ネットとテレビは競合しない.斜に構えた若者たち
非常にインセンティブな例題タイトルの記事3っがあって、さて、どれを取り上げて、掻き回してやろうかと、算段していたところ、昨日のハイブリット手法が好評だったので、それにすることにした。いや、これはパクリではない!!!

まず気になったのが「ラジオってどうやって聴くんですか?」 、というのだった。まあ、少々オーバーアクションな見出しだとは思うが、昨今のメディア情報は様々な聞き方があるので、さもありなん。

手前味噌・・・、いやこれもわかりづらいかな。自分の体験的な、その音楽でも本でも、旧アナログ媒体が、パソコン仕様になって、膨大な文字とか絵とか音とか動画とかが、縦横、僅か30センチ四方の液晶に嵌まり込んでしまうのは、やはり脅威な方法論だ。

いまもっとも重宝しているのか、ジャズ番組で内容が濃いのにタダという夢のような送信媒体で、しかも発信がアメリカ。

念のためにURLを明記しておくので、ジャズに限らず、様々なジャンルを持っているので是非聞いてみると納得できるはず。海外アクセスにつきもののスパムは一切シャットアウトされているので心配ご無用。

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朝からあいにくの雨、止みそうになかったが雨降る中、一仕事やってまいりました。いや
いや、この時期、「五穀豊穣」祭祀があり、日本全国秋祭りの季節。(9月13日)
その準備の一つで祭りに欠かせない隣組による「幟」(のぼり)建てがあって、なんでも固陋(ころう)のはなしだと、1683年の天和3年以来よりとのことである、と云っていた。

なにしろ、その「じいさん」
頑迷固陋と云われたくらいで、近所では噂の博学ジジイとして、決して好かれてはいなかった。
99歳までかくしゃくと歩いていたが、昨年、祭りの前日に大往生だったとか。その身辺整理していた家族が、何も遺さなかった中の一つに、ふすまの下張り、じゃないが、一枚の筆描きのメモらしきものがあったらしい。

たまたま、その家族と縁があり、それをみせてもらった文だか、まったく読めなかった。隣町の役場職員で
キュレーターの友人に解読してもらうと、「二条上ル冷泉町の一角に築地塀に囲まれた三井越後屋京本店記念庭園がある。江戸時代の商人・三井高利ゆかりの京本店跡地であり三井京都創業地」(1686年)。ということだった。
その話し、ほとんど40年前だし、まして自分にとってなんの因果もなかったので、そのことはすっかりの忘れていた。

とにかく、今日の雨は止まなかった。
昼前に、その仕事を終えて自宅で喉湿しに仲間3人とビールを飲んだ。 話しの話題で、最近オープンした蕎麦屋の話題になって、蕎麦でも食うか、ということになり、雨の中、傘をさして歩いて5分の、その蕎麦やに入った。

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田舎町の国道沿いで立地は悪くないが、この雨だし、客は誰もいなかった。この店は、旧大地主の母屋としてあったが、御多分に洩れず、家族は離散し、僅かな家系筋が細々と保守していた、という地元住民の風聞だ。それを地元不動産屋の仲介を通してある人が買い、それをテナントとして貸し出したのが蕎麦屋だった。

今流行りの古民家で、さすがに大地主だけの建作りで、明治時代の銀行の扉のような、巨大な門扉が店舗と奥座敷を仕切っていた。こんなさびれた田舎町も、かつては栄華を誇っていた時代があったと、あらためて再認識させられた訳である。

ちなみに蕎麦屋で食ったのは「カレー」だった。その日のメニューに蕎麦はなかった。
(所在、その他URLは調査して後に記載する)


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「ラジオってどうやって聴くんですか?」 
池本孝慈2015年09月07日 10:15
http://blogos.com/article/132441/?p=2
ケーブルテレビで聴く。うちはケーブルテレビではないから、どうでもいいや、と思った方もぜひ読んでみてください。ラジオのデジタル化というかつての動きの中で、実現すれば、かなり面白いことになったのではないか、と個人的に思っているのが、このテレビで聴くというラジオの聴き方です。古い地デジ対応テレビのリモコンに、Dラジオというボタンがあるのは、その頃の名残。このテレビでラジオを聴くという方法、インターフェイス的にはまだまだ課題はあるものの、首都圏、関西圏、福岡圏のJ:COMで実現しています。
(記事部分引用)

<ネットとテレビは競合しない>本質さえ忘れなければ新メディアは、旧メディアの敵ではない 高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
mediagong(メディアゴン)2015年05月27日 http://mediagong.jp/?p=9268
テレビ対日本映画という新旧メディア対決もあった。あっさりとテレビが勝った。でも、日本映画は、長い低迷期を抜けたように思える。テレビでは出来ないことをやろう。テレビ局に入るのではなく、貧乏でもいいから映画をずっとやっていこうという監督が増えたからではないか。逆に、今は、テレビが映画監督に頼っていることもよくある。
(記事部分引用)

<斜に構えた若者たち>なぜ女子大生風俗嬢はテレビカメラの前で泣き崩れたのか
高橋正嘉 2014年12月23日(火) http://mediagong.jp/?p=6769
[TBS「時事放談」プロデューサー]高橋正嘉***
情報番組であろうがなかろうが、「ネタを探す」というのはある意味「人を探す」ということだ。興味あるネタにするには、その人の紹介だけで終わってはいけない。
(記事部分引用)

次の記事より編集記事となる。

「radiko(民放ラジオ)とらじる★らじる(NHKラジオ)で聴く。」、まずこれがキーとなる。
以下は「コラージュハイブリット」にしてあるので、注意して読んでもらいたい。


