2015年07月

古代文字、「亀甲文字」(占術)の歴史は紀元前にある
人間は声で喋り字を書いて、なにを伝えたいのだろう。という疑問というより、根源的な問いだった。
犬畜生の動物だって鳴いて吼えて、仲間同士、また家族に危険を知らせ、そして身の安全を確保する。それが最低条件の保守存命機能だ。

数日前に、それを暗示させる記事があるのでダイジェストでコピーしてみよう。

「経営者が本を書くと、その会社は成長しない」ってのがあります。若いころは、まだ、ほかの会社の成長というのを見ていなかったり、ほかの経営者がどういったことをしてるというのを知らなかった。

コロンビア大学の教授が調べたところ、1日に平均的なアメリカ人が選択出来るのは70個ぐらいだそうです。情報を入手して選択をするってのは、結構エネルギーがいるんですよね。 http://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_choosing_what_to_choose/transcript?language=ja
スティーブ・ジョブスがずっと同じ服を着てたとか、オバマ大統領がほぼ同じスーツばっかり着てるとかってのを聞いたことがある人もいると思いますが、アレも決断する回数を減らすためだそうですね。http://www.vanityfair.com/news/2012/09/barack-obama-michael-lewis

「本を書く」ってのは、「どこまで書くのか?」「どういう言葉で伝えるのか?」「誰に向けて書くのか?」とか、決めなきゃいけないことがすげー多かったりするのですよ。
例えば、おいらのこのページは、「ひろゆき日記」って名前ですけど、1年に数回しか書かないわけですよ。200ページの書籍だったら、これの50倍とか書くわけですよね。
ってことで、相当のエネルギーを使ってしまうのと、本を書くことで得られる社会的な評価とかで、自己承認欲求とか満たされちゃったりして、元々は、仕事をすることで得られていた欲求やらが充足しちゃったりするんですよね。
「経営者が本を書くと、その会社は成長しない」って結論を誰かが言っていて、それをおいらが思い出したという昨今だったりします。
貧乏な人と金持ちで生活のストレスが違うって話がありますが、300円のパンを買うか買わないか?とか貧乏だと迷うんですよね。金持ちだと欲しければ買うだけなので、迷ったりしない。そんなわけで、金持ちのほうがストレス無く生活出来たりするわけです。
(ひろゆきさん、の記事) (記事部分引用〆)

その「経営者が書く本」の結果はともかくとして、物事の選択には、相当の決断が必要で、そればかりに時間を奪われたくない、という話しだとおもう。
さらに「書く」ことの意味と、その評価と労力のバランスが均衡しているかという設問。

それと関連して、私自身が常日頃おもっている猜疑心、「歌」はなんのために歌うのだろう、絵は誰に向けて見せればいいのか、鉛筆で書いた拙い文字の羅列は、はじめの動機は誰に対して書こうとしているのか、それが好きな相手への恋文だったら、まったく理由はいらないだろうとおもう。
書いている文が、一人に対して向けているのか、10人なのか1000人なのか、あまり気にもとめない。

昨今、商業ベースが前面に出て出版本の「数」にすべてが傾注されている。もちろん、その内容の質も問われるが、概して既成的でない著しく非日常的な題材が発行数に直結する。そうなると、文字また文章は、誰のために、何をかくべきか、という識字リテラシーとは正反対の方向に向かっている。
そうしていると、その進化後のスタイルは、もはや字という媒体である必要はなく、脳内に直接送信投影するデジタル信号に変わる。観て読んで理解することなく、機械がそれを全部やってくれる。早い話がアナログ的半機械的なものが、ほとんど電気信号パルス制御によってゴー、ストップの頻繁な繰り返しで、ものは判断される。

私自身の経験的な音楽について云わせていただければ、西洋音楽に感化されていない昔の純日本的な伝統音楽は、今の時代に演奏して、どれほどの影響力と説得力があるのか、という疑問だ。
雅楽、歌舞伎、能、狂言、舞踊、歌舞、民謡、など、世襲と伝統の歴史の中で生き延びてきた、国宝的音楽も数え切れないほどあり、それらは文化財的価値として希少である。だからすたれることなく保存してほしい、という観測は否定されない。また、歌舞伎など海外でも評価され、その役者たちは、芸能世界の一断片を支えている。いってみればブランドとしての、「生業」としてメシが食える。

その一方、地方に残る伝統芸能(神楽、獅子舞など)は存亡の危機に瀕している。第一に、それらの音楽また舞踊は、現代生活において必然性がなく、それらは伝統的に決まった祭事にしか興行できないという制約もある。その音楽がなぜ、その日にしか演奏されないかという理由は、ただ一つ「神」の化身であり、その土地に住み棲んでいるすべての対象に対して敬う、という普遍的な筋がある。
ところが、そのことをよく喧伝しなかったのと、戦後の法律大改革で、そうした神かがり的な思想は、ことごとく排除されてしまった。

それから70年間も経過すると、郷土に残った鎮守様は、再開発という名目のもと、隅に追いやられてしまう。
今ではすっかり西洋化してしまった生活スタイルに、いまどき「アマテラスオオミカミ」があたしを救ってくれる、という奇特なタイプは数えるほどしかいない。そうした数名の奇特な人のために田舎の神社では音楽が演奏されている、とい断言しても差し支えない。

それも時間の問題で、少子高齢化の実態は田舎に顕著で、まず後継者問題より伝承者の高齢化と人員激減(物故)によって明日の展望がひらけない。

話題が外れてしまったが本筋に戻そう。
そのような、生活実態に合わない音楽(そう捉えたくないが)を演奏する必然性がどこにあるのか、という問いだ。それはアーティストが描く絵も同じだ。これも本と同じで、メディアの流れに乗った作家が超売れっ子スターになって、やがて世界規格まで発展して、一世を風靡し、相応の金銭を手にする。
物事はそうしてすべてが「金」の尺度で判断される時代と変貌した。
「いや世の中金がすべてじゃないよ」、といったところで、独居住まいの高齢者が、電気代未払いで送電を強制的に止められ部屋で死ぬ、ということが日常茶飯に起きている時代である。

そして文字は、だれのために、なんのために書くのか、という問いかけである。

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい
投稿日: 2013年10月22日 11時53分 JST 
文章を書くという仕事は、ゼロを1にする作業だと思われがちだ。
小説や脚本、ゲームシナリオなどの創造的な文章ならばなおさらだ。しかし実際には、文章を書くというのは100を1にする作業だ。文章を書けるかどうかは、このことに気づけるかどうかだと思う。作家にせよ、ジャーナリストにせよ、それこそアルファブロガーに至るまで、きちんとした文章を書ける人はみんなこのことに気づいている。

『狼と香辛料』を書くにあたり、著者の支倉凍砂はかなりの量の文献を読み込んでいたらしい。ライトノベルは、青少年向けの「軽い小説」と見なされることが多い。しかし、そのライトノベルでさえ、メガヒットの裏側にはきちんとした情報収集があった。

また『希望の国のエクソダス』を書くにあたり、著者の村上龍は綿密な取材を行った。その様子は「取材ノート」としてまとめられて、出版されている。たった一本の小説を書くために、著者は目眩がするほど膨大なインプットを行っていた。

『まおゆう』を読めば、著者・橙乃ままれさんの広範な知識に驚かされる。中世~近代のヨーロッパ経済史、技術史、文化史、思想史、軍略......これらすべてに精通していなければ、この作品は書けなかった。一朝一夕で身につくものではない。知識は、息するように吸収し、血液のように絶えず自分の中を循環させておかなければいけない。

いわゆる「ビジネスパーソン」と呼ばれる人々は、知識を軽視しがちだ。問題を効率的に解決する方法や、アイディアの出し方......マニュアル化された「頭の使い方」をマスターすることに夢中で、知識の蓄積を後回しにしがちなようである。頭の使い方さえ身につけていれば、知識は必要になったときにキャッチアップすればいい、キャッチアップできると信じて疑わない。ビジネスの世界で求められる知識とは、つまり、その程度の浅いもので充分なのかもしれない。

ところが、文章を書くとなれば話は別だ。

人は頭で理解しただけでは行動を変えない。人が行動を変えるのは、心が動いたときだけだ。読んだ人を行動させることができなくて、なにが文章屋だ。誰かの人生を変えることができない文章に価値はない。

人を引きつける文章、誰かの心に響く文章。そういう文章を書くためには、たくさんの「ひきだし」から多彩な知識を取り出さなければいけない。そして、そういう知識は短期間では身につかないのだ。

すぐには役立たない知識を、毎日1ページずつ蓄積していったとする。1年で単行本一冊分になり、10年で辞書一冊分になる。
三島由紀夫の愛読書は国語辞典だったというが、彼は非凡な天才だ。さて、凡人たる私たちは辞書を頭から読んでいって、内容を丸暗記できるだろうか?

知識を身につけるとは、本来、そういうことだ。数十年後に百科事典一式に匹敵する情報を身につけるために、毎日少しずつ知識を蓄積していかなければいけないのだ。そうやって体に刻み込んだ知識は、一週間やそこらでキャッチアップできるような種類のものではなくなる。

自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だ。

たとえば藤子・F・不二雄は、次のような言葉を残しているという:

よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。
私はそういう人が描いた漫画を支持したい。卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。(※ソース不明)

人の感情に触れることができなくて、なんのための文章だろう。すべての単語、すべての文に論理性と情緒性の二面がある。論理面だけで文章を評価するのは、燃費だけで自動車を評価するようなもの。ドライブの楽しさをわかってない無粋な評価法だ。

言葉の持つ情緒面に注目し、細心の注意を払って配列を決めていく。この言葉を、この順番で読めば、読者はきっとこんな感情を抱くはずだ......と、予想しながらキーボードを叩く。文章を書くのは、読者の脳をプログラミングする作業だ。他人の書いたコードを研究しないプログラマはいない。他人の書いた文章を学ばずして、文章を書くのは不可能だ。

文章屋が仕事をしてるのは、キーボードを叩いてる時だけではない。

まず情報を集める段階がある。つぎに、集めた情報を組み合わせたり取捨選択したり......知識と格闘する段階がある。
それから、情報をどのような順序で見せるか、文章の配列を決める段階があって、さらに文章の枝葉まである程度固めて......そこでようやく、キーボードに向かうことができる。文章屋がペンを握ったときには、もう作業の8割がたは終わっている。実際にキーボードを叩くのは、「文章を書く」という工程全体の5%ほどだ。

では、残りの15%は?:推敲と校正だ。

文章屋の仕事は、たぶん、そうでない人からすれば魔法のように見えるのだろう。キーボードをよどみなく叩いて、真っ白なページのうえに言葉を紡いでいく。「ゼロを1にする作業」だと思われて当然だ。しかし実際には、文章を書くのは「100を1にする作業」なのだ。

