挑戦を続ける真田広之、「倒れたところがゴール」
ORICON NEWS 2017年7月1日 8時40分
2003年に『ラストサムライ』でトム・クルーズと、そして2013年には『ウルヴァリン:SAMURAI』でヒュー・ジャックマンと共演するなど、ハリウッドで活躍中の真田広之。国際宇宙ステーション内で起こる惨劇を描いた最新出演作『ライフ』(7月8日公開)では、システムエンジニアのショウ・ムラカミ役で出演をしている。米アカデミー新会員にも招待され、世界で挑戦を続けている真田が、ハリウッドの撮影秘話や全編英語での芝居の難しさなどを語ってくれた。

【画像】ラストサムライ
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■英語力、体力、精神力…俳優として高度な技術を要求されるハリウッドの現場

 真田が演じたのは国際宇宙ステーション(ISS)に集結した6名の宇宙飛行士のうちの一人。物語は、宇宙飛行士達が無人探査機を回収するところから始まる。無事に回収し、火星で採取した土壌から地球外生命体を発見する。真田は今作の脚本を読んで“明日にでも起こりうるお話だと思った”と言う。

 「現実味のある話をストレートに描いていて、シンプルながらも非常に深いメッセージのある脚本だと感じました。人類が地球外生命体と初めて向き合った時に、どう対処すべきなのかということも提示しながら、宇宙飛行士達のヒューマンドラマもきちんと描かれています。なかでも僕が演じたショウは6人のクルーの中で唯一、家族のことなどプライベートな部分が明かされていくので、非常に演じがいのある役でした。彼はシステム・エンジニアで最年長のベテランクルーなのですが、更にある程度年齢がいってから初めての子供ができたこともあって、幸せな気持ちと同時に大きな不安も抱えているんです。生きて地球に帰りたいという思いと、任務を遂行しなければいけない責任感との板挟みになりながらも“地球を救う=家族を救う”ことを優先させる。そういった人としての深みという部分が、この役を演じる一番の原動力になっていたように思います」

 撮影現場について無重力を表現するために最長で4時間もハーネスに吊られっぱなしのなか芝居をすることもあったという。体力的な面でもハードだが、そこに全編英語の台詞やシステムエンジニアという特殊な役柄も加わり想像以上に大変だったとハリウッドの撮影現場を振り返った。

 「初めて全編無重力状態のお芝居をする撮影で体力的に大変だったのはもちろんですが、更に台詞を話しながら全てのコンピューターや機材をエンジニアらしく扱わなければいけないという大変さも加わりました。セットがリアルに作られていて全てのスイッチがライトやモニターなどと実際に連動していたので、僕はスイッチを間違えて押さないように必死で(笑)。特に後ろから撮る場合はライトやモニターが全て映りこんでしまいますから、完璧に覚えないといけませんでした。監督はそういうハードな環境にわざと僕らを放り込んで、もがいている姿をドキュメントのように撮っていく手法をとったのではないかと(笑)。そのほうが僕らも集中できましたし、世界に入りやすかったのでとても感謝しています」
■アドリブが飛び交う“世界での仕事”

 今作で医師のデビッド・ジョーダン役を演じているジェイク・ギレンホールは『ブロークバック・マウンテン』や『ナイトクローラー』などに出演している実力派俳優、そして検疫官ミランダ・ノース役のレベッカ・ファーガソンは『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』でトム・クルーズと共演し、同シリーズの新作にも出演するなど注目の女優だ。航宙エンジニアのローリー・アダムス役のライアン・レイノルズは『デッドプール』の制作と主演を務めコメディからアクション、ドラマなど様々なジャンルの作品に出演している人気俳優である。そんな彼らと英語で芝居をした感想を語ってくれた。

 「ジェイクとライアンは過酷な撮影の中でもずっと冗談を言い合っていました(笑)。終始“このシーンでそこまで笑うかな? 笑わせるかな?”といった感じだったのですが、おかげでみんなリラックスできました。その反面、怖いシーンでは気持ちを切り替えて集中して撮影に挑めたので、あえて彼らはジョークを飛ばしてくれていたのかもしれませんね」

 「レベッカとはちょうど撮影中に同じスタジオでトム・クルーズが映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』を撮っていて、レベッカも僕もトムと共演しているので、2人で一緒にトムをサプライズで尋ねてみようと話していたんです。でも、なかなかタイミングが合わなくて結局会えずじまいでした。彼女は、チームワークを作る上で要となる存在でした。スタッフやキャストのジョイント役をしながらもストイックに自らの役をこなしていく姿は素敵でしたね。」

 「ライアンは彼は今作の監督とは2度目で、全幅の信頼を置かれていたせいかアドリブも多かったです。そんなわけでジョークを言うシーンは毎回こらえるのが大変なほど本気で笑っていました。彼がアドリブで投げかけたものに対してこちらもアドリブで返さなければいけなかったので、面白さとプレッシャーの両方を味わえました。ショウの子供が生まれてクルーのみんなに紹介するシーンで“それ父親は誰かわかってる?”なんてローリーに言われてショウが“Shut up!(うるせえよ!)”と返すシーンは実はアドリブです(笑)。そういうセッションを楽しむためにも日頃から英語の能力を磨いておかないとダメですね。緊張感がありますし、受験生気分で勉強しています。日頃からレッスンするのも大事ですが、現場で実際に英語を使って芝居をするのが一番の上達方法かもしれませんね」

■「倒れたところがゴール」

  「どこに辿り着きたいというのは今は特に無い、倒れたところがゴール」という真田。今後の目標を聞いてみると、最後はこんな言葉で締めくくった。

 「今までの経験を元に、役の幅、言葉の幅、難度…どこまで守備範囲を広げられるか、ということを続けています。そうしてたどり着いた景色を見て、その時感じた自分の心に従って道を選択していく。“これをやったら本望、卒業”というものはありません。結果の積み重ねでたどり着いたところが終着点。役者は引退のない仕事ですので、倒れたところがゴールだと思っています」

 「僕が初めてロイヤルシェイクスピアカンパニーに飛び込んだのが30代後半で、ロスに引っ越したのは45歳の時。まさに“四十の手習い”で英語を始めました。そうあるべきだと思ったことに従ったわけです。何かを決める時はリスクもありますが、“やりたいことに飛び込んだ自分”と、“飛び込むのを諦めた自分”の10年後を比較してみてどっちがいいか考えました。一度きりの人生、自分を信じるのか信じないのか。環境次第ではありますが、環境作りも自分の仕事です。大変なことも含めて楽しんで欲しいと思います」

(記事引用)





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“超黒字”JR東海に公的資金3兆円投入!?
リニア建設資金不足で、やっぱりツケは国民に…
2017年7月1日 6時0分 週プレNEWS  
2027年に品川-名古屋間での開業を目指すリニア中央新幹線。JR東海は当初、「自己資金で建設する」としていたが、工事は遅々として進まず、資金不足の恐れが出てきた。
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そこで昨年6月、政府は3兆円の公的資金投入という決断を下していたのだが…本当に予定どおりに完成するのか!?

