瀬島龍三
大本営作戦参謀・伊藤忠商事元会長 父が教える歴史話
大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた。号は「立峰」。義父は岡田政権で内閣総理大臣筆頭秘書官を務めた松尾伝蔵(陸軍大佐)である。
更新日: 2015年09月30日https://matome.naver.jp/odai/2144359715529862701
1911年12月9日、富山県西砺波郡松沢村鷲島(現在の小矢部市鷲島)の農家で村長の瀬島龍太郎の三男として生まれた[2]。旧制富山県立砺波中学校、陸軍幼年学校を経て、1932年に陸軍士官学校(第44期)を次席(首席は原四郎)で卒業し、昭和天皇から恩賜の銀時計を受けた。その後、富山歩兵第35連隊附の歩兵将校として従軍。その後は師団長の推薦により陸軍大学校(第51期)に入学、1938年12月8日に首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の軍刀を受けた。御前講演のテーマは「日本武将ノ統帥ニ就テ」。
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その後、1939年1月15日に関東軍隷下の第4師団参謀として満州へ赴任し、同年5月15日には第5軍(司令官・土肥原賢二陸軍中将)参謀となり、同年11月22日に大本営陸軍部幕僚附関東軍参謀本部部員となる。翌1940年には、大本営陸軍部作戦課に配属される。なお、この関東軍参謀時代に瀬島は対ソ示威演習である関東軍特種演習(関特演)の作戦担当として作戦立案にあたった。 出典nozawa22.cocolog-nifty.com
1941年7月に大本営陸軍部第1部第2課作戦班班長補佐となる。同年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦以降、陸軍の主要な軍事作戦を作戦参謀として指導した。主任として担当したものを含めて、主なものは南方作戦におけるマレー作戦(E作戦)・フィリピン作戦(M作戦)や、ガダルカナル撤収作戦、ニューギニア作戦、インパール作戦、台湾沖航空戦、捷一号作戦、菊水作戦、決号作戦、対ソ防衛戦などであった。瀬島は特攻作戦である菊水作戦時、第6航空軍の作戦参謀として南九州の陸軍基地で勤務した。
1944年12月、単独でモスクワに2週間出張した。

1945年1月、島村矩康陸軍大佐/連合艦隊常勤参謀が戦死、その後任に瀬島が選ばれた。2月25日、海軍の連合艦隊参謀兼務となり、最終階級は陸軍中佐となった。6月末まで、同僚の千早正隆海軍参謀と共に本土決戦準備のため日本各地を調査している。特に、高知県沿岸を決号作戦における米軍の上陸予想地点として、第55軍の作戦指導に熱心に取り組んだ。瀬島は迫水久常(鈴木貫太郎内閣内閣書記官長)と親戚であることを千早に打ち明け、迫水を通じて鈴木貫太郎首相に戦局の実情を訴えたという。
 
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1945年7月1日、関東軍作戦参謀に任命され、満州へ赴任。同年8月15日の日本の降伏後の8月19日、ジャリコーウォでソ連軍と停戦交渉を行う。日本側の参加者は、関東軍参謀長秦彦三郎、瀬島作戦主任(中佐)、在ハルビン日本総領事宮川舩夫、ソ連側の参加者は、極東ソビエト赤軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥、第一極東方面軍司令官キリル・メレツコフ元帥、同軍司令部軍事会議委員シュチコフ大将であった。このとき瀬島は軍使として同地を訪れたため、内地に帰還することは可能であったが、同年9月5日、関東軍総司令官山田乙三陸軍大将や総参謀長秦彦三郎陸軍中将らとともに捕虜となった。この交渉の際、日本人労力提供について密約が交わされたという説が刊行されたが、瀬島は否定している。

シベリア抑留
その後、瀬島はソ連のシベリアへ11年間抑留されることとなる。このとき本来捕虜としての労働の義務のない将校であるにもかかわらず強制労働を強いられ、建築作業に従事させられた。後にこのときのことを諧謔として「佐官が左官になった」と述懐している。
 
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1956年、シベリア抑留から帰還した。アメリカは日本の警察などに依嘱して、舞鶴港で1週間にわたり拘禁尋問した[要出典]。設立直後の自衛隊に入るよう原四郎から再三の誘いを受けたが、瀬島の長女が反対したため断念した。
瀬島はシベリアからの復員兵の就職斡旋に奔走し、1958年に商社の伊藤忠商事に入社する。1960年、伊藤忠商事航空機部長。入社3年目の1961年には業務本部長に抜擢され、翌1962年に取締役業務本部長、半年後に常務となる。その後も、同社がかかわる様々な案件で重要な役割を果たし、1968年に専務、1972年副社長、1977年副会長と昇進し、1978年には会長に就任した。

この間、防衛庁防衛研究所の戦史叢書「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯」の執筆協力、1972年11月にはハーバード大学ジョン・F・ケネディー・スクール・オブ・ガバメントにて「一九三〇年代より大東亜戦争までの間、日本が歩んだ途の回顧」という講演を行った。
 
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1981年に相談役、1987年に特別顧問に就く。この間、中曽根政権(1982年~1987年)のブレーンとして、第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務め、政治の世界でも活躍した。また、大韓民国の軍事政権の全斗煥や盧泰愚等とは、両名と士官学校で同期の権翊鉉(クォン・イクヒョン、권익현)を通じて彼等が若手将校時代から親しく、金大中事件、光州事件等内外の事情で日韓関係が悪化していた1980年代初頭の時期に、戦後初の公式訪問となった中曽根康弘首相の訪韓実現や全斗煥大統領の来日や昭和天皇との会見の実現の裏舞台で奔走し、日韓関係の改善に動いた。

ソウル五輪開催の際にも影響力を行使し、当時有力視されていた名古屋市の招致に本腰を入れないよう要請していたとする説が複数の書籍で唱えられている。
1984年に勲一等瑞宝章を受章。他にも亜細亜大学理事長、財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長、財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長などの公職を歴任した。2000年に伊藤忠商事特別顧問を退任。
 
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2007年(平成19年)春、入院中の瀬島は同台経済懇話会常任幹事野地二見に「安倍首相の『美しい国』づくりという提唱はとても良いことだと思っている。しかし具体的な政策を出さないと国民がついて行けない。ここで同台としての最後の御奉公として、骨太な柱となる具体的な提案をしたらどうだろう。皆の知識と経験を集結して、国民に判り易く、そして国際的にも日本の姿勢がアピール出来るようなテーマを考えてみたらどうか」といった。こうして平成19年5月30日、同台経済懇話会会長として瀬島龍三は安倍首相に提出した提案書のなかで美しい国づくりの大テーマとして近未来を見据えた地球温暖化対策、クリーンエネルギーの増加、豊かな良い水を護ることを提案した。クリーンエネルギー提案書では、10年間で風力と太陽光で電力の30%を達成するために、風力とソーラーの統合発電機構をつくり、関係産業各社と電力会社の協力を推進すること、太陽光ケーブルの大々的利用(重層利用、地下発電も可能となる)、ソーラー関係機器商品の開発奨励などを提案、森と水資源に関する提案書では、特に定年を迎えた元気なシルバー世代への啓発事業、保水と空気清浄の源となる里山の増加育成、湖沼・ダム・湾などの新しい装置・技術を活用した浄水事業を、山本卓眞(富士通名誉会長)、山口信夫(旭化成会長)、下山敏郎(オリンパス最高顧問)、小長啓一(前アラビア石油会長)、中條高徳(アサヒビール特別顧問)、野地二見(元産経新聞取締役)、秋山智英(元林野庁長官)、鈴木正次(元日本弁理士協会会長)、南崎邦夫(石川島播磨重工副社長)、小野寺俊一(元港湾協会会長)、小野重典(フジタ最高顧問)、植之原道行(元NEC副社長)、岸国平(農業研究センター所長)らと連名で提出した。

6月21日、妻の清子が老衰で90歳にて死去。それから3ヶ月足らず後の9月4日、妻を追うように老衰のため東京都調布市の私邸において95歳にて死去。死後、従三位が贈られた。同年10月17日には、築地本願寺において、伊藤忠商事と亜細亜学園主催による合同葬が執り行われた。
 
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日下公人が瀬島龍三に開戦前夜の大本営について質問した。1941年11月26日にハル・ノートが出た頃、ドイツ軍の進撃がモスクワの前面50kmで停止し、大本営は「冬が明けて来年春になれば、また攻撃再開でモスクワは落ちる。」と考えていた。「本当に大本営はそう思っていたんですか?」と瀬島龍三に尋ねると「思っていた。」と。続けて「もしもドイツがこれでストップだと判断したら、それでも日本は12月8日の開戦をやりましたか?」と尋ねると、「日下さん、絶対そんなことはありません。私はあのとき、大本営の参謀本部の作戦課にいたけれど、ドイツの勝利が前提でみんな浮き足立ったのであって、ドイツ・ストップと聞いたなら全員『やめ』です。それでも日本だけやるという人なんかいません。その空気は、私はよく知っています。」と。