     ◆

だからと言って、キーボードを叩いてないときの文章屋が「なにもしてないように見えるけどインプットしてるの!がんばってるの!」と訴えるのは、ちょっと違うような気がする。

寿司屋は寿司を握ってる瞬間しか仕事してないように見えるけど、「仕入れや鮮度管理もがんばってるの!」とは訴えない。

寿司屋は、寿司の味でしか評価されない。

文章屋は、書きあげた文章でしか評価されない。

そういうもんだよ。

(※この記事は2013年5月5日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)


普仏戦争
普仏戦争は、第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争である。

ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ他、フランス側では1870年戦争と呼称する。なお、プロイセン=フランス戦争と呼称している日本の世界史の教科書もある。
プロイセンは北ドイツ連邦と南ドイツのバーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国と同盟を結んで、全ドイツを挙げて戦争に臨んだ。戦争はプロイセン側の圧倒的勝利に終わり、プロイセンを中心にしたドイツ統一が達成され、ドイツ帝国が成立した。対してフランスでは自らも捕虜となったナポレオン3世の権威が完全に失われ、第二帝政は終焉を迎えて第三共和政に移行した。

戦争はスペイン王位継承問題でプロイセンとフランスの対立が最高潮に達した時に発生した。ドイツ首相ビスマルクはエムス電報事件でフランスとの対立を煽り、激昂に駆られたフランス国民の支持を背景にフランスは戦争を始めた。
ドイツ諸邦の参戦を恐れたフランスは7月19日にプロイセンのみに宣戦したが、ドイツ諸邦は自発的にプロイセン側に立って参戦した。野戦砲と鉄道輸送を巧みに活用したプロイセン軍の精強さは、ドイツ国境に侵攻したフランス軍を叩きのめした。防戦一方となったフランス軍は9月2日にセダンの戦いで包囲に置かれ、10万人のフランス兵と皇帝ナポレオン3世が降伏した。

ナポレオン降伏後は第二帝政政府に代わり、第三共和政政府(臨時政府)が戦争を指導することになった。だが新たに編成されたフランス軍も帝政時代と同じくプロイセン軍に一蹴され、5ヶ月間の北フランス攻撃を経て、1871年1月28日に首都パリを占領された。パリ陥落の10日前にプロイセン王ヴィルヘルム1世は征服したフランスのヴェルサイユ宮殿で盛大な戴冠式を行い、ドイツ皇帝に即位した。パリ占領後の1871年5月10日、フランクフルト講和条約が締結され、正式にフランスはプロイセンに降伏した。

普仏戦争の原因は、ドイツ統一にまつわる幾つかの事件にその根源があった。プロイセンとオーストリアがドイツの主導権をかけて戦った普墺戦争(1866年)はプロイセンの勝利に終わった。
戦争の結果、プロイセンは多くの領土を併合して北ドイツやライン川流域に勢力を伸ばし、またドイツ諸邦を連合する北ドイツ連邦を主導した。こうして新たに強い勢力が生まれることは、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1815年)で決められたヨーロッパのパワー・バランスが崩れることを意味していた。当時のフランス皇帝ナポレオン3世は、フランスにとっての戦略的な要地の安全を確保するため、ベルギーやライン川左岸における領地補償を要求したが、プロイセン宰相オットー・フォン・ビスマルクは、にべもなくこれを拒否した。これはライン川流域に近いフランスにとって直接の脅威となった。

次にプロイセンはドイツ南部に目を向け、ドイツ南部の諸王国(バイエルン王国、ヴュルテンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国)をプロイセンが主導する統一ドイツ国家の中に取り込むことを画策した。プロイセンが南ドイツ諸国を併合すれば、プロイセンの軍事力は強大化するため、フランスはプロイセンの南ドイツ併合に強く反対した。

プロイセンでは、大きな統一ドイツ帝国を作るためには、ドイツ南部諸国においてドイツ民族としてのナショナリズムを呼び覚ます必要があり、そのためにはフランスとの戦争が不可避かつ不可欠であると分析判断していた。この狙いはドイツ宰相ビスマルクの次の言葉によく表れている:「統一ドイツが出来上がるためには、その前に普仏戦争が起こらねばならない事は分かっていた」。ビスマルクは、南ドイツ諸邦をプロイセン側に引き込み、それによってドイツ側の数的優位を確保するためには、フランスが侵略者と見なされねばならないこともよく認識していた。また、多くのドイツ人は、歴史的にフランスがヨーロッパを不安定化させてきたと見なしており、平和を乱さないためにはフランスの力を弱める必要があると考えていた。

これとは別に、戦争の直接的な要因は、1868年に混乱の末に空位となっていたスペインの王位にプロイセン王の親戚(ホーエンツォレルン家)レオポルトが推挙された事にある。プロイセンとスペインがホーエンツォレルン家の領国となれば、フランスは東西から挟まれる形になるため、フランスはこれに強く反発した。
フランスの外交的圧力により、ホーエンツォレルン家からの推挙は取り下げられた。しかし、フランスとの開戦準備を進めていたプロイセン宰相ビスマルクは、この問題を煽ってフランス側から宣戦させることを狙って、この事件をめぐるプロイセン王ヴィルヘルム1世からのフランスとの交渉報告電報を、”フランス大使の非礼な要求に立腹したプロイセン国王がフランス大使を強く追い返した”ように編集して、7月14日に各国報道機関へ向けて発表した。
ヴィルヘルム1世が温泉保養地バート・エムスに滞在中であったことから、これをエムス電報事件という。

エムス電報事件に刺激されたフランス世論に促され、ナポレオン3世は翌日7月15日に動員令を発令。翌日にはプロイセンも動員令を発した。動員令から4日後の1870年7月19日、エムス電報事件から1週間もたたない電撃的な速さで、フランスはプロイセンに宣戦布告した。外交的な問題に加えて、ナポレオン3世と首相エミール・オリヴィエは国内的な政治問題を解決する必要性からも、宣戦の必要があると考えた。
一方、南ドイツ諸国は直ちにプロイセン側に立った。

フランスとプロイセンの軍事力

フランス軍は約40万人の常備兵で構成されており、その内の幾らかはクリミア戦争、アルジェリア戦役、イタリアでのオーストリアとの戦争、メキシコ出兵などを経験した歴戦の古参兵たちであった。
歩兵は、当時の世界で量産されていた火器としては最新式といえる後装式のシャスポー銃を装備していた。ガス漏れ防止ゴムリングと小さめの弾丸を採用したことにより、シャスポー銃の最大有効射程は約1500mであり、装填時間も短かった。砲兵は旋条を施した前装式のライット4砲(弾丸重量4kg)を装備していた。
それに加えて、フランス軍は機関銃のさきがけともいえるミトラィユーズを装備していた。ミトラィユーズは大量の火力を集中できる強力な兵器であったが、射程が短い事と比較的機動性が低い事が弱点で、このため容易に撃破されがちだった。ミトラィユーズは砲架の上に取り付けられ、野砲と同じように砲兵隊の中に組み入れられた。フランス軍は名目的にはナポレオン3世がフランソワ・アシル・バゼーヌ、パトリス・ド・マクマオン、ルイ・ジュール・トロシュらの元帥とともに率いていた。

プロイセン軍は常備兵ではなく徴兵で構成されていた。兵役は兵役年齢の男子全員の義務とされ、これによりプロイセン、およびその北ドイツ、南ドイツの同盟国は戦場に約120万人の兵士を動員できた。
これだけの大兵力を使えることは、敵軍を包囲殲滅する上で有利であった。プロイセン軍はケーニヒグレーツの戦いで名声を得た「針打式」のドライゼ銃をいまだに装備していたが、この時点で既にドライゼ銃は設計から25年も経ったものであった。
しかしながら、プロイセン軍の砲兵隊には鋼鉄製で後装式のクルップC-64野砲(弾丸重量3kg)が供給されており、これはドライゼ銃の不利を補って余りあるものがあった。
亜鉛玉と爆発物を詰めた接触雷管(contact-detonator)式の弾丸を発射するクルップ砲は、射程距離4500mで、フランスの青銅製の前装砲と比べれば猛烈な発射速度を誇っていた。
プロイセン軍はヘルムート・フォン・モルトケ元帥とプロイセン参謀本部が指揮した。プロイセン陸軍はその当時のヨーロッパで唯一の参謀本部を持つという点で独特であった。
参謀本部の任務は、作戦行動を指揮をすること、兵站・通信を組織すること、および戦争全体の戦略を練ることであった。実務面でみても、プロイセン陸軍では他のどの国の陸軍よりも参謀長が重要な役割を担っており、参謀長は直接の上官と意見が異なる場合、その上の司令官へ直接上訴する権限を与えられていた。
このため、例えば、プロイセン王太子も、彼の参謀長であるレオンハルト・フォン・ブルーメンタール(英語版)少将の助言に反する行動をとることはできなかった。なぜなら、参謀長が(この場合は王太子の上官である)父・国王に直接上訴する事を恐れたからである。

フランスは既に強力な常備軍を備えている一方で、プロイセンと他のドイツ諸国は徴兵による軍隊を動員するために数週間はかかるであろうから、フランスは開戦当初においては兵力と実戦経験の面で優位に立っていた。フランスの戦術はシャスポー銃を使って塹壕戦を防御的に戦う事を重視していたが、ドイツ軍の戦術は包囲の形勢を作ることと、可能な限り常に砲兵を攻撃的に用いることを重視していた。

戦争全体の経過

この戦争を予測していたプロイセンは普墺戦争の後にフランスへ向けて鉄道線路を6本引き(フランスはプロイセンに向け1本)、情報将校を戦場の舞台になるであろうフランス東北部に派遣、観光客にまぎれこませ偵察させ地図を作成するなど万全な準備を整えていた。また北ドイツ連邦加盟の領邦諸国は、プロイセンが先に宣戦布告された場合には協力するとの条約に基づき参戦した。
その他にも他国が介入しないよう、ロシア、オーストリア、イタリア、イギリスに事前に根回しをしていた。これに対しフランスはメキシコ帝国計画が失敗した際に、ハプスブルク家から迎えた皇帝マクシミリアンを見捨てて撤退したことでオーストリアから恨みを買い、支援を得られなかった。

周到に作戦計画を練っていた(10回以上もの作戦計画を練っていた)参謀総長大モルトケ率いるプロイセン軍は、フランス軍正面と右翼を攻撃、フランス軍の敗北が続いた。
フランス軍は北に圧迫され、戦局はフランスに不利に推移した。ナポレオン3世は自ら戦地に赴きセダンの戦いに臨んだが、プロイセン軍は戦線に穴を空けた南方から迂回し、セダンから首都パリへの退路を断つ包囲行動に出ていた。フランス軍はセダンで完全に包囲され、開戦からわずか1ヵ月半後の9月2日、ナポレオン3世は10万の将兵とともに投降し捕虜となった。この一連の出来事にフランス市民は激怒し、2日後の9月4日、ナポレオン3世の廃位が宣言されるとともに、国防のための新政府の設立が決議された。

