いわゆる「談話」というやつ???
何回、難解きいても、よくわからないこの「談話」ってやつは、誰が聞いているのでしょうか、と問いたくなる。
また、だれだれ「談話」っ~のがいっぱいあって、それもどれもこれも似たりよったりで、奥歯にモノが挟まったような、物言いで、「すっきりせんかい!」とついついいいたくなる。そうではありませんか???  

アーアーア、皆さん~静粛に・・・ ・・・。

優等生の回答
GQ 本稿は2015年5月発売の『GQ JAPAN』7月号に掲載したコラムです。

村山談話は「優等生の回答」だったと思います。決して日本人全員の「本音」ではないけれど、日本人が公的に言わなければならない「建前」をきちんと言語化していた。ああいう観念的で優等生的な言葉は日本では戦後ひさしく日本社会党が担当していました。
「村山談話」は政界再編の混乱の中で日本社会党の党首がもののはずみで総理大臣になってしまったのが、たまたま戦後50年目だったせいで歴史に残る談話となりました。「しかし」も「とはいえ」もなく、日本の侵略をきっぱりと認め、反省したこの「学級委員答弁」が、いくつかの偶然によって日本の公式発言として歴史に残ることになったのです。その外交的な功績は実に大きなものでした。

村山談話を批判する人たちは、村山談話のせいで中国の反日機運が高まったと言いますけれど、これは歴史的事実として間違っています。
たしかに同時期に中国で反日キャンペーンが始まりましたが、これは党内権力基盤の弱かった江沢民が政治的求心力を得るために民衆のナショナリズムを煽った、ベタで不出来な政治的マヌーバーです。仮にあの時点で、村山談話に遠く及ばない「反省の色のない」談話を出したら、中国の反日キャンペーンはもっと過激で暴力的なものになっていたはずです。

戦後50年 「村山富市」氏 
「私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」。(いわゆる「村山談話」より。前後略)
中国人にとって過去100年を遡っても国民的統合の成功体験は抗日戦しかありません。だから、国民を統合する求心力の強い「物語」が必要になると、彼らはそのつど日本軍国主義に対する中国人民の勝利の物語を呼び出すことになる。その記憶が強調されたり、忘れられたりするのは、中国の政治的文脈によって決定されることで、村山談話の中身とはもう関係がありません。歴史的事実をどう語るかはそのつどの政治的文脈が決定する。そういうことです。

だから、もし8月に出る「安倍談話」が日本軍の戦時におけるふるまいについての誠実な反省の言葉を含んでいなかったら、中国、韓国はもちろん、イギリスやオランダや、場合によってはフランスやアメリカまでもが、これまで封殺してきた「日本軍が自国民に加えた暴力と屈辱」の物語を語り出す可能性があります。欧米が今のところそういう話を持ち出さないでいるのは「日本は戦争犯罪については反省している」という説明を一応信じているからです。

「高校デビュー」の全能感
戦後60年 「小泉純一郎」氏
「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します」。(いわゆる「小泉談話」より。前後略)
安倍首相がこれまでの右派政治家と違うところは、外交的には「対米追従」でありながら、「反米」の心情を少しも隠さない点にあります。

ペリーの浦賀来航以来、日本人は150年にわたってアメリカ相手に「ゲーム」をしてきました。世界のどの国よりも近代日本に干渉してきたのはアメリカです。この「アメリカによる干渉」に日本人はさすがにうんざりしてきている。反基地運動をしている左派やリベラルだけではなく、「自主憲法」制定や「自主核武装」をめざす右派の諸君もアメリカにうんざりしていることに変わりはない。でも、日本のナショナリストは「反米」を表明することが禁止されていた。

だから、右派は本音を言えば北朝鮮が羨ましいんだと思います。あの国は中国とも韓国ともロシアともアメリカとも、どこが相手でも「事を構える覚悟がある」。もちろん半ばはハッタリですけれど、それでも周りの国はそのせいで北朝鮮を嫌い、恐れてもいる。国内では個人崇拝、独裁、反対派は粛清。民衆が飢えても、軍隊は核武装。偽札は刷る、麻薬もミサイルも売る。この北朝鮮の「けっ。怖いもんなんかねーよ」というヤンキーなスタイルに魅了されている日本人は意外に多いのではないかと思います。日本も「ああいうふうにすればいいのに」とひそかに思っている人たちが安倍首相を支持しているのだと僕は思います。

