衆院・参院 過去の法律と現行の違いvlomoshiro034802
大日本帝国憲法は、(天皇の)立法権の協賛機関として衆議院と貴族院の二院からなる帝国議会を置いた。
民選(公選)議員のみからなる衆議院に対して、貴族院は、皇族議員、華族議員、勅任議員(帝国学士院会員議員、多額納税者議員など)によって構成されていた。

これに対して日本国憲法は、立法機関として衆議院と参議院の二院からなる国会を置き、参議院は、衆議院と同様「全国民を代表する選挙された議員」のみによって構成されるものとした(日本国憲法第43条第1項)。

参議院は全く新しく作られ、貴族院との直接のつながりは無い。ただし、初期の参議院が職能代表を指向したのは、かつての貴族院改革案のリバイバルであったという指摘もある。また、第1回参議院議員通常選挙は貴族院出身者が少なからず当選し、彼らが中心になって組織した院内会派緑風会は初期の参議院で大きな影響力を持っていた。

参議院本会議場
衆議院との差異、衆議院の優越
 
参議院議員の任期は、衆議院議員の任期(4年)より長い6年で、衆議院のような全員改選(総選挙)ではなく、3年ごとに半数改選(通常選挙)が行われる(憲法第46条)。また、参議院は任期途中での解散がないが、衆議院は任期途中で解散となることが多く、実際の任期の差はさらに広がる。
参議院だけに認められる権能としては、衆議院解散中における参議院の緊急集会(憲法第54条2項)がある。
一方、法律案の再可決(憲法第59条)、予算の議決(憲法第60条)、条約の承認(憲法第61条)、内閣総理大臣の指名(憲法第67条第2項)においては、衆議院の優越が認められている。予算については衆議院に先議権が認められているため参議院は常に後議の院となる(憲法第60条)。また、内閣不信任決議や内閣信任決議は、衆議院にのみ認められている(憲法第69条)。

詳細は「衆議院の優越」を参照

もっとも、衆議院が可決した法律案について、参議院が異なる議決をした場合に衆議院が再可決するためには、出席議員の3分の2以上の多数が必要となり、ハードルは高い。また、参議院が議決をしない場合に衆議院は否決とみなして再可決に進むこともできるが、参議院が法律案を受け取ってから60日が経過していなければならず、この方法を多用することは難しい。

したがって、会期中に予算の他に多くの法律を成立させなければならない内閣にとって、参議院(場合によっては野党以上に与党所属の参議院議員)への対処は軽視できない。
なお、憲法改正案の議決に関しては、両院は完全に対等である。また、憲法ではなく法律にもとづく国会の議決に関しても対等の例は数多くある(国会同意人事等)。特に衆議院の多数会派と参議院の多数会派が異なるねじれ国会では、政権運営に大きな影響を及ぼすことがある。 ウィキぺデア

貴族院(きぞくいん)は、大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院である。

1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで存在した。貴院と略称された。衆議院とは同格の関係にあったが、予算先議権は衆議院が持っていた。

非公選の皇族議員・華族議員・勅任議員によって構成され、解散はなく、議員の多くが終身任期であった。その一方、有識者が勅任により議員となる制度が存在していた。

議院や議員の権限などについては、議院法、貴族院令(明治22年勅令第11号)、その他の法令に定められた。

議員の任期は原則として7年で、皇族議員、華族議員のうち公爵・侯爵議員、勅任議員のうち、勅選議員については終身議員とされた。華族議員のうち、伯爵・子爵・男爵議員はそれぞれ同爵の者による互選により選出された。
 
議員の歳費は議院法に定められた。それぞれ、議長7,500円、副議長4,500円、議員3,000円であった(いずれも1920年(大正9年)の法改正から1947年(昭和22年)の法廃止まで、衆議院も同額)。
 
1890年(明治23年)開会の第1回通常会から、1946年(昭和21年)開会の第92回通常会まで、議員総数は250名から400名程度で推移した。第92回議会停会当時の議員総数は373名であった。
 
貴族院は概して非政党主義を取ったため政党には厳しかった一方で政府を窮地に陥れることもあり、独自性を発揮した。戦時下においても政党が軍部に迎合していったのに対して総じて冷静であり、絶頂期の東条内閣を議会で批判したのも貴族院であった。

議員資格 
皇族議員
 
満18歳に達した皇太子・皇太孫と、満20歳に達したその他の皇族男子は自動的に議員となった(貴族院令第2条)。定員はなく、歳費もなかった。

貴族院規則4条で「皇族ノ議席ハ議員ノ首班ニ置キ其ノ席次ハ宮中ノ列次ニ依ル」となっていた。ただし、皇族が政争に巻き込まれることは好ましくないという考えから、皇族は議会で催される式典などに参列したり、傍聴することはあっても、議員として日常的に議会内に立ち入ることはなく、登院は帝国議会史上、きわめて稀であった。
また男性皇族は原則的に軍人であったので、軍人の政治不関与の建前からも出席は好ましくないとされた。
 
華族議員

華族議員は華族から選任された。爵位によって、選任方法、任期その他の定めが異なった。なお、朝鮮貴族は朝鮮貴族令5条により華族と同一の礼遇をうけるものとされたが、爵位による華族議員となる資格は与えられず、別途勅任議員として貴族院議員に列した場合があった。

公爵議員・侯爵議員
 
満30歳に達した公爵・侯爵は自動的に議員となった(貴族院令第3条)。定員はなく、歳費もなかった。
1925年(大正14年)の貴族院令改正(大正14年勅令第174号)により、年齢が満30歳に引き上げられた。また、勅許を得て辞職すること及びその後勅命により再び議員となることが認められた。
 
