ナニヌネ「ニュース」.4~
ニュースとはナニか???
ニュースとは報道であり政治動向を分析することであり社会の事件を社会に知らせることであり、昔の国家的国威発揚プロパガンダとは異質であり、公平を旨とする。

と、ここでそんなことを定義しても意味ないし正論か邪道かもわからないし、また誰か違うやつが出てきて、お前素人のくせしていっぱしのこというな。と専門プロ編集者が云った口先で、スポンサーに媚びた記事を書く、なんてことは日常茶飯事で、古くは「ロッキード事件」田中角栄現役首相失脚劇は、その最たるものだった。

したがっていま「言論」を定義しても、言論を扱う世界のインフラ、また幅広いコンテンツのなかで「文」のもつリテラシーの使命が、かなりの範囲で幅が広がったと解釈したほうがよさそうだ。

アメリカの高額所得者の数がさらに増えている、というニュースだが、それだってニュースを読める、というリテラシーが必須条件で、読み書きが出来ないと当然のように高額所得は望めない。だから、それらの者はA4サイズ1枚の書類の行を追って素早く判断するという知能も必要だ。

そうした諸条件を考えてみると、99対1の所得定数割合は、どちらの側にそのリテラシー能力者が多く存在するか、という統計学にもなる。

アメリカ新大統領トランプ(未)の基本動機が、まさにここにあり社会の不平等が蔓延し国家間の経済アンバランスが容認できない、という主張だ。
それをもっと狭義に考えると、相手方(ヒラリー民主)の政治的既得権を黙ってみているわけにはいかない、というアピールなのだろう。

そうした中で一抹の不安がないわけでもない。国家の不平等、国内での政権また宗教的背景による左右バランス、その是正を公約しアピールしているが、云っている本人が実業家であり、そして弱者でない側でありながらマイノリティー的救済を主張するのは、いずれ破綻することはわかってる。
わかっているが、だらだらずらずらと先制的に口先と手練で一時の場をしのぐことができる。株投機と同じで下がる気配を感じたらサッと売ってしまえばいい。

実業家は、そのタイミングを芯から心得ているので社会は侮ってはいけない。

そこで、選挙開始より、あらゆる手段、考えられる範囲の全部を投入して情報網を整備し、そこにメディアに精通した人物を引用した。それが「スティーブン・バノン」である。という断定的なものいいで括ったが、そんな単純なアメリカ大統領選挙でないことは充分承知している。

この度のアメリカ政権の布石は、これまでの政治履歴とは一線を画した人事であることは誰もが認めている。
が、その結果はこれから出ることであり、始まってもいないボクシング試合に勝敗結果を論じて、架空取引で大損した、というバカ者はいない。

それと非常に類事しているのか東京都知事小池氏の政治手腕である。現在お手並み拝見期間であり、「泰山鼓動して~」云々は、泰山を動かせる能力があるのかないのか、の力量テスト中であり、失礼なものの表現をするなら「カラ騒ぎ」玉手箱の中のキャラクターの選定をしている最中である。
よって氏が敏腕とか辣腕、剛腕とか評する期間内にいない、ということは指摘したい。

ここでは二つのまったく異なったニュースを挙げた。じつに面白い話題だと感じた。日常生活の中の一断片のニュースであり、だれもが感じている不安事であり、だからといって人にいう程のものでもないし、さらに、そんなこと自分以外に感じていないのか、という社会民に対しての質問であるし、別に読んでくれなくたって痛くも痒くもないさ。といったて「クール」だ。
(この筆者本人、これはかっこ悪いことで恥であるとおもっいるらしいが、日本では、こうした心理的不均衡は、ヒューマニック現象としてワビサビとして文学の域に到達している・注筆者)

二つ目のニュース記事は、人間模様ではなく、無機質メカニック「機械」の図面入り解説書だ。これも日常に転がっている「ネジ」についてのニュースだか、同じネジでも、その部分に、強力なスポットライトを浴びせると、にわかにそれが新鮮な響きでこちらに伝わってくる。