戦後70年、日本は「3学期の学級委員」的でした。言うことは模範的だが、さして人望はなく、腕力もない、へなちょこな優等生。憲法9条を掲げる日本って、改憲派から見るとそういうふうに見えていたんだと思います。そんな「学級委員的生き方」にうんざりした人たちが「みんな着席してください」と注意している学級委員の背中を蹴飛ばして、「うっせーよ」って言ってみたい気分になっている。窓ガラス割ったり、床につば吐いたりしたい。そういうふうに思っている日本人がたくさんいる。

日本国憲法前文が掲げる「きれいごと」を実現しようとして、70年「優等生」を演じているうちに、きっとみんなうんざりしてきちゃったんですよ。そのうんざり気分が臨界点に近づきつつある。安倍さんの支持層の本音は「悪いことをしたい」んだと思います。もう国際社会から「嫌われてもいい」んです。別に倫理性が高いとか、徳があるとか言われたくない。ほめられるくらいなら、怖がられたい。侮られるくらいなら、嫌われたい。

「高校デビュー」の不良高校生が肩怒らせて、つば吐きながら歩いてみたら、善良な市民がみんな道を空けてくれる。びっくりするのは本人です。なんだよ、世の中ってこんなに簡単なのか。悪い子のふりをしたら、みんなびびるじゃん。そして、このイージーな全能感に嗜癖してしまう。

安倍さんは今「高校デビュー」の全能感に酔い痴れています。歴代自民党政府が遠慮してやらなかったことをいざやってみたら、誰も抵抗しなかった。野党もメディアも全員腰砕けだった。なんだ、愚民どもを支配するのってこんなに簡単だったのか。「てめえ、やんのかよ」とすごんだら、みんな黙り込んだ。これはびっくり。

「かっこうだけ」

戦後70年 「安倍晋三」氏
「?????????」
でも、もとが「高校デビュー」ですから、「かっこうだけ」で、実力はありません。尖閣列島や竹島のことだって、絶対に軍事衝突なんか起こらないとたかをくくっているから強気なことが言える。

もう何度も言ってますけれど、韓国軍の戦時作戦統制権を持っているのは在韓米軍司令官です。だから、韓国軍と自衛隊が戦うことが万一あったとしても、そのとき指揮をとっているのは米軍司令官です。つまり、韓国軍が攻めて来るのは米軍と一緒に、ということです。

中国とも戦争は無理です。尖閣で中国軍と自衛隊や海保との衝突があっても、米軍は出て来ません。中国相手に戦争することにアメリカは何のメリットもないんですから。でも、米軍が出てこなければ日本人は怒り出します。日米安保条約は空文で、米軍基地はただのハコモノだったということになる。そうなれば、当然「日米安保条約即時廃棄」「米軍基地即時撤去」という話になる。アメリカが恐れているのはそういう事態です。だから、あらゆる手立てを尽くして「そういう事態」の到来を防ごうとしている。

でも、アメリカの抑止が100%成功するとは限りません。米軍が日本をコントロールすることを諦めて「もう勝手に中国相手に戦争してろよ」と列島を去るときが来るかもしれない。そのときそこに現出する風景は、1930年代の日本の姿そのままなわけです。世界中を相手に戦争する気分でささくれだった、目つきの悪い国民がそこに残る。

現代日本人の一部にとってそれはたぶんかなり魅力的な空想なんだろうと思います。世界中から嫌われ、恐れられる国になりたい。そう思っている人たちがいま安倍さんを支えている。日本人は「いい人」になるように努力することにもう飽きちゃったんです。これはかなり根の深い国民感情なので、噴き出したら、制御するのは困難です。

海外メディアからの安倍批判は、要するに「あなたのしていることは、『よくないこと』だ」ということに尽くされる。でも、当人は「悪いことがしたい」からわざわざそうしているわけで、「それがどうした」とせせら笑うだけです。

でも、そのうち「ほんとうに悪い奴」が出て来てがつんと一撃食らわせると「きゅん」となっちゃうのが「高校デビュー」の哀しい宿命です。その辺が話の「おとしどころ」でしょう。ふつうに考えれば、ホワイトハウスが「従属国の分際で宗主国の仕事増やすんじゃねえよ」と言ってはり倒しに来るんでしょう。きっと。

内田 樹
思想家、武道家(合気道7段)、神戸女学院大学名誉教授。相談の達人。ブログ「内田樹の研究室」主筆。凱風とは、「南からやわらかに吹く風」の意。