あと1日の死闘
市政継承か刷新か 攻防し烈 
2015/9/10 河北新報
候補者の訴えに耳を傾ける有権者。投票日が近づくにつれ戦いは激しさを増している
 山形市長選(13日投開票)は最終盤戦に突入した。立候補している無所属新人3人のうち、安全保障関連法案に反対し争点化を図る元防衛省職員梅津庸成氏(48)=民主・共産・社民・生活推薦=と、「流れを変える」と市政刷新を訴える元経済産業省職員佐藤孝弘氏(39)=自民・公明・次世代・改革推薦=の攻防は、し烈を極めている。

<風頼みに危うさ>
  梅津氏がまず切り出したのは安保法案だった。9日夜の個人演説会。「違憲」と戦争に巻き込まれる危険性を強調して力を込めた。
 「この法案は葬り去るしかない」
 入れ違いに会場に入った吉村美栄子知事も、山形市の宣言と佐藤氏のキャッチフレーズを絡めて呼び掛けた。「平和都市の流れを変えられては困るんです」
 梅津氏は市川昭男市長の市政運営の継承を掲げる。民主、共産、社民3党が支える態勢を引き継ぎ、支持者の多くが重なる吉村知事の支援も受ける。
 市川氏は故吉村和夫市長の助役を務めた後継。陣営は和夫氏の長男で会社社長の和文氏が選対幹事長、次男で民主党県連幹事長の県議和武氏が指揮を執る。ともに吉村知事の従兄弟だ。
 陣営幹部は「梅津氏の市政継承は、地盤維持のため、知事らにとっても譲れない」と指摘し、吉村知事の動きに目を見張る。連日、市川市長らと演説会場を回り、自らの選挙でも張らなかったポスターで、自宅の壁一面を埋めた。
 ただ安保法案に反対する世論の高まりと、吉村知事らの支援に期待する陣営内の雰囲気に、危うさを指摘する声もある。
 告示日6日の出陣式で元民主党衆院議員鹿野道彦氏の声が響いた。「何やってるんだ。早く壇上に上がれ」。促されたのは5月末、梅津氏に出馬要請した17人の市議ら。鹿野氏側近は「市議団が動かなければ負けるぞ。風に頼るなという意味だ」と代弁した。

<逆風の強さ誤算>
  佐藤氏陣営は、市長選で問われるべきは安保法案ではなく、これまでの山形市政、未来だと論陣を張る。
 「この10年間、一体何をやっていたんだ。このスピード感のなさ。トップが動かなければ市は動かない」
 佐藤氏は9日夜の個人演説会で、近隣市と山形市の現状を比較して市川市政を痛烈に批判した。
 昨年度のふるさと納税は天童市7億8000万円、山形市1212万円。県内で唯一人口が伸びる東根市が大型の遊び場、子育て施設を整備したのは10年前で、山形市は昨年12月だ。
 佐藤氏は前回市長選の落選直後に再挑戦を表明した。遠藤利明五輪相(衆院山形1区)の全面支援を受け、33の地域後援会を組織。企業、職域団体の会合にも小まめに顔を出してきた。自民党に加え、今回は公明党などの推薦も得た。
 「市職員組合中心の体制が続けば、このまま市役所職員のための市政になる」
 佐藤氏の前にマイクを持った遠藤氏も、市川市政を繰り返しこき下ろす。象徴として119番山形大生死亡訴訟での対応や、唐突に明らかにした保育料値上げ計画などを挙げて「答えは簡単だ。変えるしかない」と強く訴えた。
 佐藤氏にとって、土壇場で目算が狂ったのが安保法案への逆風の強さだ。
 自民党県連の金沢忠一幹事長が9日夜、別の演説会で声を張り上げた。「4年間地道に活動してきた佐藤氏が、告示3カ月前に出てきた相手に負けるわけにはいかない」
 市長選には飲食店経営五十嵐右二氏(64)も立候補している。

<山形市長選> 非自民の市政続き半世紀
 任期満了に伴う山形市長選は、13日の投開票に向け、無所属新人の3候補が激闘を繰り広げている。市川昭男市長の市政運営の継承か刷新かが最大の争点。自民党が現職に相乗りした一時期を除き、非自民中心の市政が約半世紀続いており、3候補とも今回が継続か転換かの「剣が峰」と位置付ける。政党対決の構図にも深く関わる自民、非自民の県都争奪史を振り返る。
(記事引用一部追記)







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市町村大合併のコンセプト

最近よく耳にする「市町村合併」。
しかし、なぜ今「合併」なのか、よくわからない人がほとんどだろう。先ごろ、大宮・浦和・与野の3市が合併し、さいたま市になったが、大規模自治体の合併は稀であり、都市部に住む人にとっては、市町村合併は関心が低いに違いない。さらに、当事者である市町村の住民もこの合併の意味がよくわかっていないのが実情ではないだろうか。