晩年にフジテレビの番組『新・平成日本のよふけ』に出演し、自らの人生や日本のこれからについて滔々と語った。この中で太平洋戦争について、個々の局面においては判断ミスがあったことを認め、戦火の拡大、日本国民及び周辺諸国への被害の拡大、敗戦についての責任の一端は自分にあるとの発言をしたが、開戦については不可避であったとの認識を示した。
また、シベリア抑留について瀬島は「日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言(9条)違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦とともに、スターリンの犯罪であった」と述べている。また、日独伊三国同盟の締結についても、「断じて実施すべきではなかった」と述懐している。

同台経済懇話会常任幹事野地二見には、「最期の最期まで国のために尽くせよ」と語った。
 
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阿南陸相の義弟で軍事課の竹下正彦中佐(42 期)によれば、瀬島の案文は手を入れる必要がないほど完璧で、無修正のまま班長、課長、部長、参謀総長の判子が押されたほどで、竹下は「瀬島君は作戦課の若手課員だったが、我々は陰で瀬島参謀総長と自嘲気味に呼んでいました」と語っている。瀬島は「私は起案する前に上司の意図がどこにあるかをじっくり考え、私情を入れずに起案していたので、結果的にフリーパスになっただけですよ」と答えている秦郁彦は、このような瀬島は同じ作戦課出身でも独断専行の横紙破りを重ねた辻政信(36 期)とは対照的としている。

終戦直前、瀬島と4ヶ月間行動を共にした千早正隆海軍中佐は「本当に心を打ち明けられた陸軍関係者は瀬島だけ」としているが、太平洋戦争における日本陸海軍の協力体勢についての瀬島の戦後証言には不満を述べている。お気に入り詳細を見る
 
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(記事引用)












資産の半分以上を寄付する「ギビングプレッジ富豪」20人 
フォーブス ジャパン 2017年08月12日 16:58Forbes JAPAN 
ザッカーバーグ、イーロン・マスク、マーク・ベニオフ…… 資産の半分以上を寄付すると「宣誓」した、大富豪たちの寄付先は?
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「ギビングプレッジ」は、2010年にビル・ゲイツとウォーレン・バフェットが立ち上げた寄付啓蒙活動。呼びかけに応えた世界の大富豪が、「総資産の半分以上を慈善事業に寄付する」ことを、公式ウェブサイト上で宣誓する。

世界の寄付を牽引するとともに、死後でなく人生の早い段階から寄付を始めることで、寄付金の使い道や結果に関与できる仕組みでもある。現在の賛同者は、33歳から101歳の169人。うち、とくに影響力の大きい20人を選び、彼らの寄付金の行方を追った。

寄付先や額などは、「Chronicle of Philanthropy」および「Inside Philanthropy」のデータベースを用いた。匿名も多く、寄付先の網羅は難しいが、これらのデータは、主に寄付先への取材に基づく。以下、資産が多い順に20人を紹介する。

1. ビル&メリンダ・ゲイツ
マイクロソフト共同創業者&妻。資産885億ドル。ゲイツ財団は資産400億ドル超、世界最大の慈善基金財団。

寄付分野:医療、貧困、教育
寄付先:GAVI Alliance(ワクチン支援:15億ドル)、United Negro College Fund, Inc.(奨学金:15億ドル)、Alliance for a Green Revolution in Africa(アフリカ農業支援)

2. ウォーレン・バフェット(86)
投資会社バークシャー・ハサウェイCEO。資産742億ドル。2006年、300億ドルをゲイツ財団に寄付すると宣言。

寄付分野:教育、保健、経済発展、核、子ども
寄付先:Bill & Melinda Gates Foundation(300億ドル)、一族の財団[Susan Thompson(教育)、Howard G. Buffett(飢餓)、NoVo(女性)、Sherwood(子ども)

バフェットの寄付は“ハンズオフ”型。信頼できる人物に、富を一元信託する。バフェットは資産の99%を寄付すると宣言しており、83%はゲイツ財団へ、残りは一族のもつ4つの財団へ投じる。ゲイツ財団への寄付は、自社株1000万株のうち年5%ずつの譲渡を基本とするが、バフェットのいつもの投資スタイルと同じく、譲渡額はゲイツ財団の“前年度のパフォーマンス”に応じて変動する契約だ。

3. マーク・ザッカーバーグ(33)&プリシラ チャン
フェイスブック創業者とその妻。資産633億ドル。自身の財団にフェイスブック株の99%(450億ドル)を寄付すると宣言。

寄付分野:教育、医療、エネルギー
寄付先:Biohub(疾病予防・治療の基礎研究:6億ドル)、Breakthrough Energy Coalition(クリーンエネルギーファンド)、Andela(アフリカにおけるエンジニア育成)

2015年の女児誕生を契機に、自社株の99%を寄付すると宣言。ChanZuckerberg Initiativeを通し、教育、医療などに長期投資を行う。同団体はLLCであり、拠出先は非営利組織に限定されない。インパクト投資を含めた幅広い取り組みが行われている。

4. ラリー・エリソン(72)
オラクル共同創業者。資産558億ドル。母や共同創業者がガンで死去したため、老化・医療分野に最も力を注ぐ。
寄付分野:医療(老化)、野生動物、教育

寄付先:Ellison Medical Foundation(老化・がん研究)、The Lawrence Ellison Foundation(野生動物・環境)、University of Southern California

5. マイケル・ブルームバーグ(75)
通信会社ブルームバーグ創業者・現CEO、元ニューヨーク市長。資産498億ドル。最大の寄付先は母校ジョンズ・ホプキンズ。

寄付分野:教育、健康、環境 
寄付先:ジョンズ・ホプキンズ大学(10億ドル)、C40 Cities Climate Leadership Group(地球温暖化)、Bloomberg’s Arts Advancement Initiative(NY市アート)

6. ポール・アレン(64)
マイクロソフト社共同創業者。資産201億ドル。主に北米太平洋岸エリアへの寄付活動で知られる(寄付額の70%)。

寄付分野:北米西岸の医療、教育、文化
寄付先:Allen Institute for Brain Science(脳研究)、Washington State University(IT支援)、EMP(シアトルの音楽&SF博物館)

7. アジム・プレムジ(71)
インドのIT王者。ウィプロ創業者。資産167億ドル。「インドの初等教育の一般化」のため20億ドルの自社株を寄付に。

寄付分野:インドの初等教育
寄付先:Azim Premji University(インドに大学設立)The Aangan Trust(インドの女児保護)Railway Children(ストリートチルドレン支援)

8. イーロン・マスク(45)
ペイパル、テスラ、スペースXの創業者。資産159億ドル。

寄付分野:新/再生エネルギー、宇宙、小児医療、科学教育
寄付先:Give Power Foundation(再エネによる途上国支援)、X-Prize Foundation(新規分野のコンペ主催)、Future of Life Institute(AIの脅威研究)

イーロンの寄付理念は、その簡素すぎる財団ウェブサイトからも明確だ。対象は、より明確に未来を変革しうる“技術”。コンペによるインセンティブで世界の知を集結し、新規分野の開発や社会問題の解決に挑むXPRIZEへの寄付はまさにイーロン的。

9. ウラジーミル・ポターニン(56)
鉱業、金属などのコングロマリット「インターロス」創業者。資産131億ドル。ロシア1人目のGivingPredge宣誓者。

寄付分野:教育、芸術
寄付先:主にロシア国内にて、奨学金制度、オリンピック選手養成、科学技術研究支援、寄付文化教育など。

10. ハッソ・プラットナー(73)
企業向けソフト大手「SAP」共同創業者。資産126億ドル。スタンフォードのDスクール設立など高等教育に注力。

寄付分野:高等教育、AIDS、エネルギー
寄付先:Hasso Plattner Institute(ベルリンに工科大を設立)、Hasso Plattner Institute of Design at Stanford University Isombululo(アフリカのHIV啓発)
11. ゴードン(88)&ベティ・ムー
インテル創業者とその妻。資産73億ドル。Gordon and Betty Moore Foundationは資産64億ドルでUS最大級。

寄付分野:環境 、医療(患者ケア)、科学
寄付先:University of California, Davis(看護学部)Oceans and Seafood Markets Collaboration(海洋保護)

12. ジョージ・ルーカス(73)&メロディ・ホブソン
夫:映画監督。資産52億ドル。妻:投資顧問会社アリエル・インベストメンツ創業者。

寄付分野:教育、芸術、保健
寄付先:Michigan State University、Stanford University Lucas Cultural Arts Museum(博物館:建設中)

13. リン&マーク(52)・ベニオフ
セールスフォース・ドットコム創業者とその妻。資産44億ドル。カンパニー・フィランソロピーの旗手。

寄付分野:子どもの医療・教育・貧困支援
寄付先:UCSF Benioff Children’s Hospital(小児病院設立)、Children’s Hospital & Research Center Foundation(小児病院支援)

