世界はこの4アルファベット「GAFA」が96%を支配する
私は「アベシンゾウ」ではない、でも日本人だ

市民の一人ひとりが望月衣塑子だ(阿部岳)
週刊金曜日編集部2019年05月05日 07:00
直径約2・4ミリの鉛の粒が、『朝日新聞』阪神支局(兵庫県西宮市)に展示されている。1987年の襲撃事件で、散弾銃から発射された。一つひとつは小さなその粒が記者1人を殺害し、言論を永久に封じた。

今、首相官邸が発する言葉の一つひとつがジャーナリズムを撃ち、衰弱させている。

2015年、フランスの風刺週刊紙『シャルリエブド』が武装テロリストに襲撃され、編集長ら12人が犠牲になった。世界中のジャーナリストと市民が「私はシャルリ」と連帯の言葉を語った。

そして今。私は望月衣塑子である。ジャーナリスト、市民の一人ひとりが望月衣塑子ではないか。

菅義偉官房長官は、記者会見で質問する『東京新聞』の望月衣塑子記者に対し、「あなたに答える必要はありません」と言った。国会では「取材じゃないと思いますよ。決め打ちですよ」と言った。誰になら答えるのか、どれを取材と認めるのか、権力が一方的に選別するという宣言である。

他方、首相官邸から内閣記者会への要請文は「問題意識の共有」を求めた。「メディア、政府の双方にとって有意義な形での」会見と続く文脈にも、「あなたがたも望月記者には手を焼いているでしょう」と、記者クラブを抱き込む意図がのぞく。

権力による同業者の排除を黙認し、自らは排除されないようにおもねるとしたら、権力を監視するジャーナリズムは死ぬ。職業人、プロフェッショナルならば闘う以外の選択肢はない。仕事の流儀、価値観の違いがあったとしても二の次である。存在意義と存立基盤そのものが揺さぶられている。

 自由な取材に基づく自由な表現は、市民のために存在する。権力をめぐる多様な情報がなければ、市民が判断材料を選び取ることもできない。ジャーナリストの目、耳、口がふさがれる時、市民が見る、聞く、話す力が弱められる。

だから、官邸の執拗な抗議に対し『東京新聞』が「記者は読者、国民の代表として質問に臨んでいる」と述べたのはごく当たり前のことだった。これに対し、官邸は「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員」「記者は国民の代表とする根拠を示せ」と迫った。

強気の背景には、市民の既存メディアへの反発が強まっていることがある。SNSを中心に「マスゴミに私の代表を頼んだ覚えはない」という声が存在感を増し、逆にメディアは弱気になっている。

でも、臆することはない。極論すればたとえ一人だけのためでも、ジャーナリストは市民に代わって職責を果たす。国会議員は、市民に代わって議論し、国の方針を決める仕事。どちらも民主主義社会の主役である市民の代行者にすぎない。

違うのは、国会議員が一部ではなくこの国に住む市民全体を代行している点だ。だから税金を使うことができ、その決定は全体を縛れる。すべての質問、意見に応答するのは義務である。事実と違うなら、そう説明すれば足りる。

言うまでもなかった根本のところから、民主主義が掘り崩されようとしている。この危機にあって、「私たち」という曖昧な主語は力が足りない。一人ひとりの「私」が自らの足で立って言葉を発し、その上でつながっていく覚悟がなければ、対抗できないように思う。(一部敬称略)
(あべ たかし・『沖縄タイムス』記者。2019年3月29日号)
(記事引用)
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フェイスブックをめぐる3つの「不都合な真実」規制をめぐり報道機関とフェイスブック幹部者が激論
小林恭子2019年04月26日 08:58記事 

世界で約20億人の利用者を誇るソーシャルメディアの最大手フェイスブック。このところ、批判の矢面に立たされるようになった。

2016年の米大統領選ではフェイクニュースを拡散したプラットフォームとして、悪評が広がった。追い打ちをかけるかのように、昨年3月、8700万人にも上るフェイスブック利用者の個人情報の不正流出事件が明るみに出た。今年3月中旬には、ニュージーランド・クライストチャーチで発生したモスク銃撃事件で、銃撃犯による犯行の模様をライブ配信させるツールとなってしまい、ここでも責任を問われた。

「フェイスブックは信用できない!」として、そのサービスを止める人も少なくない。はたして、フェイスブックは「もうダメ」なのか。当局による、何らかの規制が必要なのか。もしそうだとすれば、オープン性が特徴となるネットの言論空間はどうなる?