 中には「合併すればその自治体の借金が帳消しになる」というデタラメなウワサも流されているという。いったい、自治体(市町村)の合併にどんな意味があるのか。かく言う私も調べてみるまでは五里霧中。なぜ合併なのか、どんな意味があるのか、そしてどんな問題があるのか、正直言って皆目見当がつかなかった。

 このコーナーでは、誰でもわかるように、自治体合併の意味と影響をまとめてみた。「市町村合併」は決して「地域」だけの問題ではなく、日本のこれからの進路を決定する重要な問題であるということが見えてくるはず。(2003・06・13) [地方自治体]一定の地域およびそこに住む住民を存立の基礎とし、その地域における行政事務を住民の自治によって行う団体。都道府県・市町村などの普通地方公共団体と、特別区、地方公共団体の財産区などの特別地方公共団体とがある。
市町村合併って何?
 いくつかの市町村が一緒になって、より大きな自治体になること。「新設合併」(いわゆる対等合併)と「編入合併」(吸収合併)の2つに分けられる。
合併の沿革 明治・昭和の大合併とどう違うのか
 明治になり、江戸時代から日本に存在した自然村、いわゆる基礎自治体が統廃合されて、中央集権的な行政区域に再編統合された。その数1888年(明治21年)で7万1314。それが、1889年の市町村制の施行で約5分の1の1万5859に減少した。これがいわゆる明治の大合併。

 1945年には1万520に減ったものが、「町村合併促進法」(1953年)、「新市町村建設促進法」(1956年)を経て、1961年には約3分の1の3472になった。これがいわゆる昭和の大合併。
 その後、1965年に「合併特例法」が施行されるが、その効果はほとんどなく、市町村の数は現在までほとんど変わらないまま推移してきた。

 それぞれ、合併の目的は異なり、「明治の大合併」は行政上の目的に合った規模と、自治体としての町村の単位の隔たりをなくすために、300~500戸を村の標準単位にして行われた合併。つまり、明治以前の自然村・集落を行政単位に再編したということ。基本的に地方自治意識を国民に知らしめる意図があった。

 「昭和の大合併」の場合は敗戦後に行われた新制中学の設置管理、消防、自治体警察の創設に関連して、事務などを効率的に処理するために行われた、いわば合理化合併。500人の集落が5つ同じ地域にあったとしたら、それぞれに警察を5つ作るより、まとめて1つにしたほうが、警察・消防活動も合理的にできるということだ。

 これらは、名目上、自治の大義に則ったもので、今展開している「平成の大合併」とは理念が大きく異なる。

 明治、昭和の合併にも国家の要請による「中央集権化」の意図があったが、これに関しては後述。
なぜ今合併なのか
 2001年4月の小泉内閣成立による、いわゆる構造改革論がその背景にある。
「医療費の本人負担率3割にアップ」など、国民の弱い部分に「痛み」を押し付けるのが「構造改革」の実体。国は国民だけでなく、地方自治体ーー中でも弱小自治体に、その「痛み」を押し付けようとする。結論から言えば、それが「市町村合併」だ。

 つまり、国と地方合わせて700兆円近い財政破綻を打開するために、国からの地方交付税を減らそうというのが狙い。

 市町村の数が減れば交付税の「出費」も少なくなる。いってみれば、親に家計をやりくりする才覚が無く、バクチに手を出したりしたあげく、借金を背負い、その責任を、子供たちに押し付け、「おまえら、明日から食事は一日ニ食だけにしろ」と言ってるようなもの。

 もちろん、子供(市町村)は親の手伝いをして、家にお金を入れているのに、親がそのカネを野放図に使っている、という構図が背景にある。いわゆる「3割自治」だ。

 これは、行政サービスの7割を提供しているのに、国民の納める税金の3割しか自治体の直接収入にならないことを指す。当然、国からの交付金、補助金がなければ、自治体の運営はできない。自治体の借金は200兆円以上の巨額にのぼっている。その原因は公共投資に伴う国からの補助金のツケがほとんど。

 悪どい高利貸しに、「カネならいくらでも貸すから、高級な家具を買え、インテリアを新しくしろ」と無駄な出費を強いられ、借金漬けになっているようなもの。立派な庁舎、競技場など、いわゆる「ハコもの」行政のツケが回ってきているといえる。

 しかし、親が子供を養育する義務があるように、国は地方自治体への交付金を勝手にストップしたり、削減することはできない。それは憲法に謳われた「地方自治の本旨」から逸脱するからだ。

 それなら、合併させて市町村の数を減らし、交付金の総額を減らそうというのが、この合併問題の「正体」であり、国がシャカリキになる一番の理由。しかし、「合併してくれ」と上から押し付けるわけにはいかない。合併は下から自発的に行われることが国にとって望ましい。
 で、アメとムチが登場することになる。 
(記事部分引用)