音楽の古典(雅楽・神楽)
ジャズとクラッシック音楽 ジャズ理論 架空民族音楽  

 どのような音楽も、特定の文化や歴史の刻印を帯びています。今、自分を辺境に辿り着いた民族音楽学者だと想像してみてください。 
 そして今、聴いている音楽を、自分がフィールドレコーディングしているのだと、考えてみてください。その音楽は、なんのために存在して、どのような様式や歴史をもっているでしょうか。それはどのような言葉でだれのために発せられているのでしょうか。 

 この感性を磨き、自己省察するための手助けを、このプログラムでは提供します。異言語への翻案や、あたらしい楽器の開発に伴う、音楽の様式の変容は、創造的なプロセスであり、我々にとってのかけがえのない社会的リソースです。 
 個人にとって、それは技法の集合以上の意味を持ちます。今、昔覚えたなにかの曲を、思い出しながら歌ってみてください。オリジナルとどう違っているでしょうか。それを観察することが、あなた自身が文化のただ中にいる存在であり、あなた自身が同時に民族音楽学者であるということなのです。  
 
「小俣 友海氏」著者、は民族音楽についてそう説明する  
#「なぜいま北欧サウンドか」、というタイトルにして記事を書いたのが昨日のことだった。 
 20歳<28歳<、欧州最北端の小さな島国から、なぜ次々と才能あふれる若手音楽家が登場するのか。よもや40年前の「ビートルズ」出現、とまではいわないだろう。「アウスゲイル」の「サウンド オブサイレンス」は秀逸、こちらはサイモンとガーファンクル、さすが北欧の冷めた風を感じるのは、どうしたわけだろう。とその感想綴った。 

 我々(私)が古典音楽を語ると、その話は、能、狂言、越前琵琶、雅楽、神楽など純粋な東洋音楽になるのは必然である。それをどれほど理解しているかいないか、ということは別にして、開口一番そう答えるに違いない。歴史的に外国から閉ざされていた日本は、日本古典音楽以外を知らなかった。(詳しく云えば雅楽は古代中国唐の渡来音楽である)

 ながらく五線譜上の音階というものを理解していなかった日本は、明治以降の文明大変革の洗礼を受けて、その西洋音楽を学ぶこととなる。 

 その基礎が成熟しないまま、世界的な戦争に突入、そして敗戦。その後、怒涛のごとくアメリカポピュラーミュージックのエンターテイメントが席巻した。現代時間で時代的にその足跡をたどることはできる。 

 結論的に、そのことを語るのはいま、いましかない。あと数年もすると、そんな話はオトギ話として子孫に語り継がれるようになるだろう。 

 個人的には「ジャズ」の歴史足跡、本質、理論を知りたいとおもった。もともと自身は古典音楽奏者であり、五線譜とは縁がない。昨今の教育は、日本の古典でも五線譜で学習するようになっている。が、現場では一切そんなことはしない。あるのは師匠の口伝のみである。 

 ジャズはアメリカの音楽である。そのことは、世界中のジャスアーティストが証明している。基本的な西洋音階を学び、ある程度の研鑽を積めば、あとは言葉がなくとも、五線譜で会話ができる。それほとスタンダードな音楽がジャズである。 

 ジャズの旋律は独特で、他のどの民族的な音楽とも違う。もちろん、譜面に起こしたメロディーでどのような音楽ともジョイントできる。 

 それでも、ジャズらしい音楽にするには、一定の約束事か必要で、それにはジャズ理論が欠かせない。それらを学ぶには西洋音楽、とくにクラッシック音楽理論を理解していないと、ジャズの音階の組み立てができない。 #
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雅楽の本道 「式部職楽部の八仙」(2017年NHK元旦放送されたもの)
八仙 由来 utamai.com
八仙(はっせん)とは、もともと渤海楽と呼ばれるジャンルの楽曲でしたが、高麗楽に編入されました。崑崙八仙または鶴舞などの別名が、古学書に表記されています。

八仙 三五要略「鶴舞」ト号ス 別装束舞
   面甲有リ 小曲
「崑崙八仙」ト云フ。破、拍子十三、又十ニ。急、拍子十三
古代中世芸術論「教訓抄 巻第五」-日本思想体系-より筆者読み下し
楽曲・舞とも由来は不明ですが、一説には鶴の一群が大空に飛びかう姿を舞にしたとも言われています。
舞人の装束は別用装束で、鯉の繍文様に網をかけた貫頭衣の袍に、鳥の頭と嘴をイメージしたような、冠と面を着用します。舞の途中で「か~ごめ、かごめ~♪」を連想させるような、4人が輪になって回るような舞振があり、非常にユニークです。

※サンサーラ. 輪廻 - インドの伝統的な転生観である輪廻。サンサーラ(梵、巴: saṃsāra). 転生 - 生まれ変わりの観念全般。 輪廻 (ジャイナ教) - インドの古代宗教における輪廻。サンサーラ。断食による入滅。(ウイキペディア)

いやこれがテレビ番組? それも民放??? 驚きだ。こんなときの形容詞「日本もまんざらすてたもんじゃないさ」、という語句が浮かんだが、みな一様にそう感じているのだろう。

このところ、隣の隣人が突然テレビに出て、なんのことやらとおもったら「素人の新鮮さ」がウリのようだった。もはや手垢のついた芸能関係もネタが見えてきたか、という感慨だ。

そんなことで思い当たるフシがある。地元千葉長生で古典芸能を40年して以来、中にはアメリカ、ニューヨークからわざわざ、それをしたいがためにALTを希望して、仕事をしながら雅楽を演奏する人がいる。すでに彼の滞在は20年が経過した。国内で結婚し日本人妻との間に3人の子がいる。
いまでは日本人の奏者とかわらない。むしろ他にも弓とか琴とか、いろいろやっている。彼は完全にクールジャパン化している。

そうした外人を全面にアピールしたテレビ番組がある。
「私が日本に住む理由」BS.JAPAN ホスト高橋 克典 月曜日21時だ。それはすでに見て知っていたので、これだったら彼も該当するのではと、局にメールを送った。
しばらくして返信があり、本人「ホール・ブライアン」先生を紹介した。あとは本人と局(担当外注)の折衝なので、それで私は退いた。

1月ほど経過して不採用の通知があったらしい。残念な話しだが、相手側の判断であるからどうにもならない。それですべて終わったと思っていたら、そのネタが業界筋に回され、関西の放送局が受けることになったらしい。この時点で私の手は離れているので、進捗状況はまったく知れない。

結果的に3次段階まで下って番組制作の運びとなったらしい。そのリハーサルと本番は地元神社で撮られたので私も立会いで見ていた。

内容は日本の風景のなかで演奏するその姿と、両親の住むニューヨークとの間でネット交信の模様が放送された。
本人いわく、日本の恩師、私と雅楽師匠の堀川氏に感謝しているというものだった。
やはり、こうした外人は特異であるし他にも何人かいたが持続しているのは彼だけだし、それにむくいてやりたといおもった老婆心である。

それはまったく私事であるからさしたる意味はないが、【サンサーラ】と同様の上質なドキュメントという点で共通するとおもい書いてみた。



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