4月上旬、イタリア・ペルージャで開催された「国際ジャーナリズム祭」ではフェイスブックの幹部を呼び、まさにこのテーマで喧々諤々の議論が繰り広げられた。その様子を紹介してみたい。

かつてメディアは「白人男性の発言の場」だった
毎年開催される国際ジャーナリズム祭は、参加費が無料。複数のホテルが会場を提供し、誰もが足を運ぶことができる。

4月4日夕方のパネル・セッションのタイトルは、「フェイスブックを批判する?もちろん。止める?どうして?」。会場は満席となり、立ち見の人もかなりいた。

口火を切ったのは、米ニューヨーク市立大学で教えるジェフ・ジャービス氏だ。スキャンダル続きのフェイスブックを含めてソーシャルメディアの利用を「止めるべきだ」というジャーナリストと、テレビで討論したという。


左からジャービス氏、ボール氏、ブランデル氏(撮影筆者)

ジャービス氏は、「止める」選択肢には必ずしも同意しない。「今まで、『メディア』と言えば、私のような顔をした人物(白人・男性)が発言する場だった。しかし、ソーシャルメディアの勃興で、これまでは外に自分の声を十分に出すことができなかった人が、発言権を得た」と指摘する。

これが一昨年秋以降に大きくなった、セクハラや性犯罪を告発する「MeToo運動」や格差拡大に異議申し立てをする「占拠せよ運動」の広がりなどに表れているという。

民主主義は「会話」であり、その言論空間は玉石混交の「乱雑なものではないか」とジャービス氏は言う。「フェイスブックやツイッターの言論空間は乱雑で、無秩序に見える。そこで秩序をもたらすべきという声が出ている。『ゴミ』を会話から取り除くべきという人がいる一方で、『会話』に手を付けるべきではないと主張する人もいる」。さてどうするべきか、とジャービス氏は問いかける。

「新聞報道よりずっと貴重な情報がネット上にある」
オックスフォード大学レディ・マーガレット・ホールの学長アラン・ラスブリジャー氏は、イギリスのリベラル系日刊紙「ガーディアン」で20年間、編集長だった。

同氏はソーシャルメディア、グーグル、ウィキペディアなどをよく使うという。「イギリスの新聞よりもはるかに貴重な情報が見つかる」。

ラスブリジャー氏は、2016年、イギリスで欧州連合(EU)から離脱するかどうかの国民投票が行われたとき、イギリスの新聞界が質の高い情報を読者に十分に提供できなかったことに失望感を抱いた。「将来を左右する重要な離脱問題に国民が的確な判断を出すための情報を、イギリスの新聞は提供できなかった」。ツイッターを見ていた方が「有益な情報が見つかった」。

ソーシャルメディアを批判するのもいいが、報道機関は「なぜテクノロジー大手が成功したかを、謙虚な気持ちで考えてみるべきではないか」。例えば、記事を出す際には報道事実の根拠を示す、リンクを貼る、読者との「会話」の機会を持つなど、ネットメディアの常識を既存のジャーナリズムに取り入れてみるべきという。

フェイスブックを巡る、3つの「不都合な真実」
イギリスのジャーナリスト、ジェームズ・ボール氏が議論を引き継ぐ。「フェイスブックを巡っては、3つの不都合な真実があると思う」。「不都合な真実」とは、2006年の米映画の題名で、アル・ゴア元米副大統領がナレーター役となった、環境破壊についてのドキュメンタリーだ。

1つ目は「テクノロジーについての報道の質が低く、目を覆うばかりであること」。記者の側にテクノロジーについての知識が浅く、「巨大な権力を持つフェイスブックを始めとするテクノロジー企業の説明責任を追及できない」。

例えば、フェイスブックが、スポティファイ利用者の個人情報を収集している、という報道があった。「フェイスブック側は『そのような意図はなかった』と説明する。フェイスブックには、黙れ!と言いたい。利用者の行動を追跡するのがフェイスブックだから、最初から知っていたはずだ」。しかし、十分な知識がなければ問題を本当には追求できないという。

2つ目は、フェイスブックが巨大になりすぎて情報管理ができなくなっていること。

3つ目が、フェイスブックとメディアが相互依存していること。フェイスブックにはたくさんの人が集まっている。メディア側は多くの人にリーチしたいので、「フェイスブックとメディアは互いに離れられないほど相互依存している」。