このネット上でも取るに足らぬ記事が5万も6万もあるが、自分の足元に素材が転がっていることに眼が届かない視点というのは、もはや文盲とおなじである。 

【特別寄稿】男の「かっこ良さ」が終わるとき
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ) 2016年12月02日 12:55

昔と同じようにクールでいたいが加齢には勝てない

By JOHN BUSKIN ――筆者のジョン・バスキン氏は退職し、現在はニューヨーク州北部で暮らしている

ある有名なヨガのインストラクターは「すべての生き物の目的はバランスだ」と書いた。私は退職後のある日、初めてヨガのクラスに出る準備をしていて、下着に片足を入れている最中にバランスを崩した。その結果、膝の裏を痛めてしまい、心の平穏を目指す退職後の挑戦はそこで頓挫することになった。

 よろめきながら歩くことより、きらきらと輝く蛍光紫の杖(つえ)を買うことを私は選んだ。その洗練されたファッションは私を活動的に見せてくれると思ったのだ。これで外を歩けば年齢を重ねたヒップスター(流行に敏感な人)に見えると期待した。ところが実際に鏡に映った自分の姿はまるで、年老いた道化師のようだった。

私は杖を捨て、あまり歩かないことにした。

 わかってほしいのは、私はとてもクール(かっこいい)だということだ。今までずっとクールだった。60年代、学生運動で大学の管理棟を乗っ取ったことはないが、女子用ジムを乗っ取ったことはある。70年代にはマンハッタンのイーストサイドで最もクールな独身者向けバーでバーテンダーとして働き、客には何を出してもヘミングウェイの好みの酒だと言った。

 私は子供の頃に見てきたような年寄りにはならないと常に思っていた。転ぶたびに、周囲に向かって「大丈夫、何ともない」と地面に倒れたまま言うような年寄りのことだ。そんな年寄りは自分とは別の種だと思っていた。

 クールでいることは困難になる一方だ。それが70代を目前に控えた私のジレンマだ。老いを受け入れることと、何とかクールに見える努力をバランスよく両立させるのは難しい問題であることが(あまりに遅いものの)次第に分かってきた。しかもご存じの通り、バランスは私の得意分野ではない。

 その結果、クールでいようとするあまり、それ以上はないというほど格好悪い状況に陥ることがしばしばある。

医者のアドバイス

 私は最近、不意に脊髄を痛めた。そこでマンハッタンで高名な背骨の権威とされる医者に診てもらった。診察は高額で短時間だった。私のMRI(磁気共鳴画像装置)画像をその医者が見たかどうかさえ定かではない。体を伸ばしたり、ひねったり、向きを変えたりという指示を私に与えた後、医者は気味の悪い笑みを浮かべてうなずくと、何も驚くようなものはないと言った。長く生きていればよくある症状だ、私の言うことを聞けばよくなる、とも言った。

 医者の指示はこうだ。自分の荷物を運ぶな、雨の日は出かけるな、雪の日も出かけるな、振り向くな、体の向きを変えるときは必ず足を使え――。唯一の慰めはエアギターが禁止されなかったことだ。

 「年寄りのように振る舞えと言うのですか」と私は言った。

 「そうしなさい」と医者は言った。「あなたは年寄りです」とは言わなかった。診察からの帰り道は普通は車で4時間かかるが、医者は「最低でも20分間の休憩を3回とりなさい」と言った。「コーヒーか紅茶でも飲んで。となると6時間だ。のんびり行きなさい」

 私は「受動攻撃性」(人格障害の一種)があると言われたことはないが、その時は3時間で帰宅した。ノンストップだ。スピードメーターが上がるのを見ながら、20歳のときに3日足らずで全米を横断したことを思い出していた。

 つまらない詳細は避けるが、その後の数週間、私の歩く能力は衰えた。

 子供たちは、クールに見えることへの私のこだわりにあまり理解がない。霜取り機能が効かない2001年型の黒いセダンのフロントガラスについた霜を(運転中に)古いタオルで拭いている私の姿を見て、車を下取りに出すよう強要してきた。頭に浮かんだのは緑色の英オースチン・ヒーレーだ。だが娘は親切にも、古代のスポーツカーは実用的ではないと忠告してくれた。7歳だった娘が生きたサルを欲しがったときに私が言ったこととほとんど同じだった。サルは危険なうえに、サルを飼ってどうしたいのか分かっていないだろうと私はそのとき言ったのだ。

