イベントと放送作家
イベント企画 西原健太郎 2017年07月29日 16:24 記事
関東地方では長かった梅雨も明け、夏本番を迎えた今日この頃。みなさんいかがお過ごしでしょうか? 

私はというと、世間は夏休みということもあり、週末は毎週イベントの仕事が続いております。『イベントの仕事』というのは、ラジオで言えば公開録音であったり、はたまた何かの発売記念イベントであったり…お客さんの前で行う催し物を、我々の業界では総じて『イベント』と呼んでいます。 

このコラムを読んでいる皆さんの中にも、学生の頃学園祭などで、イベントを企画・運営されていた方も多いのではないでしょうか? 

そして、イベントの現場にはラジオとはまた違うルールがあったりします。というわけで、今回は『イベントの仕事』について、経験も踏まえて書いてみようかと思います。 

イベントの台本は番組より難しい
放送作家は、ラジオやテレビの台本を書くのが主な仕事ですが、イベントの台本を書くことも仕事の一つです。ただ、イベントの台本はラジオやテレビの台本よりも、書く難易度が格段に上がります。その理由は以下の通りです。 

まず、基本イベントはお客さんの前で行うので、失敗は許されません。イベントの進行が滞っても、やり直しをすることは出来ないのです。 

また、イベントは主にホールを借りて行うことが多いのですが、ホールなどの会場には、借りられる時間の制限があります。イベントは与えられた時間を守って、準備・本番を進行しないといけので(時間を守らないスタッフや司会者もいますが)、時間に正確な台本が求められます。 そして、イベントはラジオとは違い、関わっている人数が桁違いです。ラジオはそれこそディレクターが一人いれば収録できますが、イベントは舞台監督・音響・照明・会場運営…など、役割分担も細分化されており、それぞれの役割を何人ものスタッフが担当します。 

少なく見積もってもラジオの5〜10倍のスタッフが一つの台本で動くのです。それほどの人数を動かす台本は、簡単に書けるものではありません。出演者のセリフ、音、出演者の動き、照明、大道具・小道具の出し入れ…様々なことに気を配らないといけません。 

そんなわけで、ラジオの台本は書けても、イベント台本をきちんと書ける放送作家は、実はあまり多くないのですが、台本を書くこと以外にも、放送作家がイベントを担当するときには、様々なことに気を配らないといけません。その中で一番大事なのが、『他のスタッフとできるだけコミュニケーションを図る』という事です。 

例えば、イベントスタッフは職人肌の人が多いのですが、職人肌の人とうまく付き合っていかないと、イベントは成功しません。ラジオのスタッフにも職人肌の人は多いですが、イベントスタッフの比ではありません。
頑固な舞台スタッフと円滑に仕事をするコツ
音響や照明を担当するスタッフは、舞台関係のスタッフを兼ねていることが多く、舞台関係のスタッフは総じて職人肌だったりします。職人肌の人は、良く言えばプロ意識の塊。悪く言えば頑固者です。うまく付き合えばこちらの意図を超える、素晴らしい演出を見せてくれますが、逆に付き合いをおろそかにすると、ヘソを曲げてしまい全く動いてくれなかったりします。 

ではどうやってコミュニケーションを図るのか…様々な方法があるのですが、その中のいくつかを今日はご紹介します。 

まず、イベントの前に、放送作家は『イベント台本』と呼ばれる、セリフや動き、照明、音のタイミングなどが書かれた台本を作成します。空間をイメージして、セリフや動きを台本に書いていくのですが、その時、『具体的な演出プラン』はあえて書かないようにします。 

ここで言う『具体的な演出プラン』と言うのは、照明の明るさや、舞台を盛り上げる音の種類などですが、実は書こうと思えば、プロの放送作家であれば、とことん具体的に書くことができます。 

でも、そこはあえて書かずに、職人である各セクションの皆さんにお任せします。ここで大事なのは、『書かなくてもわかるでしょ?』という雰囲気を醸し出すのではなく、『具体的な演出プランはプロである皆さんにお任せします』という姿勢で、『自分はその道のプロではありませんが、イベントを成功させたいと思っています。皆さんの力を貸してください』と言うメッセージを台本に込めるのです。そうすると、自然と職人肌のスタッフは自分の力をイベントに注いでくれるようになるのです。 

また、イベントに関わるスタッフは、その日限りの付き合いであることも多いのですが、『たった1日ですが、よろしくお願いします!』という姿勢を見せるというのも大事です。 

具体的には、イベント会場に入ったら、まずスタッフ全員に挨拶をして回ったり、具体的な行動でそれを示します。実は放送作家は、イベントの台本を書いた後は、当日現場ではあまり放送作家としての仕事がありません。 