個人の趣味でフェイスブックを使っているのなら、「止めたければ止めればいい。でも、もしメディアにいるのだったら、止めるなんて馬鹿げている」。

フェイスブックから、メディアが学べることは
メディアが読者参加を高めるためにアドバイスを行う「Hearken(ハーケン)」の最高経営責任者ジェニファー・ブランデル氏は、報道機関がフェイスブックから学べることがあると指摘する。

「フェイスブックを始めとするソーシャルメディアが非常にうまくやっているのは、人々の声に耳を傾けること」。市民は「上から話しかけられるのではなく、同等の立場から話をしたいと思っている。相互のやり取りを望んでいる」。

具体的には、「まず編集部のスタッフの電子メールを公開すること。これで読者とコミュニケーションを取ることができる。記事を読んでもらったり、ニュースレターを受け取ってもらったりできる」。有料購読者には、「記事の関連データをダウンロードできるようにし、活用してもらうのはどうか」。

フェイスブック側の答えは?
パネリストの一人は、フェイスブックの欧州・中東・アフリカ地域のニュース・パートナーシップ部門ディレクター、ヤスパー・ドウブ氏だった。以前は、ドイツの著名ニュース週刊誌「シュピーゲル」で、デジタル及びテレビの部門を統括していた。彼は現状をどのようにとらえているのか。

「ネット上にたくさんの誤った情報(ミスインフォメーション)が出ているのは、事実だ」と同氏は言う。これに対処するため、フェイスブックは独立したグループを立ち上げ、ファクトチェックに当たらせている。「24の言語、40社の企業と一緒に作業を進めている」。

フェイスブックに対する批判の1つは、ニュースフィードに掲載されるニュースの質が玉石混交であること。フェイクニュース拡散の温床となった。

しかし、「質の高いニュース」のみをフィードに出すことの難しさをドウブ氏は指摘する。「ジャーナリズムの質とは、一体何を指すのか。どの基準を使ったら良いのか。フェイスブック自身がこれを定義するべきなのか」。

フェイスブック側が「ある人たちの意見が気に入らないからと言って、これを排除していいのだろうか」。同氏は「一企業の中で決めるのは、危険」と考える。「私たちは中立でありたい。同時に、多様性を維持したい。しかし、世界のすべての言語のすべての現象を反映させるわけにはいかない」。

メディア企業や政府、産業界からの支援が必要で、今「どうやってやるかについて、議論しているところだ」。

フェイスブックのプラットフォームを悪用する例があることも認識しているという。「人間が誰かと時を一緒に過ごす時、そのコミュニティ内で何らかの乱用・悪用が発生するものだ。問題を解決したいが、どうやってやるかについて、簡単な答えはない」。

これに対し、司会者のジャービス氏は「インターネットの裁判所なるものを作ってはどうか」、と提案した。公の場で悪用例を議論するのである。(このアイデアについては、ブログで詳細な説明がある。)

「フェイスブックは、もっと情報を出すべき」


会場から、「フェイスブックはもっと報道機関に情報を出すべきではないか」というコメントが出た。

フェイスブックのニュースフィードには、「友人たち」の近況ととともに、自分があるいは自分の友人たちがフォローするニュースサイトのニュースが出るようになっている。報道機関側としては、利用者がどのように反応したのか、あるいは利用者がフェイスブックのアプリを開けた時に真っ先に目に付くような場所においてもらうためにはどうするかが知りたいところだ。扇情的なコンテンツを故意に目立つ場所に置いている、とボール氏は指摘した。

ドウブ氏は「フェイスブックが故意に扇情的なコンテンツをだすことはない」。利用者が選択した以外のコンテンツを挿入することはないし(筆者注:「広告を除いては」、という意味だろう)、あるコンテンツが表示される「順番をアルゴリズムで決める」だけだという。

「質が高い、利用者に関連したニュースを上に出していきたい」が、メディアとの共同作業は始まったばかりで、「どのようにやるかについてまだ完成していない」。

また、「もっと情報を出すべき、ということだが、私が発行者側にいた時、フェイスブックから何が欲しいかと聞かれた。発行者側としては、フェイスブックが利用者について持っているすべての情報が欲しい、と言ったものだ」。しかし、これは非現実的な要求だった。