利用方法は、リモコンでJ:COMテレビを選択し、dボタンを押し、そこからラジオ局を選択。少しめんどくさいですが、テレビに飽きたらラジオ、という選択肢ができることは、今後のラジオメディアを考える際に、とても重要だと僕は考えています。仕組みとしては、FM補完放送やradikoと同様、同時再送信です。

参加局は、首都圏はTBSラジオ、ニッポン放送、文化放送、関西圏は毎日放送、福岡圏はRKB、KBC。いろいろ課題はあるかと思いますが、こういう流れができたことはラジオメディアにとっては未来に向けての大きな一歩だと思っています。ラジオ、ケーブルテレビともに他局も追随してほしいです。

また、あまり知られていないのは、FM局に関しては、多くのケーブルテレビ局は同時再送信を行っています。残念ながらSTBからテレビ受信機への出力はできないのですが、システムコンポなどのFMチューナーにSTBを接続することで、高音質出力ができます。FMアンテナがなくてもクリアな音質でFMの音楽放送が聴けるのは、かなりのメリットではないでしょうか。

ネットの常時接続環境が安定していれば、IPラジオ同時再送信という方法は、もともと難聴取問題の解消のためにできたものですので、都心部に難聴取環境が多い現在、もっともラジオを安定して聴くことができる方法です。スマートフォンでは、各サービスともアプリをダウンロード。PCではサイトにアクセスすることで簡単に聴取できます。
テレビ対日本映画という新旧メディア対決もあった。あっさりとテレビが勝った。でも、日本映画は、長い低迷期を抜けたように思える。テレビでは出来ないことをやろう。テレビ局に入るのではなく、貧乏でもいいから映画をずっとやっていこうという監督が増えたからではないか。

逆に今は、テレビが映画監督に頼っていることもよくある。
テレビとネットの関係を考える。ネットはテレビの敵だという人がいた。今もいる。それは間違いである。テレビ自体の視聴率が落ちたのは他メディア時代が到来したからだが、そのせいばかりにするテレビマンは考え違いをしている。テレビがネットのまねをしているからイケないのだ。動画を集めてみせるコーナーは、ネットに任せておけばいいし、ひな壇に芸人を並べてずっとしゃべっている番組もネット動画の得意技だ。

テレビしか出来ないことは何だろう。それは「創る」ことだ。「稽古」することだ、これ以上は企業秘密だから言わない。テレビゲームがいくら流行っても、レゴで遊ぶ人はいる。スマホがいくら全盛でも、ガラケーに戻す人はいる。手帳を使い続ける人はいる。電子書籍が場所を取らないと言っても、紙の本を棚に並べたい人はいる。紙の本が、本としての本質さえ失わなければ。
 
だが、どういうわけか昔から、一定程度斜に構えてしまう学生がいるものだ。20代の若者には確かにそういう一面があるのだろう。別に拗ねているわけではないが、どうしてもまっすぐには向き合えない。まっすぐにコミットしたいと思う人も取材したが、どこか拗ねている人々も取材した。内面を知れば知るほどそうした人が興味深くなる。

新宿界隈で取材をした時のことだ。新宿にはさまざまな仕事を斡旋する人がいる。その人から新宿で働く学生の話を聞いた。彼はどこにどんな人がいるか詳しい。本当に苦学生で生活費を稼ぐために働いている人もいた。しかし、どこか拗ねている感じの女子大生を一人紹介してもらった。頭のよさそうな女の子だった。彼女は、風俗の店と呼ばれる所で働いていた。そんな彼女と打ち合わせをし、撮影したいということ、撮影の趣旨や考え方などを説明し、撮影の了解を得た。

撮影当日は彼女が住んでいるアパートにも行った。この年齢の女子大生にしてはこぎれいで立派なアパートだった。そして撮れる範囲で一日を追った。夜、撮影の終わりは静かな小料理屋で軽く一杯やりながら話を聞くという設定にしていた。レポーターは今ではかなり有名になっている人である。

レポーターに頼んだことは「インタビュー」ではない。インタビューはこれまで散々やっていた。頼んだことは「何故、こんな無理して仕事をしているのか? 
何故、拗ねて心をすり切らしているのか?」を話し合ってほしい、ということだった。彼女から説得力のある言葉は出てこない。しかし、伝わるものはあった。話が終わりレポーターがいなくなると、彼女はそのまま全く動かず、しばらく泣き続けた。それはかなり長い時間続いた。放送が終わり、すぐに筆者は次の仕事でしばらくの間海外取材に出た。珍しくちょっと長い取材だった。当時、まだ携帯電話はなかった。
海外取材から帰ってくると、筆者のデスクにメモが残っていた。彼女が会社に訪ねてきていたようだった。彼女はどこか気になる人だった。こちらから電話をしてみたが繋がらなかった。住んでいたアパートでも店でも捕まらなかった。「その源氏名の子は辞めた」のだという。連絡はつかず、結局、彼女がどんな用事で筆者を訪ねてきたのかはわからなかった。
そして、それっきりになった。もちろん、探す手がかりはなかった。後は大学だが、それはやるべきことでもない。何を言いに来たのかわからないままだった。

ただ、撮影が終わった時の彼女を思い浮かべれば、いつものような明るさに戻っていた。テレビに出ると決心したのは何かを吹っ切ろうとしたのかもしれない。あれからずいぶん時間が経ったが、相変わらずどこか斜に構えた人生を送っているのか、まっすぐ社会に向かっているのか、どちらなのかよくわからない。だが、今でもこの後の彼女の人生が気になっている。

(以上三種混合記事)