公益資本主義モデルの立役者の一人。1999年のセールスフォース創業当初から「1-1-1モデル(製品、株式、就業時間の1%を社会貢献に)」を定め、徹底。後に世界550社が追随した。地域の小児病院のほか、さまざまな非営利団体に寄付を行う。

14. マイケル・モリッツ(63)&ハリエット・ヘイマン
夫:米セコイア・キャピタルのチェアマンでグーグルの前取締役。元タイム誌の記者。妻:作家。資産36億ドル。

寄付分野:高等教育
寄付先:オックスフォード大学(母校:5億ドル)、シカゴ大学(5000万ドル)

15. デイヴィッド・ロックフェラー(101)
今年3月に101歳で死去。富豪一族の第3代当主、JPモルガン・チェースの元CEO。資産33億ドル。

寄付分野:教育、芸術、保健
寄付先:Rockefeller University(1.6億ドル)、MoMA(美術館:1億ドル)、Rockefeller Brothers Fund(保健・飢餓:2億ドル)

生涯寄付額は20億ドル超、ロックフェラー家の3代目当主。NY近代美術館(MoMA)、ロックフェラー大学やなどに多額の寄付を行った。死去に伴い、6億ドルがさまざまな組織に寄付される。半分ほどは世界開発の分野に分配される見込み。

16. テッド・ターナー(78)
CNN創業者。資産23億ドル。米国最大のフィランソロピストのひとり。国連など国際機関への多額の寄付でも有名。

寄付分野:環境、人道、女性の権利
寄付先:UN Foundation(国連基金:10億ドル)、League of Conservation Voters(自然保護:0.1億ドル)、Nuclear Threat Initiative(核脅威研究)

地球環境を守るために山を買う……突拍子もない? ターナーは全米に8000キロ平行メートル(東京都の4倍)をもつ米国屈指の大地主。多くは農地だが、曰く「個人所有でこそ恒久的に自然を残せる」。コロラドで、モンタナで、手付かずの山野が緑をなしている。

17. サニー(60)&シェリー・バーキー
インド生まれ、ドバイ拠点の教育事業ジェムズ創業者とその妻。資産21億ドル。“教育界のノーベル賞”主催など。

寄付分野:教育
寄付先:Pro.Svit(ウクライナの教員育成組織)、Teach For Ghana(ガーナの初等教育支援)、Jusoor Syria(シリアの初等教育支援)

18. ハムディ・ウルカヤ(44)
2007年創業のヨーグルトベンチャー「チョバーニ」CEO。資産17億ドル。難民支援に注力。

寄付分野:難民支援、医療、起業
寄付先:Tent Foundation(難民支援)、Global Enrichment Foundation(ソマリア教育支援)

チョバーニは2005年の設立から6年足らずでダノンを抜いた米国最大のヨーグルトブランド。同氏はクルド系トルコ人としてトルコに生まれ、米NYで起業。トルコに逃れたシリア難民の支援を皮切りに、各難民問題に同社利益の10%を投じている。

19. デイブ・ゴールドバーグ&シェリル・サンドバーグ(47)
夫:故人。妻:フェイスブックCOO。資産16億ドル。著書のタイトル名と同じ非営利組織Lean in、OptionBを創設。

寄付分野:女性、グローバルヘルス
寄付先:Lean in(女性支援)、OptionB(悲しみを乗り越えるための支援)、Second Harvest Food Bank(食料難支援)

20. 牛 根生(ニュ・ゲンシェン)(59)
中国最大の牛乳メーカー「蒙牛乳業」創業者。資産5億ドル。中国本土1人目のギビング・プレッジメンバー。自社株すべて(6億ドル)を自身の財団に寄付すると宣言。

寄付分野:主に中国国内の教育、医療、環境保護
寄付先:故郷・内モンゴル拠点の自身の財団を通じ、中国国内の教育、医療、環境保護、貧困撲滅などに注力。






私が菅官房長官に「大きな声」で質問する理由 
東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー#1 - 大山 くまお
 文春オンライン 2017年08月11日 09:00
原則として平日の午前と午後、首相官邸で行われる菅官房長官の記者会見。今年6月以降、ここに突如として現れた一人の記者が注目されている。

「東京の望月です」と名乗ってから、矢継ぎ早に長官に質問をぶつける女性記者。東京新聞社会部、望月衣塑子記者(42)である。

 鉄壁の長官に果敢に攻め込むこの人は、一体どんな人なのか? 

望月衣塑子さん
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菅さんが「俺にも我慢の限界がある」とこぼしたらしい
――望月さんが菅義偉官房長官の定例会見に出席するようになって2カ月ほど経ちました。官房長官の印象は変わってきていますか?

望月 全然変わりませんね(笑)。最近は「主観と憶測に基づいて聞くな」とか「あなたの要望に答える場じゃない」とか、私に対して個人攻撃的なことを言いはじめているとも感じています。産経新聞さんが私への批判記事(「官房長官の記者会見が荒れている! 東京新聞社会部の記者が繰り出す野党議員のような質問で」)を書いていましたが、会見とは国民に成り代わって、記者が政府への疑問や疑念をぶつけ、より国民にとって開かれた政治を作っていくきっかけになる場でもあると思っています。

 また、私は取材や出ている報道に基づいて、質問をしているつもりです。取材に基づいた記者の「主観」を質問で聞けないのであれば、取材から湧き出てくる政府への疑問や疑念をどう国民に成り代わって伝えろと言うのでしょうか。菅長官の言葉は、ジャーナリズムに対する冒瀆(ぼうとく)のようにも聞こえました。

手を挙げる記者を指す、菅官房長官 ©時事通信社

――個人攻撃をされて、正直どう思いましたか?

望月 菅さんは「この質問をしている女は変なやつだ」という色をつけたい、「印象操作」をしたいのかもしれません。それでも、私が怯まずに聞きたいことをガンガン聞くので、つい先日は、オフレコ会見で「俺にも我慢の限界がある」と番記者にこぼしたとも聞きました。

――望月さんが最初に菅官房長官の定例会見を取材したのが6月6日です。社会部記者が長官会見でガンガン質問するのは珍しいことだと思いますが、どんな経緯があったのでしょうか?

望月 私の追いかけていたテーマと政治の動きが点と線でつながり始めたことが大きいですね。どうしても自分で手を挙げて、政権のスポークスマンに質問をぶつけ、答えを聞きたいと。

「官邸の一存」の強さが悪い方に加速している
――点と線とおっしゃいましたが、どういうことなんですか?

望月 もともと私は武器輸出の問題を取材し続けていました。2014年4月に「武器輸出三原則」が撤廃されて「防衛装備移転三原則」が決まり、武器を他国に売って海外と共同開発も行っていくという方向に転換したことがきっかけです。これまでの「戦後70年」とは明らかに違う動きが出てきているという恐怖と、未来の子どもたちの為に何とかしなくてはいけないという思いに駆られるようになりました。

 これに重なって取材をしていく中で、大きな動きだと思ったのが、教育基本法の改正です。2006年、第1次安倍政権のときのものですが、教育基本法の前文の精神がなくなり、愛国心とか道徳とかナショナリズムを全面出す形に法律が変わった。取材で知りましたが、森友学園問題の籠池(泰典)さんが安倍さんに心酔した大きな理由は、これなんですよね。一方で、前川喜平前文科事務次官にインタビューしたとき、彼はこう言っていました。政権に疑問を感じるようになったのは、民主主義を根付かせるために作られた教育基本法が改正され、その精神が変わり、改正した教育基本法が愛国心を強化する流れになったときからだと。

――国のありかたが明らかに変わってきたと……。

望月 そうですね、その後、第2次安倍政権になり「安倍一強」となりましたが、「官邸の一存」の強さが悪い方に加速していると思うんです。加計学園問題の資料を出すか出さないか、森友学園の8億円値引きの経緯についての行政文書を出すか出さないかも「官邸の一存」次第。権力の中枢部でいったい何が起きているのかという疑問がすごく湧いてきました。

――望月さんはTBSの山口敬之・元ワシントン支局長の女性への暴行事件の「もみ消し疑惑」を訴えた詩織さんにインタビュー取材もされていますが、これに前川前次官、籠池氏といった取材で得た「点」が連なり、官邸権力という「線」が見えるようになったと。

望月 おまけに私が取材していた武器輸出を巡って、経産省、財務省の役人を呼びつけていろいろ指示していたのが和泉(洋人)補佐官。加計学園問題でもキーパーソンとして名前が挙がって驚きました。ここもつながりますか、と。

「菅話法」はある種の決壊状態だと思います
――6月6日以降、定例会見で望月さんが矢継ぎ早に質問を浴びせていく姿がおなじみになりましたが、同時に菅官房長官が「問題ない」「あたらない」と言い続ける、いわゆる「菅話法」も多くの人の目に触れることになりました。これだけ何も答えてもらえないと、質問していても嫌になりませんか?