プロイセン首相ビスマルクは勝敗が決まった時点で即講和し、ゆるやかな条約を結びフランスに遺恨を残さないでおこうと考えていた。しかし、大モルトケと軍と世論のアルザス・ロレーヌ併合を求める強硬な反対にあった。また、フランスはオーストリアのように将来同盟国となる可能性は無く、統一ドイツ帝国が実現すれば列強と対等の同盟を結び、フランスを外交的に封鎖できると考えられた。
このためビスマルクはしぶしぶパリへの進撃を命じた。
戦争は続き、プロイセン軍は各地の要塞や残存部隊を包囲し各個撃破しつつパリへ進撃した。9月19日、遂にパリが包囲された。プロイセン軍は背後にあるメス(メッツ)要塞のバゼーヌ元帥指揮の軍団を警戒して一気に攻め込むことはしなかった。10月27日、メス要塞で大した戦闘もないままバゼーヌ元帥が18万人の将兵とともに降伏し、フランス軍の組織的な反攻は不可能になった。
1871年1月5日、パリに砲撃開始。1月18日、パリ砲撃が続く中、プロイセン王はヴェルサイユ宮殿で新しく樹立されたドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世として即位した。
1月28日、休戦協定が署名され、パリ陥落の屈辱とドイツ(プロイセン)に対する反発をフランス人に植えつけた戦争は終わった。

フランスとプロイセンの海軍の活動

普仏戦争開戦に際して、フランス政府は海軍に北ドイツ沿岸の海上封鎖を命じた。北ドイツ連邦海軍(Norddeutsche Bundesmarine)は比較的小規模で、有効な反撃はできなかった。にもかかわらず、パリの作戦部門の決定的な不手際により、海上封鎖は部分的にしか成功しなかった。
戦争勃発に備えて戦闘準備を整えているはずの徴募兵はニューファンドランドの漁業やスコットランドにおいて活用されていたため、兵力が少なかった。このため、470隻のフランス海軍のごく一部だけが1870年7月22日に出港した。間もなく、フランス海軍は石炭不足に苦しむようになった。
ヴィルヘルムスハーフェン封鎖の失敗、そしてバルト海へ進出するか否か、またはフランスに戻るかについて命令が混乱したことなどから、フランス海軍の活動は効果が挙がらなかった。

1870年のフランスの軍艦
 
アルザス・ロレーヌ地方に対して想定されるドイツ軍の攻撃の圧力を緩和するため、ナポレオン3世らフランス軍指導部は開戦劈頭にドイツ北部に上陸作戦を行うことを計画した。
これにより、ドイツ軍部隊を前線から逸らすばかりでなく、デンマークを刺激することにより、5万人のデンマーク陸軍と実力あるデンマーク海軍の支援を取り付けることも期待していた。
しかしながら、少し前にプロイセンが手強い防御施設を北ドイツの主要港の周囲に設置していたことが分かった。それにはクルップ重砲による沿岸砲も含まれており、3700メートルの距離からフランス軍艦を砲撃出来る。フランス海軍はこれらの沿岸防御に対抗するために必要な重砲を備えていなかったことに加えて、プロイセンの海岸(ワッデン海)は上陸作戦の難しい干潟であるため、北ドイツへの上陸作戦は不可能であった。

北ドイツへの侵攻に当たる予定だったフランス海兵隊(Troupes de marine)および海軍陸戦隊は、結局シャロンのフランス陸軍の梃入れに回され、スダンの戦いでナポレオン3世と共に捕虜になった。
メス攻囲戦とスダンの戦いにおいて、フランス陸軍の職業軍人の殆どが捕虜になり、陸軍将校がかなり不足したため、海軍士官が船を下りて陸に上がり、慌ただしく召集された「Garde Mobile」やフランス陸軍予備役部隊の将校に任命された。
北海の秋の嵐によって、警備のために残っていたフランス海軍の艦艇も大きな被害を受け、海上封鎖の効果は日に日に薄れていった。1870年9月までに海上封鎖は最終的に放棄され、冬の間は全く行われず、フランス海軍はイギリス海峡沿岸の港まで退却し、戦争終結まで港内に停泊し続けた。

フランス軍艦とドイツ軍艦の交戦は他の海域で散発的に発生した。例えば、日本の長崎[要曖昧さ回避]でフランス海軍のデュプレクスがドイツ海軍の「ヘルタ(Hertha)」を海上封鎖した。また、1870年11月のハバナの戦いではキューバのハバナ沖でプロイセンの「メテオール(Meteor)」とフランスの「ブーヴェ(Bouvet)」が砲艦同士の戦闘となった。

ドイツの勝因

ドイツがフランスに対して短期間で勝利を収めたことに、他の国々は度肝を抜かれた。多くの国がフランスの勝利を予測しており、殆どの国は少なくとも長期戦になるだろうと予測していた。ドイツ側の有していた戦略的優位性は、戦争が終結するまでその真価がドイツ以外では認識されていなかったのである。

他の国々はドイツがその軍事制度によって優位に立ったことをすぐに認識し、ドイツの革新的な軍事制度、中でも特に参謀幕僚制、国民皆兵、そして高度に精緻化した動員システムなど多くを採用した。

参謀幕僚制

モルトケが作り出したプロイセン参謀本部は、伝統的なフランス式軍制と比べて非常に有効であることが証明された。これは主に、プロイセン参謀本部は以前のプロイセン軍の作戦を研究し、過去の失敗から学ぶために作られたためである。
また、広大な範囲に広がった大きな陣形を統御するモルトケの能力によって組織機構は大いに強化された。参謀総長は事実上のプロイセン陸軍総司令官であり、国防大臣から独立し、国王の命令のみに服した。フランスの参謀本部は、他の欧州諸国の軍と同様に、部隊指揮官の補佐役の集団より若干ましという程度のものであった。こうした無秩序な状態は、フランス軍指揮官が自らの部隊を制御する能力を阻害していた。

それに加えて、プロイセンの軍事教育制度はフランス式よりも優れていた。プロイセンの参謀将校は、自ら率先し、独立して考えるよう訓練されていた。それこそが正にモルトケの求める参謀であった。
一方、フランス軍では、教育制度と昇進制度において、知性の発達を窒息させるような欠点を持っていた。軍事史家Dallas Irvineによれば、その制度は「陸軍の頭脳能力を参謀や高級将校から排除する上で、ほぼ完璧な有効性を持っていた。フランスの軍事政策における数々の弁解不能な欠陥は、すべてその制度の結果として生じたトップの思考力の欠如に帰する事が出来る。」

(検索ウィキぺデア )






 


東芝 原子力事業部 プラント納入実績表
https://www.toshiba.co.jp/nuclearenergy/jigyoubu/nounyu.htm

プラント納入実績 2010年1月現在
最新の実績
客 先 原子力施設名 出 力 受注・納入施設 納入年月
()内予定
日本原子力研究開発機構殿 臨界実験装置
(3基)   臨界実験装置 昭和34年10月~
昭和37年8月
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日本原子力研究開発機構殿 国産1号研究炉
(JRR-3) 10MWt 計測制御装置
破損燃料検出装置ほか 昭和37年1月
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日本原子力研究開発機構殿 動力試験炉
(JPDR) 12.5MWe タービン発電機 BOP設備 昭和38年12月
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日本原子力研究開発機構殿 材料試験炉
(JMTR) 50MWt 計測制御装置ほか 昭和42年12月
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日本原子力発電(株)殿 敦賀発電所
1号機 357MWe 格納容器 BOP設備
(タービン、発電機を除く) 昭和45年3月
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東京電力(株)殿 福島第一原子力発電所 1号機 460MWe 原子炉蒸気供給系機器
電気据付工事、配管
昭和46年3月
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東京電力(株)殿 福島第一原子力発電所 2号機 784MWe 原子炉蒸気供給系機器
BOP設備
(タービン、発電機を除く) 昭和49年7月
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中部電力(株)殿 浜岡原子力発電所 1号機 540MWe 原子炉系設備 昭和51年3月
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東京電力(株)殿 福島第一原子力発電所 3号機 784MWe 発電設備一式 昭和51年3月
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日本原子力研究開発機構殿 高速実験炉「常陽」   100MWe 原子炉機器、格納容器ほか 昭和52年3月
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東京電力(株)殿 福島第一原子力発電所 5号機 784MWe 発電設備一式 昭和53年4月
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中部電力(株)殿 浜岡原子力発電所 2号機 840MWe 原子炉系設備 昭和53年11月
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日本原子力研究開発機構殿 新型転換炉「ふげん」 165MWe 格納容器、タービン、発電機 昭和54年3月
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東京電力(株)殿 福島第一原子力発電所 6号機 1,100MWe 原子炉蒸気供給系
BOP設備 昭和54年10月
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東京電力(株)殿 福島第二原子力発電所 1号機 1,100MWe 発電設備一式 昭和57年4月
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東北電力(株)殿 女川原子力発電所 1号機 524MWe 発電設備一式 昭和59年6月
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東京電力(株)殿 福島第二原子力発電所 3号機 1,100MWe 発電設備一式 昭和60年6月
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東京電力(株)殿 柏崎刈羽原子力発電所 1号機 1,100MWe 発電設備一式 昭和60年9月
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中部電力(株)殿 浜岡原子力発電所 3号機 1,100MWe 原子炉系設備 昭和62年8月
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東京電力(株)殿 柏崎刈羽原子力発電所 2号機 1,100MWe 発電設備一式 平成2年9月
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日本原子力研究開発機構殿 高速増殖原型炉「もんじゅ」 280MWe 遮蔽プラグ、タービン、
発電機ほか [平成6年4月臨界]
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東京電力(株)殿 柏崎刈羽原子力発電所 3号機 1,100MWe 発電設備一式 平成5年8月
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中部電力(株)殿 浜岡原子力発電所 4号機 1,137MWe 原子炉系設備 平成5年9月
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日本原燃(株)殿 六ヶ所ウラン濃縮工場
第1期工事分 (600トンSWU/年) 高周波電源設備、
計測制御設備ほか 平成6年9月
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日本原燃(株)殿 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター   計測制御設備、
電気設備、検査設備ほか 平成7年4月
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東北電力(株)殿 女川原子力発電所2号機    825MWe 発電設備一式 平成7年7月
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東京電力(株)殿 柏崎刈羽原子力発電所 6号機 1,356MWe 原子炉蒸気供給系機器 平成8年11月
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東京電力(株)殿 柏崎刈羽原子力発電所 7号機 1,356MWe BOP設備
(タービン、発電機を除く) 平成9年7月
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日本原子力研究開発機構殿 高温工学試験研究炉
(HTTR) 30MWt 反応度制御設備、
中間熱交換器ほか 平成9年10月
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日本原燃(株)殿 六ヶ所ウラン濃縮工場
第2期工事前半分 (450トンSWU/年) 高周波電源設備、
計測制御設備ほか 平成10年10月
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東北電力(株)殿 女川原子力発電所 3号機 825MWe 原子炉系設備 平成14年1月
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中部電力(株)殿 浜岡原子力発電所 5号機 1,380MWe 原子炉設備 平成17年1月
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東北電力(株)殿 東通原子力発電所 1号機 1,100MWe 発電設備一式 平成17年12月