■「返済が怪しくなったら担保を検討する」

JR東海が2027年に開通を目指すリニア中央新幹線(以下、リニア)。

最高時速500キロという超高速で東京・品川駅から愛知・名古屋駅までの286kmを40分で結ぶ計画だ。さらに大阪・新大阪駅まで延伸しての開通予定は37年で、438kmの距離を67分で結ぶ。まさに“夢の乗り物”である。

だが、その実現を疑問視する声は以前からあった。というのも、07年末、JR東海は「自己資金でリニアを建設する」と公表したが、その資金が「ない」からだ。

リニアの総工費は実に約9兆円。国土交通省によれば、「品川-名古屋間の建設費約5兆5千億円のうち、約2兆5千億円は東海道新幹線の収益を充てられる」から、当面は差し引き3兆円あればいい。だが、この3兆円がない。

全産業での営業利益率(売り上げに占める営業利益の割合)の平均は2.5%。ところが、JR東海は東海道新幹線を稼ぎ頭に毎年のように最高益を更新し、15年度で33%という断トツの利益を上げている。営業利益約5600億円の“超黒字”企業だ。

だが、それでも目標としていたリニアの「自己資金建設」には届かなかった。同社の「平成28年3月期決算短信」を見ると、純資産額は2兆2199億円。巨額ではあるが、3兆円分の担保がない以上、銀行がJR東海に対して貸し渋りするだろうと予測されていた。

そんななか、昨年6月1日、安倍首相が「リニアに財政投融資(以下、財投)を活用する」と表明。その額3兆円。

JR東海の当初計画では、27年の品川-名古屋間の開通 後に8年ほど工事をストップし、その間にリニア建設で細くなった財政基盤を回復させ、35年から工事再開、45年に大阪開通というもの。だが、安倍首相は財投による3兆円を品川-名古屋間の建設に投入すれば、名古屋-大阪間の竣工(しゅんこう)を最大8年前倒しして、37年には開通できるとの見込みを発表したのだ。

その3兆円の融資の内訳を見ると、「返済は30年据え置き」(通例5年)、「返還期間は10年」「利子0.6~0.8%」(一般的な銀行融資は3%前後)、そして「無担保」という“超”がつくほどの好条件である。

財投はひと言でいうなら「公的資金」。税金ではない。「国債」(財投債)を利用した大型事業への資金集めの仕組みだ。

流れとしては、「財務省が国債を発行する」→「金融機関が国債を購入する」→「財務省は、得た資金を政府系の特殊法人である『財投機関』(全35組織)に融資する」となる。15年度にはこの制度で約11兆円が財投機関に融資されている。

財投はその巨額さから、「第二の国家予算」と呼ばれ、政策的見地から財投機関に融資されてきた。民間企業では対応が困難な大規模プロジェクトをサポートすることが目的であり、財投機関はまさしくそれを実施する組織だ。

例えば、もんじゅを建設した「日本原子力研究開発機構」、高速道路を建設した「旧・日本道路公団」、長良川河口堰(ぜき)を建設した「水資源機構」や、東京湾横断道路(アクアライン)を建設した「東京湾横断道路」などに融資してきた。だが、JR東海は、財投による融資を受けられる財投機関ではない。

では、JR東海への3兆円融資はどうやって行なわれたのか。カラクリはこうだ。

JR各社の新幹線を建設する「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(以下、支援機構)という独立行政法人がある。実はこの支援機構が財投機関なのだが、この金融機関ではない組織に融資機能を持たせ、支援機構経由でJR東海にリニア建設資金の融資を可能にする「鉄道建設・運輸施設整備支援機構法」の改正を行なったのだ。

その動きは早かった。昨年10月26日と11月10日、衆参両院の国土交通委員会で法改正が審議され、即日可決。本会議でも可決されると、さっそく11月29日に、支援機構はJR東海に5千億円を融資した。以降、今年1月、3月と5月にもそれぞれ5千億円ずつ融資され、今後7月と9月にも5千億円ずつ融資予定で、計3兆円の投入が実現する。まさにリニア並みのスピード融資である。

ちなみに、筆者は衆議院の審議を傍聴したのだが、「自己資金」から「公的資金」へと方針が真逆に変わったことについて、「リニア建設の大前提が崩れた」と切り込んだのは共産党議員だけ。審議は即日可決した。

条件もプロセスも、すべてが異例のこの3兆円融資について、支援機構の広報部に聞いた。

―なぜ3兆円もの巨額を無担保で融資できたのか?

「融資とは必ずしも担保がないからできないというものではありません」

―でも、JR東海が返済不能に陥ったらどうする?

「返済が怪しくなったら、そのときに担保を検討します」

一般の金融機関ではまずありえない見解だ。

■建設費は当初予定の9兆円から増える!?

前述した昨年6月1日の安倍首相の「財投活用」会見を受け、同日、JR東海の柘植康英(つげ・こうえい)社長は「総理よりリニア名古屋-大阪間の早期開業を支援するご発言があり、大変ありがたい」と記者会見で歓迎の意を示した。

これには環境・騒音などの問題からリニア建設に反対する計画沿線の市民団体から「大丈夫か」と不安の声が上がった。

というのも、JR東海は07年に「自己資金で建設」と公表し、国交省も「JR東海の資金繰りに問題ない」と判断し、同社に対して、建設に必要な環境アセスメント(環境影響評価)の手続きに入ることを指示。それを受け、JR東海は手続きのひとつとして、各地で約150回の住民説明会を開催し、「政府の援助は受けず、自己資金で建設」と明言していたからだ。そうして14年10月、国交省はリニア計画を事業認可している。

「リニア新幹線沿線住民ネットワーク」の天野捷一共同代表はこう疑問を投げかける。

「事業認可後に、トップが3兆円もの公的資金を歓迎するなんて、『自己資金でやる』との前提で進めてきた手続きをすべて無にするものです」

トンネルを掘る際に出る残土の処分先のめどが立たず、いまだ本格着工に至っていないリニアの現状を見れば、工費はかさみ、さらなる公的資金投入が必要になるかもしれない。そもそもJR東海の見込みが甘すぎだったのではないか。そんないいかげんな事業計画にもかかわらず、環境面への影響はまったくないといわれても信用するのは難しい、というわけだ。

もともと市民団体は、リニアの建設費が9兆円では済まないと予想していたという。

「大型公共事業が当初予算で竣工した事例はほとんどないです。例えば、上越新幹線は当初の建設費約4800億円が3倍以上の約1兆7千億円で、東北新幹線も約1兆8千億円の予定が倍の約3兆6千億円で竣工しました。リニアはその86%がトンネルで難工事が予想され、工期が延びて工費がかさむ可能性が大です」(天野氏)

天野氏ら市民団体は13年以降、何度も国交省と交渉し、筆者が覚えているだけでも3回、「資金ショートしたら国税投入するのか?」と質問している。その都度、国交省は「ありえるとも、ありえないとも言えない」と含みのある回答をした。

フタを開けると、国税ではなく財投の発動となったが、財投と税金は無縁ではない。

財投の事業が赤字だと、その返済は税金で補ってきたからだ。一例を挙げれば、JRの前身「国鉄」の負債28兆円や、国有林の管理会社「国有林野事業特別会計」の負債4兆円を税金で補った前例がある。

そして、利子が0.6~0.8%と安いが、建設中に資金ショートした場合はどうなるのか。再び兆単位の財投を発動させるのか。これを支援機構に問うと、「ケース・バイ・ケースです」と回答された。

さらにもうひとつ。

13年9月、JR東海の山田佳臣(よしおみ)社長(現会長)は記者会見でこう公言している。

「リニアは絶対ペイしません」

それでも、JR東海は「東海道新幹線とリニアを合わせて、乗客は1.5倍になるから採算性がある」と説明するが、アラバマ大学名誉教授で、著書に『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』がある橋山禮治郎(れいじろう)さんは「国民にツケが回る」と指摘する。

「リニアの乗客が増えても、多くは東海道新幹線の乗客が移るだけ。採算性は国会で徹底議論すべきです。でないと、国民が負担を背負うことになりかねない」(橋山氏)