望月 「問題ない」以外言えないのかな? って思いますけどね(笑)。番記者の方たちは2年半以上取材している方も多いそうなので、「菅話法」に慣れと諦めがあるのかもしれません。私は「菅話法」のことをまったく知らずに飛び込んでいったので、その強みはあったのかな。そもそも部外者なので、怖さを知らない(笑)。ここは重要だったと思います。その後、だんだん怖さがわかってきて、杉田さん(和博・内閣官房副長官/内閣人事局長)もいろいろ聞くと怖いですね。

手を挙げる望月記者を指す菅官房長官 ©時事通信社

――毎日新聞が「鉄壁ガースー決壊」と報じましたが、望月さんから見て「菅話法」が決壊した瞬間はあったでしょうか?

望月 どなたかがツイッターで「壊れたラジオ」とおっしゃっていましたけど、同じ言葉を繰り返しているのも、ある種の決壊状態です。「問題ない」「私の担当ではない」と言い続けるしかないし、本当は答えられるようなことも「何か言ってはマズい」と防御反応が働くから同じ答弁を繰り返すしかないのかもしれません。この前、TBS『あさチャン!』で菅さんが「国会で総理が説明した通り」「国会でお答えした通り」と同じ内容の答えを同じ日の記者会見で計10回も繰り返していたと放送していました。

――「壊れたラジオ」を目の当たりにして、「おかしい」と思うようになった人は増えたと思います。それが望月さんの空気を読まない質問でわかりました。一方、今は首相に記者が直接取材する「ぶら下がり」がないんですよね。

望月 8月3日の内閣改造発表後の記者会見でも、決まった社しか指していないと思います。安倍さんが加計学園の疑惑に対して、記者の取材に直接答えるのが一番理想ですけど、官邸は、安倍総理を何が何でも護ろうと必死ですから、そうはならないでしょうね。だから、ある意味、菅さんが一番大変だと思います。総理の疑惑の矢面に立ち、答え続けなければいけないので。

――でも、政権と官邸にアクセスする方法が他にない以上、菅さんに質問し続けるしかない。

望月 ないですよね。私たちがノックできる扉はそこしかないんですから。菅さんは菅さんで、自分の役回りを充分理解されていると思います。私も周りから「いつまでやるんですか?」と聞かれますが、しんどい時もありますが、疑惑が尽きない限り、他の人が質問をぶつけないのならば、私が行かざるを得ない。行かなくなったら行かなくなったで、「何かあったのか?」「消されたのか?」と思われてしまうでしょうし(笑)。

質問するときに気をつけていることは、大きな声で聞くこと
――ちなみに記者会見のとき、望月さんはどのあたりに座っているんですか?

望月 いつもだいたいみんな定位置に座っていますが、私は菅さんの真ん前、前から4列目あたりの中央ちょっと左側です。お互い顔がきちんと見える距離ですね。最前列は番記者さんが並んで座っています。

――記者会見動画を観ると、番記者の人たちの声が聞こえにくいんですが……。

望月 一番前に沢山いるので、聞き取りにくいこともあります。

――だからその分、望月さんの質問がはっきり聞こえます。

望月 ハハハ。私はもともと、やたらと声が大きいということもあるんですけど、質問は国民のみなさんが聞いているかも知れない、だからはっきりと聞こう、という意識はあります。

――官房長官に質問するとき、質問のテクニックとして気をつけているようなことはありますか?

望月 やっぱり大きな声かな(笑)。みんなに伝わるように質問しようという意識はありますね。菅さんからコメントを引き出すだけじゃなく、なぜそういうことを聞いているのかを含めて文脈が伝わるように質問しています。質問の根拠や取材した部分も話すので、「質問は簡潔にお願いします」って広報官の人に注意されてしまいがちなので、そこは改めてもっと気をつけなければならないのですが……。

質問したからには答えを聞き切るべき
――記者会見には細かいルールもありそうですね。

望月 自分の質問が続くときでも、必ず発言の最初には「東京の望月です」って名乗らなければなりません。つい質問をどんどんしたくて、名乗るのを忘れてしまうこともあるのですが……。

――そういえば、望月さんは質問するときに「菅さん」って呼ぶときがありますよね。他の記者は長官とか、菅長官とか呼びかけている気がしますが。

望月 たまに気持ちが先に行ってしまって、そうなってるときがあるかもしれません。ルールがあるわけじゃないと思いますが、確かに官僚の方には驚かれましたね。あの世界は必ず役職で呼ぶから。辞めた人でも総理経験者だったら「総理」と呼ぶのが文化なんだそうです。

――例えば6月8日の午前中の会見では、37分中じつに25回近くの質問をぶつけていましたよね。一人何問まで、みたいなルールは特にないんですか。

望月 なるべく多くの社に機会を与えるのは原則だと思いますが、本来、質問したからには答えを聞き切らなければならないはずだと思うんです。あの時は「同趣旨の質問を繰り返すのはやめてください」と広報官に注意されましたが、「きちんとした回答をいただけていないと思うので、繰り返し聞いています」と申し上げました。「菅話法」のままでは何も答えが出てこない。だから、手を変え品を変え、いろいろな角度で聞くことを心がけています。

――その辺り、もっと詳しく聞かせてください。

(#2につづく)

もちづき・いそこ/1975年東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉・横浜・埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。著書に防衛省取材をもとにした『武器輸出と日本企業』(角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著・あけび書房)などがある。 

写真=橋本篤/文藝春秋
(記事引用)






「申し訳なさ」を感じていた日本での子育て~シンガポールに学ぶ3つの両立支援策 - 中野円佳BLOGOS編集部2017年08月08日 10:08
今年春、家族でシンガポールに引っ越してきた。夫の転勤に家族で帯同することにしたのだが、その理由の1つは、日本での仕事と育児の両立に疲れ切っていたからだ。2人の子どもは認可保育園に入ることができたものの、別々の園。電動自転車で、蒸し暑い汗だくの夏の日も、手や耳がジンジンするような寒空の日も、あちらへこちらへとまわっているとお迎えだけで40~50分かかった。もうタクシーでいいやと思った雨の日にタクシーが捕まらず、絶望的な気分になったのは一度や二度ではない。さて、思い切ってシンガポールに来てみて、実際に子育てのしやすさはどうか。
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メイド文化は仕事と育児両立の柱
シンガポールや香港というと、住み込みのメイドさんがいて出産後もキャリアを築きやすいというイメージがあるのではないかと思う。実際、共働きを中心にメイドを雇用して子供の送迎・家事を頼んでいる家族をよく目撃するし、現地で働く日本人の女性たちからは「いまやメイドさんなしの生活が考えられない」「今のポジションでメイドを雇わずに出張や残業ができないというのは無責任だと言われた」などの声を聞く。

国同士の経済格差等を利用した家事労働者の雇用については、雇用主に搾取されがちだったり、自身の家族のケアを担えなかったりする問題が指摘されている。グローバルな調査研究によると、シンガポールは欧米に比べ家事労働者の転職の自由や永住権獲得等にに課題があるとの指摘もある。

雇用する側も、子どもとの愛着形成や教育など悩みは尽きないし、メイドの存在が全てを解決するわけではない。ただ、国の政策的に家事労働者の受け入れ態勢を整えてきた経緯があり、何でもかんでも母親自身に要求しがちな日本に比べれば、メイドを雇える文化がシンガポールにおける「仕事と育児の両立」を成り立たせる大きな柱になっていることは間違いない。

スクールバスの充実で送り迎えが格段にラク

中野円佳
また、こちらに来て、メイドを雇っていなかったとしても、多くの幼稚園や学校でスクールバスが利用でき、送り迎えの必要性がないことも親の負担を非常に減らしていると感じた。

外国人の場合はコンドミニアム、シンガポール人の場合はHDBと呼ばれる公共団地に住んでいることが多い。もちろん追加の費用がかかるが、住んでいる共同住宅を登録すればマンション・団地の下まで送迎してくれる。この仕組みにより、家からの距離を気にしないで施設を選ぶことができるのもメリットだ。人気のインター校などを除けば待機児童は実質なく、入れたいところに入れられる。

シンガポールである幼稚園を見学した際、幼い子供のバス利用について懸念を示すと、過去の事故歴(園児がけがをしたことはなく、中学生が自転車でバスにこすったなど)を教えてくれたうえで、学校側がバス会社を選べることで、たとえばシートベルトを締めずに出発してしまったなどの不備があれば改善を求め、改善されなければバス会社を変えるような措置を取ることができるとの説明を受けた。

日本でも江東区、世田谷区などが待機児童対策として駅前などから保育園へ送迎する取り組みを始め、大阪市でも検討をしているという。バスには安全性の配慮などは徹底してほしいが、子どもも3~4歳になれば友達とバス内でおしゃべりをするのが楽しいのか、毎日が遠足かのように喜んでバスを利用しており、日本でももう少し広がればと感じる。

常に「申し訳なさ」を感じていた東京での子育て
こうしたインフラ的なもののありがたみを感じつつも、実は日本を離れてもっとも私が感じたのは、「両立」以前に、東京という都市は、そもそもの「ワーク」、そもそもの「ライフ」がものすごくしづらかったのではないかということだ。