(引用記事〆)
2015年7月23日










 

奥州市埋蔵文化財調査センター当センター前所長 伊藤博幸

阿弖流為あてるいは今から約1,200年前、現在の奥州市水沢区付近で生活していた蝦夷の一人です。当時『水陸万頃すいりくばんけい』と言われていたこの胆沢地方と蝦夷を統治したい朝廷軍との戦いがありました。その中で阿弖流為は蝦夷のリーダーとして勇敢に立ち向かった人物です。

阿弖流為という名は『続日本紀(しょくにほんぎ)』、『日本紀略(にほんきりゃく)』という古い文献2冊にそれぞれ1度登場します。『続日本紀』では、延暦8年(789)、巣伏村すぶせむらでの戦いで朝廷軍に大勝した時のリーダーとして書かれています。
    
しかし、この戦いを含めた幾度もの戦いで朝廷側でも多くの犠牲を強いられていました。
  
『日本紀略』には延暦21年(802)、阿弖流為は仲間の母礼(もれ)と共に征夷大将軍だった坂上田村麻呂の下に降伏し、都へと上ります。田村麻呂は朝廷に2人を故郷、胆沢へ返すよう進言(しんげん)しますが聞き入れてもらえず、旧暦8月13日阿弖流為と母礼は河内国椙山〔現在の大阪府枚方市〕で処刑された、と記されています。

このように阿弖流為については彼の最期こそわかるものの、いつ生まれたのか?どのように育ち、どんな人物だったのか?という詳しいことについては蝦夷たちが書いた文字資料がなく、また朝廷側が書いた資料で、現在残っている資料はとても少ないため、わからないことがまだまだ数多くあります。
 
   ―アテルイの登場―

アテルイの名は今から約1,200年前の延暦8年(789)、初めて史上に登場します。8世紀後半、朝廷はエミシ遠征計画を胆沢地方一点にしぼってきました。軍事遠征の準備も整った延暦7年(788)12月、征東大将軍紀古佐美(きのこさみ)に胆沢遠征の命令が下りました。遠征軍は坂東諸国歩騎ほき52,800余人で、平成にはこれまでの戦闘経験者、戦功者、弓馬に長たけた者たちが選抜されました。

翌8年3月上旬、遠征軍は多賀城を出発し、胆沢へ進軍しました。同月末には胆沢の南端の衣川に到着し、軍を前・中・後の3軍に分けて布陣しました。同6月、遠征軍が動きます。3軍から精鋭を選んで合同で当たることになりました。
前軍が北上川右岸を中・後軍は4,000の兵で同左岸をそれぞれ北上し、アテルイの拠点地域である巣伏村(奥州市水沢区東郊一帯)で合流するという作戦です。これに対し、アテルイ軍はゲリラ戦で応戦し、両岸を北上する政府の精鋭部隊を撃破したのでした。史上にいう「胆沢の合戦」の緒戦です。

アテルイの名はこの戦闘過程の中に現れてきます。さきの中・後軍各2,000人が北上川左岸を北上し、まさに「賊帥ぞくすい夷阿弖流為の居に至るころ」(『続日本紀』)という記事です。
 
この段階のエミシ社会は、部族ごとに戦士集団が形成されており、アテルイらはエミシ戦士団を核に、胆沢のエミシ連合軍を編成し、陽動作戦とゲリラ戦で応戦したのでした。この後、政府は2回胆沢遠征軍を派遣しますが、アテルイ軍は13年間にわたって、これを戦い抜いてきました。
 
  ―田村麻呂登場―

延暦8年(789)の「胆沢の合戦」に大敗した政府は翌9年、直ちに第2回胆沢遠征の準備をはじめました。第2回遠征軍の人事は、征夷大将軍大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)副将軍坂上田村麻呂らでした。田村麻呂がエミシ問題に関わって初めて登場してきます。
 
このとき田村麻呂は天皇の側近として近衛少将(このえのしょうしょう)の位にありました。
延暦13年(794)正月、将軍弟麻呂は桓武かんむ天皇から節刀(せっとう)たまわり、胆沢遠征に出発しました。
今回の遠征軍の実戦部隊の総指揮官は田村麻呂でした。彼は6月、10万の遠征軍がエミシ軍に勝ったと京に報告しました。
しかし、胆沢はまだ落ちません。延暦15年(796)、前回の余韻も冷めやまぬうちに、第3回胆沢遠征計画が始まりました。数年かけて、遠征の手はずを整えた田村麻呂は延暦20年(801)、征夷大将軍として胆沢の遠征に出発しました。陣容は軍士4万人、軍監ぐんげん5人、軍曹ぐんそう32人と前回の半分以下に縮小されています。

胆沢のアテルイらは、これまでの戦いで大半の戦士を失い、加えて西岸一帯の荒廃は食糧難という事態を生み、エミシ戦士らは疲弊(ひへい)の度を増していました。田村麻呂が編成した陣容は、すでにこのような情況を察知した上でなされたものでしょう。
 
 ―アテルイ降伏―

延暦20年(801)2月、征夷大将軍坂上田村麻呂は第3回胆沢遠征に出発しました。
しかしこの間の詳しい戦闘経過は『正史』を欠き、ただ『日本紀略』9月27日条に、田村麻呂が「東賊を討伏」したとあるだけで、前回のときのような戦果も不明です。ただし今回は、胆沢遠征に止まらず、遠く閉伊へい地方(今の久慈・閉伊地方)にまで軍を派遣し、一定の戦果をあげたようです。(『日本後紀』弘仁2年12月13日条)
 
田村麻呂は翌10月、節刀を桓武天皇に返し、遠征結果を報告しますが、これで蝦夷の反乱をほぼ完全に制したという評価が与えられました。翌年正月、田村麻呂は再度胆沢に下ってきました。胆沢城を造るためで、あわせて諸国から浪人4,000人を胆沢城に移しました。

4月15日、胆沢城造営中の田村麻呂のところに、阿弖流為、母礼らがエミシ戦士500余人を率いて投降してきました。巨大な胆沢城を目の前に、万策尽きたというのが実情でしょう。7月、軍事首長2人を従えて田村麻呂は上京し、裁決は公卿(くぎょう)たちに委ねられました。
  
田村麻呂は2人の助命を願い出、在地の蝦夷を馴化(じゅんか)するには彼らの協力が必要なことを説きました。しかし、公卿たちは国家に抵抗した「反乱の首謀者」という認識でしたので、願いどおり胆沢へ赦免すれば、再び反乱は必定ひつじょうとみて捕捉の上、河内国椙山で斬刑に処しました。時に延暦21年(802)8月13日(旧暦)のことです。

奥州市埋蔵文化財調査センター

当センター前所長 伊藤博幸 所報28~33号 シリーズ「阿弖流為」より

                                           

堀江貴文氏が国会で語った刑事司法制度改革の問題点 【全文】
BLOGOS編集部2015年07月12日 12:17 
録音・録画といった取り調べの可視化の義務化などを柱とする刑事司法改革関連法案を審議する衆院法務委員会に10日、元ライブドア社長の堀江貴文氏が参考人として出席した。
証券取引法違反事件で実刑判決を受け、服役した経験を持つ堀江氏。取り調べや刑務所の実態を自身の経験から語り、今回の刑事司法制度改革の問題点について語った。

参考人:堀江貴文(SNS株式会社ファウンダー)
質疑:若狭勝(自民党)
    國重徹(公明)
    階猛(民主党)
    井出庸生(維新)
    清水忠史(共産)

堀江氏による意見陳述

よろしくお願いします。堀江と申します。今回の刑事司法制度改革っていうのは、10年間ほど刑事司法の世界でやってきた私としましては非常に重要な制度改革だと思って注目していたんですけれども、色々審議をして法案が提出されるところまでは来ましたが、私が期待していたような改革というのはほとんど盛り込まれていません。
今回の制度改革の趣旨というのは、郵便不正事件で冤罪であるにもかかわらず逮捕・勾留されて、半年以上も大阪拘置所に入っていた村木さんであったりとか、他にも何件かそういった事件が相次いだこともあっての今回の司法制度改革になったと思ったんです。

けれども、全くそっち方向の改革というのは前進したというより、ほとんど後退しているんじゃないかというような事態になっていることもありまして、今回ここでしゃべってくれということだったので、是非にということでやってまいりました。

最近のマスコミ等の報道を見ても、今回すごく重要な改革であるにもかかわらず、全く注目をされていなくて、むしろ安全保障うんぬんかんぬんのほうが、すごく注目をされていて。正直言って、国民生活に一番関係してくるのは、実はここなんですね。

そういういうことに実は私も10年以上前は全然気づいていなかったんですけれども。はい、すいません。ここにいらっしゃる法務委員会の方々、もっと注目されて然るべきだと思いますし。

というのは、身近なところで、みなさん事件や事故、そういったものに巻き込まれて、司法の場に出て来ざるをえない人達がたくさんいらっしゃいます。私は1年9ヶ月間、刑務所にいましたのでよくわかったんですけれども、そちらにいらっしゃった方々、半分以上はその辺で生活しておられる方々でございます。

そういった人達が、逮捕・起訴されて、裁判を経て、有罪で実刑判決を経て、そういうところにいるという現実。これをまずみなさん、自分のことのように考えて然るべきだという風に思います。

それこそ今回、司法制度改革でデモをやってもいいぐらい。国会前で安全保障のデモをやってますけど、僕はどっちかというと、こっちのほうが大事だと思っております。

具体的に言いますとですね、まず保釈の問題ですね。保釈の問題に関して言うと、先進諸国に比べると、日本はかなり保釈に対して厳しい状況。特に、被疑者・被告人にとって、非常に厳しい状況になっております。

まず、警察官なり、検察官が逮捕して、勾留している期間が最大20日程度なんですけれども。起訴された後も、起訴後勾留というのが続きます。起訴後勾留というのは、理論的には延々続けられるような状況になっていて、私の場合も、逮捕・起訴されて94日間。捜査期間も合わせてですけれど、94日間勾留されました。

村木さんに至ってはその後、裁判で無罪判決が出たにもかかわらず、半年以上の勾留をされておりました。要は、結果として無罪になってしまう人が、それだけ勾留されてしまうと。その精神的負担というのは非常に大きいものがあります。

