25億ドル×120円はいくらに化けるか
イビザ島で友だちや有名人とパーティーをしてる。やりたいと思うことは何でもできる。これほどの孤独感を味わったことはないよ。

と「マルクス・ペルソン」氏が語ったという。

イビザ島がどこの島か知らないし25億ドルという現金を触ったこともない。それでも幸せの幸福感がないし孤独だという。

「そりゃ我がままというもんだ」、と困窮貧困者はいう。しかし、さらに下の最困窮者は、家に住んで車に乗ってテレビを2台みながらパソコンしている人間は困窮者といわない、と定義するに違いない。だから人間は永遠に「隣の芝生」を見続けて、自分だけが特別不幸だと思い続けている。
 
億万長者になった『Minecraft』作者の孤独。お金で買えるのは何?
「マルクス・ペルソン」氏 lifehacker / 2015年9月18日 22時0分
多くの人がお金をたくさん稼ぎたいと思っていますが、すでに十分なお金がある人にとってはどうでもいいことであったりします。こんなことを考えていると、オンラインゲーム『Minecraft』のクリエイターであるマルクス・ペルソン氏を思い出します。彼は先日、次のようにツイートしていました。

イビザ島で友だちや有名人とパーティーをしてる。やりたいと思うことは何でもできる。これほどの孤独感を味わったことはないよ。

ご存知の人も多いと思いますが、ペルソン氏は会社をMicrosoftに25億ドルで売却し、億万長者になっています。それでも、幸せとはかぎらないのです。

2010年のプリンストン大学の研究によって、年収75000ドル(約900万円)を超えると、人間の幸福感はもう上がらないことがわかっています。地球幸福度指数によると、コスタリカ、ベトナム、ジャマイカの人は年老いたアメリカ人よりもはるかに幸せです。残念ながら、アメリカ人の幸福度は151カ国中104位でした。

一方で、決済代行会社のCEOであるダン・プライス氏は、プリンストン大学のこの研究を知り、社員の年収を75000ドルまでに抑えることに決めました。その結果、社員は去り、訴訟が起こり、一部のクライアントも離れていきました。幸せは、単純にお金で買えないというわけでもないのです。

ところが、幸せと同じくらい大事なものでありながら、お金で買えるものもあります。それは自由です。

自由も多くの人が渇望しているものです。お金があれば、お金に縛られることもなくなり、夢を追いかけることができます。自由は大切ですが、億万長者だけのものではありません。

安定した仕事を辞めてビジネスを始めようと考えている人は、お金を貯めておきましょう。自由があれば、ためらうことなく自分の夢や目標を追いかけることができます。お金持ちになったら、簡単に幸せになれるだろうと思うかもしれませんが、それほど幸せになることはないということを覚えておくべきです。

ペルソン氏のツイートからわかるように、お金はその人が何者かということを浮き彫りにしてくれるだけなのです。内向的な人にとって、セレブたちに囲まれてイビザ島でパーティーをするのがどれほど苦痛か、容易に想像できます。おそらくペルソン氏は、ゲームをさらに改良したり、ゲームで遊んでいるのがベストだったのではないかと思います。
Minecraft Billionaire on What Money Can and Can't Buy You|Inc.

Betty Liu(訳:的野裕子)
Photo by Levent Konuk/Shutterstock.

関連記事当ブログ引用
金のいらない生活実験者「ハイデマリー・シュヴァルマー」 2014.11.15記事
「金の重さを量る」で貨幣の取り扱い方、それが日本ではどのような歴史で育まれたのか、書いてみたのだが、では、その「貨幣と価値」は人間にとって本質的に必要不可欠なものなのであるのか、という大それたテーマを掲げてみた。
 
 この元の記事は2011年11月21日に書いたもので、その動機はテレビ番組で、その人物を紹介していたからだった。また、この記事閲覧も多くはないが、コンスタントに足跡があり、やはり人によっては隅に置けない話題なのだろう。そんなことで、この題材をリニューアルし、世間に対してもアンチテーゼしてみたいと思った。

 金を持たない生活、それはセンセーショナル、という訳ではなかったが、それでも一種異様というかこの資本主義にあってノーマルではない、と感じたからだ。とにかく、現金がないことには明日よりも今の生活もままならない。それがタイトな現実だ、と誰もが思っている。

 記事を書いてすでに3年が経過しようとしている。私自身も指摘したことだが、田舎での自給自足、イギリス人のベニシアさん風でもなく、徹底した文明批判者でもなく、文明落ちこぼれのホームレスでもない。ごく普通に暮らす、どこにでもいる「オバタリアン」である。しかしそのことが重要で、現金を所有することなく、この文明社会で暮らせる、ということが如何に特殊であるか、という生活スタイルをアピールしていることが特筆なのだ。

 いま社会インフラという生活スタイルは、消費経済によって成り立っている、と括ってもいいだろう。その基本形は「衣食住」にあるのは当然だが、そのほとんどはシステム化され、とくに意識しなくても普通に生活していれば、のたれ死にすることはない。
 それは法治国家として国民が義務と権利を適正に速やかに遂行しているからであり、争いごとを極力排除して平和を維持している結果である。そのことは現在の中東混乱を参考にすればよく判る。
 
 それは極端な例だが、もっと身近な例では最近旅行に行った経験から、その体験談を話してみればよくわかる。私の住んでいる千葉から九州高千穂に数名で団体旅行した。
 朝6時、スケジュール表に従い家の前で迎えの車を待つ。仲間の車に分乗し約1時間で羽田に着く。発着時間を待って、定刻時刻に飛行機に乗る。ほぼ1時間強で熊本に到着。そこからレンタカー基地に向かい、手続きを済ませて、全員でマイクロに乗る。観光ルートは業者指定で、無駄のないルートをカーナビー案内で間違うことなく目的地に着く。この間、プロによるサービスはまったく受けることなく、自分たちだけで宿に到着した。岐路もまったく同じシステムで2泊3日の旅行は、滞りなく無事家に着く。
 おまけは、私が持っているデジカメで記念写真を撮ったものを自分のプリンターで人数分を印刷して、後日皆に配った。すべての費用は業者払込設定で、特に安くも高くもなかった。
 この一連の流れは「日本システム」だからできることとは思うが、それにしても理路整然というか、まったく無駄のない動きに驚いた。普段、頻繁に出かけている仲間が、それを組んでくれたが、ほとんど外にでたことのない私は、しばし呆然という状態だった。