麟子鳳雛(りんしほうすう)
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参考・デザインソース】 | 令始画帳
reishi-design.jp637×320画像で検索 伊藤若冲 老松白鳳図








麟子鳳雛」(りんしほうすう)意味  四字熟語「麟子鳳雛」 麟子」は伝説上の霊獣の麒麟の子ども、「鳳雛」は伝説上の霊獣の鳳凰の雛。

森と雨

古来より行われてきた稲作は日本民族として欠かせない田園風景の一つである。その伝統的耕作は弥生時代に水稲耕作として渡来した技術と言われる。ゆえに日本の文化は稲の文化と称される。

水稲を育てるのは水であり、天から降る雨が唯一の水源である。日本の一年通して降る雨は1600から1800ミリで世界平均800ミリの倍の量であり、その雨水に恵まれたのが日本の国土である。

また、この豊富な雨は木を育て日本の国土面積三分の二を覆う森林を養う。まさに雨は天からの恵みの水なのだ。 

天からの授かりものの雨だが純粋無垢というわけではない。海の水が太陽熱で蒸留され雲を作り、それが凝結したのが雨だが、そう簡単な構造で雨は降らないのだ。
雲の塊が雨となるには動機が必要である。海のしぶきから出来た塩の粒子、都会から排出される煤煙、硫酸、アンモニアの水溶液の粒子、植物胞子等々のゴミが空に届き、それらが核となり雲の中に雨滴を作って地上に降りそそぐのが雨である。酸性雨などはそのよい例だ。

そして雨は植物の胞子をも洗い落とし植物の生育を助長させる力もある。その雨力に支えられて育った森林は古代より人間の拠り所でもあった。 

人の手が加えられた森は特定の木を育てるために作られており人間の都合のいい形に造作してある。しかし原始の森、勝手気ままに木々が育成した森は人の侵入を拒み、陽射しが地表に届かない黒く暗い鬱蒼とした森は不気味な静けさと神秘性を秘めている。その森に雨が降りそそぐと淡白色の水蒸気が再び発生し森は幻想的な静寂につつまれる。 

そこに吹く風は色がある。もちろん緑の風なのだがモノトーンではない。森に生える植物がつける葉の色すべての葉緑素の色である。
その雑多な色素を数えた人は多分いないだろう。風はその一色一色に吹きわたり緑色に染まっていく。

大風が吹くと、その全部が混じり合って黒緑の風をつくる。大地を覆い隠した森は風を吹かせる。

古代中国殷の国土はかつて緑に覆われていた。

しかし現在中国の森林面積は10パーセントしかない。さらに現在の黄土高原には5パーセントの森林しか残っていない。そこに降る、黄土高原年間降水量は400ミリである。

「殷」を含む黄土高原周辺の森林面積を試算した中国の研究者がいる。中国社会科学院・安陽工作站、陝西師範大学の朱士光教授である。 

3500年前の古代都市殷の地域では80パーセントが森と草原だった。朱士光教授は、その時代の自然環境を調査し周辺の古代遺跡から、かつて3000年前の黄河流域ではアジア像、サイ、四不像の角、ハゼの花粉が確認され、古代に棲息していたと結論付けている。

それは古代の黄土地帯が広大な自然の森に覆われていたことを物語るものだった。

さらに1500前(南北朝時代)には50パーセントに減少した、と朱士光教授は報告している。その黄土高原に中華民族の祖・黄帝墓である黄帝陵が残されており、数千年の時を経てなお原始の杜が守られていた。

殷から森が消えたとき風は止んだ。そして人も神もいなくなった。

森の消滅は人の住むべき土地を奪ったが、人の住んだ痕跡は確実に残した。殷墟が発見されたのは102年前のことであり、それは3500年前の槿花一朝の栄華を見せてくれたのだ。

1899年に発見された古代文明の足跡である亀甲文字は殷王朝の遺物として20世紀における最大の考古学的発見といわれた。

亀甲文字は殷帝国文明の確かな証であるが、この亀甲文字は発見当時「竜骨」と呼ばれていたのである。骨の上にぎっしりと刻みこまれた古代謎の記録。その神秘的記録は発見当時まったく意味を理解することができなかった。