シンガポールに来て最初の2週間で、私はいかに東京にいたときに自分がビクビクしていたかということに気が付いた。改札をくぐるとき、残高が足りなくて通れなかったら後ろの人たちを立ち止まらせてしまって嫌な顔をされるんじゃないか。エレベーターが閉まる直前に滑り込んで乗り込んだら、早く閉めないと舌打ちをされるんじゃないか。タクシーを降りるとき、急いでおりないと後ろからクラクションを鳴らされるんじゃないか。こういうことに常におびえていた。

とりわけ子供を連れていると、強烈に感じる「申し訳なさ」。子どもを連れて電車に乗ったりお店に入れば、迷惑な顔をされないかと常に子供の行動を見張り、叱っていないといけなかった。シンガポールに来てから、子供が騒いだりモノをぶちまけたりしても「誰もそんなことで怒ったりしない」ということが徐々に分かってきた。日本から来ている母親たちがふとした瞬間に「日本に帰るのこわいもん…」とつぶやくのを聞くと、びくびくしていたのは私だけではないらしい。
「心の余裕」が子育て世代への寛容を生む
よく「海外は子育てにやさしい」などと言われる。確かにベビーカーを押していると、ドアを開けておいてくれようとする人、子どもに話しかけてくれる人が非常に多い。特に東京と比べて違うと感じたのが、日本では主に自分も子どもがいるような年齢の女性や大学生くらいの若い男性が助けてくれることが多いのに対して、シンガポールでは中年、そしてシニアの男性が子どもに非常にフレンドリーだ。

日本ではスーツのサラリーマンや年配の男性が話しかけてくれることが少なく、むしろ迷惑顔をされることが多いので、私はそういった男性が近づいてくると必要以上に端っこによけていた。シンガポールでそれをすると「いいんだよ、お先に通りなさい」というようなそぶりで道をあけてくれ、子どもに手を振ってくれる。

これは、もしかしたら、子どもに優しいかどうかというよりも、ものすごく急いでいる人や不機嫌な人の総数の問題かもしれない。たとえば、シンガポールでは、エレベーターの「しまる」ボタンを押さない人が多いことに気づく。東京では、押してあるのに場合によっては何度も押す人を見かけることも少なくない。私もときに「すみませんすみません」という気持ちで押しまくることがある。自分しか下りないことが分かっているエレベーターは降り際に閉まるボタンを押して出ていくこともある。


中野円佳
もちろんシンガポールにも色々闇だってあるだろう。でも、極めて統制が厳しい都市国家ですら、東京ほどのせわしなさがないことに驚いた。東京では、どうしてあんなに皆急いでいて、どうしてあんなにイライラしているのか。

時間通りに来る交通機関や配達等のサービス。素晴らしいことである反面、それが当たり前になり、少しでも遅れればイライラする。他の人、特に弱い立場の人への寛容度が低い。それはそれだけ、日本人男性が抑圧されてきたことの裏返しなのかもしれない。

シンガポールに比べて、日本の良さは、四季を感じること、文化があること、様々な地方を持っていること。山ほどある。国全体を見れば、その資源ははるかに豊かで、様々意味でのゆとりがあっていいはずだ。

働き方改革が、生産性の追求でよりせわしなさを生むのではなく、働き盛りの男性を中心とする人々の心に余裕を生みますように。インフラ整備や政策も必要だが、それが子育て世代をおびえさせない、少子化対策につながるかもしれない。

<著者プロフィール>中野円佳 ジャーナリスト/東京大学大学院教育学研究科博士課程。 著書に『「育休世代」のジレンマ』。現代ビジネスで「コイツには何言ってもいい系女子」シリーズ連載中。Twitter @MadokaNakano
(記事引用)








イベントと放送作家
イベント企画 西原健太郎 2017年07月29日 16:24 記事
関東地方では長かった梅雨も明け、夏本番を迎えた今日この頃。みなさんいかがお過ごしでしょうか? 

私はというと、世間は夏休みということもあり、週末は毎週イベントの仕事が続いております。『イベントの仕事』というのは、ラジオで言えば公開録音であったり、はたまた何かの発売記念イベントであったり…お客さんの前で行う催し物を、我々の業界では総じて『イベント』と呼んでいます。 

このコラムを読んでいる皆さんの中にも、学生の頃学園祭などで、イベントを企画・運営されていた方も多いのではないでしょうか? 

そして、イベントの現場にはラジオとはまた違うルールがあったりします。というわけで、今回は『イベントの仕事』について、経験も踏まえて書いてみようかと思います。 

イベントの台本は番組より難しい
放送作家は、ラジオやテレビの台本を書くのが主な仕事ですが、イベントの台本を書くことも仕事の一つです。ただ、イベントの台本はラジオやテレビの台本よりも、書く難易度が格段に上がります。その理由は以下の通りです。 

まず、基本イベントはお客さんの前で行うので、失敗は許されません。イベントの進行が滞っても、やり直しをすることは出来ないのです。 

また、イベントは主にホールを借りて行うことが多いのですが、ホールなどの会場には、借りられる時間の制限があります。イベントは与えられた時間を守って、準備・本番を進行しないといけので(時間を守らないスタッフや司会者もいますが)、時間に正確な台本が求められます。 そして、イベントはラジオとは違い、関わっている人数が桁違いです。ラジオはそれこそディレクターが一人いれば収録できますが、イベントは舞台監督・音響・照明・会場運営…など、役割分担も細分化されており、それぞれの役割を何人ものスタッフが担当します。 

少なく見積もってもラジオの5〜10倍のスタッフが一つの台本で動くのです。それほどの人数を動かす台本は、簡単に書けるものではありません。出演者のセリフ、音、出演者の動き、照明、大道具・小道具の出し入れ…様々なことに気を配らないといけません。 

そんなわけで、ラジオの台本は書けても、イベント台本をきちんと書ける放送作家は、実はあまり多くないのですが、台本を書くこと以外にも、放送作家がイベントを担当するときには、様々なことに気を配らないといけません。その中で一番大事なのが、『他のスタッフとできるだけコミュニケーションを図る』という事です。 

例えば、イベントスタッフは職人肌の人が多いのですが、職人肌の人とうまく付き合っていかないと、イベントは成功しません。ラジオのスタッフにも職人肌の人は多いですが、イベントスタッフの比ではありません。
頑固な舞台スタッフと円滑に仕事をするコツ
音響や照明を担当するスタッフは、舞台関係のスタッフを兼ねていることが多く、舞台関係のスタッフは総じて職人肌だったりします。職人肌の人は、良く言えばプロ意識の塊。悪く言えば頑固者です。うまく付き合えばこちらの意図を超える、素晴らしい演出を見せてくれますが、逆に付き合いをおろそかにすると、ヘソを曲げてしまい全く動いてくれなかったりします。 

ではどうやってコミュニケーションを図るのか…様々な方法があるのですが、その中のいくつかを今日はご紹介します。 

まず、イベントの前に、放送作家は『イベント台本』と呼ばれる、セリフや動き、照明、音のタイミングなどが書かれた台本を作成します。空間をイメージして、セリフや動きを台本に書いていくのですが、その時、『具体的な演出プラン』はあえて書かないようにします。 

ここで言う『具体的な演出プラン』と言うのは、照明の明るさや、舞台を盛り上げる音の種類などですが、実は書こうと思えば、プロの放送作家であれば、とことん具体的に書くことができます。 

でも、そこはあえて書かずに、職人である各セクションの皆さんにお任せします。ここで大事なのは、『書かなくてもわかるでしょ?』という雰囲気を醸し出すのではなく、『具体的な演出プランはプロである皆さんにお任せします』という姿勢で、『自分はその道のプロではありませんが、イベントを成功させたいと思っています。皆さんの力を貸してください』と言うメッセージを台本に込めるのです。そうすると、自然と職人肌のスタッフは自分の力をイベントに注いでくれるようになるのです。 

また、イベントに関わるスタッフは、その日限りの付き合いであることも多いのですが、『たった1日ですが、よろしくお願いします!』という姿勢を見せるというのも大事です。 

具体的には、イベント会場に入ったら、まずスタッフ全員に挨拶をして回ったり、具体的な行動でそれを示します。実は放送作家は、イベントの台本を書いた後は、当日現場ではあまり放送作家としての仕事がありません。 

でも、舞台進行中になにか演出面で不具合が生じたり、とっさの判断が必要な時には、放送作家として意見を出さないといけないので、できるだけその現場にいなくてはいけません。そして、何かあったときにうまく対応できるかどうかは、各セクションのスタッフと、事前にいかにコミュニケーションが取れているかがキーになるのです。 

他にも、イベントを成功させるためには、様々なテクニックがあるのですが、その全てに共通しているのは、『みんなの力を合わせられるように振る舞う』という事です。これからの季節、学生の皆さんは学園祭など、自分がイベントを企画・運営する立場になる人もいるかもしれません。自分たちのイベントを成功させたいと思った時は、是非このコラムを思い出して、参考にしていただけたら幸いです。