単なる勾留ではなくて、私の場合は、経済事犯でしたので、「接見禁止命令」というのが付きまして、担当の弁護士さん以外は誰にも会えないと。そして雑誌・新聞の閲覧もまかりならんということが94日間続きまして、非常に孤独で隔絶された世界におりました。

これは、被告人・被疑者にとっては、非常に精神的に不安になっておりまして。かなりの精神的プレッシャーで、脳の記憶が書き換えられてしまうぐらいの記憶になります。村木さんもおっしゃってましたけれども、自分がやっていないことを、さもやっているかのように思ってしまうと。

例えばあの時、事件になった主犯格といいますか、書類を書き換えた元係長は、村木さんと1回も面識がないにもかかわらず、さも共謀したかのように検察官が供述調書とか、そういったところで取り調べをやっておりましたけれども。そういったことは実際に起こりうると。その後の村木さんの話ですけれども、実際にその係長と、判決が出た後に会って、「お互いに会ってないよね」ということを確認し合ったという風に言われています。

私は勾留中、「偽メール事件」というのがありまして。僕が送ってもいないような、自民党の元代議士の方にウン千万円送ったなんてメールを。ごめんなさいね、民主党の方々。民主党の某議員が「送ったというメールが出てきた」と言って大騒ぎになってましたけれども。

僕はその時、東京拘置所に勾留されておりまして、「こんなの絶対、俺やらないよな」って。もちろん、そんなメールは送ってないんですけれども、それでも不安になってしまう。もしかして、万が一、酔っ払って送ったかもしれないとか。本当に思っちゃうんですよね。絶対自分はそんなことはしないって思っているのに、思ってしまうぐらい、極限的精神状態におかれます。

司法の世界においては、被疑者・被告人と検察官というのは立場的にこんな感じなんです。検察官のほうが、ものすごく立場が高い状況にありますので、これで本当にフェアな取り調べが行われるのかどうかっていうのは、非常に疑問です。

ですので、刑事訴訟法第89条の「権利保釈」について、もっと本当は改善しなきゃいけないんですけど、委員会のほうで結論が出なくて、玉虫色の文章みたいになっていて。現状でも、保釈については適切に運用されているということが前提となって、ろくに条文が書き換えられずに、現状とほとんど変わらないような状況になっていると。

「罪証隠滅及び逃亡の恐れがある時」っていうのは、「保釈しなくていい」となっておりまして、私の場合も結局、裁判官の「裁量保釈」で保釈されました。これは「公判前整理手続」における、そこで証拠が全部提出されていることを前提にして、初公判と同じような状況だということで。割と早期に否認をしているにもかかわらず、それでも94日間かかって保釈されました。私のような人間、当然逃亡なんか出来ないわけですし、これだけ衆人環視の環境にあって、パソコンとか全部押収されているのにと申し上げたんですけれども。そういった否認の被告人に対しては、そういう運用が通例となっております。

そういった状況に関して、保釈については、「権利保釈」をかなり広い範囲で認めるべきであろうと思っております。少なくとも、今の提出されている条文では到底納得いかないという風に私は考えております。

それともう1つ言っておきたいのは、司法制度改革の中の「司法取引制度」なんですけど、今回初めて日本で導入されました。「司法取引制度」に関して、みなさんご存知だと思いますけれども、日本でも司法取引的なことは、実際行われてます。

例えば、日本では、基本的に検察官が起訴できることになってます。検察官が不起訴であったりとか、起訴猶予っていうのを判断することが出来ると。「検察官起訴便宜主義」ですね。

あと独自捜査権限があります。検察官が独自に捜査をして、独自に起訴することが出来ると。自分が捜査した案件というのは、間違いがないと思って、大体みんな起訴しちゃうんですけれども。今でもすごく検察官が強い立場を持っていて、特に不起訴であったり、起訴猶予にするっていう権限っていうのは、実は主犯格の人達を追い詰める時には非常に有効な手立てで。要は、そういうのを匂わして「不起訴になるかもしれないよ」とか、起訴しても大して求刑しないような雰囲気を、実際に明言している人もいるみたいですけれども。そういった状況にあると。それに対して、私は司法取引を導入すること自体には反対ではありません。

ただし、今回の司法取引に関していうと、主犯格以外の人達が実質的に対象になっていて、ターゲットとされる主犯格の人達の罪を重くする方向で証言すると、アナタの罪一等を減ずると。そういった趣旨の改革になっておって、諸外国、特にアメリカとかの、司法取引制度っていうのは、主犯格の人達も自分の罪を認めることによって、罪一等を減じますよと。

例えば、「執行猶予にしますよ」とか「不起訴にしますよ」とか。そういったことを交渉する余地があるんですけれども、今回、一方通行的な改革になっておりまして。これではむしろ検察官の権限拡大になるのではないかと、私は懸念しております。

特に、郵便不正事件を例に取りますと、係長の証言っていうのは、より強固になってしまっていたのではないかと。つまり、村木さんが悪いと。俺は何も悪く無いというような方向の証言を、今の改革がそのまま通れば、恐らくしてしまうだろうなと。ということで、これについても私は非常に懸念をしております。それ以外にも色々言いたいことはあります。例えば、さっき言った検察審査会制度についてもですね、不起訴になった案件を起訴相当にするというようなことは出来ます。が、起訴になったものを起訴相当にするとか、不起訴にするというようなことは出来ない。起訴方向の一方通行的な検察審査会制度になっておりまして。

例えば、政治家の方でいえば、小沢一郎さんとか、そういった方々は2回ぐらい起訴相当が出て、裁判になって、結局無罪というか。なったわけですけれども、そういったことが、現状、非常に検察官の権限というのが大きな状況にありますので、これだと、またこれからも冤罪事件というのが、恐らく起きてくるのではないかと。

それに対して、ある日突然あなたが冤罪事件に巻き込まれて、投獄、長期勾留されてしまうというようなことにもなりかねないと、私は憂慮しております。その点に関して、是非ここで今一度、議論を尽くしていただいて。司法取引制度と保釈に関しては、特に、保釈に関してなんですけれども、見直していただければなという風に思っております。以上でございます。

自民・若狭議員による質疑
若狭:自由民主党の若狭でございます。今日は、堀江参考人におかれまして、お忙しいところ本当にありがとうございます。私のほうから、まずですね。先ほど、94日間、勾留されていたけれど、他の事案に比べると、比較的早期に保釈をされたのではないかというお話をいただきました。
それはですね、「公判前整理手続」というのが、その頃、本格的に実施されたということが大きい理由だと思うんですけれど。それはそのような認識でよろしいでしょうか?

堀江:恐らくそうだと思います。ただし、この「公判前整理手続制度」っていうのは、こちらにつきましても、弁護側、要は被告人・被疑者側にとっては、非常に負担が大きい制度です。というのは、本当に比較的1ヶ月とか2ヶ月とか、ものすごく短い期間で、私たちほとんど、当時、今もそうですけど、証拠開示請求がろくに出来ないような状況で、検察官等に押収されている証拠を必死に調べたりとか。そういったことをやらなきゃいけないと。

そこで論点整理をやって、要は、後出しジャンケンだめよと。検察側も、弁護側も証拠を出し合って、これ以外については本当にやらないよと。争いませんよと。いうことを、明確にしてやるからこそ、早期保釈が恐らく認められていて。それは僕、弁護士さんに言われました。ここで証言された高井康行さんなんですけれども、彼に言われました。「どっちを選ぶ?」と。「恐らく、公判前整理手続をやると、早期に保釈されるけれども、やらないとちょっと初公判まで難しいかもしれない」と。そういう状況で、僕は早期保釈されることを望みました。なぜかというと、非常に苦痛だったからです。精神的に苦痛だったから、早期保釈。多少こっちが不利になることも受け入れたうえで、早期保釈を選びました。

これに関しては、証拠開示請求。今回の改革にもまた出てきてますけれども、こちらは割といい方向に進みました。こっちに関しては。私の頃は、検察官がどんな証拠を押収したのか分からない状況で、私たちの中から「こういう証拠があるんじゃないか?」ってことを辿っていって、やっと見つけたみたいなことがありまして。

私の事件でいうと、私にあまりにもおかしな、不利な証言をしていた元部下が「おかし過ぎるだろ」ということで、何かあるんじゃないかということで、私の元弁護士が、検察官だったものですから、そういった捜査っぽいことをやって、「この取引がおかしい」「このお金の流れが怪しい」ってことで、どんどん辿っていったら、横領していたと。それも数億円単位の横領をしていたという事実を、証拠開示請求を通じて見つけたんですね。

で、ここでも司法取引まがいのことが行われていたんじゃないかと、私たちは憂慮していたんですけれども。まあ、そういったことが、今回の証拠開示請求の改革では、一覧が出てきますので、そういったことは無くなるのではないかと思っています。

若狭:ただいま、証拠開示制度は前進ではないかというお話をいただきましたけれど。今日は、保釈の点について、まずお聴きしたいんですが、堀江参考人が保釈が認められなかったのは、逃亡の恐れということも1つあったと思うんですが、もう1つ証拠隠滅という恐れがあると。そういうことで保釈がなかなか認められなかったこともあったと思うんですけど、それはその通りでよろしいですか?

堀江:それは、定かではありませんが、分かりません。

若狭:それは恐らく弁護人の方から、当時お聞きになっていると思うんですが、こうした共犯者がいる事件の場合は、証拠隠滅の恐れというのも、保釈を認めない、権利保釈の除外事由にはなっているのが普通だと思うんです。

それで遡って、堀江さんの事件というのは、最終的には有罪になったと思うんですけれど、有罪になったことについては、今現在、やっぱり間違っているという風に思われるのか、有罪は有罪は受け入れるというような思いでいるのか。結論だけお願いいたします。

堀江:私の事件につきましては、基本的にはこれが、私の中では、有罪なのか本当に?という風な思いは、いまだにありますね。はい。

若狭:色々とニュアンス的には難しいところの表現だと思うんですけれど。いずれにしても、完全に無罪だというような、明確な返答があったわけではないと承知したわけですが、その場合、共犯者などが多いので、当時少なくとも、証拠隠滅の恐れがあるということで、保釈が認められないと。そういうこと自体は、通常考えると、よくあり得る話だなと、私は自分の経験を照らして思うんですよね。その点については、いかがですか?

堀江:その点につきましては、電子メール等、そういった客観的証拠というのは、隠滅しようがない。すでに私のパソコンなり、すべて押収されておりますので、そういったところは隠滅のしようがありませんので、ないと思いますね。

若狭:メールなどの客観的証拠はともかくとして、やはり共犯者の供述というのが、少なくとも1つの大きな証拠になっているっていうことは、当時あったのでしょうか?