公侯爵議員も現役軍人たる議員は出席しない慣例になっていた。
 
伯爵議員・子爵議員・男爵議員
 
満25歳に達した伯爵・子爵・男爵のうちから同爵の者の互選で選ばれた(貴族院令第4条第1項)。
任期は7年。互選の方法などについては貴族院伯子男爵議員選挙規則(明治22年勅令第78号)に定められた。選挙は完全連記制であった。また、委託投票も可能だった。
 
1890年(明治23年)7月10日、第1回貴族院伯子男爵議員互選選挙が行われた。貴族院令第4条第2項により、伯爵20人以内、子爵と男爵は各73人以内とされ、各爵の議員の定数は各爵位を有する者の総数の5分の1を超えない範囲とされた(第1回帝国議会において伯爵14名、子爵70名、男爵20名。第21回帝国議会において伯爵17名、子爵70名、男爵56名)。
 
1905年(明治38年)の貴族院令改正(明治38年勅令第58号)により、伯子男爵議員を通して定数143名とし、各爵位を有する者の総数に比例して配分することとなった。これは、日清戦争・日露戦争を経て、華族(戦功華族・新華族)の数が急増したことによる議員数の増加を抑えるための措置である。
 
1909年(明治42年)の貴族院令改正(明治42年勅令第92号)により、伯爵17名、子爵70名、男爵63名とされた。
 
1918年(大正7年)の貴族院令改正(大正7年勅令第22号)により、伯爵20名、子爵73名、男爵73名と増員された。
 
1925年(大正14年)の貴族院令改正(大正14年勅令第174号)により、年齢は満30歳に引き上げられ、定数は150名(伯爵18名、子爵66名、男爵66名)とされた。以後、貴族院廃止まで定数変更はない。
 
伯爵・子爵・男爵議員は同爵の者による互選とはいえ、選挙がある以上選挙運動もまた存在した。こうした中、1892年(明治25年)発足した「尚友会」は、有爵者・貴族院議員の親睦会を謳っていたが、実質は研究会の選挙運動団体だった。

完全連記制であるため、細かい票の割り振りは必要なく、また第一勢力が圧倒的多数を占めることのできる多数代表制であった。そのため、いち早く選挙運動団体を組織した尚友会は、協力した桂太郎内閣の後押しもあって、やがて伯爵・子爵・男爵議員の大半を牛耳る存在になった。
伯子男爵議員選挙一覧
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参議院の選挙制度を解説!メリットとデメリットは?
1.参議院選挙制度の基本
参議院の選挙は、3年に1回行われます。これは、参議院議員の任期が6年と決まっており、任期の半分である3年ごとに議員の半数を改選するためです。参議院には、衆議院と違って解散というものがありません。そこで、改選というかたちで民意に反する議員かそうでないかを選定するという方法をとっているのです。

参議院の選挙方法は、選挙区制と比例代表制に分かれています。まず、選挙区制について解説します。選挙区は、1都道府県に1つ置かれています。東京都であれば、東京都がひとつの選挙区となります。この選挙区、つまり、都道府県ごとに当選できる人数がそれぞれ決まっています。東京都であれば定数10人の半分で5人(2016年の改数で6人)、大阪・愛知などは定数6人の半分で3人です。全体で146名の議員がおり、選挙の度に73人が改選となります。投票は候補者の名前を記入して行われ、得票の多い順に当選していきます。とてもシンプルな多数決です。

次に、比例代表制についてです。比例代表制にも選挙区のような区分けがあり、全国を11のブロックに分けています。投票は立候補者の名前か、政党の名前で行います。どの党がどれだけの議席を獲得するかは、候補者が獲得した票と政党が獲得した票を足した総得票数を、ドント方式と呼ばれる方法で決定されます。表にまとめてみましょう。

2.参議院選挙制度のメリットとデメリット

参議院選挙の比例代表制では、政党だけでなく、候補者に直接投票することが可能です。そのため、民意を反映してくれると期待できる候補者を、国民がしっかり選ぶことができます。加えて、政党自体は支持していなくても、候補者単体として支持するという意思を表明することもできます。

その反面、議席を獲得できる見込みのない小政党が、芸能人や知識人を候補者に立て、総得票数を上げようとするという動きが見られます。これはこの制度のデメリットで、政治の知識がない人が当選したり、選挙の票が人気票になってしまうということが起こり得るのです。
実際に、各政党が知名度の高い人物を候補者に乱立するという事態も起きています。

また、立候補者個人の得票数が少なくても、個人と政党の票を合計した総得票数が多ければ、その候補者が当選するという状況も起こり得ます。これとは逆に、個人の得票数が多くても、政党として得票数が少ないため、議席を獲得できず落選してしまうということもあります。

参議院とは、衆議院で議論している法案について更に審議を重ね、より国民にとってプラスになる法案へと導くために設置されているものです。
そこに集う参議院議員は、衆議院議員よりも、より国民の生活に密着して物事を考えられる人を選ぶべきという側面をもっています。実際に、主婦の方が参議院議員として活躍しているということは、珍しくありません。その参議院の選挙制度において、知名度があるだけで議員に当選したり、逆に国民の支持を得ていても大政党からの立候補でないというだけで当選できなかったり、参議院選挙の制度には、まだまだ穴があるように感じます。

このように、選挙の仕組みを理解していくと、わたしたち国民が選挙に対してもつ一票は、国政を動かす一票だということが実感できると思います。その重要な一票をもつ有権者として、現行の参議院選挙制度の穴を、あなたならどうやってカバーしますか?ぜひ、身近な人と考えてみてください。

参議院議員制度
https://say-kurabe.jp/5208
(記事引用)