 結局、小型で安全な4輪駆動車に落ち着いた。だが完全に降伏したくはなかった。そこでマニュアル車にした。唯一の問題は、ギアチェンジの際に私の専売特許である堂々たる態度でペダルを踏むのだが、時にエンストを起こすことだ。これは非常に格好悪い。

 それらしく洗練され、かつ軽快な感じに見えるよう、シートをかなり後ろに下げた状態で運転するのだが、おそらく体が少し縮んだのだろう。クラッチを完全に踏み込めるところまでシートを前に出すと、まるでバンパーカーに乗っている6歳児のようになった。

 駐車場までの近道を見せようとしたときも、子供たちは少々心配になったようだ。フェンスを飛び越えれば駐車場だったのだが、私がこんな風に転んだことは一度もなかったことを子供たちはどういうわけか信じようとはしなかった。アスファルトの地面から助け起こされた私の両方の手のひらは擦りむけていた。

白内障のサングラス
 ある日、視力検査を受けた結果、白内障の手術をすることになった。飲み薬と目薬のほかに医者がくれた「ギフトバッグ」には顔にそってカーブするラップアラウンドの大きな黒いサングラスが入っていた。牛乳瓶の底のような遠近両用眼鏡の上に、そのサングラスをサッとかけて出かけるわけだ。つば帽子をかぶり、サングラスをかけて街を歩く姿は格好良かった! ガールフレンドがフェイスブックに「不良」の私の写真を掲載したほどだ。
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白内障の手術のあと、大きな黒いサングラスを与えられた筆者
Photo: John Buskin

 だがフェイスブックの反応をみると、これをフォスター・グラントのサングラスだと誤解する人は誰もいなかった。こういう超大型サングラスをかけているのは、ズボンのベルトを胸のあたりで締めているような干からびた老人だと分かるようだ。格好悪い栄光に包まれた姿を世界に向けてさらしている自分がそこにいた。

 私は最近、病院の待合室にいた。長い間待っていたので、片足が眠っていることに気づいていなかった。名前が呼ばれて立ち上がろうとしたとき、眠っていた(つまり、しびれていた)足は私の体重を支えることができず、倒れてしまった。看護師が車椅子とともにどこからか現れ、私は立ち上がりながら自分の口が「大丈夫、何ともない」と言うのを聞いた。看護師は私を嫌な目で見た。おそらく、年寄りのマッチョな男が現実から目をそらす姿にうんざりしていたのだ。私は看護師を見上げ、笑顔でこう言った。「私は平気(クール)だ」と。
(記事引用) 

壊れなくなったクルマ 意外に奥深い「ねじ」の話 1/2
THE PAGE 2016年11月17日 18:00
「ねじ」は多くの工業製品にとって必要不可欠な部品だ。しかしながら、ねじが部品を固定する理屈は意外に知られていない。今回は高精度なエンジンパーツのために進歩したねじの話を書いてみたい。
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 部品を固定する方法には色んな方法がある。自動車の場合、「溶接」と「ろう付け」、様々な「クリップ」に加え、「ねじ止め」の4つが多くを占める。溶接とは母材を溶かして2つ以上の部材を1つにする方法。主にシャシーやボディなど高強度が求められる部分に使われる。ろう付けとは母材と母材を溶かした金属を接着材として繋ぐ方法。こちらは接着用の金属に母材より融点の低い金属を使うため、溶接ほどの強度が出ないが、接着材は比較的柔らかいので、後で切削によって形状を整えたい部分や、ハンダの様に電気的に接続したい場合に用いられる。クリップとは主に樹脂パーツを装着する時に用いられ、素材の弾性を利用して、はめ込んで引っかけるケースや、スピードナットの様にタップねじ(木ねじなどねじ山を切り進んで固定するねじ)と組み合わされるケースが多い。

【写真】“スーパーカーの新境地” 新型NSXの技術は何がすごいのか? 