委員長:あの、若狭さんは元々検事ですから、なんか取り調べのような感じがするんだけど、もっとフランクにやってください(笑)

堀江:そういう雰囲気を非常に感じるんですけど(笑)前の方に元検察官の方が結構いらっしゃるので(笑)はい。そうですね、私の場合は、有罪部分というのは、確かに共犯者とされる方々の証拠というか、証言によって認定されている部分というのは非常に大きいと思います。ただ、その人達に会うことっていうのは、基本的に出来ないという条件で保釈されると思うんですよね。実際、私は逮捕されてから一度も共犯者とされる方々に会っておりません。今は、別に会ってもいいんですけど。保釈の時の条件というのは、そういう人達に会ってはならぬというのが通常ついています。ですので、そういったことはできないと思うんですけれども。

若狭:今回、堀江参考人におかれましては、捜査、取り調べをして、裁判、受刑と。本当に我々にとっては耳を貸さなければいけない数々の体験をされていると。いうことで、堀江参考人のお話されていることは、十分に私共も傾聴に値すると思っておりまして。

ただ少なくとも、事実関係として、当時の自分の保釈の問題を、今回の法制度のところに絡めて言う場合というのは、どうしても法制度は一般的な話をするものですから。その際に、堀江さんの個別的な事情っていうのを、十分加味しないで、堀江さんの話をそのまま受け入れてしまうと、全体としての法制度をどうするかっていうのと、ちょっと違ってくるような感じがするので、若干根掘り葉掘り聞いたしだいなんです。その辺は非常に、恐縮の至りなんですが。

それからですね、最後に、先ほど証拠開示については、前進だという話がありましたけど、今回、証拠開示の前提として、検察官が手持ち証拠の一覧票を弁護人のほうに公布するという制度も合わせて改正案に盛り込まれているんですよね。

そうした一覧表の公布によって、証拠開示の手がかりがもっと出来やすくなるという制度なわけですが、それについては積極的に評価できるという点だけ、お答えいただけますでしょうか?

堀江:そうですね、前進だと思います。現状に比べると、かなり前進だと思います。もっと柔軟になって欲しいんですけれども、少なくともここに関しては評価したいと思います。

若狭:私の質問は終わります。ありがとうございました。

公明・國重議員による質疑
國重:公明党の國重徹でございます。今日は堀江参考人、お忙しい中、お越しいただきまして、実体験に基づく貴重なお話賜りましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。私、若狭議員と違いまして、検察官ではなく、弁護士ですので(笑)。逆にお答えいただければと思います。どこかに特化して聞くということではなく、広くお伺いしていきたいと思います。
刑事司法と言いましても、被疑者段階、被告人段階、また実刑判決を受けて受刑者の段階というのがありますけれども。先ほどお話の中で、被疑者段階、被告人段階の拘置所生活が、精神的な極限状態にあったというお話をいただきました。私も弁護士として活動しておりまして、そういった様々な被疑者・被告人の声も聞いて参りました。そこで、被疑者・被告人段階の拘置所生活における様々な支障があったかと思います。

もちろん、今回の改正では、取り調べの録音・録画とかですね。堀江参考人がおっしゃられた保釈の問題等もありますけれども、拘置所生活一般で、心身ともに追い込まれるような様々な課題があったと思います。そういった課題、支障、そしてそれをどのように改善していくべきとお考えか。この辺りのことをお伺いしたいと思います。

堀江:拘置所に関して言うと、取り調べをしている時というのは、非常に面会時間が短いです。1日あたり15分~30分ぐらい。これでは十分な打ち合わせができないですね。もちろん、土曜日は出来ることがあったんですけど、日曜・祝日というのは面会できません。

これは拘置所職員の数の問題であると言われていました。特に東京拘置所は、過密スケジュールですので。私は、かなり便宜を図っていただいていたように思えますが、本当に一般の勾留されている方々は、非常に短い時間でしか、面会が出来ないようになっています。国民の目からすれば、「拘置所なんかに予算をこれ以上割いてられるか」ってことなのかもしれないですが、職員の数が圧倒的に足りないのではないかなという風に思いますね。そういったこともあって、面会時間も短くて、ろくに打ち合わせできないんですよ。

だから、特に金曜とか土曜とかの面会っていうのは、結構極限に追い込まれると。取り調べは日曜もありますから、土日で結構、攻めて来られます。検察官の方がぐ~っと攻めて来られますから、月曜日まで持ち堪えられるかみたいな感じなんですけれども。そういった部分で、もうちょっと面会の時間を取れるようにしていただけないかなという風に思います。

起訴後勾留の時は、フルに面会をしてもいいということになっておりますけれども、捜査期間の面会の時間が短いというのは、非常に問題かなと。究極的に言うと、取り調べに弁護士さんを同席できるようにして欲しいなと。それが証拠隠滅や逃亡につながるとかいったことは、一切ないと思いますので。

じゃあ別に、弁護士さん雇える人が、あるいは別に国選弁護人でもいいんですけれども、弁護士を横に同席させて取り調べをして何が悪いんだと。こういったことは、今回の司法制度改革には全く盛り込まれておりませんけれども、弁護士同席を僕は認めるべきだなと思っております。以上です。

國重:ありがとうございました。今言われた、土日等に固めて取り調べをされて、そこで追い込まれるという趣旨の話がありましたけれど。私も刑事弁護の経験から、無罪を主張していた被疑者がいましたけれども、私が1日だけ九州の方に出張で、どうしても接見できない日がありまして、その時に、ムリに自白調書を取られたという経験もございました。これは公判でひっくり返しましたけれども。貴重なご意見だったと思います。

続きまして、受刑者段階における刑務所生活。そこにおいても、入ったものでしか分からない支障とか課題とかもあったかと思います。また堀江参考人が入っている時、周りの方の中に再犯を繰り返している方とか、組織に入っている方もいらっしゃったかと思います。

今、堀江参考人は見事に社会復帰をされておりますけれども、そういった受刑者の方々が再犯を繰り返さず、また社会復帰できるようにするために、刑務所生活における運用においても、様々な改善点。このように改善していけばいいんじゃないかと思うところがあれば、お伺いしたいと思います。

堀江:それにつきましては、私、文藝春秋社から「刑務所なう。」っていう本を出しておりまして、そちらに詳しく書いてありますので、是非読んで欲しいんですけれども。端的に申し上げますと、1つは刑務所の職員の数が圧倒的に足りません。今回、どっかの刑務所で、炊場といってご飯を作る係を外注するみたいな話がありましたけれども。

これは受刑者の質もあって、ご飯作る係の人って、割と能力が高くて、体力もあって、若くてみたいな人しか出来ないんですけど、そういった受刑者が非常に減ってきておりまして。むしろ高齢の受刑者、障害者の受刑者がすごく増えてきているような現状があります。私が入っておりました長野刑務所の第15工場というのは、いわゆる障害者と高齢者をお世話する工場なんですね。私はそちらのお世話係で、衛生係というのをやっておりましたけれども。この人達は、ほとんど満期出所で、身寄りもなくて、更生保護施設にも入れない方々なので、恐らくまた再犯を繰り返すのではないかなと。

そういった累犯受刑者の方々の対策をするには、根本的にその生活を建て直すような、例えば研修とか職業訓練といったものの改善が必要です。職業訓練に関しては、いわゆるガテン系の職業は、割とあるんですけど、それもエリート受刑者しか受験できないと。本当に必要なスキルの低くて再犯を繰り返しそうな人達っていうのは、そういった研修を受けられないような人達なんですよ。

そういった人達に対して、少なくとも現代社会に則した形で、プログラマーのようなIT系の仕事のエンジニアであったりとか。こういった研修を受けさせるとか。少なくともパソコンを使えるようにするとか、あるいは、少なくとも自動車運転免許ぐらいは。特に、地方に行ったら、自動車運転免許なかったら採用されなかったりしますので。

なんか知らないけど、玉掛けとかフォークリフトとか大型自動車とか、そういうのを免許取らせるのに、「普通自動車運転免許を刑務所で取らせるのは、まかりならん」みたいな形になっているのも、実際に再犯をさせないような支援をする意味では、職業訓練というのも、なんかちょっと古くさい。全然変わっていないような状況が、私はあると思います。この改善も求めたいと思います。

職員の数が圧倒的に足りないのは、予算が足りないからなんですよ。それは再犯防止のために、予算をたくさん使って、再犯防止をすることが、社会にとって僕はいいことだと思いますので、予算を増やして欲しいです。国民は「受刑者になんでそんな贅沢をさせるんだ」ということで、なかなか認めないかもしれないですけど、そうではなくて。再犯をさせないため、つまり社会に彼らは絶対帰ってくるんですね。帰ってきた人達をいかに再犯させない方向に持っていくのかが、非常に重要だと思います。

最後にもう1つ言っておきたいんですけれども、私がいた刑務所の中で、性犯罪をたくさん繰り返して、懲役6年の受刑者がいたんですけれども、彼が僕に何を言ったかというと「助かった」と言ってたんですよ。彼は極悪人ですよ。社会的にいうと。なんで助かったかって言いますと、彼は強姦罪ではなくて、強制わいせつ罪で収監されてたんですね。実際に、彼が私に言ったのは「強姦を何回もやっている」と。なのにもかかわらず、強制わいせつで起訴されて、懲役6年であると。日本の、まあいいや。そこはみなさん分かると思いますけれども、なんでそうなっているかっていうと、これは裁判員制度の制度的欠陥なんですよ。

というのは、裁判員裁判になると、被害者が裁判員の前で証言をしなきゃいけないんですね。この線引が、強制わいせつ致傷と強制わいせつの間になってるんですね。なので、被害者が一般の裁判員の前で証言をするのがイヤだということで、強制わいせつにするケースが結構あるようなんですね。

それによって、本来はもっと長い間、社会から断絶されるべき人が、たったの6年で世の中に出てきてしまうと。社会に出てきてしまうという制度になっていることが、僕は非常に問題だと思います。

これはいくつか改善案はあると思うんですけれども、僕は全事件に対して、裁判員裁判を選べるような仕組みが必要なのではないかなという風に思ってます。そうしないと、そうやって本来はもっと懲役を長くすべき人が、短くなってしまうというような状況。彼は多分、氷山の一角だと思いますので、これを直さないと、恐らく彼は再犯をして、マックス6年でいいのかとなってしまえば、そういう風になってしまうような気がしますので、そこも憂慮しております。

國重:以上であります。ありがとうございました。

民主・階議員による質疑
階:民主党の階猛です。私も弁護士ですので、そんなに厳しいことは言わないと思います。先ほどのお話の中で「司法制度改革は期待していたほどではない」と。あるいは「冤罪防止は後退している」ということでした。そうしたことから考えると、堀江さんは、この法案には反対という風に理解したんですけれども、それで間違いないでしょうか?
堀江:いやあの、一部反対ということで、一部賛成。特に、証拠開示請求に関して言うと、かなり前進したと思いますので。もっと良くなって欲しいんですけれども、一部賛成ということです。

階:一部賛成で、一部反対。反対の部分というのは、先ほどのお話だと、司法取引のところとか、保釈要件のところが出てきたかと思います。他に何かございますか?

