脇役から主役へ、バニラの下剋上な歴史
 国際アイスクリーム協会のランキングによると、アイスクリーム好きの29%が真っ先に選ぶのはバニラで、2位以下のチョコレート(8.9%)、バターピーカン(5.3%)、ストロベリー(5.3%)を大きく引き離し、断トツ1位だ。

 こんなに人気のバニラなのに、英語で“プレーン・バニラ”と言うと、平凡、単調でつまらないものの代名詞となっている。華やかさに欠ける「プレーン・バニラなワードローブ」とか、オプション機能のない「プレーン・バニラな製品」、退屈な「プレーン・バニラな音楽」といった具合だ。ところが実際のバニラは、退屈とはほど遠い歴史をたどってきた。

チョコの脇役から主役へ
Photograph by Johan Zeeman, Creative Commons 2.0
015623

 バニラは、2万5000種から成る一大植物群、ラン科の仲間。中南米が原産で、メキシコの東沿岸に住むトトナコ族によって栽培が始められたと考えられている。15世紀にトトナコ族を征服したアステカ族がバニラを手に入れ、やがてアステカ族を征服したスペイン人の手に渡った。征服者エルナン・コルテスがヨーロッパに持ち帰ったとする説もある。しかしこの時は、ジャガーやフクロネズミ、アルマジロなどの珍獣に注目が集まり、バニラの影は薄かった。

 アステカ族は、カカオを原料としたショコラトルと呼ばれる飲み物にバニラを加えて飲んでいた。スペイン人はチョコレートを「豚の飲み物」と表現し、当初は気味悪がったが、徐々にアステカ族の飲み方を真似するようになった。

 17世紀初めになると、チョコレートに香りを添える脇役でしかなかったバニラの状況は一変する。英女王エリザベス1世の薬剤師ヒュー・モーガンが、チョコレートを使わないバニラ風味の砂糖菓子を考案し、それを女王が珍重したことから、バニラはにわかに主役の座についたのだ。18世紀には、フランスでアイスクリームの香味料としてバニラが使われるようになった。1780年代に米国大使としてパリに赴任していたトマス・ジェファーソンは、バニラアイスをたいそう気に入り、レシピを書き写した。現在、そのレシピは米国議会図書館に収蔵されている。

料理本にバニラが登場するのは、もう少し後のことだ。食物史家のウェイバリー・ルートによれば、バニラを使った最初のレシピは、英国の料理家ハンナ・グラスのベストセラー『The Art of Cookery』(1805年)に掲載されたもので、チョコレートには「バネラス」を加えるように、と書かれていた。

 米国では、メアリー・ランドルフが著書『The Virginia Housewife』(1824年)の中でバニラアイスのレシピを紹介したのが最初である。19世紀後半になるとバニラの需要は急増した。アイスクリームのフレーバーとしてすっかり定着しただけでなく、清涼飲料の原料としても欠かせない存在となったのだ。アトランタの薬剤師ジョン・S・ペンバートンが考案し、1886年に発売されたコカ・コーラにもバニラが配合され、「脳スッキリ、知性に効く大評判の飲み物」と宣伝されている。

世界で2番目に高価なスパイス

 問題は、バニラの値段である。生産に多くの人手と作業を必要とするバニラは、サフランに次ぐ、世界で2番目に高価なスパイスだ。バニラはつる性の植物で、他の植物に絡まりながら成長する。茎(つる)の長さは90m以上に達することもあり、直径10cmほどの淡い黄緑色の花を咲かせる。原産地のメキシコでは、オオハリナシバチやハチドリがバニラの花の授粉係だ。受粉しなかった花はわずか24時間でしおれて落ちてしまう。このように受粉機会がごく限られていることを考えると、バニラの存在そのものが進化の奇跡のようなものだ。  