ねじの原理はくさびと同じ

 ねじ止めは、接続強度が高く、かつ後で分解や再組み立てすることが可能なので、極めて多くの部品組み立てに使われている。実は特性としてはクリップに似ている。後述するが、2つの部材間にボルトの軸でテンションを掛けて押しつけているのだ。その原理はくさびである。

[図1]ドアを止めるくさびはドアが上下方向に固定されているので、ストッパーとして機能する

 オフィスなどでドアを開けたまま固定したい時、くさび状のドアストッパーを使うことがある。図1の状態では、ドアの上下動は蝶番(ちょうつがい)によって規制されているが、くさびはそれを押し上げようとする。この押しつけ力によってドアは固定される。仮に蝶番が上下にスライドして上下動を規制しない物だとすれば、くさびはドアを持ち上げてしまい、固定することが出来ない。もちろんドアの自重そのものが押しつけ力を発生するので、重い材質のドアならくさびの機能は成立するが、ドアが極めて軽量ならくさびではドアは固定できなくなるはずだ。実はねじの仕組みはこのくさびと同じだ。

[図2]ねじ山同士の噛み合いは個別に見るとくさびと同じである。図では分かり易い様にねじ軸に向かってくさびが効いているが、実際は周方向で効かせている

 図2を見れば分かるように、ねじ山の一つひとつは相互のくさびだ。図では分かりやすいようにボルト軸に向かってくさびが掛かっているが、現実には軸の周方向に連続してらせん状にねじが切られているので、周方向にくさびが掛かった状態になる。ねじを締めると、このくさびが互いに押しつけ合う。しかし、ボルトが部品同士を固定するメカニズムはこれだけでは成立しない。ドアのケースで蝶番があったように、くさびの反力を受け止める部材が必要なのだ。反力がないとドアを移動させて終わりである。

[図3]部材Aに「くさび」である雄ねじをねじ込み、ボルトの軸力でボルトの頭をひっぱる。その結果部材Bが挟み付けられた状態がねじ締結による部品固定だ

 部品の固定は雌ねじが切られた部品(部品A)に、ボルト軸より大きい穴(馬鹿穴)が空いた部品(部品B)を合わせ、その穴にボルトを通して雌ねじと締結する。ボルトの頭は部品Bの穴より大きいので、穴を通れない。これが蝶番と同じ役割を果たしている。ボルトの頭の上下位相がボルトの頭で固定された状態にもかかわらず、部品Aとボルトの雄ねじ部は、くさびの原理によってさらに進もうとして軸を引っ張る。つまり部品Bは、部品Aの雌ねじの中で進もうとする雄ねじの力と、進むことのできないボルトの頭の引っ張り合いによって発生したねじ軸の引っ張り力(軸力)で固定される

 ねじ山が相互に理想的状態なら、ねじを締め付けるトルクはくさびが押し込まれる力と比例する。つまり、ねじの締め付け力に比例的な軸力で部品を圧着(固定)することができる。クルマの重要な部品について締め付けトルクが規定されているのは締め付けトルクを管理することで、部品の圧着力を適性にコントロールするためだ。

 だから重要な部品を取り付ける時にはかならずねじ山に潤滑油を塗布する。ねじ山を潤滑すると、一見緩みやすくなるように感じるかも知れないが、実は締め付けトルクと軸力の関係に対して、ねじ山の当たり面の摩擦係数が安定するため、軸力が安定する。
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 逆に摩擦が不安定だと、規定トルクで締めても必要な軸力が得られないことが起きるのだ。ねじ山を舐めてしまったねじを締めたことがある人ならお分かりの通り、ボルトの頭が部品Bに当たる前に、それ以上締めることが出来なくなる。当然部品Bは全く固定出来ない。これが摩擦が極大に発生した状態だと思えば良い。ねじ山が破損しているケースは論外だが、摩擦による締め付けトルクと軸力の関係への干渉をできるだけ減らし、安定させるためにねじの当たり面を潤滑して摩擦係数を下げるのだ。

ねじの真価は軸力にある

[図4]ねじの軸は微細に変形するため、同じピッチでねじ山が並んでいれば、先端に進むほどに徐々にくさびで掛けられるテンションは落ちていく

 さて、軸のテンションで部品を固定するという理屈が分かったところで、もう少し深く見てみよう。ボルトは金属でできているので、一見変形しないように見えるが、実はくさびに引っ張られて微小に変形している。ではその変形で何が起きるのだろうか?