堀江:僕は、証拠開示請求以外の部分っていうのは、基本的にあまり前進していないと思います。むしろ、後退している部分が多かったように感じます。例えば、捜査の可視化であったりとか。そういった部分も一部独自操作事件であったりとか、そういったところに限るみたいな話もありますし。

なんかその、機器の問題で、コストがかかるからとか、なんとか言ってますけど、そんなこと多分ないと思いますので。もっと安い機材を使って、安く保存することは、今の技術を使えば、僕は可能だと思います。全事件に対して、被疑者だけではなくて、任意で取り調べをしているような、周りの人達の取り調べのほうが、実は重要だったりするので。それこそ、検察官が取り調べているのは全部、録音・録画すべきであると言う風に私は感じます。もっと言うと、弁護士を全部同席させてもいいように、制度改革をすべきだと思っています。

あと、通信傍受の問題に関しても、一部、例えば、オレオレ詐欺であったりとか、そういったところの通信を事前に傍受して、捜査をすることっていうのは良いと思います。けど、その範囲があまりにも広すぎるなと。これは全てに拡充されてしまう恐れがあるので、ここに関しても憂慮しております。以上です。

階:我々も悩んでおりますのは、この法案って、方向性としては正しいものと、冤罪防止という意味でマイナスに働くものと。玉石混交といいますか、色んなものがまとまって1つの法案で、それで賛否を決めろと言われているわけですね。

私たちはそうじゃなくて、1つ1つテーマを分けて賛否を図るべきだと。法案も分けて、賛否を図るべきだと言っております。しかしながら、今現状を前提としますとね、一括した法案について、賛成か反対かと決めざるをえないわけです。

今、堀江さんのお話を聞いてますとね、「問題点は多々ある」ということをおっしゃったわけでございまして、そういうことからすると、全体として仮に「どっちか選べ」と言われたら、どっちなのかということを、改めて教えていただけますか?

委員長:それは誘導尋問のようであって、あんまり芳しくないですね。もう率直に堀江参考人言ってください。

堀江:ここで審議を尽くされて。少なくとも私は、保釈と司法取引について、私が言っているような形で。もう保釈については、刑事訴訟法第89条の第4項の修正をちゃんとやればいいと思います。司法取引に関しては、すべての被疑者・被告人というか、共犯者、主犯格も含めて、その制度を利用できるようにすれば私はいいと思いますので、そこさえ修正すれば私は賛成ですね。そこさえ修正すれば。
階:ちょっとテーマを変えますけれども。マスコミが注目していないと。国民生活に関わることだけど、注目されていない理由の1つに、司法取引という制度を導入するんですが、法案上は「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」と。聞いてもなんだかよく分からないようなネーミングがされていることが、1つ理由にあると思うんですね。

私はもっと分かりやすい。つまり国民にとって、「これは危ないよね」「ちゃんと考えなくちゃね」と、注意喚起できるようなネーミングをすべきではないかと。例えばですよ、1つの案として「密告奨励型司法取引」だとか、何か国民の耳目を引き出しやすいようなネーミングにすべきだと思うんですけれども。もしですね、堀江さん発信力があるので、今回のタイプの司法取引について新たなネーミングを付けるとすれば、どんなことを考えられますか?

堀江:それはなかなか難しい話なんですけれども。だから、一方通行なんですよね。一方通行型の司法取引制度なんですよ。これは本来の司法取引では、多分ないと思うんですね。フェアではない司法取引制度であります。これは圧倒的に主犯格が不利になります。そこを、より強調した形で言うべきかなと思います。なんでこんな話になったのか、僕はちょっと理解しがたかったんですけど、そちらに関しては、もうちょっと厳しく詰めるべきなのかなと。多分、多くの人達が理解していないので、こんなことになっちゃったんじゃないかなと私は思ってます。

階:「一方通行型」とか「フェアではない司法取引」とかいうことは、堀江さんの言葉として出てきたと思います。で、仰るとおりでして、7月7日のこの委員会の、政府参考人の答弁で、「今回この司法取引は、組織的な犯罪等の解明を図るために利用されるものでございまして、末端の実行者をはじめとする下位の関与者から首謀者等の上位の関与者に関する供述等を得ることを主眼とするものである。」こうした明確な答弁がされているんですね。

まさに一方通行型で、主犯格にとってみると、特に身柄拘束化において、末端の人から見ると、自分がやったかやらないかということですら、本当はやっていないのに「やった」と言いたくなるような状況であります。なおさら主犯格がやったかやらないかということについては、自分とは関係ないことですから。多少、良心の呵責はあるにせよですね、自分がやっていないということを「やった」ということよりは、ハードルは低いと。

つまり虚偽の供述がなされる可能性が高く、冤罪の可能性も高いという風に考えるんですけれども、その点いかがでしょうか?

堀江:その通りだと思います。現状でも、起訴便宜主義なんかを使って、そういう状況になっておりますが、それが助長される。これは実は、すごく危険なことで、私はブログであったりとか、メディアを通じて、そういったことをずっと訴えてきましたが、誰も聞いてくれません。

主犯格は悪い者だという風に思っているのかもしれないですけど、僕の事件はとりあえず置いておいて。村木さんの郵便不正事件に関して言うと、元係長の彼は、司法取引制度が無いにもかかわらず、全く事実無根のことを、検察官に誘導されたにせよ、それを証言してしまって、供述調書を取られたわけですけれども。

それが、「罪一等を減じるよ」「あなたは執行猶予になるよ、不起訴にするよ」とか言われたら、ホイホイみんな。特に逮捕されると、あるいは、逮捕の危険をチラつかされると、ほとんどの人達はコロっと言ってしまうと思います。

特に、ホワイトカラーの普通の社員みたいな人達っていうのは、そういう状況には非常に弱いので。だから、私はセットだったらいいと思うんですよ。ターゲットとされてる人達も、「じゃあ、執行猶予にするんだったら認めますよ」とか。攻められたら、防御できない。じゃあ、実質的に被害がないという状況であればいいかなと。車の両輪なんで、片方がないと多分これはかなり危険なことになると思うんですが。自分は絶対、主犯格になることはないっていう風に、みなさん思われていると思いますが、例えば、自動車運転をして、人を轢き殺しました。っていうことは、誰にでも可能性としては多分ある。

そういう状況で、自分はそんなに悪くないのに、周りの、道端で見かけてた人達とか、同乗者の人とか、あるいはそれにかかわった人達が、例えば、飲酒運転じゃないのに、「あいつは酒飲んでた」という人が、もしかしたらいるかもしれないし。

特に、経済事犯というのは、言った・言わないというのが、非常に大きなところで。私の事件でいうと「堀江に指示されました」か「自分が独自に判断してやりました」というのは、大きな違いなわけですよ。

そういったことっていうのは、ほとんどのケースでありえます。私はよく言われました。ライブドア事件の時は、「ライブドアの社長なんだから責任を取りなさい」と。その責任は、こういったことになって上場廃止にもなったんだから、責任は取るべきだとは、私は思いますよ。

だからといって、じゃあ指示していないことを「指示した」というのは、「それはウソでしょ」って話になるわけで。でも、企業の代表者として、責任を取らなきゃいけないよっていうところを明文化するといいますか、そういったのが、司法取引なんだと、僕なりに解釈してるんですよ。

部下がやったことに対して、トップが取る責任というのは、当然あると思います。だけれども、じゃあ自分が計画をして、自分が部下に指示をして、犯罪行為をやらせたということを、指示をされていないのに指示をしたという風に言ってしまいかねない制度なんですよ、これって。だからちょっとおかしいんじゃないかなって思います。

階:これで質問は終わりますが、今回の司法取引、いいネーミングがありましたら、教えていただきたいと思います。ありがとうございました。

維新・井出議員による質疑
井出:維新の党の信州長野の井出庸生です。堀江さん今日は、たってのお願いをさせていただいて、来ていただきありがとうございました。私は、この場に堀江さんをお呼びしようと思っていた時に、堀江さんは裁判で有罪判決を受けていらっしゃるので、大変辛いことをお話いただくことになるのかなと憂慮しておりました。
今日の委員会、各議員の先生方にも、法曹関係者、実務経験者の方が多いんですが、私はそうした検察官や弁護士。裁判官は今の委員にはいらっしゃいませんけど。その人達の、今までの実務者の常識の中で悪かった部分を変えていこうというのが、今回の改革の魂だと思っておりますので、ぜひお力をお貸しいただきたいと思います。

まず、保釈の関係で、勾留の辛さというところについて伺います。私、かなり前なんですけど、堀江さんが書いた本を読まさせていただきまして。堀江さんが拘置所にお1人でいる時に、大変孤独で辛い状況だったと。その時、夜にですね、刑務官が顔は見えないけど、姿も見えないけど、あまり辛いようだったら、少しの時間だったら、話し相手が出来るよと言ってくれたと。その時、堀江さんは、人間の温かみというか、情に刑務官の気持ちがすごく伝わって、布団の中で号泣されたというようなエピソードを書かれているんですが、1人で勾留をされると。接見が禁止されると。そのことの辛さというものを改めて教えていただきたいと。

堀江:多分、人による部分もあると思うんですけど、ほとんどの人達が辛さを感じるとお思います。私もそれまで飲んだことがなかった精神安定剤であったりとか、睡眠薬というのを処方していただいて飲んでいました。そうでもしないと、頭がおかしくなってしまうと。私はそれまで精神安定剤の類のものを飲んだことが無かったんですけれども、勾留されて初めて飲むにいたりました。さらにいうとですね、私の場合は、有名だったりということもあって、特に隔離されてました。

運動の時間とかって、他の被疑者・被告人の人達と会う機会が通常はあるんですね。だけども私は厳格に管理をされてまして、他の人達とは一切顔を合わせないような運用をされてました。そういった部分でも、本当に精神的に圧迫されていたと。逆に言うと、そこまでやる必要はないわけですよ。そこまでやる合理性というのは全く無くて。それだって、一応推定無罪の状況ですので、被疑者・被告人に対して、そこまで精神的苦痛を与えてまで、社会から隔絶して、さらに1人でずっといさせる必要というのは恐らく…恐らくじゃない、絶対ないわけです。

なので少なくとも、人としゃべれるような状況ぐらいは作ってもいいんじゃないかなと思います。そこに関しては非常に非人道的だと思います。孤独が好きな人はいいんですよ。そういう人ももちろんいますから。ですけれども、ほとんどの人達は孤独がイヤだと思うんですよ。単純に僕の場合は、罪証隠滅及び逃亡の恐れがあるから、勾留されていたんだとすれば、それさえ担保されていればいいわけで、それ以上に精神的苦痛を与えることはないと思いますので、他の人達と会う場がある。運動の時間ぐらいいるとか。そういう風なことをしていただいてもいいのかなと思います。