もし、JR東海が財投を返済できず、3兆円を国税負担することになったりすれば、国民ひとり当たり3万円の負担。建設費がかさめばそれ以上になる。

トップ自らが認めた「ペイしない事業」を十分な議論や検証もなく推進するこの体制は、今後も立ち止まることはないのだろうか。

(取材・文・撮影/樫田秀樹)
(記事引用)





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LEXUSと坂本龍一氏のコラボレーションイベント開催
EVENTS Apr 20,2017. UPDATE
「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」
4.01 Sat 19:00  START
LEXUSは、8年ぶりとなる新作「async」を発売したばかりの坂本龍一さんとLEXUSがコラボレーションして、3つのプログラムから成る「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトを始動。オープニングイベントとして実施した坂本龍一さんとGQ Japan編集長の鈴木正文さんによるトークショーに加え、坂本龍一さんのニューアルバム「async」を体験しながらLEXUSの車両で都内をドライブする「LEXUS Listening Drive体験」を開催しました。INTERSECT BY LEXUS - TOKYOでは、このプロジェクトの特別展示として、展示車両内で坂本龍一さんのニューアルバムの視聴体験や「坂本龍一 特別映像 for LEXUS」の放映などを行っています。
1.トークショー開催
「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」。そのオープニングイベントとして、東京・南青山にあるINTERSECT BY LEXUS - TOKYOで、坂本龍一さんとGQ Japan編集長の鈴木正文さんによるトークセッションを開催しました。
今回は、お二人が「クルマと音楽による新しい体験」をテーマに語った数々のエピソードから、音楽とクルマをキーワードにピックアップしてレポート。応募多数で抽選での招待となったゲストが見守るなか、坂本さんの新アルバムの話題からトークセッションはスタートしました。

鈴木:GQ JAPANの鈴木です。
坂本:坂本龍一です。
鈴木:今日はありがとうございます。もう終盤ですよね、東京滞在の。アルバム「async」は、どんな思いで?
坂本:シンクロナイゼーションですね。世界の音楽の99%は同期している。ひとつの時間軸に。みんなも同期している音楽を聴いて育ってきたし、それは人間の本能でもあります。演奏をバラバラにやれって言っても難しくて、そうじゃない音楽ってできないかなと数年前から思っていました。
鈴木:いくつものメトロノームを並べて動かすと、速度が揃っていくみたいなことですか?
坂本:あれはちょっと違うんです。同期するのは、リズムだけじゃなくてハーモニーも。最初はバラバラでも、10分もやれば自然にあってくる。だから、今回はそうじゃないもの。例えば、中心みたいなものを定めないで、6人の演奏者がそれぞれ自分の時間で演奏する。バラバラにやっているんだけど、1つの音楽になっている状態というのをやってみたくて。以前、何度か実際に演奏してもらって試したことがあるんですが、とても美しいんですよ。そういうテーマの楽曲が多くなってきたのもあって、それを表すために今回の「async」を作りました。

鈴木:クルマに乗って音楽を聴く「Listening Drive体験」というのは?
坂本:ミュージシャンもクルマで音楽を聴く時間が多くて。愛車内での音楽の聴こえ方を基準にしている人って多いんですよ。
鈴木:部屋で聴くのとは違うんですね。
坂本:オーディオシステムが違うし、クルマや街のノイズも入ってくる。自分が作った音楽の確認のひとつになるんですよね。入ってくるノイズで、音楽が聞こえなくなったらだめなんだよね。
鈴木:今回の作品以前から、クルマに乗って確認してたんですか?

坂本:それが、僕はなまけもので(笑)。何十年も前からわかってはいたんだけど、今回初めてやりました。ほとんど完成した段階でクルマでそれをかけて。2時間ちょっと、わざとうるさい場所を走ったりしてね。マンハッタンはどこでもうるさいけど、ヘリコプターの離発着とか、バスが走る音とか。そういうところを通って、自分が作った音楽がどれだけ存在感があって、ノイズに負けないか。それを確認するために、Listening Driveをやってみました。

鈴木:その結果、ここをこう変えたというという部分はありますか?
坂本:それが、期待以上によくて全部OK。音楽がよく聴こえただけじゃなくて、ヘリコプターが飛ぶとそのノイズが音楽と混ざりあって、またいいの。新たな音楽になっちゃった。今回も、LEXUSの協力で「LEXUS Listening Drive体験」をやりますが、東京はニューヨークに比べたらとっても静かですね。
鈴木:LEXUS Listening Drive体験は、4日間限定で、抽選で当たった1日3組24組48名、お二人までが乗れるんですけど、LEXUSに乗って、最初に坂本さんのナレーションが入ったasyncを聴きながら東京の街を回るという取り組みですよね。実際に、この辺りを15分1時間くらい、LEXUSの後部座席に乗ってListening Driveしてみたんですが、確かに非常に静かだと思いました。ノイズが入ってこない。
坂本:ワタリウム美術館から出発して、渋滞に引っかからなければ、ちょうどasyncを聴き終えるくらいのドライビングコース。イチョウ並木と絵画館が見える場所や、迎賓館の前。通っていた高校の隣に新宿御苑があって、よく行きましたね。東京生まれで、東京育ちなので、東京の街にはそれなりに思い入れがあって。コースは僕が考えました。

60分という限られた時間ながら、ニューアルバム「async」からListening Drive体験など、さまざまな話題へと広がりを見せたトークセッション。ゲストの方々や意見を交えあったお二人にとっても、濃密な時間が流れる貴重な機会となりました。

2.「LEXUS Listening Drive体験」開催

4月15日(土)、16日(日)、22日(土)、23日(日)の4日間、LEXUS車両で「サウンドとノイズ(環境音)」に加え「流れる風景」が一体となり、五感を刺激する新しいドライブ体験「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトの一環として、クルマに乗って音楽を聴くという行為に着目した試み「LEXUS Listening Drive体験」を実施しました。
外苑前のワタリウム美術館をスタートし、坂本龍一さんのニューアルバム「async」を聴きながら、坂本龍一さんオススメの都内のルートをLEXUSの車両でドライブ。参加者は専用ドライバーの運転に同乗し、明治記念館、皇居、新宿御苑といった坂本龍一さんの思い入れのあるスポットを1時間弱かけて巡り、ゴールのINTERSECT BY LEXUS - TOKYOへ。
抽選で選ばれた24組の参加者からは「街中ではより現代風な曲が流れるなど、音楽とそれぞれのスポットがマッチしていて、コースも非常に良く設計されていると感じました」「どこまでがアルバムの音で、どこからが走行音、環境音なのかがわからなくなる不思議な感覚がありました」といった今回の試みに対する感想や、「ハイブリッドカーで車内が静か。純粋に音楽を楽しむことができました」「乗り心地もよく、ゆったりと移動しながらなので全身で音楽を感じることができました。終盤、あまりの心地よさにいい意味で眠気が訪れるほど」といった車両に関する感想も寄せられました。
参加者は、音楽と周囲の環境音、車窓を流れる東京の景色が一体となって生まれる新しい音楽体験に身を委ねました。

3.INTERSECT BY LEXUS - TOKYOで「特別展示」実施中

2017年5月9日まで、INTERSECT BY LEXUS - TOKYOの1FにあるGARAGEスペースでは、「LEXUS Listening Drive | Ryuichi Sakamoto」プロジェクトの特別展示を開催中です。特別展示では、展示車両内で坂本龍一さんのニューアルバム「async」の試聴体験や「坂本龍一特別映像 for LEXUS」の放映やパネル展示などを行っています。
会場:INTERSECT BY LEXUS - TOKYO
住所:東京都港区南青山4丁目21−26
期間:2017年4月1日(土)〜5月9日(火)予定
時間:9:00〜23:00
https://lexus.jp/brand/intersect/tokyo/garage/garage20170401.html
LINKS
坂本龍一氏 webサイト
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(記事引用)