 ボルトの頭に近い側では雄ねじと雌ねじは強い力で押しつけられている。しかし次の山ではボルト素材の伸び分だけ、押しつけ力が減ってしまう。これが繰り返されて行くと、ボルトの先端部に近づけば近づくほどボルトの伸びは大きくなり、軸力に貢献しなくなる。図4に模式的に表してみた。つまりボルトを長くして山の数を増やすことでどこまでも軸力を増やすことができるかと言えば、そうはならない。だからボルトの長さはボルトの素材の弾性と必要な締め付け力によって、適正な長さが存在し、それ以上長くする意味がなくなる。部品のねじ締結において重要なのは、結局のところ、いかにして必要な軸力を得るかということになるのである。

 ところが困ったことにクランクシャフトは大変複雑な形状をしており、シャフトそのものを組み立て式にするか、若しくはコンロッドを分割式にしないと組み付けができない。歴史上、組み立て式クランクは存在した。ホンダは第一期のF-1挑戦期に組立式クランクと転がり軸受けを使っていたが、エンジン重量の増加に悩まされて、結局コンベンショナルなプレーン分割式軸受けを採用した。そんなわけで2016年現在の常識としてはコンロッドを分割式にすることになっている。

[写真]ホンダNSX-Rに採用されたチタンコンロッドとビッグエンド(大きい輪っか状の部分)に装着されたプレーンベアリング

 問題は分割式の軸受けの真円度を高める方法だ。組立の都合上、分割が必要なのでコンロッドのビッグエンド(大きい方の輪っか状の部分)をボルト締結しなくてはならない。ところが、このビッグエンドの締め付けを従来の締結方法で行っていては必要な精度にならない。ビッグエンドもまた締め付け圧力で微細ながら変形するので、ねじの締め付け力がばらばらだと真円度が運任せになってしまう。変形を見込んで設計生産するためには軸力を精密にコントロールしなくてはならないということになる。

「ねじ切る寸前」に高精度の秘訣
 そこで、ボルトの軸力を緻密にコントロールするための研究が行われた。金属素材は固有の強度があり、均一な素材で同一寸法であれば、軸力が一定に達したところで、変形の仕方が変わる。ボールペンの軸についているバネを想像して欲しいのだが、あのバネを引っ張ると伸びる。手を離すと元に戻る。しかしある程度以上の力を掛けると、バネが完全に変形してしまって、元に戻らなくなる。元の形に戻る変形を弾性変形、元に戻らない変形を塑性(そせい)変形と言う。

 ねじの軸力を計測しながらねじを締めて行くと、弾性域にある間は締め付けるほど軸力も右肩上がりに増えて行くが、塑性域に入るとグラフが水平になり、軸力が増えなくなる。そのまま締め続けるとどうなるかと言えば、ねじが破断して軸力がゼロに戻る。自分で整備をする人ならば覚えがあると思うが、ねじを締めすぎるとぬるっとした嫌な感覚になる。あれが塑性域に入ったということだ。つまり平たく言うとねじ切る寸前なのだ。ところがそこから破断に至るまではまだ少し余裕がある。この塑性域の中で上手く止めてやることができれば、ボルトの素材と太さで必ず一定の軸力を再現することができるのである。

 この特性を使って、コンロッドのビッグエンドの締め付けを行う方法を塑性域角度法という。軸力が増えなくなってから何度回したところで止めると言う基準を作ってやることで、安定した組立精度が可能になる。こうした技術と潤滑理論の進化によって、クルマは壊れなくなった。ねじの世界は奥が深い。

(池田直渡・モータージャーナル)
(記事引用)