アテンション
(2006-06-23 ブロガー記事)   

このところインターネット世界の毀誉褒貶を綴っている。その延長で、では「ネット世界の将来展望はどうなのか」という疑問が湧いてきた。世界の経済政治に大きな影響力を与えるようになったインターネット、10年後のネット世界はどのような変貌を遂げているのだろうか。
「アテンション」が次世代のキーワードになるとの予測がある。いまのところ風説の風上にも上がっていないアテンションだが、いずれ世間で流行言葉になるだろう。
2007GL
「attention」(注目度)は、インターネット世界に広がる膨大な情報の中で何をチョイスするのか、という視点に立ったとき選択肢の要素として「注目」されることが重要であると、アメリカの研究家が指摘した。社会より注目される動向とは取り立てて新しいアクションではない。だが、これまで歴史上で経験したことのなかった世界規模の情報網インターネットがもたらす多様なコンテンツの中で、何が勝ち残るのかという設問に対して、それがアテンションであるとしている。
「インターネットの時代では企業と個人は等価値になり権威の価値は相対的に低下している」、と述べるのは佐々木俊尚氏だが、まったく同様のことを梅田氏も述べている。
それは既にアメリカの一部の人々によって権威というものが疑問視され始めているからだ。
我々一般民は、この権威によって、どれほど媚びへっらってきたことか。その権威の源泉力が一体どこから来ているのかということも知らずに。
その問題の深層にはインターネットに棲む名も無き個人が権威社会とは無縁の場所で饒舌に喋り始めたことが、その既成概念を際立たせたことにある。

権威支配社会で一般の民は、個人主張の場も無ければ機会も与えられていなかった。唯一それを抱かせたメディア世界は、商業主義世界のなかで権威者の一翼を担う「舎人」的存在で君主に対しては従順であった。

したがって下層階級に棲む我々は一蓮托生にあるそれら権威者以下諸々既得権者の思惑に、知るべき情報も与えられていなかった。それがインターネットの新機軸出現によって逆転現象の様相を呈しはじめた。
いまIT・ネットの革命期といわれるが、その逆転現象は始まったばかりである。
個人のホームページが世界規模で日々増え続けているが、そのキッカケは2001年9月11日アメリカ同時多発テロによって湧き起った政治に対する意見交換がwebサイトを加速させたという。

インターネットはもともと法人向け企業を対象としたサービスが主流で10年前に始まった。まだブロードバンドも無かった時代で大手有名企業がいち早く導入し、そこにマイクロソフトのワード・エクセルが定番となりパソコンはマイクロソフトと同義語でさえあった。
ある時代を形成した象徴的な社会現象で、それはかつてのIBMにも似る。時代が移りチープ革命の恩恵も手伝ってパソコンが個人で持てる時代となった。
周辺機器と高性能OSが出回り企業業務パソコンから個人の趣味、高じてそれがブロ仕様にまで発展した。そしてあらゆる「表現能力」がパソコンによってなされいたる所に顔を出すようになる。
梅田氏が指摘する玉石混交の「石」部分が怒涛の如く沸き出したのである。それが今である。
それで判ったこと、これまで我々一般市民がなぞっていた権威とプロフェショナル世界は何であったのか、ということに気付き始めた。
一方的に押し付けられる主観論、流行に乗じて売りつける音楽CDなど、よくよく考えてみれば、それらは偏った価値観で構成され自分個人の価値観とは相容れないものだった、ということに気付いたのである。
それでも全体を支配するカタチは急激には変わらないもので近代社会の基盤である法人企業の力は依然として保たれている。
そこでにわかに問題が浮上した。企業が死守してきた著作権をインターネットを通して大量に放出してしまう若いベンチャー企業に固陋たちが激怒した。
それが自分達には明日がない、という保守的防御が働いた結果と、本人たちは気付いていないか、もしくは保守的意識の原点、「太陽が廻っているのだ」と頑なに主張するのである。
「かつてはテレビがアテンションの王者だった。人々はテレビだけにアテンションしていたのである。インターネットの登場でアテンションがテレビからネットへと少しずつ移りはじめた。このためテレビへのアテンションは相対的に減り始めている」と佐々木俊尚氏は、アテンションされるアーティストとコンテンツがインターネットへと移行していることを詳しく説明している。

それは全部「あちら側」の話で個人の「こちら側」とは無縁だが、ネット世界では「こちら側」個人の恨みつらみを公然にアピール出来ることが革命的なのだ。年間売り上げ5000億円のベンチャー企業とガス代の支払い5000円に苦労している個人では比較すべき基準が存在しない。

そしていま「こちら側」のパソコンが不調だ。前述したが、マイクロソフトの新バージョン「i・e7」をインストールして総てが狂ってしまった。
その対策を講じ契約プロバイダー、パソコンメーカーにサポート連絡をしたが、いずれも解決策を得られなかった。早い話、マイクロソフトの尻拭いまで、当社は出来ません、ということなのだ。それは正論である。OSのインストールは自己責任内において、が原則で総てがその個人が責任を負う。
だが、よくよく考えてみればサービスとは隔靴掻痒、その部分の痒いところに手が届く、という業務である筈で「他社の責任は負いかねます」と断っていたのでは、インターネット「総リンク」世界を人事と思っている、としか思えない。
また、それほど複雑に出来上がっているいるのがパソコンとプロバイダーとポータルサイトとIt産業で、さらに旧来メディアの既得権も絡んでいるから益々複雑怪奇な様相を呈している。 
そんなことより自分のパソコンをはやく正常に戻したい。???
(プロガー引用)