「戦火のマエストロ・近衛秀麿」について
「近衛秀麿という人物がユダヤ人の命を救っていた」という話を始めて聞いたのは、いまから1年半ほど前、秀麿の音楽やその人生を30年近くに渡って追ってきた音楽プロデューサーからでした。
最初はにわかに信じられませんでした。なにせ、近衛秀麿といえば、戦争へと向かう日本で首相を務めた近衛文磨の弟。そんな人が果たしてユダヤ人を救うというようなことをするのだろうか?そう思ったからです。
その後、秀麿について書かれた本を読んでみると、指揮者としてベルリンフィルでタクトを振った最初の日本人だったことや、「NHK交響楽団」の前身である「新交響楽団」を設立したこと、アメリカやヨーロッパで活躍していた事などがわかり、音楽家として世界的に活動した人だったということがわかりました。しかし、それでもユダヤ人を救っていたという話はどこにも出てきません。わずかに、本人が書いた自伝に数行だけ「救われたユダヤ人家族は10以上」、「日本大使館のY君が担当した」といった謎めいた記述があるだけです。
これ程度の情報で本当に番組になるのか?不安はありましたが、調べてみる事にしました。すると秀麿が米軍から受けた尋問の調書がアメリカ国立公文書館から発見され、そこに亡命幇助の一端が記されていたのです。しかし、ここから番組ディレクターの苦悩が始まります。証言者を世界中から探さなければならなかったからです。日本、ドイツ、イスラエル、アメリカ、イギリス、ベルギー…1年に渡る執念の調査から何がわかったのか?それは番組を見てのお楽しみですが、「凄い!」ことは間違いありません。

一つだけ、今回の取材を通してわかったことを書きたいと思います。それは、「ユダヤ人を救った」という話は、戦後ながらく日本だけでなく、ヨーロッパでもタブーだったということです。亡命に成功した人たちも「誰のおかげで亡命できたか」また「どうやって逃げたか」などデリケートな話は決して口にしなかったと言います。一方で、亡命を助けた側も同じでした。だからこそ、近衛秀麿の物語も長い間語られる事はなかったのです。
戦後70年という時間を経ていま浮かび上がる意外な真実。ぜひご覧ください!

水野重理(みずの・しげのり) 番組プロデューサー
番組内容
元首相・近衛文麿の弟であり、同盟国の客人としてナチスからも活動を許されていた秀麿の水面下での知られざる活動。それは、戦後、連合国側の取り調べから明らかになった。今回番組では、アメリカ公文書館で見つかった調書や、秀麿を知る関係者の証言を通じて、ユダヤ人演奏家たちの亡命を助けていた実態や音楽に身をささげたその個性を描き出す。
【出演】藤田由之,鳩山寛,クロイツァー・凉子,水谷川優子,水谷川忠俊,本多章一,【語り】益岡徹  玉木宏
俳優・玉木宏が迫る新感覚音楽ミステリー!ナチス・ドイツの嵐が吹き荒れる欧州で活躍した音楽家・近衛秀麿。世界最高峰のベルリンフィルで初めて指揮をした日本人だ。彼は、自身のオーケストラを隠れみのに、ユダヤ人の国外脱出を手助けしていたという。マエストロ・ヒデマロはいかにしてその大胆な試みを企て実行していったのか。亡命オーケストラの謎がいま初めて明かされる。壮大な交響曲と高精細映像でつづるサスペンス紀行!

※筆者談話
写真、「水谷川忠俊」さんと番組出演に名があって、久しぶりお元気そうな顔拝見しました。案内役の玉木宏も適役でした。今回の番組は、現地取材が豊富で秀逸なドキュメントでした。やはり歴史に名を残すというのは大変なことで、さらに国際的評価を得るのは至難のわざです。なにしろ「近衛」姓は平安時代からですから、それだけでも大変なことです。マエストロ近衛秀麿について記事ブログをかいてみましょう。8月4日ころの予定。






挑戦を続ける真田広之、「倒れたところがゴール」
ORICON NEWS 2017年7月1日 8時40分
2003年に『ラストサムライ』でトム・クルーズと、そして2013年には『ウルヴァリン:SAMURAI』でヒュー・ジャックマンと共演するなど、ハリウッドで活躍中の真田広之。国際宇宙ステーション内で起こる惨劇を描いた最新出演作『ライフ』(7月8日公開)では、システムエンジニアのショウ・ムラカミ役で出演をしている。米アカデミー新会員にも招待され、世界で挑戦を続けている真田が、ハリウッドの撮影秘話や全編英語での芝居の難しさなどを語ってくれた。

【画像】ラストサムライ
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■英語力、体力、精神力…俳優として高度な技術を要求されるハリウッドの現場

 真田が演じたのは国際宇宙ステーション(ISS)に集結した6名の宇宙飛行士のうちの一人。物語は、宇宙飛行士達が無人探査機を回収するところから始まる。無事に回収し、火星で採取した土壌から地球外生命体を発見する。真田は今作の脚本を読んで“明日にでも起こりうるお話だと思った”と言う。

 「現実味のある話をストレートに描いていて、シンプルながらも非常に深いメッセージのある脚本だと感じました。人類が地球外生命体と初めて向き合った時に、どう対処すべきなのかということも提示しながら、宇宙飛行士達のヒューマンドラマもきちんと描かれています。なかでも僕が演じたショウは6人のクルーの中で唯一、家族のことなどプライベートな部分が明かされていくので、非常に演じがいのある役でした。彼はシステム・エンジニアで最年長のベテランクルーなのですが、更にある程度年齢がいってから初めての子供ができたこともあって、幸せな気持ちと同時に大きな不安も抱えているんです。生きて地球に帰りたいという思いと、任務を遂行しなければいけない責任感との板挟みになりながらも“地球を救う=家族を救う”ことを優先させる。そういった人としての深みという部分が、この役を演じる一番の原動力になっていたように思います」

 撮影現場について無重力を表現するために最長で4時間もハーネスに吊られっぱなしのなか芝居をすることもあったという。体力的な面でもハードだが、そこに全編英語の台詞やシステムエンジニアという特殊な役柄も加わり想像以上に大変だったとハリウッドの撮影現場を振り返った。

 「初めて全編無重力状態のお芝居をする撮影で体力的に大変だったのはもちろんですが、更に台詞を話しながら全てのコンピューターや機材をエンジニアらしく扱わなければいけないという大変さも加わりました。セットがリアルに作られていて全てのスイッチがライトやモニターなどと実際に連動していたので、僕はスイッチを間違えて押さないように必死で(笑)。特に後ろから撮る場合はライトやモニターが全て映りこんでしまいますから、完璧に覚えないといけませんでした。監督はそういうハードな環境にわざと僕らを放り込んで、もがいている姿をドキュメントのように撮っていく手法をとったのではないかと(笑)。そのほうが僕らも集中できましたし、世界に入りやすかったのでとても感謝しています」
■アドリブが飛び交う“世界での仕事”

 今作で医師のデビッド・ジョーダン役を演じているジェイク・ギレンホールは『ブロークバック・マウンテン』や『ナイトクローラー』などに出演している実力派俳優、そして検疫官ミランダ・ノース役のレベッカ・ファーガソンは『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』でトム・クルーズと共演し、同シリーズの新作にも出演するなど注目の女優だ。航宙エンジニアのローリー・アダムス役のライアン・レイノルズは『デッドプール』の制作と主演を務めコメディからアクション、ドラマなど様々なジャンルの作品に出演している人気俳優である。そんな彼らと英語で芝居をした感想を語ってくれた。

 「ジェイクとライアンは過酷な撮影の中でもずっと冗談を言い合っていました(笑)。終始“このシーンでそこまで笑うかな? 笑わせるかな?”といった感じだったのですが、おかげでみんなリラックスできました。その反面、怖いシーンでは気持ちを切り替えて集中して撮影に挑めたので、あえて彼らはジョークを飛ばしてくれていたのかもしれませんね」

 「レベッカとはちょうど撮影中に同じスタジオでトム・クルーズが映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』を撮っていて、レベッカも僕もトムと共演しているので、2人で一緒にトムをサプライズで尋ねてみようと話していたんです。でも、なかなかタイミングが合わなくて結局会えずじまいでした。彼女は、チームワークを作る上で要となる存在でした。スタッフやキャストのジョイント役をしながらもストイックに自らの役をこなしていく姿は素敵でしたね。」

 「ライアンは彼は今作の監督とは2度目で、全幅の信頼を置かれていたせいかアドリブも多かったです。そんなわけでジョークを言うシーンは毎回こらえるのが大変なほど本気で笑っていました。彼がアドリブで投げかけたものに対してこちらもアドリブで返さなければいけなかったので、面白さとプレッシャーの両方を味わえました。ショウの子供が生まれてクルーのみんなに紹介するシーンで“それ父親は誰かわかってる?”なんてローリーに言われてショウが“Shut up!(うるせえよ!)”と返すシーンは実はアドリブです(笑)。そういうセッションを楽しむためにも日頃から英語の能力を磨いておかないとダメですね。緊張感がありますし、受験生気分で勉強しています。日頃からレッスンするのも大事ですが、現場で実際に英語を使って芝居をするのが一番の上達方法かもしれませんね」