日本の“海軍力”はアジア最強 海外メディアが評価する海自の実力とは
 NewSphere 2017年06月02日 11:00
 昨今の日本の“海軍力”の強化が海外メディアの注目を集めている。その象徴の一つが「事実上の空母」との呼び声が高い、ヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」だ。5月中旬から戦後最大規模の外洋遠征中 で、26、27日には中国の進出が著しい南シナ海で「航行の自由作戦」を実施した米海軍ミサイル駆逐艦「デューイ」と共同訓練を行った。3月には、この「いずも」と同型の「かが」が就役。これで一回り小さいヘリコプター搭載型護衛艦「ひゅうが」「いせ」と合わせ、“空母4隻体制”になり、「日本海軍はアジア最強」(米ナショナル・インタレスト誌)といった論調や分析記事が目立ってきている。

 反対に、国内メディアは、改憲論議とも大きく絡むデリケートな問題なだけに、「いずも」の動きなどにしても、まるで腫れ物に触るかようなあっさりとした報道がほとんどだ。日本ではあまり公に語られることのない海上自衛隊の実力と、ライバル・中国とのパワーバランスはどうなっているのか? 海外メディアの見方を紹介する。

◆最新鋭空母4隻を保有?
 英BBCは、英国国際戦略研究所(IISS)のアレクサンダー・ニール氏の分析を紹介。同氏は、6月2日から開催されるアジア太平洋地域の防衛問題を話し合う国際会議、「IISSアジア安全保障会議(シャングリラ会合)」に参加予定の有力な研究員だ。「いずも」は、5月15日に同じシンガポールで開催された国際観艦式に参加しており、その姿を目にしたニール氏は、「日本が第二次大戦後に建造した軍艦で最も大きく、(護衛艦というよりは)むしろ空母に見える」と表現する。

 インドのビジネス・スタンダード紙は、「いずも」と同型の新造艦「かが」が、ミッドウェー海戦で米海軍に撃沈された旧帝国海軍の空母「加賀」と同じ艦名を戴くことに着目。中国はそれに反応して「悪名高き軍艦」という表現を使って「かが」の就役を非難したが、同紙は「加賀がヘリコプター搭載艦として復活したことにより、日本はアジアで唯一、2隻の航空母艦サイズの軍艦を持つ海軍大国になった」と書く。「いずも」「かが」よりも小型の「ひゅうが」「いせ」についても、垂直離着陸戦闘機「ハリアー」を搭載するイタリア、スペイン、タイの小型空母に匹敵する戦力だとしている。

 もちろん、日本側の公式なアナウンスは、上記の4隻はあくまでヘリコプターの搭載を前提とした「護衛艦」である。ニール氏も、憲法上の制約のある日本が「いずも」や「かが」の運用において慎重な姿勢を崩さないことは十分に承知している。しかし、同氏自身を含む大半の海外の識者やメディアの見方は、共通して「垂直離着陸機を用いれば十分に空母として運用可能」=「空母としての能力を十分に持っている」というものだ。たとえば、航空自衛隊はF-4の後継機としてステルス戦闘機F-35Aの導入を決めたが、F-35の短距離離陸・垂直着陸(STOVL)タイプのF-35Bを艦載機として運用すればその時点で最新鋭の「空母」になる、とニール氏やナショナル・インタレスト誌は見ている。

◆海上自衛隊は「アジア最強の海軍」
 対中国の視点では、純粋な戦力としては、海上自衛隊が中国海軍を上回っているという見方が主流のようだ。ナショナル・インタレスト誌は、海上自衛隊の艦艇と人員の数、装備の性能、組織力のどれをとっても「アジア最強」だと指摘する。主要装備の性能や役割を詳しく説明したうえで、東日本大震災発生時の災害救助活動の実績を紹介し、海上自衛隊の展開力の高さも折り紙つきだとしている。ビジネス・スタンダード紙は、「そうりゅう」型8隻と「おやしお」型11隻を擁し、2021年までに23隻に拡大する予定の潜水艦戦力も、中国に脅威を与えるとしている。
 
 また、南シナ海を経てシンガポール入りし、その後さらに南シナ海で「デューイ」との共同訓練を行った「いずも」の動きを、ニール氏は尖閣諸島など日本周辺海域での「中国の執拗な動き」への対抗策だと断言する。そして、「『いずも』は安倍政権下で進む日本の軍拡の象徴だ。それは、第二次大戦中の日本の強力な空母艦隊によってもたらされた痛みを強烈に思い出させるものだ」と、中国側の見方を代弁する。

 ビジネス・スタンダード紙は豊富な防衛予算も海上自衛隊の強みだと見る。「防衛費の上限が全体の1%という制約がありながらも、日本の2017年の防衛予算は436億ドルで、インドの535億ドルよりも少し少ないだけだ。そして、インドや中国と違い、日本は陸軍よりも海軍と空軍に多くの予算を回している」と、予算面でも決して自国や中国に負けていないと指摘する。

◆防衛装備の海外移転で強化される防衛力
 我々日本人の多くは、自衛隊の装備はかつての「武器輸出三原則」の制約などにより割高だという認識を持っている。しかし、ビジネス・スタンダード紙は、自国との比較において逆の見方をする。「川崎重工、三菱重工といった巨大企業を擁する日本の洗練された造船産業は、軍艦を迅速に安く作ることができる。そうりゅう型潜水艦は6億8500万ドルだが、これは半分以下のサイズのインドのスコルペヌ型潜水艦とほぼ同コストだ。排水量690トンのあわじ型掃海艦もたった1億6000万ドルで作っている」などと書く。

 日米の連携強化も、中国にじわりとプレッシャーを与えていると各メディアは分析する。「いずも」と「デューイ」の共同訓練は、デューイが中国の南シナ海での動きを牽制する「航行の自由作戦」に従事している艦なだけに、中国のみならずアメリカや周辺諸国の注目も集めた。日本側は「いずも」は航行の自由作戦には参加しておらず、あくまで一般的な編隊・通信の確認だったと説明しているが、ニール氏は、こうした日米の動きを中国は「アメリカによる地域支配の準備をカモフラージュするものだと見ている」と指摘する。また、ニール氏らアナリストは、武器輸出三原則の緩和により、インド、オーストラリアといったアジア太平洋地域の同盟国に高性能な日本製装備が行き渡ることも、広く日本の防衛力強化に貢献すると見ている。

 こうした論調を俯瞰すると、アジア太平洋地域の覇権をアメリカから奪おうと目論む中国にとって、日本の“海軍力”が目の上のたんこぶになりつつあるのだと思えてくる。それが地域の安定にどのように影響していくのか、気になるところだ。
(記事引用)



ワシントンの「狂人」をどう理解すべきなのか[特別寄稿]
ハンギョレ新聞     5/29(月) 17:18配信
ディーン・ベーカー米国経済政策研究センター共同所長
 米国の外にいる人にとって、最近ワシントンで起きていることを理解するのはとても難しいだろう。米国の大統領らがいつも立派な知性の持ち主だったわけではないが、大抵は少なくとも米国と世界に影響を与える主な事案について理解しているものと思われてきた。また、歴代の大統領は政治的偏向に関係なく、各分野の専門家らを周囲に置き、政策を作ったり公式的な発言をする場合も彼らに依存してきた。

 このような歴史は必ずしも栄光に満ちたものではなかった。ジョージ・ブッシュ大統領の専門家たちは、米国を必要もなくで終わりそうにもないイラク戦争に巻き込んだ。ビル・クリントンとブッシュ大統領の最高位経済補佐官らは住宅バブルの土台を提供し、そのバブルの崩壊は70年ぶりの最悪の経済危機を米国にもたらした。