1899年、その謎の文字と運命的に出会った二人の人物がいた。王懿栄と劉鉄雲、ともに古典学に精通しており、そして金石学の研究者である。 

懿栄は当時マラリヤを患っており病魔を克服するために色々な処方を試していたが根治しない。
しかし、このことが甲骨文字発見の動機になったのである。当時の中国社会では竜の骨は漢方薬として出回っていた。マラリヤの処方薬として漢方薬「竜の骨」が効くと世間に知れていたのだ。病魔に悩まされていた懿栄のために鉄雲が買い込んだ古色蒼然とした骨を手にしたその竜の骨に、謎の文字が刻まれていた。
「竜骨」研究はここから始まる。それからのち多くの学者による研究によって、ようやく解読されるに至り「竜骨」文字は後に亀甲文字、最終的には甲骨文字として世界にデビューしたのである。

1903年、劉鉄雲は「鉄雲蔵亀」6冊を一人で編纂し甲骨文字を世界に紹介したが1907年、53歳で不遇の死を遂げた。
 
しかし何故、竜骨であり亀甲で、また甲骨と呼ぶのだろう…。それは鹿や牛の骨、そして亀の甲に刻まれていたからである。

一説によれば竜骨とは、太古の獣の骨のことを指すという。では太古の骨が「竜」とすれば、その竜はどこにいったのか。太古に生きた動物というが、しかし、それを見た者、また絵にした証拠がない。
ゆえに想像上架空のまぼろしの生き物が竜ということになる。太古の時代に生きた動物として恐竜の存在が化石として確認されているが、実際に生きた恐竜を見たものはいない。

映画ジェラシック・パークでは恐竜が主役となり画面の中のCGでリアルな生態を見せていた。また世界の博物館では、その建物と同じ位の大きさの恐竜の化石が展示してあり一億年前の動物がつい最近まで生きていたのだと錯覚してしまう。ところが人間の歴史はそれに遥かに及ばないのである。

まぼろしの竜、想像上の動物、架空の生き物など、その形容は様々である。観た者が誰もいない(今あるすべての情報では)という点において神格化、そしてカリスマ性を備えている。したがって今日のハイテク社会に至って「畏れおののく」ことはなくとも、竜を捕えてペットにしようなどと不遜な考えを抱くものはいない。

龍は竜神、亀は亀甲、鳳は鳳凰、麟は麒など、いずれも霊妙な徳のある動物として中国古代で神格化されていた。また珍しいものとして人になぞらえ聖賢人にも例えられた。

麟子は麟の子、鳳雛は鳳の雛のことで威光を放つ幼子という意味をさす。同様語では麟鳳亀龍があり同じく神聖な動物としてあがめられ、今日の先進社会になった今でも全く同じように神聖な神とされている。 

龍とおなじく麒麟は想像上の動物として神聖化され、肢体は鹿であり尾は牛、蹄は馬に類し、五色に輝く毛があって雄を麒、雌を麟と呼び、聖人が世に現れると出現するという伝説がある。また他説では、麟は大鹿、雄の鹿との意味もあり、また「燐」に通じるとして光り輝く様を現す、とされる。 

竜については紀元前4世紀末から500年間、蒙古地方を根拠に繁栄した遊牧民族の匈奴、その長たちが集まり天を祭る場を龍城といい、また匈奴の地名、朔北の地も意味する。
古代中国紀元前より言伝えられてきた想像上の動物は一種、荒唐無稽とも解釈できるが現在に生き長らえていないからといって全くのデタラメと断定することも、また根拠の無い話しである。 

古代生物

古くから言い伝えられてきた神の仕いの動物たち亀・鳳・麟は今でも現存し、頭の中でイメージできるが残された一つの神、竜をシュミレーションすることが出来ない。

竜はこれまで多くの想像図は描かれてきたが、そのどれも信憑性に欠ける。それは何故か。実存しない、見たものがいない、過去に生きたその図がない、と諸説を並べても百花斉放で茫漠感が拭い切れない。
そこで最新のデータを挙げて竜の居所を探ってみた。平成13年10月27日付の新聞に載せられたワニの記事である。
 
アフリカのニジェール中東部で全長が大型バス並みの約12メートルに達するとみられる約1億1000  年前の巨大ワニの化石を米シカゴ大学のP・セレノ教授らの発掘チームが見つけ、26日付の米科学  誌サイエンスに発表した。