それ以外だと、僕の場合、雑誌・新聞も見られないような制限がかかってました。これはなんでか分からないんですけど、そういった部分に制限は必要なかったんじゃないかなと思います。

あとね、村木さんにこの間お伺いしたんですけど、彼女の場合は、接見禁止が付いていなかったらしいんですね。それも分からなかったらしいんですよ。通知されなかったのか、弁護士さんが気付かなかったのか、よく分からないんですけど。でも、あまりそういうことって考えられないと思うので。

その辺の制度も結構複雑なんですよ。勾留なんかに関しても。あともう1つ。僕2回逮捕されたんですけど、裁判所に勾留許可を取りに行くんですね。地下の薄暗い部屋に何時間も閉じ込められて、裁判官がポンっとハンコを押して、そのまま また、拘置所に誤送されるんですよ。そういう謎の制度があって。

謎っていうか、勾留を10日とか20日出来るようにするための制度なんですけど。ほとんど9割以上、ハンコを押されて勾留されるんですよ。なんですけど、それも精神的には、非常に。裁判所の地下に閉じ込められるので。朝9時とかに着いて、夕方の3時とか4時ぐらいまでそこに閉じ込められて。窓もなくて、昔、投獄された人のラクガキとかあって。これも非常に精神的負担になります。これの改善もされたらいいのかなと思います。今回の案と違いますけど。以上です。

井出:ここ数年は保釈率が上がってきていて、その1つに公判前手続きが進むことで、保釈が早まる傾向があるということも、この委員会で議論があったんですが。堀江さんが保釈された当時の記事を、私も昨日、一昨日振り返ってみますと、公判前手続きのために、当時は異例のスピードで保釈が認められたと。裏を返せば、堀江さんの事件の保釈というものが1つ現状の保釈に対しての問題提起だったのかなと思います。

私から最後に質問したいのは、今回の法改正の改革の魂というのは、冤罪を少しでも無くしていくことだと。刑事司法制度というものは、もちろん被疑者・被告の人権もそうですが、捜査の真相究明ですとか、裁判で真実を究明するという治安の部分も当然あると思います。そのバランスが難しいと言われていることは、私も理解してきましたが、ただ今回に関していえば、村木さんの事件やその他多くの冤罪事件に対して、どう手を打っていくかというのが、この改革の魂だと私は思っています。

そういう意味で、この法案全体を見た時にですね。先ほど陳述の中でも、検察の権力。力の強さというものに触れられておりましたけど、今回の政府案というものが、警察の力が被疑者への配慮へ行き届いたものになるのか。それとも、よりいっそう検察の力が大きくなると思うのか。そのあたりを、大きな視点からお話いただきたいと思います。

堀江:一言でいうと焼け太りだと思います。郵便不正事件で、社会的に叩かれたにもかかわらず、いつの間にか捜査権限拡大に持っていくところは、さすが検察だなと。戦後の司法制度改革すら切り抜けた検察の力の強さをあらためて、思い知ることになりました。非常に強い政治権力をお持ちなんじゃないかなと思います。

ここに関しましては、今回の司法制度改革には盛り込まれてませんけれども、検察官の独自操作権限を減らすべきだと私は思います。というのは、検察官1人で捜査を始めて、自分がストーリーを描いた事件は当然起訴したいと思うでしょう。

そうすると、そういうことが原因となって、ムリヤリ起訴してしまうと。例えば、郵便不正事件なんか多分そうだと思うんですけれども、自分でも引き返せなくなってしまうと。これが捜査に関して分離した独立した機関。警察であったりとか、もしかしたら、アメリカのFBIみたいな組織を作ってもいいと僕は思うんですけど。

そういった独立した別の機関が捜査を行い、その捜査機関が送検してきた事件に関してWチェックをすると。別の組織の観点から見て、起訴をすると。起訴に関しても、本来であれば、起訴陪審的なものを導入して、今の検察審査会も拡充すればできると思うんですけど、そういったものをやって、検察官以外も起訴に関して、判断をすることが出来るような状況を作り出すべきというのが、今回の司法制度改革でやるべきことだったんじゃないかなと思いましたけど、全く触れられていないのは非常に残念です。

共産・清水議員による質疑
清水:日本共産党の清水忠と申します。今日最後の質疑者となります。堀江さん、本当に今日はどうもありがとうございます。今日は朝から、検察官と弁護士という方が質疑しましたが、私は元漫才師なので、気軽に、言い残したことをどんどん言って、帰っていただければと思います。
最初に、国民のみなさんが一番感心のあることを聞きたいと思いますが、堀江さん、儲かってまっか?

堀江:そんなに景気が言いわけじゃないですよ。

清水:と言いますのは、勾留されたり、刑務された方が、社会復帰して、従前の生活を取り戻したり、自らの営業活動に赴くのは、なかなかの困難を要することだと思っております。それで今日は、ご自身の経験も含めてお伺いさせていただきたいんですが。先ほどから、検察官と被疑者・被告の間には、大きな力の差があるとおっしゃいました。

これを対等に持っていくためには、防御権を確立するというためには、先ほど弁護人の立会いが必要ということも言われたと思うんですが、その他、どういったことが必要だという風にお考えでしょうか?

堀江:先ほども言った通り、検察官の権力が非常に強すぎるというのもあります。一応、行政府に属するわけですけれども、検察官起訴便宜主義に代表されるように、起訴・不起訴の権限を実質的に彼らは保有してますので、準司法的な役割を彼は担っているという風に、私は思っております。

もう1つ。重要な三権でいうと、立法としての役割っていうのは、実は準司法的な役割を検察は担っていると思います。なぜかというと、東京地検特捜部が起訴した事件は大体最高裁までいって、判例が確定します。

私のライブドア事件の時、何が起こったかというと、ちょうど金融商品取引法というのが成立しました。あの時にワッと騒いだ時に、罰則の上限が旧証券取引法は5年だったんですけど、10年に拡充されました。非常に大きな厳罰化だと思います。そこまで必要なのかと、私はちょっと思いました。

というのは、10年というと、詐欺罪とか、かなり重大な犯罪と同じものに位置づけられるようになりました。これはかなり私の事件が影響していると思います。つまり、自分たちでプロデュースすることによって、立法府的な役割も、彼らは担えるということです。

司法・立法・行政の3権を彼らは牛耳っていると。オールマイティーであるという風に私は感じておりまして、ちょっと権力強すぎるかなと思いました。それは独立操作権限があったりとか、起訴を独占していたりとかするからなんです。そこを改革しない限り、力というのは絶対対等になりません。彼らには、総理大臣ですら訴追することが可能なわけですから。原理的にはですよ。それは戦前から全く変わらないような状況なので。あんまりそういった人達に接する機会がないのでピンと来ないかもしれませんが、いつ何時アナタが事件に巻き込まれるか分かりませんので、もうちょっと自分の問題として考えるべきだと思います。

清水:ありがとうございます。それだけ権限を持っている検察が、今回の証拠開示に関しまして、一覧表のリストは出すと。しかし、権限を持った検察官の裁量によって、例外規定が設けられているんですよね。

例えば、犯罪の捜査に支障をきたす恐れがあると判断した場合には、一覧表から落としていいと。こういう裁量を今回法案の中に設けていることについて、懸念はございませんか?

堀江:それに関しては、非常に懸念があると思います。ただね、一覧表を出すだけでも、すごく前進は前進なんですよ。今までだって何にもない状況から、ここに証拠があるんじゃないかってことを、1個1個探して行って、被疑者・被告人側としては防御していたわけですけ。一覧が出てくるって制度が出来ただけでも、僕は非常に前進なんじゃないかなと思いますが、当然それは、原則、押収した証拠を全部出しなさいよというのが基本だと思います。

だって、こっちは罪証隠滅できるわけじゃないですからね。検察側が持っている証拠は、彼らが持っているわけで、被疑者・被告人側が隠滅することが出来るわけじゃないので、別に出しちゃっていいと思うんですよ。それは当然だと思いますね。

清水:非常に説得力があるご発言だと思います。身柄を長期拘束するということが、実は自白を強要する手段になってないかということが、この委員会でも議論されています。罪を認めれば出してやる。認めなければ勾留は続く。こういうのは人質司法と言われるわけですが、それを改善するためにも、権利保釈の拡大が必要だと言う風におっしゃられました。その辺、堀江さん自身の思いがあればお話いただけますか?

堀江:世界的な趨勢でいうと、先進国の間では特にそうなんですけど、普通は早期に保釈されます。早期っていうのは、1週間、2週間じゃなくて、1日、2日ですよ。特に、経済事犯なんていうのは、野に放ったからといって、人を殺めたりとか、人に危害を加えたりとかするわけではないので、危険性は著しく低いと。

すでに強制捜査等を行って、証拠っていうのは、ほとんど保全されているような状況にあって。先ほど、若狭さんがおっしゃったように、口裏合わせをするだとか、圧力をかけてこっちに有利な証言をさせるとか、多分それぐらいの話なんだと思うんですよ。

そこに関しても、保釈条件につければいい話なんですね。そういうことがあったら、保釈は取り消しますよとか、裁判で不利になりますよっていう条件を付けた上で。なんなら、GPS発信器をつけてもいいような話ですよ。そんな制度があったら使うのに。逃亡防止するっていうんであればですよ。私なんか、絶対逃亡できないですよ。「堀江が逃げようとしてるよ」ってみんな言ってくるでしょ。逃亡の恐れがあるって全くわからないし、傍受したけりゃすればいいと思うんですよ。保釈された被疑者・被告人の通信傍受をしてもいいってしても、僕はいいぐらいだと思いますよ。権利保釈の中の条件として。そんなに憂慮されるんであれば、GPSを入れたって僕はいいと思います。

逆に言うとそれぐらい勾留されているってことは、ものすごく精神的負担が大きくて、やっていないようなこともやっているという風に思ってしまうぐらい精神的に追い込まれるってことなんです。人間の記憶って、それぐらいあやふやなものなので、ストレスをかけられるとすぐに書き換えられてしまいます。

そこに関しては、今そういうテクノロジーもあるわけですし。罪証隠滅及び逃亡の恐れっていうのは、ほとんど無くなるテクノロジーはありますから。それを用いてでも、私は早期保釈を実現すべきだという風に考えます。

清水:最後に、この刑事司法制度改革。あまりマスコミに大きく広がっていないということなんですが、最後にお願いです。堀江さん自身の発信力で、司法制度改革が議論されていることを大いに広げていただきと思うんですが、いかがでしょうか?

堀江:私、そのために今日来たと思っています。みなさんがんばってください。

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