が高く創造的で質の高い技を繰り出すか、ライディング全体がダイナミックでスピードがあるか、などに注目して観戦したい。

OUTLOOK FOR THE TOKYO 2020 GAMES/2020年に向けた競技の展望
強豪はやはり発祥の地アメリカ。まずは出場選手に注目だ。
サーフィンの選手
アメリカ、オーストラリアが強さを誇っているが、最近はブラジルが急成長。サーフィンがサッカーに次ぐ人気スポーツになっており、ハイレベルのサーファーが続々と登場している。南アフリカやフランスも強い選手を輩出している。

活躍中の選手は、男子ではジョンジョン・フローレンス(アメリカ)、ジョーディー・スミス(南アフリカ)、ガブリエル・メディーナ(ブラジル)など。過去に何度も世界チャンピオンに輝いたケリー・スレーター(アメリカ)は40歳代後半のレジェンドだが、東京2020大会に出場してくる可能性もある。女子はサリー・フィッツギボンズ(オーストラリア)、コートニー・コンローグ(アメリカ)などが有力だ。

<日本>
日本サーフィン連盟を中心に、約80名の強化指定選手を選出。そのうち次期世界大会で4位以内に入る可能性が高いA指定は男子10名、女子3名(2017年度)。注目選手は、世界選手権で入賞経験のある稲葉玲王。東京2020大会の会場は彼が慣れ親しんだ地元の海だ。地の利を活かした戦いに期待したい。横浜出身でオーストラリアを拠点に活動している新井洋人や、小柄だがダイナミックな技で世界の大会で上位に食い込む大原洋人にも注目だ。女子は世界選手権で何度も入賞している大村奈央、世界で活躍中の野呂玲花や、中学生にしてプロサーファーとして活動している松田詩野からは目が離せない。アメリカと日本の両方の国籍を持つハワイ出身のプロサーファー・五十嵐カノアが、東京2020大会にどちらの国籍で出るかが注目される。

TRIVIA/知られざる競技のヒミツ
Question
サーフィンをするにあたって主に必要な道具はサーフボード、ウェットスーツの他に何?

Answer
リーシュコード。
サーフボードと自分の体をつなぐために、足に巻き付ける。これをつけずにサーフィンをしてボードが海に流れたら大事故につながりかねないため、リーシュコードをつけることは最低限のマナーとなっている。

競技会場 釣ヶ崎海岸サーフィン会場(千葉県長生郡一宮町)
東京2020 お問い合わせ窓口:電話番号 0570-09-2020(有料)
竹見脩吾
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会




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