でも、舞台進行中になにか演出面で不具合が生じたり、とっさの判断が必要な時には、放送作家として意見を出さないといけないので、できるだけその現場にいなくてはいけません。そして、何かあったときにうまく対応できるかどうかは、各セクションのスタッフと、事前にいかにコミュニケーションが取れているかがキーになるのです。 

他にも、イベントを成功させるためには、様々なテクニックがあるのですが、その全てに共通しているのは、『みんなの力を合わせられるように振る舞う』という事です。これからの季節、学生の皆さんは学園祭など、自分がイベントを企画・運営する立場になる人もいるかもしれません。自分たちのイベントを成功させたいと思った時は、是非このコラムを思い出して、参考にしていただけたら幸いです。

「戦火のマエストロ・近衛秀麿」について
「近衛秀麿という人物がユダヤ人の命を救っていた」という話を始めて聞いたのは、いまから1年半ほど前、秀麿の音楽やその人生を30年近くに渡って追ってきた音楽プロデューサーからでした。
最初はにわかに信じられませんでした。なにせ、近衛秀麿といえば、戦争へと向かう日本で首相を務めた近衛文磨の弟。そんな人が果たしてユダヤ人を救うというようなことをするのだろうか?そう思ったからです。
その後、秀麿について書かれた本を読んでみると、指揮者としてベルリンフィルでタクトを振った最初の日本人だったことや、「NHK交響楽団」の前身である「新交響楽団」を設立したこと、アメリカやヨーロッパで活躍していた事などがわかり、音楽家として世界的に活動した人だったということがわかりました。しかし、それでもユダヤ人を救っていたという話はどこにも出てきません。わずかに、本人が書いた自伝に数行だけ「救われたユダヤ人家族は10以上」、「日本大使館のY君が担当した」といった謎めいた記述があるだけです。
これ程度の情報で本当に番組になるのか?不安はありましたが、調べてみる事にしました。すると秀麿が米軍から受けた尋問の調書がアメリカ国立公文書館から発見され、そこに亡命幇助の一端が記されていたのです。しかし、ここから番組ディレクターの苦悩が始まります。証言者を世界中から探さなければならなかったからです。日本、ドイツ、イスラエル、アメリカ、イギリス、ベルギー…1年に渡る執念の調査から何がわかったのか?それは番組を見てのお楽しみですが、「凄い!」ことは間違いありません。

一つだけ、今回の取材を通してわかったことを書きたいと思います。それは、「ユダヤ人を救った」という話は、戦後ながらく日本だけでなく、ヨーロッパでもタブーだったということです。亡命に成功した人たちも「誰のおかげで亡命できたか」また「どうやって逃げたか」などデリケートな話は決して口にしなかったと言います。一方で、亡命を助けた側も同じでした。だからこそ、近衛秀麿の物語も長い間語られる事はなかったのです。
戦後70年という時間を経ていま浮かび上がる意外な真実。ぜひご覧ください!

水野重理(みずの・しげのり) 番組プロデューサー
番組内容
元首相・近衛文麿の弟であり、同盟国の客人としてナチスからも活動を許されていた秀麿の水面下での知られざる活動。それは、戦後、連合国側の取り調べから明らかになった。今回番組では、アメリカ公文書館で見つかった調書や、秀麿を知る関係者の証言を通じて、ユダヤ人演奏家たちの亡命を助けていた実態や音楽に身をささげたその個性を描き出す。
【出演】藤田由之,鳩山寛,クロイツァー・凉子,水谷川優子,水谷川忠俊,本多章一,【語り】益岡徹  玉木宏
俳優・玉木宏が迫る新感覚音楽ミステリー!ナチス・ドイツの嵐が吹き荒れる欧州で活躍した音楽家・近衛秀麿。世界最高峰のベルリンフィルで初めて指揮をした日本人だ。彼は、自身のオーケストラを隠れみのに、ユダヤ人の国外脱出を手助けしていたという。マエストロ・ヒデマロはいかにしてその大胆な試みを企て実行していったのか。亡命オーケストラの謎がいま初めて明かされる。壮大な交響曲と高精細映像でつづるサスペンス紀行!

※筆者談話
写真、「水谷川忠俊」さんと番組出演に名があって、久しぶりお元気そうな顔拝見しました。案内役の玉木宏も適役でした。今回の番組は、現地取材が豊富で秀逸なドキュメントでした。やはり歴史に名を残すというのは大変なことで、さらに国際的評価を得るのは至難のわざです。なにしろ「近衛」姓は平安時代からですから、それだけでも大変なことです。マエストロ近衛秀麿について記事ブログをかいてみましょう。8月4日ころの予定。