 しかし、これらのひどい失敗を犯したとしても、大統領らは主要政策分野ではそれなりに目に見える努力をしてきた。(ところが)ドナルド・トランプはそうではない。彼は対外および国内政策のほとんどの分野について、本当に何も知らない。70年間この国で生きてきたにもかかわらず、基本的な政策事案について驚くほど無知だ。もっと深刻なのは、彼が(それを)気にも留めないということだ。

 彼の信じられない無知はほとんど毎日明らかになっている。トランプは選挙運動の間、中国を為替レート操作国だと激しく非難し続けた。ところが先月、習近平主席に会った際には、彼と良い関係を結んだと話した。為替レートに言及してその関係を壊したくないと言いながら、韓国が中国の一部だったという興味深い話もした。

EN-AB542_BUSKIN_P_20161117160637 国内問題に対する知識も、(国外に関するものと)あまり変わらない。米国の黒人の歴史を称える期間である2月には、偉大な奴隷解放家であり、民権活動家のフレデリック・ダグラスをまるで今でも生きている人物のように話した(彼は120年前に亡くなった)。また、300万近く得票数が少なかったにもかかわらず、大統領選挙で自分を勝たせてくれた選挙人団制度についても、まったく理解していないようだ。自分をインタビューする記者たちに、まるで新しい情報でも提供するかのように、50州の選挙人団投票地図を見せている。その記者たちにはすでにその地図についてよく知っている。

 共和党は、富裕層ができるだけ多く所有し、早く所有できるようにする手段となった。それに関したイデオロギーや哲学的約束はない。これは単に彼らの懐を満たそうとする問題だ。健康保険改革案の中心は今後10年間にわたり6千億ドル以上の税金を削減することだ。このような削減のほとんどは最上位1%を排他的な対象にするものだ。彼らの健康状態がよければ、健康保険料をより少なく支払うボーナスも付いてくる(この健康保険案で2400万人が保険を失うことになる)。トランプが概要を明らかにした税金改革案が実現すると、最富裕層は毎年数百万ドルを節約できるようになり、彼らの死亡後もその家族は数十億ドルの不動産税を納めなくて済む。

 金持ちをより裕福にするのは税金だけではない。トランプと共和党は、学資金の融資や年金口座からクレジットカード決済まで、金融業界がすべてに課す手数料を低く抑える金融規制の撤廃を目指し、戦っている。温室効果ガス削減努力を廃棄しようとすることに加え、他の環境規制も弱体化させている。その代表的な例が、鉱山から採掘した後、土地の復元を義務付けた規制を翻す行政命令の発動である。この措置は鉱夫の雇用を保護するための対策として宣伝されたが、その反対の効果を生み出すだろう。トランプは石炭会社が労働集約的な地下採掘作業をもっと少ない労働者で行うことを可能にした。

 共和党は明かに能力不足の大統領を追い出せる力を持っているが、彼が最富裕層のための成果を出す限り、いかなる措置も取ろうとしないだろう。彼らが関心を持っているのは再選だけだ。議会での経歴が終わる頃、彼らには高額のロビイストという第2の経歴が加わるだろう。共和党がトランプを見捨てる唯一の場合は、トランプが実際に大衆を当惑させて、かなりの上院・下院議員の再選の見通しが危うくなる時であろう。(しかし)まだそこまでは来ていない。これは、トランプがこれからもとんでもないことをやらかし、腐敗し続けることを意味する。

ディーン・ベーカー米国経済政策研究センター共同所長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
(記事引用)







放送作家の「表と裏」
西原健太郎  2016年12月06日 13:22 blogos.com
BLOGOSでこのコラムをご覧の皆様。初めまして!わたくし、ラジオ業界で『物書き』の仕事を生業としております、西原健太郎と申します。 

この度は、古くからの友人である編集長の田野さんからの依頼で、このコラムを書かせていただくことになりました。『世間的には全く知られることのない存在』である自分ですが、この度『自分自身の名前で何かを表現する場所』をいただけたことに感謝しています。書くからには何かしら『読む人の心に残るもの』…を心がけ、執筆して参ります。宜しくお願い致します。 

さて、先ほど書きましたが、私、西原健太郎は、『世間的には全く知られることのない存在』だと自分自身でも認識しています。「職業は何か?」と聞かれれば、「放送作家」と答えるようにしているのですが、世の中に数多く存在する、’’煌びやか’’な放送作家の皆さんとは違い、どちらかというと数々の現場で、『裏方の仕事』として様々な文章を書いたり、演出をしたりするのが私の仕事です。 

現在の仕事は、主に『声優』と呼ばれる人達がパーソナリティを務める、ラジオ番組の構成を担当しています。プロとして放送作家活動を始めてから、今年で17年目になります。17年の間、様々な番組を担当させていただきました。 

それらの番組の中には、もしかしたら皆さんがよくご存知の番組もあるかもしれません。でも、それらの番組の放送作家が誰なのかは、ご存知ない方がほとんどだと思います。それもそのはず。番組の中で私は極力『表』に出ず、自分の存在を消し、『裏方に徹している』からです。だから番組はご存知でも、私の事をご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。 

そして、私とは対極の存在。自ら進んで『表』に出て、自分を表現する放送作家も存在します。そこで、初回である今回は、『表に出る放送作家と裏方に徹する放送作家』について、自分の思うところを書いてみようかと思います。 

放送作家という職業は、仮に10人放送作家がいたら、全員違うスタイルで仕事をしています。放送作家という仕事に対する考え方も全員が違うでしょうし、そもそも放送作家という職業は『資格』というものが存在しないので、「自分は今日から放送作家だ!」と宣言してしまえば、誰にでもなれてしまいます。でも、全ての放送作家を仮に二つに分けるとすると『表に出る放送作家』と『裏方に徹する放送作家』に分けることができると思います。 

『表に出る放送作家』は、自分自身のネームバリューで勝負していこうとする作家です。番組中に自分の名前が登場したり、番組内で自分の存在を出していくことを良しとします。時には自分自身が作家としてマイクの前に立つこともあるでしょう。 

また、自分自身の名前でSNSをやったり、対外的に放送作家である自分をアピールしていくのも、『表に出る放送作家』の特徴です。でも、ここで勘違いして欲しくないのは、私は『表に出る放送作家』という存在を否定しているわけではないということです。 

先ほども書きましたが、放送作家が10人いれば、10人違う価値観があります。『表に出る放送作家』は、自らの名前を前面に出すことで、番組に対しての責任を負うことになりますし、SNSをやっていれば、番組への批評の受け皿となることもあるでしょう。 

そして、そのリスクと引き換えに、番組=放送作家というブランドを築くことができます。名前を内外に知らしめることで、新たな仕事の依頼が舞い込むこともあるかもしれません。 

対して『裏方に徹する放送作家』は、番組において、極力自分の存在を消します。ラジオ番組では、演出のスパイスとして『作家笑い』というものを番組内に入れることがあるのですが、『裏方に徹する放送作家』は、笑い声を入れることはあっても、積極的にパーソナリティに話しかけたりはしません。 

それは、『ラジオ番組はパーソナリティの声を聞きたい人が聞いている』と思っているからであり、その中で作家の存在は邪魔になると考えているからです。もちろん『裏方に徹する放送作家』にもデメリットはあります。存在を消しているので、仕事の成果を実感しにくかったり、仕事に対するモチベーションを保つのが難しかったりします。 

『表に出る放送作家』と『裏方に徹する放送作家』。どちらにも一長一短があるということです。このコラムを読まれている方は、どっちの放送作家が作る番組が好みですか? 