■「倒れたところがゴール」

  「どこに辿り着きたいというのは今は特に無い、倒れたところがゴール」という真田。今後の目標を聞いてみると、最後はこんな言葉で締めくくった。

 「今までの経験を元に、役の幅、言葉の幅、難度…どこまで守備範囲を広げられるか、ということを続けています。そうしてたどり着いた景色を見て、その時感じた自分の心に従って道を選択していく。“これをやったら本望、卒業”というものはありません。結果の積み重ねでたどり着いたところが終着点。役者は引退のない仕事ですので、倒れたところがゴールだと思っています」

 「僕が初めてロイヤルシェイクスピアカンパニーに飛び込んだのが30代後半で、ロスに引っ越したのは45歳の時。まさに“四十の手習い”で英語を始めました。そうあるべきだと思ったことに従ったわけです。何かを決める時はリスクもありますが、“やりたいことに飛び込んだ自分”と、“飛び込むのを諦めた自分”の10年後を比較してみてどっちがいいか考えました。一度きりの人生、自分を信じるのか信じないのか。環境次第ではありますが、環境作りも自分の仕事です。大変なことも含めて楽しんで欲しいと思います」

(記事引用)





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“超黒字”JR東海に公的資金3兆円投入!?
リニア建設資金不足で、やっぱりツケは国民に…
2017年7月1日 6時0分 週プレNEWS  
2027年に品川-名古屋間での開業を目指すリニア中央新幹線。JR東海は当初、「自己資金で建設する」としていたが、工事は遅々として進まず、資金不足の恐れが出てきた。
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そこで昨年6月、政府は3兆円の公的資金投入という決断を下していたのだが…本当に予定どおりに完成するのか!?

■「返済が怪しくなったら担保を検討する」

JR東海が2027年に開通を目指すリニア中央新幹線(以下、リニア)。

最高時速500キロという超高速で東京・品川駅から愛知・名古屋駅までの286kmを40分で結ぶ計画だ。さらに大阪・新大阪駅まで延伸しての開通予定は37年で、438kmの距離を67分で結ぶ。まさに“夢の乗り物”である。

だが、その実現を疑問視する声は以前からあった。というのも、07年末、JR東海は「自己資金でリニアを建設する」と公表したが、その資金が「ない」からだ。

リニアの総工費は実に約9兆円。国土交通省によれば、「品川-名古屋間の建設費約5兆5千億円のうち、約2兆5千億円は東海道新幹線の収益を充てられる」から、当面は差し引き3兆円あればいい。だが、この3兆円がない。

全産業での営業利益率(売り上げに占める営業利益の割合)の平均は2.5%。ところが、JR東海は東海道新幹線を稼ぎ頭に毎年のように最高益を更新し、15年度で33%という断トツの利益を上げている。営業利益約5600億円の“超黒字”企業だ。

だが、それでも目標としていたリニアの「自己資金建設」には届かなかった。同社の「平成28年3月期決算短信」を見ると、純資産額は2兆2199億円。巨額ではあるが、3兆円分の担保がない以上、銀行がJR東海に対して貸し渋りするだろうと予測されていた。

そんななか、昨年6月1日、安倍首相が「リニアに財政投融資(以下、財投)を活用する」と表明。その額3兆円。

JR東海の当初計画では、27年の品川-名古屋間の開通 後に8年ほど工事をストップし、その間にリニア建設で細くなった財政基盤を回復させ、35年から工事再開、45年に大阪開通というもの。だが、安倍首相は財投による3兆円を品川-名古屋間の建設に投入すれば、名古屋-大阪間の竣工(しゅんこう)を最大8年前倒しして、37年には開通できるとの見込みを発表したのだ。

その3兆円の融資の内訳を見ると、「返済は30年据え置き」(通例5年)、「返還期間は10年」「利子0.6~0.8%」(一般的な銀行融資は3%前後)、そして「無担保」という“超”がつくほどの好条件である。

財投はひと言でいうなら「公的資金」。税金ではない。「国債」(財投債)を利用した大型事業への資金集めの仕組みだ。

流れとしては、「財務省が国債を発行する」→「金融機関が国債を購入する」→「財務省は、得た資金を政府系の特殊法人である『財投機関』(全35組織)に融資する」となる。15年度にはこの制度で約11兆円が財投機関に融資されている。

財投はその巨額さから、「第二の国家予算」と呼ばれ、政策的見地から財投機関に融資されてきた。民間企業では対応が困難な大規模プロジェクトをサポートすることが目的であり、財投機関はまさしくそれを実施する組織だ。

例えば、もんじゅを建設した「日本原子力研究開発機構」、高速道路を建設した「旧・日本道路公団」、長良川河口堰(ぜき)を建設した「水資源機構」や、東京湾横断道路(アクアライン)を建設した「東京湾横断道路」などに融資してきた。だが、JR東海は、財投による融資を受けられる財投機関ではない。

では、JR東海への3兆円融資はどうやって行なわれたのか。カラクリはこうだ。

JR各社の新幹線を建設する「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(以下、支援機構)という独立行政法人がある。実はこの支援機構が財投機関なのだが、この金融機関ではない組織に融資機能を持たせ、支援機構経由でJR東海にリニア建設資金の融資を可能にする「鉄道建設・運輸施設整備支援機構法」の改正を行なったのだ。

その動きは早かった。昨年10月26日と11月10日、衆参両院の国土交通委員会で法改正が審議され、即日可決。本会議でも可決されると、さっそく11月29日に、支援機構はJR東海に5千億円を融資した。以降、今年1月、3月と5月にもそれぞれ5千億円ずつ融資され、今後7月と9月にも5千億円ずつ融資予定で、計3兆円の投入が実現する。まさにリニア並みのスピード融資である。

ちなみに、筆者は衆議院の審議を傍聴したのだが、「自己資金」から「公的資金」へと方針が真逆に変わったことについて、「リニア建設の大前提が崩れた」と切り込んだのは共産党議員だけ。審議は即日可決した。

条件もプロセスも、すべてが異例のこの3兆円融資について、支援機構の広報部に聞いた。

―なぜ3兆円もの巨額を無担保で融資できたのか?

「融資とは必ずしも担保がないからできないというものではありません」

―でも、JR東海が返済不能に陥ったらどうする?

「返済が怪しくなったら、そのときに担保を検討します」

一般の金融機関ではまずありえない見解だ。

■建設費は当初予定の9兆円から増える!?

前述した昨年6月1日の安倍首相の「財投活用」会見を受け、同日、JR東海の柘植康英(つげ・こうえい)社長は「総理よりリニア名古屋-大阪間の早期開業を支援するご発言があり、大変ありがたい」と記者会見で歓迎の意を示した。

これには環境・騒音などの問題からリニア建設に反対する計画沿線の市民団体から「大丈夫か」と不安の声が上がった。

というのも、JR東海は07年に「自己資金で建設」と公表し、国交省も「JR東海の資金繰りに問題ない」と判断し、同社に対して、建設に必要な環境アセスメント(環境影響評価)の手続きに入ることを指示。それを受け、JR東海は手続きのひとつとして、各地で約150回の住民説明会を開催し、「政府の援助は受けず、自己資金で建設」と明言していたからだ。そうして14年10月、国交省はリニア計画を事業認可している。

「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」の天野捷一共同代表はこう疑問を投げかける。

「事業認可後に、トップが3兆円もの公的資金を歓迎するなんて、『自己資金でやる』との前提で進めてきた手続きをすべて無にするものです」

トンネルを掘る際に出る残土の処分先のめどが立たず、いまだ本格着工に至っていないリニアの現状を見れば、工費はかさみ、さらなる公的資金投入が必要になるかもしれない。そもそもJR東海の見込みが甘すぎだったのではないか。そんないいかげんな事業計画にもかかわらず、環境面への影響はまったくないといわれても信用するのは難しい、というわけだ。

もともと市民団体は、リニアの建設費が9兆円では済まないと予想していたという。

「大型公共事業が当初予算で竣工した事例はほとんどないです。例えば、上越新幹線は当初の建設費約4800億円が3倍以上の約1兆7千億円で、東北新幹線も約1兆8千億円の予定が倍の約3兆6千億円で竣工しました。リニアはその86%がトンネルで難工事が予想され、工期が延びて工費がかさむ可能性が大です」(天野氏)

天野氏ら市民団体は13年以降、何度も国交省と交渉し、筆者が覚えているだけでも3回、「資金ショートしたら国税投入するのか?」と質問している。その都度、国交省は「ありえるとも、ありえないとも言えない」と含みのある回答をした。