 受粉に成功すると、長さ15~25センチほどのさやの形をした実がなる。さやの中には数千もの微細な黒い種子が詰まっている(バニラアイスに入っているあの小さな黒い粒だ)。ほかの地域でもバニラの移植が試みられたが、当初、さやは全く形成されなかった。授粉係のオオハリナシバチがいなかったからだ。1841年、インド洋に浮かぶ植民地レユニオン島で、12歳の奴隷の少年エドモンド・アルビウスがバニラの人工授粉の方法を編み出した。この技術がバニラ栽培に大きな変化をもたらし、バニラプランテーションはマダガスカルからインド、タヒチ、インドネシアと世界中に広がった。今日、世界のバニラの75%は、マダガスカルとレユニオンで生産されている。

バニラの実は、さや豆のように見えることからバニラビーンズと呼ばれ、成熟したものは、ひとつひとつ手で摘み取られる。収穫した実はじっくりと時間をかけて、発酵・熟成加工されていく。やがて十分に乾燥して黒く艶やかに熟成し、芳醇な香りを放つようになったさやが、スパイス専門業者によって販売される。

 さやが熟すのに9カ月もかかる上に、収穫や収穫後の処理に手間がかかるバニラは、世界的にも生産量は多くない。世界の天然バニラ総生産量は2000トンで、需要には到底追いつかない。バニラ風味のウォッカやバニラウエハース、バニラプディングなど、市場に出回っているバニラ製品のほぼ99パーセントは、天然のバニラが使用されていない。


Photograph by Jennifer Martinez, Creative Commons 2.0
市場の99%は合成バニラ

 バニラは驚くほど複雑で繊細なスパイスだ。含まれる様々な風味と香りの成分は250~500種類に及ぶと推測される。その中で、バニラ特有の芳香を生む主成分がバニリン(4-ヒドロキシ-3-メトキシベンズアルデヒド)だ。舌を噛みそうな化学物質名だが、比較的容易に人工合成が可能で、木材パルプ製造や製紙工程で出る副生成物のリグニンや、丁子油の成分のオイゲノールなどから合成される。変わったところでは、ビーバーの肛門腺から分泌される海狸香(かいりこう)という糖蜜に似た物質も、バニリンの原料となる。

 合成バニリンの値段は、天然バニラの20分の1以下。年間2万トンものバニリンが製造・販売されている理由はそこにある。何かにバニラの味や香りを感じたなら、それは多分、天然バニラではなく合成バニリンの味や香りなのだ。
いっぽう、国際環境保護団体「フレンズ・オブ・ジ・アース(FOE)」は、最近開始した「天然バニラを支持するキャンペーン」で、合成生物学を応用して作るシンバイオ・バニリンを槍玉に挙げている。シンバイオ製品は、DNA配列を人為的に操作し、藻類や酵母菌などの生細胞に組み込むことによって作られる。

 酵母の遺伝子を操作するこの方法で、香水にオレンジやグレープフルーツなど柑橘系の香りをもたらす化合物が作られている。また、合成生物学の技術を応用するベルギー企業、エコベール社は、遺伝子を組み換えた単細胞藻類を使ってシンバイオによるパーム核油を製造し、石鹸の原料として使用している(目的はアブラヤシを栽培するための伐採や破壊から熱帯雨林を守ることだ)。

 米国の評論誌はシンバイオ・バニリンについて、「マダガスカルやメキシコの農民たちが支配している、高価な天然バニラ市場と真っ向から競合することになるだろう」と指摘している。果たしてそうだろうか。

 シンバイオ・バニリンの競合相手になるのは、石油化学製品や木材パルプからバニリンを作る、合成バニリン産業のほうだ。合成生物学と合成化学という2つの手法から作り出されるバニリンは、どちらも同じ4-ヒドロキシ-3-メトキシベンズアルデヒド分子である。シンバイオのバニリンだからといって、どこか薄気味悪いなどと考えるのは、まったくのおかど違いなのである。

 とはいえ、どちらのバニリンも、本物のバニラでないことに変わりはない。本物の“プレーン・バニラ”が食べたいのなら、バニラビーンズが必要ということだ。

(文=Rebecca Rupp/訳=小野智子)
(記事引用)

~~~ ~~~



5151a
 

♪マダガスカル2018507

 https://d.kuku.lu/bf0f96a191