ところで、今回私はこのコラムを書くことで、ある意味矛盾を抱え込むことになります。裏方に徹するはずの自分が、自らの名前でコラムを執筆する…いわば表の世界に出ていくことになるわけです。ですが、本来裏方である私だからこそ、何か表現できることもあるのではないかと思い、今回コラムを書かせていただく決心をしました。 

今後は、ある種の矛盾を抱えながら、矛盾から生まれる世界を表現していければと考えています。今後とも何卒よろしくお願い致します。
(記事引用)

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(♪ ソウルソウル254)







北朝鮮の軍事力にジャーナリストが指摘「真に受ける必要はない」
2017年5月2日 19時5分 トピックニュース
写真:gettyimages
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1日放送の「橋下×羽鳥の番組」(テレビ朝日系)にジャーナリストの石丸次郎氏が出演し、北朝鮮の軍事力について見解を述べた。

番組では、訪朝歴のある識者たちが北朝鮮にまつわる情報について語った。その中で石丸氏は、「軍事強国」だとアピールする北朝鮮について「実際の朝鮮人民軍は全面戦争できる軍隊ではとてもない」と断言したのだ。

石丸氏は番組で、2011年夏に撮影された工兵部隊の兵士の写真を公開した。そこに写っている兵士は栄養失調でやせ細っている。石丸氏の協力者から入手した情報によると、軍隊では飢餓がまん延しているそうで「時期によるが(兵士の)2、3割は栄養失調状態」だというのだ。

続けて石丸氏は、人民軍の武器が、老朽・旧式化しているとも指摘。エネルギー事情についても「車を動かしたり戦闘機を動かす油が全く足りない」のだという。なんでも、元パラシュート部隊兵士の脱北者の話によると「落下傘訓練をする飛行機を飛ばせないから塔の上から飛ぶ訓練ばかりやっていた」とのことだ。

さらに、兵士不足も深刻だそうだ。現在の若年兵士は90年代の大飢饉時に生を受けた世代であり、大きく兵士の数が少ないそう。そこで兵役期間を男子11年、女子7年に延長したほか、徴兵検査の基準も身長142センチ以上から徴兵するなど対策を講じているとのことだ。

最後に、石丸氏は「(軍事強国というイメージを)真に受ける必要はない」と語っていた。

もてあそばれる「日本の歴史」は、今も近現代史も同じである

斎藤実の二・二六事件
その後内大臣に就任した斎藤は、天皇をたぶらかす重臣ブロックとして中堅、青年将校から目の敵にされ、二・二六事件において斎藤は殺害された。
2月26日未明に坂井直中尉、高橋太郎少尉、安田優少尉に率いられた150名の兵士が重機4、軽機8、小銃、ピストルなどを持ち斎藤邸を二手に分かれて襲撃した。自室にいた斎藤は無抵抗で虐殺された。斎藤の遺体には47箇所の弾痕、数十の刀傷が残されていた。春子夫人は銃撃された際に斎藤の体に覆いかぶさり「私も撃ちなさい!」とさけび、斎藤の死を確認しようとする兵士の銃剣で負傷した。春子夫人はその後、長寿を全うし、1971年に98歳で逝去したが、最晩年に至るまで事件のことを鮮明に記憶し語っていたという。

斎藤実の養子である斎藤斉(ひとし)の妻の弟であった作家の有馬頼義は、事件当日に隣家の義兄邸に宿泊していた。春子から話を聞いた有馬によると、兵士らはベッドの上にあぐらをかいていた斎藤に軽機関銃を発射し、ベッドから転げ落ちた死体に更に銃撃した。信任していた重臣らを殺害された昭和天皇は激怒し、反乱軍の鎮圧を命じた。
二・二六事件の数日前、警視庁が斎藤に「陸軍の一部に不穏な動きがあるので、私邸に帰られないようにするか、私邸の警備を大幅に強化したらいかがでしょう」と言ってきた。二・二六事件は基本的には秘密裏におこなわれた計画だったが、それでも情報のいくらかは漏れており、警察は陸軍青年将校の一部が近々、何かの行動をおこすかもしれないと予想し、彼らの標的の筆頭格である齋藤に注意したのである。しかし斎藤は「気にすることはない。自分は別に殺されたってかまわんよ。殺されたっていいじゃないか」と落ち着いて答えたという。
二・二六事件の前夜、斎藤は知日派のジョセフ・グルー駐日大使の招きでアメリカ大使公邸で夕食をとった後、邸内でアメリカ映画『浮かれ姫君』を鑑賞した。当初は中座して別荘に行く予定だったが、気心知れたグルーとの夕べに会話がはずみ、結局最後まで映画を観て夜遅く帰邸、別荘行きは翌日にした。もし齋藤が予定通りに東京を後にしていたら、事件の難を逃れることもできていたかもしれなかった。
斎藤は小山崎斎藤墓地に埋葬された。昭和天皇は斎藤の葬儀に異例のお悔やみの言葉を遣わしている。生前の書簡、執務資料などは、岩手県奥州市水沢区の斎藤實記念館と、東京都千代田区永田町の国立国会図書館に分散して保存されている。

この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2011年11月)

政治家のころ

1936年2月20日、大蔵大臣高橋是清(左)と
斎藤は外国人との交友が広く、若い頃に4年間も駐米公使館付武官を勤めていたこともあって、特にアメリカ人との交際が深かった。駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーとは親友の間柄である。斎藤の英語力は歴代総理の中でも相当のもので、要人との会話も公式会談をのぞいてほとんどを通訳なしでこなし、日記まで英文で書き綴るほどだった。また、ともに滞米経験があり親英米派だった高橋是清とは個人的に親しい友人でもあった。
青年期は痩身であり、堂々たる体格へのあこがれから米国駐在当時、下宿先に毎日ビールを配達させていた。その甲斐あって、斎藤は強靱な体力を得た。明治天皇が危篤のとき、当時の閣僚は1週間宮中に泊り込んで快復を祈ったが、他の閣僚が音をあげる中で、斎藤だけはケロリとしていた。「若い頃は、1週間一睡もしないで平気だった」と豪語したという。強靭な体力は彼の特筆すべき性質であり、朝鮮総督当時においても、日本から到着したその当日午後には執務を開始するほどであった。彼の勤勉さは、この体力に支えられたものだったのである。
若いときから酒豪であったが、日清戦争のとき、広島に設置された大本営に海軍参謀本部参謀として務めた斎藤は、いつものように徹夜で一升酒をあけ、翌日、素知らぬ振りで明治天皇の前に出仕した。明治天皇は休憩時間に斎藤を呼び、好きな蹴鞠の相手をするように言った。実は酔いのさめていない斎藤は、不覚にも腰を抜かしてしまい動けなくなった。明治天皇は斎藤の徹夜酒をすぐに悟ったが、特に何も注意せず、ニコニコしているだけであった。斎藤はしばらく禁酒するとともに、明治天皇の部下への大らかな態度に大いに学ぶところがあったという。

1914年(大正3年)、千葉県一宮町新地に別荘を所有している。九十九里浜の海岸沿いに500坪の土地を坪10銭で手に入れ、建築費も坪20円であったという。この別荘は1901年(明治34年)10月に竣工のもので、1914年(大正3年)に海軍大臣を辞してから購入し、1年の大半をここで過ごした。古洋服に草履をはき、手拭を腰にぶら下げて松の枝おろしや垣根直しなど、ここでの生活は庭いじりが主であった。地元の署長がある時、このときの彼の姿を見て、『爺やさん』と呼んだが、振り向いた顔を見て大慌てに慌てたとの逸話が残っている。なお、別荘を所有していた関係上、近くの玉前神社には彼が奉納した扁額が掲げられている。