フタを開けると、国税ではなく財投の発動となったが、財投と税金は無縁ではない。

財投の事業が赤字だと、その返済は税金で補ってきたからだ。一例を挙げれば、JRの前身「国鉄」の負債28兆円や、国有林の管理会社「国有林野事業特別会計」の負債4兆円を税金で補った前例がある。

そして、利子が0.6~0.8%と安いが、建設中に資金ショートした場合はどうなるのか。再び兆単位の財投を発動させるのか。これを支援機構に問うと、「ケース・バイ・ケースです」と回答された。

さらにもうひとつ。

13年9月、JR東海の山田佳臣(よしおみ)社長(現会長)は記者会見でこう公言している。

「リニアは絶対ペイしません」

それでも、JR東海は「東海道新幹線とリニアを合わせて、乗客は1.5倍になるから採算性がある」と説明するが、アラバマ大学名誉教授で、著書に『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』がある橋山禮治郎(れいじろう)さんは「国民にツケが回る」と指摘する。

「リニアの乗客が増えても、多くは東海道新幹線の乗客が移るだけ。採算性は国会で徹底議論すべきです。でないと、国民が負担を背負うことになりかねない」(橋山氏)

もし、JR東海が財投を返済できず、3兆円を国税負担することになったりすれば、国民ひとり当たり3万円の負担。建設費がかさめばそれ以上になる。

トップ自らが認めた「ペイしない事業」を十分な議論や検証もなく推進するこの体制は、今後も立ち止まることはないのだろうか。

(取材・文・撮影/樫田秀樹)
(記事引用)





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LEXUSと坂本龍一氏のコラボレーションイベント開催
EVENTS Apr 20,2017. UPDATE
「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」
4.01 Sat 19:00  START
LEXUSは、8年ぶりとなる新作「async」を発売したばかりの坂本龍一さんとLEXUSがコラボレーションして、3つのプログラムから成る「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトを始動。オープニングイベントとして実施した坂本龍一さんとGQ Japan編集長の鈴木正文さんによるトークショーに加え、坂本龍一さんのニューアルバム「async」を体験しながらLEXUSの車両で都内をドライブする「LEXUS Listening Drive体験」を開催しました。INTERSECT BY LEXUS - TOKYOでは、このプロジェクトの特別展示として、展示車両内で坂本龍一さんのニューアルバムの視聴体験や「坂本龍一 特別映像 for LEXUS」の放映などを行っています。
1.トークショー開催
「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」。そのオープニングイベントとして、東京・南青山にあるINTERSECT BY LEXUS - TOKYOで、坂本龍一さんとGQ Japan編集長の鈴木正文さんによるトークセッションを開催しました。
今回は、お二人が「クルマと音楽による新しい体験」をテーマに語った数々のエピソードから、音楽とクルマをキーワードにピックアップしてレポート。応募多数で抽選での招待となったゲストが見守るなか、坂本さんの新アルバムの話題からトークセッションはスタートしました。

鈴木:GQ JAPANの鈴木です。
坂本:坂本龍一です。
鈴木:今日はありがとうございます。もう終盤ですよね、東京滞在の。アルバム「async」は、どんな思いで?
坂本:シンクロナイゼーションですね。世界の音楽の99%は同期している。ひとつの時間軸に。みんなも同期している音楽を聴いて育ってきたし、それは人間の本能でもあります。演奏をバラバラにやれって言っても難しくて、そうじゃない音楽ってできないかなと数年前から思っていました。
鈴木:いくつものメトロノームを並べて動かすと、速度が揃っていくみたいなことですか?
坂本:あれはちょっと違うんです。同期するのは、リズムだけじゃなくてハーモニーも。最初はバラバラでも、10分もやれば自然にあってくる。だから、今回はそうじゃないもの。例えば、中心みたいなものを定めないで、6人の演奏者がそれぞれ自分の時間で演奏する。バラバラにやっているんだけど、1つの音楽になっている状態というのをやってみたくて。以前、何度か実際に演奏してもらって試したことがあるんですが、とても美しいんですよ。そういうテーマの楽曲が多くなってきたのもあって、それを表すために今回の「async」を作りました。

鈴木:クルマに乗って音楽を聴く「Listening Drive体験」というのは?
坂本:ミュージシャンもクルマで音楽を聴く時間が多くて。愛車内での音楽の聴こえ方を基準にしている人って多いんですよ。
鈴木:部屋で聴くのとは違うんですね。
坂本:オーディオシステムが違うし、クルマや街のノイズも入ってくる。自分が作った音楽の確認のひとつになるんですよね。入ってくるノイズで、音楽が聞こえなくなったらだめなんだよね。
鈴木:今回の作品以前から、クルマに乗って確認してたんですか?

坂本:それが、僕はなまけもので(笑)。何十年も前からわかってはいたんだけど、今回初めてやりました。ほとんど完成した段階でクルマでそれをかけて。2時間ちょっと、わざとうるさい場所を走ったりしてね。マンハッタンはどこでもうるさいけど、ヘリコプターの離発着とか、バスが走る音とか。そういうところを通って、自分が作った音楽がどれだけ存在感があって、ノイズに負けないか。それを確認するために、Listening Driveをやってみました。

鈴木:その結果、ここをこう変えたというという部分はありますか?
坂本:それが、期待以上によくて全部OK。音楽がよく聴こえただけじゃなくて、ヘリコプターが飛ぶとそのノイズが音楽と混ざりあって、またいいの。新たな音楽になっちゃった。今回も、LEXUSの協力で「LEXUS Listening Drive体験」をやりますが、東京はニューヨークに比べたらとっても静かですね。
鈴木:LEXUS Listening Drive体験は、4日間限定で、抽選で当たった1日3組24組48名、お二人までが乗れるんですけど、LEXUSに乗って、最初に坂本さんのナレーションが入ったasyncを聴きながら東京の街を回るという取り組みですよね。実際に、この辺りを15分1時間くらい、LEXUSの後部座席に乗ってListening Driveしてみたんですが、確かに非常に静かだと思いました。ノイズが入ってこない。
坂本:ワタリウム美術館から出発して、渋滞に引っかからなければ、ちょうどasyncを聴き終えるくらいのドライビングコース。イチョウ並木と絵画館が見える場所や、迎賓館の前。通っていた高校の隣に新宿御苑があって、よく行きましたね。東京生まれで、東京育ちなので、東京の街にはそれなりに思い入れがあって。コースは僕が考えました。

60分という限られた時間ながら、ニューアルバム「async」からListening Drive体験など、さまざまな話題へと広がりを見せたトークセッション。ゲストの方々や意見を交えあったお二人にとっても、濃密な時間が流れる貴重な機会となりました。

2.「LEXUS Listening Drive体験」開催

4月15日(土)、16日(日)、22日(土)、23日(日)の4日間、LEXUS車両で「サウンドとノイズ(環境音)」に加え「流れる風景」が一体となり、五感を刺激する新しいドライブ体験「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトの一環として、クルマに乗って音楽を聴くという行為に着目した試み「LEXUS Listening Drive体験」を実施しました。
外苑前のワタリウム美術館をスタートし、坂本龍一さんのニューアルバム「async」を聴きながら、坂本龍一さんオススメの都内のルートをLEXUSの車両でドライブ。参加者は専用ドライバーの運転に同乗し、明治記念館、皇居、新宿御苑といった坂本龍一さんの思い入れのあるスポットを1時間弱かけて巡り、ゴールのINTERSECT BY LEXUS - TOKYOへ。
抽選で選ばれた24組の参加者からは「街中ではより現代風な曲が流れるなど、音楽とそれぞれのスポットがマッチしていて、コースも非常に良く設計されていると感じました」「どこまでがアルバムの音で、どこからが走行音、環境音なのかがわからなくなる不思議な感覚がありました」といった今回の試みに対する感想や、「ハイブリッドカーで車内が静か。純粋に音楽を楽しむことができました」「乗り心地もよく、ゆったりと移動しながらなので全身で音楽を感じることができました。終盤、あまりの心地よさにいい意味で眠気が訪れるほど」といった車両に関する感想も寄せられました。
参加者は、音楽と周囲の環境音、車窓を流れる東京の景色が一体となって生まれる新しい音楽体験に身を委ねました。

3.INTERSECT BY LEXUS - TOKYOで「特別展示」実施中

2017年5月9日まで、INTERSECT BY LEXUS - TOKYOの1FにあるGARAGEスペースでは、「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトの特別展示を開催中です。特別展示では、展示車両内で坂本龍一さんのニューアルバム「async」の試聴体験や「坂本龍一特別映像 for LEXUS」の放映やパネル展示などを行っています。
会場:INTERSECT BY LEXUS - TOKYO
住所:東京都港区南青山4丁目21−26
期間:2017年4月1日(土)〜5月9日(火)予定
時間:9:00〜23:00
https://lexus.jp/brand/intersect/tokyo/garage/garage20170401.html
LINKS
坂本龍一氏 webサイト
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(記事引用)








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