利用者のプライバシー保護の面からも、「すべて」を提供するわけにいかないからだ。

規制は実現するか?
フェイスブックのザッカーバーグ最高経営責任者は、3月末、米ワシントン・ポスト紙への寄稿記事の中で、悪質な投稿対策に規制当局の関与が必要とする見解を述べた。

フェイクニュースまん延の「悪玉」の1つとされたフェイスブックが、当局による規制に前向きの姿勢を示したことは、画期的な動きとして受け止められた。

ザッカーバーグ氏は、フェイスブックや傘下にあるインスタグラムで「白人国家主義」や「白人国家主義を称賛・支持する」投稿を禁止するとも述べている。フェイスブックはネット規制に大きく動いた、と解釈してよいのだろうか。

ボール氏は悲観的だ。「株主の利益優先と言う目的がある企業はまず、『(当局による)規制には反対だ』という。その後で、規制には賛成だが、具体的な話になると、『この特定の規制は機能しない』などと言うだろう。次の段階では『この規制案には賛成だ。しかし、倫理規定を定め、これを守った方がいいのではないか、と言ってくるだろう。『厳しい自己規制が最善だ』と』。会場内に失笑が広がった。

ドウブ氏はこれに反論した。フェイスブックは規制導入に対して前向きの姿勢を持っているのだ、と。

しかし、例えばシンガポールでは、「コンテンツが適切ではないと思われた時に、政府がすぐにこれを取り下げる権利を持つ。これが私たちが向かおうとしているところなのだろうか」

「言論の自由を維持しながら、利用者に安全に利用してもらいたい。この2つのバランスを取りたいが、難しい。だからこそ、政府や他の組織に参加してもらいたい。複雑な問題を解決しようとしているので、短期では決められない」。

ドウブ氏は最後に、昨年11月から作業を進めている「コンテンツ・ボード(コンテンツ委員会)」設置の動きについて説明した。フェイスブックとは独立した形で設置される組織で、「どのようなコンテンツがフェイスブックに載るべきか、どのようなポリシーを持つべきか」を決めていく。

しかし、このような組織をどうやって作るのかが目下の課題だ。「フェイスブック自身が人選をするのか。もしそうなればバイアスがかかる。そこで今、多くの専門家、学者などに話を聞いている」。

委員会設置のメカニズムについて年内には意見をまとめる見込み。「フェイスブックだけではなくて、ほかの人々と一緒に基準を作っていくという試みのひとつと考えてほしい」。

日本では最近まで、フェイスブックを含めるいわゆるGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)を批判的に見る視点が少なく、どちらかというとテック大手の躍進を好意的にとらえる傾向が続いていたのではないだろうか。

しかし、ソーシャルメディアと規制をめぐり、日本は国際的にも対応を迫られている。

4月18日付の安倍首相に向けた書簡で、オーストラリアのモリソン首相はソーシャルメディアが野放しの空間になっていることに危機感を示し、6月の主要20カ国・地域(G20)首脳会議)(大阪)で規制強化を議論するよう求めた。しかし、河野外相は翌日の記者会見で、規制強化には慎重な考えを示している。ソーシャルメディアで「便利になったところもあれば、難しい状況になった部分もある」。

イギリスでは今月上旬、政府がオンライン被害についての白書を出し、自主規制組織の設置について、国民の意見を募集している。「一定の歯止めをかけるべき」という考え方が広く共有されてきた。筆者もこの流れに同意する。

ペルージャ会議で見られたような、プラットフォーム側と報道機関側との丁々発止の議論は、日本ではあまり発生してこなかったのかもしれない。

その理由は例えばフェイスブックの利用率が他国に比べて比較的低い(ロイター・ジャーナリズム研究所の調査によれば、対象国平均が約60%のところ、日本は22%)ために問題視されにくかったこと、メディアが被害を大々的に取り上げ、「なんとかしなければ」という機運を作る動きがこれまではあまりなかったこと、米国系テクノロジー大手の活動に対する懐疑の視点が少なかったことなどが挙げられるのではないか。

あっという間に生活に欠かせなくなったソーシャルメディア。安心して使える環境づくりのためにはどうするか。利用者の一人として、フェイスブックの動きを追っていきたい。
(記事引用)