全身の様子が推定できる化石では最大。あごや歯の形から魚のほか時には小型の恐竜も食べていたと見られる。
化石は1964年に頭骨の一部か見つかり「サルコスクス」(肉のワニの意味)と命名された。その後セレノ教授らが、頭骨や背骨、甲羅のように背を覆う「鱗板」など全身の化石を新たに見つけた。
頭骨は最大のもので約1・6メートルで、口先が細長いのが特徴。体重は8トンに達したと推定される。
生涯成長し続けたと考えられ、鱗板に残された成長を示す縞模様の推定で、巨大肉食恐竜ティラノサウルスとほぼ同じ最大サイズに達するまでに50から60年かかったと見られる。(平成13年10月27日付 読売新聞)

また朝日新聞では「サルコスクス・インペラトル」と呼ばれるワニ類の祖先。発見場所が内陸の河川のたい積物の地層だった。
国立科学博物館の真鍋真主任研究官は「サルコスクスが見つかった同じ地層から、史上最大級の肉食恐竜の化石が見つかっている。当時の平均気温は今より数度高く史上最高の温室状態だったと考えられ、環境と進化の観点からも興味深い」とのコメントを述べている。(平成13年10月27日付 朝日新聞)

考古学界では昨今の正確な最新機器の精度で測定精度が格段に進歩し新発見、新事実が続々と登場する。この地球上に二億年前の哺乳動物「ハドロコディウム」(大きな頭)推定体重約二グラムが存在した事実を化石が証明したことも、そうした出来事である。恐竜が絶滅する以前、すでに哺乳類が生きていたのである。  

原始哺乳類「ハドロコディウム」が2億年前、ワニの祖先「サルコスクス」が1億年前にこの地球上に生きていたことを化石が証明した。
このサルコスクスが地球上で恐竜と生存競争をしていた。恐竜化石の存在で過去に生きたことは判るが遥か昔に絶滅し今はいない。

今回発見のワニの祖先「サルコスクス」は現在棲息しているワニとほぼ同じ体型と推定されるがその大きさが桁外れだ。
ワニの原形だから今のワニをスケール拡大して想像すればイメージできる。大型バスのサイズ12メートルだ。
この「ワニ」は亀・鳳凰・麟などと同じく、今でも現存しているにもかかわらず古代文明中国において神聖化されていない。
古代中国文明の影響をうけている日本において、その記述がないわけではない。

古事記にそのワニが登場している。古事記の中でもっともドマチックなトヨタマヒメノミコトがワニに化身してしまう場面だ。
自ら小屋を作り、そこで御子を生むが夫に覗かれてしまう。恥ずかしさの余りワニに化身して御子を置いて自分の国へ帰ってしまう。これが何故ワニであるのか良く判らないが、この場面は当時の古代日本において創作ではなく、中国、朝鮮そして広くアジアに伝わる一種の神話物語の定型として言い伝えられて来たものであるらしい。

それでも何故「ワニ」なのか根源的な理由を説明できる記述が見当たらない。「はるか昔よりアジア一帯に伝承されてきた神話である」の説に、それ以上の説得力のある理由を捜し出すことが無力である。なお現代解釈ではワニを「サメ」と見るのが一般的だが、巨大ワニ化石のの発見で伝承神話を再検討する必要がある。

伝説の神の遣いの動物、亀・鳳・麟は今でも現存しておりイメージできるが残された唯一つの神、竜をシュミレーションすることが出来なかった。
竜の想像図のどれも信憑性に欠けるし、また古代壁画もなかった。今回のワニの祖先の化石は竜をシュミレートするに最も近い候補と想像心を肥大させるのだが。
地球上に棲む生物の栄枯盛衰は古代生物の考古学的研究でさらに変化に富んだ生き物がいたことを証明するだろう。

甲骨

甲骨文字が発見される以前では地元住民の間では、それを竜骨と呼んでいた。竜骨と呼ぶくらいだから竜の骨と信じていたのだろう。
だからその当時では古代中国の歴史的価値のある甲骨ではなく漢方薬の竜骨でしかなかった。民衆にとって謎めいた訳の判らない文字などは、どうでもよかったのである。
 
ところで殷時代の甲骨文にはあらゆる情報が刻み込まれていたが、その中に戦いの記述ものこされている。殷帝国と度々戦火を交えた敵国の「羌」である。
「羌」は河南西方の山岳にいた異族で戦によって捕らえられた者は奴隷にされたり、犠牲として斬首され殉葬された。

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甲骨文の研究者である貝塚茂樹氏は殷の思想観をそのように語る。