斎藤は大変な筆まめで、贈物に対しては必ずといっていいほど礼状を出していた。揮毫をよく頼まれたが、元来の性格のよさから断れず週末は別荘に籠もって筆を振るう日々だったという。自分宛書簡や書類をきちんと保存しておく性格で、選別はすべて自分の手で行っていた。そのため個人の詳細をきちんと把握しており、間違えるということがほとんどなかった。斎藤が整理・保管した書翰類は、大半が国立国会図書館に寄贈されており、近代史の貴重な史料となっている。
朝鮮総督時代の評価
1926年にイギリスの植民地研究の専門家である、アレン・アイルランドは斎藤について次のように述べている。「1922年の朝鮮においては、反日の過激論者を除けば、斎藤総督に対する世間一般の評価は次のようであった。総督は、公明正大で寛容な施政により朝鮮を統治しようと真摯な思いで生き生きしていた。そして、彼は卓越した改革を成し遂げた。教育の問題においては、実に惜しみなく人々の教養に対する意欲に力を貸し、政治的野心については、無益に独立を望む気持ちを助長するものは如何なるものにも断固反対する一方、熱心に地方自治を促進し、日本人と朝鮮人の関係に友好と協力の精神をしみ込ませようとしていたのである」。
(資料ウイキペディア)
(記事引用)2017/5/3





上総介広常「誅殺」(ちゅうさつ、罪をとがめて殺すこと)の理由
面頬2-正面L加納久宜 嘉永元年3月19日~大正8年2月26日(1847-1919)第4代上総一宮藩藩主。
「父」、立花種道(次男)。上総一宮藩主 加納久恒の養子。
慶応3年養父「加納久恒」の死去にともない家督を相続。明治2年(1869)版籍奉還により一宮藩知事。

明治17年(1844)子爵となる。明治23年(1890)貴族院議員。
明治27年(1894)鹿児島県知事となり西南戦争の荒廃の復旧に努めた。

前項では「加納久宜」公の輝かしい履歴と爵位を記述紹介したが、では、それが「上総国」と、どう結ばれるのか、という最大の難問に言及していない。

まさにそれは難問で、 桓武天皇によって決められた親王任国の「上総介」とはいったい誰なのか、という歴史の証明は、源頼朝から下された誅殺によって、さらに歴史の下層へと追いやられてしまった。

唯一の手がかり「天長3年(826年)に初めて3国の太守に任じられたのは、賀陽親王(常陸太守)、仲野親王(上総太守)、 葛井親王(上野太守)、いずれも桓武天皇の皇子であった」という記述で追っていくしかなかった。

そこで親王任国という大国の、主要国であった「常陸国」についての資料では、どのくらい収集できるのか、すぐさま検索を開始した。

常陸国 歴代守
常陸国司(ひたちこくし)は、常陸国の国司のことで、常陸守、常陸介、常陸大掾、常陸少掾、常陸大目、常陸少目の各1人で構成された。
常陸国は、上総国・上野国とともに、天長3年(826年)以降、親王が国守を務める親王任国となり、この場合の常陸守を特に常陸太守と称した。
親王任国となった当初から親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、国司の実務上の最高位は常陸介である。

律令による官位相当と定員
 
養老律令の官位令が定める大国の官位相当は守が従五位上、介が正六位下、大掾が正七位下、少掾が従七位上、大目が従八位上、少目が従八位下である。
職員令が定める大国の定員は、守から少目まで各一人、計6人である。但し、宝亀6年(775年)には少掾二員・少目二員と増員している。
※掾(じょう)とは、日本の律令制四等官のうち三等官を指す。「掾」の文字は国司の三等官(中央政府における「判官」に相当する)を指す。 概要. 特に大国と呼ばれる最上級の令制国には特に大掾・少掾が設置された。

国司には含まれない史生の大国における定員は養老令で3人だが、延喜式では5人である。他に国博士一人、国医師一人、学生50人、医生10人が定員として置かれた。

親王任国となって以降の常陸太守の位階は必然的に他の国守より高くなるため、一般的に従五位上程度ではなく官位相当は正四位下とされた。また、賀陽親王、葛原親王、時康親王など二品で常陸太守に任じられた例もある。

常陸守
文武4年(700年)10月 百済王遠寶
和銅元年(708年)3月 阿倍狛秋麻呂
和銅7年(714年)10月 石川難波麻呂
養老3年(719年)7月 藤原宇合
天平9年(737年)1月 坂本宇頭麻佐
天平18年(746年)4月 石上乙麻呂
天平19年(746年)9月 紀飯麻呂
天平勝宝4年(752年)6月 百済王敬福
天平宝字2年(758年)6月 佐伯毛人
天平宝字7年(763年)1月 藤原清河
天平宝字8年(764年)10月 石上宅嗣
宝亀八年(777年)10月 藤原小黒麻呂
延暦元年(782年)6月 紀船守
延暦21年(802年)1月 大原某を免
延暦24年(805年)8月 紀直人、卒
延暦24年(805年)9月 橘安麻呂
大同元年(806年)1月 下葛野王
大同元年(806年)2月 和入鹿麻呂
弘仁2年(811年)1月 菅野真道
弘仁5年(814年)7月 藤原福当麻呂
天長元年(824年)6月 佐伯清岑
天長3年(826年) 甘南備高直
 
常陸太守
親王太守は現地へ赴任しない遙任で、例えば葛原親王や時康親王のような常陸太守が実際に任地に赴くことはないので、国司の実質的長官は常陸介であった。
天長3年(826年) 賀陽親王
天長7年(830年)1月 葛原親王
承和元年(834年)1月 葛井親王
承和5年(838年)1月 忠良親王
承和7年(840年)1月 葛井親王 再任
承和11年(844年)1月 葛原親王 再任
承和15年(848年)1月 時康親王
仁壽3年(853年) 仲野親王
斉衡4年(857年) 人康親王
貞観2年(860年)1月 賀陽親王
貞観6年(864年)1月 惟喬親王
貞観10年(868年)1月 惟彦親王
貞観14年(872年)2月 惟恒親王
貞観18年(876年)2月 惟彦親王
元慶4年(880年)1月 時康親王
元慶8年(884年)3月 貞固親王

常陸介
天長3年(826年)に常陸国が親王任国とされてからは、「常陸介」が実質的な実務上の最高位であり、官位は養老律令の官位令が定める大国の官位相当の介の正六位下ではなく、従五位以上であることに注意する必要がある。 なお、源氏物語に登場する架空の人物に常陸介 (源氏物語)がいる。
大伴弟麻呂 - 783年(延暦2年)任官。
藤原緒嗣 - 791年(延暦10年)から797年(延暦16年)7月までの間のいずれか。
藤原維幾 - 平将門の乱発生時の国司。
源義光 - 1045年(寛徳2年)から1127年(大治2年)11月25日(10月20日) までの間のいずれか。
藤原実宗- 1107年(嘉承2年)前後
平家盛 - 1147年任官
平頼盛 - 1149年(久安2年)任官、1158年(保元3年)中務権大輔兼任として再任。
平経盛 - 1156年任官
平教盛 - 1160年任官
島津忠景 - 1267年(文永4年)から1295年(永仁3年)までの間のいずれか。
佐竹貞義 - 1287年(弘安10年)から1352年10月18日(正平7年/文和元年9月10日)までの間のいずれか。
(検索資料ウィキぺデア)

以上は「常陸国」また守、介についての検索回答であるが、こと「上総国」に到っては、容易に明確な検索結果とはならなかった。
そのことについては、千葉県という地勢がおおいに関係していた。それは隣国「源政権鎌倉幕府」駿河国という歴史の痕跡が関係していた。