ビッグデータとGAFAの「データ寡占」
:政策当局の介入の可能性はまだ不透明
森原康仁  世界経済評論(三重大学 准教授)2018.07.30 
「ビッグデータ」というキーワードを目にする機会が増えている。事業の現場でも利用が進み,日々の仕事のなかで触れる機会も増えている。

 ビッグデータとは「無数の取引,生産,通信プロセスから生成される大量の(デジタル)データ」(OECD)である。そして,この分析によって「まだ知られておらず,構造化(形式化)もされていない莫大な情報」から意味のある情報を取り出すことができるようになると,製造コストを劇的に削減できるだけでなく,より適切な意思決定を下せるようになると期待されている。たとえば,2016年度の「世界経済フォーラム」は,世界中の工場で業務や生産プロセスがデジタル制御されるようになると,2025年までに全体で100兆ドルの経済価値を生むと推計している。

 ビッグデータはデータ収集の画期的な効率化によってもたらされている。ウェブの普及はオンラインでのデジタルデータの収集を容易にした。2000年代半ば以降は,スマートフォンの登場で大半の人が常時小さなセンサーを持ち歩いているに等しくなった。また,センサー技術の革新によって,産業の現場でのデータ収集も可能になった。IoT(モノのインターネット)はその一例である。

 アクセンチュア社シニアマネジング・ディレクターのエリック・シェイファーの整理によれば,2020年までにセンサーとデバイスの数はそれぞれ2120億個,500億個に増える。また,同年までに4G-LTEネットワークに接続する人の数は23億人になる。その結果,2021年には1か月あたりのモバイルデータ・トラフィックは52エクサバイトにまで増えるという。センサー,デバイス,ネットワークの革新が,ビッグデータの技術的基礎であることがわかる。

 こうしたビッグデータの分析・活用を強力に進めているのがGAFA(ガーファ)と呼ばれるIT産業の巨大企業である。GAFAとは,Google,Apple,Facebook,Amazonの頭文字をとったもので,この言葉が初めて活字メディアに登場したのは2012年12月のフランスの『ル・モンド』紙だった。

 GAFAの中核事業はそれぞれ異なるが,4社に共通しているのは「プラットフォーム企業」という点である。ノーベル経済学賞を受賞したジャン・ティロールらが整理したように,プラットフォーム企業とはネットワーク効果が存在する2つの市場の両方(両面市場 two-sided market)と取引をおこなう企業を意味する。典型的な事例はAdobe社のPDFである。同社は読者市場(普及を促す市場)にディスカウント価格でリーダー・ソフトを提供する一方,収益を得る市場(出版市場)には電子書籍作成ソフトをプレミアム価格で提供し,両者を仲介してPDF規格を普及させつつ,PDFを収益事業としても成功させた(立本博文の整理にもとづく)。

 GAFAも同様である。たとえば,AppleとGoogleはスマートフォンで消費者とアプリケーション提供業者を,AmazonはKindleで読者と出版社・作者を,Facebookはネットワーク上のコミュニケーションで個人やブランドと別の個人を仲介している。両者の間には,一方の多様性が増せば他方の便益が増すという間接ネットワーク効果が働いており,4社はこの効果を最大化するように事業を行っているのである。

 ビッグデータの収集と分析は,このネットワーク効果を最大化するうえで役に立つ。第1に,ユーザー基盤が大きくなればなるほどサービス品質を改善するためのデータが得られ,さらなるユーザー数の拡大につなげることができる。また,第2に,個々のサービスの利用者の関心を分析することで,そのサービスに補完的な財・サービスの追加投入を支援し,間接ネットワーク効果をいっそう大きくすることができる。

 アプリコ社のアレックス・モザドとニコラス・ジョンソンが指摘するように,「ネットワークをコピーするのは,機能の機能をコピーするよりもずっと難しい」。この意味で,ビッグデータの収集と分析は模倣困難な「経済的に最強の堀」を構築する手段なのである。2018年7月のG20財務相・中央銀行総裁会議ではGAFAらの「データ寡占」とデジタル企業への課税が議論されたが,結論は出なかった。デジタル経済における競争の帰趨は「データ」の多寡と分析能力によって決まると言ってもよいが,競争当局や課税当局の介入の可能性はまだ緒についたばかりである。

筆 者  :森原康仁
分 野  :国際ビジネス

(記事引用)




参考記事
「上級国民」というネットスラングの大拡散が示す日本人の心中
NEWSポストセブン/ 2019年05月05日 16:00