「源頼朝」挙兵
 
治承4年(1180年)8月に打倒平氏の兵を挙げ、9月の石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、安房国で再挙を図ると、広常は上総国内の平家方を掃討し、2万騎の大軍を率いて頼朝のもとへ参陣した。

『吾妻鏡』では、『将門記』の古事をひきながら、場合によっては頼朝を討ってやろうと「内に二図の存念」を持っていたが、頼朝の毅然とした態度に「害心を変じ、和順を奉る」とはある。尚、『吾妻鏡』には2万騎とあるが『延慶本平家物語』では1万騎、『源平闘諍録』では1千騎である 。

同年11月の富士川の戦いの勝利の後、上洛しようとする頼朝に対して、広常は常陸源氏の佐竹氏討伐を主張した。

広常はその佐竹氏とも姻戚関係があり、佐竹義政・秀義兄弟に会見を申し入れたが、秀義は「すぐには参上できない」と言って金砂城に引きこもる。
兄の義政はやってきたが、互いに家人を退けて2人だけで話そうと橋の上に義政を呼び、そこで広常は義政を殺す。その後、頼朝軍は金砂城の秀義を攻め、これを敗走させる(金砂城の戦い)。

『吾妻鏡』治承5年(1181年)6月19日条では、頼朝配下の中で、飛び抜けて大きな兵力を有する広常は無礼な振る舞いが多く、頼朝に対して「公私共に三代の間、いまだその礼を為さず」と下馬の礼をとらず、また他の御家人に対しても横暴な態度で、頼朝から与えられた水干のことで岡崎義実と殴り合いの喧嘩に及びそうにもなったこともあると書かれる。ただし、『吾妻鏡』は鎌倉時代後期の編纂であり、どこまで正確なものかは不明である。

寿永2年(1183年)12月、頼朝は広常が謀反を企てたとして、梶原景時・天野遠景に命じ、景時と双六に興じていた最中に広常を謀殺させた。嫡男・上総能常は自害し、上総氏は所領を没収された。

この後、広常の鎧から願文が見つかったが、そこには謀反を思わせる文章はなく、頼朝の武運を祈る文書であったので、頼朝は広常を殺したことを後悔し、即座に広常の同族である千葉常胤預かりとなっていた一族を赦免した。

しかしその広大な所領は千葉氏や三浦氏などに分配された後だったので、返還されることは無かったという。その赦免は当初より予定されていたことだろうというのが現在では大方の見方である。

慈円の『愚管抄』(巻六)によると、頼朝が初めて京に上洛した建久元年(1190年)、後白河法皇との対面で語った話として、広常は「なぜ朝廷のことにばかり見苦しく気を遣うのか、我々がこうして坂東で活動しているのを、一体誰が命令などできるものですか」と言うのが常で、平氏政権を打倒することよりも、関東の自立を望んでいたため、殺させたと述べた事を記している。

広常の館跡はいまだに発見されておらず不明である。

上総介「広常」

上総介広常 (かずさのすけひろつね) (?―1183)
平安末期の武将。平忠常(ただつね)の子孫、常澄(つねずみ)の子。
上総権介(ごんのすけ)に任じ、介八郎(すけのはちろう)と称す。
その所領は上総国(千葉県中部)から下総(しもうさ)国(千葉県北部)に及び、この地方最大の勢力を誇った。

保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱には源義朝(よしとも)に従う。
1180年(治承4)8月石橋山(いしばしやま)の敗戦後、安房(あわ)国(千葉県南部)に逃れた源頼朝(よりとも)に誘われたが、初め応ぜず、ようやく9月19日、兵2万騎を率いて隅田(すみだ)川辺に参会、服属した。

以後、常陸(ひたち)国(茨城県)佐竹氏征討などにも功績があったが、83年(寿永2)冬、謀反の疑いにより誅殺(ちゅうさつ)された。しかしまもなく無実が判明、弟たちは助命されたという。[杉橋隆夫]

常陸国司(ひたちこくし)は、常陸国の国司のことで、常陸守、常陸介、常陸大掾、常陸少掾、常陸大目、常陸少目の各1人で構成された。常陸国は、上総国・上野国とともに、天長3年(826年)以降、親王が国守を務める親王任国となり、この場合の常陸守を特に常陸太守と称した。親王任国となった当初から親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、国司の実務上の最高位は常陸介であった。

親王任国となって以降の常陸太守の位階は必然的に他の国守より高くなるため、一般的に従五位上程度ではなく官位相当は正四位下とされた。また、賀陽親王、葛原親王、時康親王など二品で常陸太守に任じられた例もある。 (参考 weblio)
 
親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、親王任国での実務上の最高位は次官の国介(すけ)であった。
平安中期になり受領国司が登場した際も、親王任国については介が受領の地位に就き、他国の国守と同列に扱われた。
なお、親王任国においては、太守の俸禄は太守の収入に、その他の料物については無品親王(官職に就けない内親王含む)に与えられたと考えられているが、詳細は不明である。
承平天慶の乱において平将門が新皇として関東八ヶ国の国司を任命した際も、常陸と上総の国司は「常陸介」「上総介」を任命している。
叛乱勢力であり親王任国の慣習を守る必要は無いのだが、伝統として定着していたのであろう。しかし何故か上野だけは「上野守」を任命しており、これは将門が上野国には特別な意味を見出していなかったからだと言われている。

時代が下り、後醍醐天皇の建武の新政期には、一時期陸奥国も親王任国とされ、義良親王が陸奥太守として実際に陸奥国へ赴任した。

国司
上総守(天長3年(826年)以前)
708年 - 上毛野安麻呂
731年 - 紀多麻呂
733年 - 多治比広足
741年 - 紀広名
746年 - 百済王敬福
746年 - 藤原宿奈麻呂
749年 - 石川名人
754年 - 大伴稲君
759年 - 藤原魚名
761年 - 石上宅嗣
763年 - 阿倍子嶋
764年 - 布勢人主
764年 - 弓削御浄浄人
768年 - 石上家成
770年 - 榎井子祖
771年 - 桑原王
774年 - 大伴家持
777年 - 藤原黒麻呂
779年 - 紀真乙
780年 - 藤原刷雄
783年 - 布勢清直
789年 - 百済王玄鏡
799年 - 百済王教徳
809年 - 多治比全成

上総太守(任国親王)
仲野親王 - 826-?
阿保親王 - 827年 - 836年
忠良親王 - 836年 - 838年
仲野親王 - 838年 - 842年
阿保親王再任-842年
基貞親王 - 846年 - ?
人康親王 - 849年 - ?
忠良親王 - 853年 - ?
本康親王 -     - 860年
仲野親王 - 861年 - ?
本康親王再任-869年 - ?
惟彦親王 - 875年 - ?

上総介
田中多太麻呂
平高望
平良兼
菅原孝標
平常家
平常晴
平常澄
伊西常景
印東常茂
介八郎広常
境常秀
足利義兼
足利義氏
吉良長氏
吉良満氏
島津忠宗
吉良貞義
島津貞久
島津師久
島津伊久
北条綱成
織田信長
松平忠輝
織田信勝(丹波柏原藩主)
(資料ウィキぺデア検索)

※筆者注「上総介広常」は、本当に実在したのか、またその名称は「役」を称したものかのか、それとも役と人が表裏一体化したものを、後世の歴史が混同して、呼称が人物名として残ったものなのか、いまだに疑心暗鬼を抱きながら書いている。また、指摘したように常陸国と対象すると、すべての項目が複雑で、その一つ一つの解説文までが、深層奥深くたどりついていない、という掻痒感が最後まで残った。

それを証明するかのように「広常の館跡はいまだに発見されておらず不明である。」という未確認報告がそれを物語っている。

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