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『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。紀元前3千年頃のシュメール文明で生まれたシュメール神話を起源とし、バビロニア王ハンムラビがアッシリアを制圧した紀元前1750年頃に成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなったような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)。この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。(検索ウキペディア)

2016年01月

(7)小保方氏、手記出版 恨み節炸裂
上司の罠にハメられた 重すぎる責任に自殺意識も…
 2016.1.29 23:05産経デジタルイザ
 STAP細胞論文の筆頭著者だった理化学研究所元研究員、小保方晴子氏(32)が28日、手記『あの日』(講談社)を出版した。日本の科学界最大の捏造事件とも指摘される一連の問題について2014年4月の会見以来、同氏がまとまった主張をするのは初めて。手記は全15章253ページにわたり、冤罪説をはじめ、古巣である理研や関係者に対する批判、責任の重さから死まで意識したなど赤裸々につづっている。

 「世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます」

 「重すぎる責任に堪え兼ね、死んでこの現状から逃れられたら、と何度も思いました」

 手記は謝罪と反省の文言から始まる。

 問題の論文は14年1月、英科学誌ネイチャーに発表された。当初は「世紀の大発見」と話題になったが、画像の切り貼りなど疑惑が噴出。後で理研の調査委員会が論文そのものを不正と認定し、撤回した。

 小保方氏は手記の中で、論文の不備や研究者としての未熟さは認めたものの、理研が認定した不正への関与は「誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません」と頑なに否定。研究者失格の烙印を押され、批判が集中する状況に追い込まれたことへの恨み節を並べた。

 「ハシゴは外された」と題した章では、「私の名前ばかりに注目が集まってしまったためか、世間の厳しい目は筆頭著者の私に向けられた」「私個人に対する批判を述べることが社会的に許される風潮が作り上げられた」と振り返り、「すべての内臓がすり潰されるような耐えがたい痛み」を感じたとした。

 小保方氏の怒りは、論文の共著者である若山照彦・山梨大教授にも向けられた。「論文執筆をかなり急がされた」とし、実験方法について「私だけ(中略)教えてもらうことはできなかった」とぶちまけている。

若山氏が独断で研究を進めたとの趣旨の主張も展開し、「強引さが加速していくようだった」。小保方氏に批判的なマスコミ報道を「メディアスクラム」と批判し、「報道内容はすべて若山先生からの一方的な情報のみに基づくもの」と不信感をあらわにした。

 小保方氏は、古巣である理研にも牙をむき出しにする。騒動の渦中には、小保方氏が実験中に混入したES細胞をSTAP細胞に仕立てた-との疑惑が浮上した。これについて、「ES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれているように感じた」とし、「私の上司にあたる人たちによって、(中略)仕掛けられた罠だったとも受け取れた」と“冤罪”を訴えた。

 14年8月には論文の共著者で、小保方氏を指導していた笹井芳樹氏(享年52)が自殺する。その時の心境を「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」と吐露した。

 最後は騒動によって研究者としての道が閉ざされたことを悔やみ、「思い描いていた研究はもうできないんだなと思うと、胸が詰まり、涙が勝手にこみ上げてくる」と締めくくっている。

 講談社の担当編集者は「さまざまな仲介を経て(こちらから)執筆を提案した。小保方さん自身が昨年9月から執筆に入り、4カ月かけて完成させた」と話す。

 タイトルは小保方氏の発案で、初版発行部数は5万部。印税の使い道や、同氏が現在どこで何をして生活しているのかなどについては「答える立場にない」と回答した。

 一方、小保方氏が手記の中で批判を浴びせた若山氏は何を思うのか。

 所属先である山梨大の広報担当者は「大学として『コメントしない』というコメントそのものも出さない」と過敏ともいえる反応を示した。
(記事引用 2016/2/2) 


時代を記録する「小保方氏報道」.4
「怒りの手記出版」小保方氏の“暴走素顔”
2016年1月29日 6時0分 東スポWeb
小保方晴子氏 
 科学界から退場の危機にある小保方晴子氏(32)が反撃のノロシを上げた。28日に出版された手記「あの日」(講談社)でSTAP細胞をめぐる騒動で改めて謝罪しているが、その狙いは汚名返上にほかならない。新型万能細胞・STAP細胞の作成を発表するも、研究不正が認定された小保方氏。理化学研究所を追われ、母校で取得した博士号は取り消し。不正の過程でES細胞を盗んだとの疑いも浮上した。事態の進展に不満を募らせた末、ついに大爆発!「体調不良」と伝わるなか、本紙だけが知る“暴走素顔”とは――。

「小保方さんが話したがっているそうだ」

 昨夏、そんな情報がマスコミ業界を駆け巡った――。

 当時、小保方氏は「わが子」とも呼ぶSTAP細胞の存在を完全否定され、科学者としての地位も名誉も失っていた。理研の調査委員会は前年、小保方氏の論文データに改ざんや捏造があったと認定。疑惑は出身の早稲田大学大学院に提出した博士論文などにも及び、博士号の取り消しが決定的に。ショックのあまり小保方氏は体調を崩し、通院や自宅静養を余儀なくされたと伝えられた。

 事情を知る人物は「確かに体調は悪かったが、なぜ自分だけが…という思いと、ハメられたという陰謀論が脳内を駆け巡り、爆発寸前になっていた。それでマスコミに現在の心境を洗いざらいブチまけるという情報が流れたのだと思う」と振り返る。

 現状への不満の一端が表れたのが昨年11月、再提出の論文が認められず博士号が取り消しとなった時だ。小保方氏は書面で「当初から不合格を前提とした手続き」「指導過程、審査過程の正当性・公平性について大きな疑問があります」と大学側を猛批判。これは小保方氏が代理人の三木秀夫弁護士に連絡し、出させたものだった。

 この間、科学界や世間の批判に落ち込む一方、心の奥底に噴火目前の火山のごとく怒りのマグマをため込んでいたのだ。

 こうして出版されたのが今回の手記。前書きで「世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪するも、撤回したSTAP論文の執筆には「一片の邪心もありませんでした」。このまま口をつぐむことは「さらなる卑怯な逃げ」と考え、本を書く決意をした。「死にたい」とつぶやくほど、一時は苦しんだという。

 初版は5万部で、講談社関係者によると「昨年夏ごろから極秘に進めていました」。三木氏も手記出版に触れ「本人が体調の悪いなかであった事実を書いた本です。ぜひお読みください」と猛プッシュしている。

「ここ半年は三木氏の手にも余るようになっていた。弁護士費用の支払いが滞っているという情報もあり、三木氏としては『割に合わない』というのが本音だろう。今後、彼女の窓口は講談社も担当することになる。三木氏も安堵する部分はあるのでは?」(同)

 暴走気味の小保方氏が怒り心頭なのが“窃盗犯扱い”だ。理研は検証実験でSTAP細胞を作成できなかったことから2014年12月、同細胞は胚性幹細胞(ES細胞)が混入したものである可能性が高いとの調査結果を発表した。15年1月、理研OBの石川智久氏が「当時理研に在籍していた若山照彦氏(STAP論文共同執筆者の一人、現山梨大教授)の研究室に保管されていたES細胞を小保方氏が盗み出し、STAP細胞と偽装していた可能性が高まった」と週刊誌上で告発。窃盗容疑で兵庫県警に告発状を提出し受理されたが、内容は「被疑者不詳」となっていた。

「彼女は『私を悪者に仕立てようとしている!』と激怒し、背後に若山教授がいると直感した。今回の手記出版は若山教授への反撃の意味も込められている」(同)

 フリージャーナリストの津田哲也氏(56)は「彼女にはファンクラブのような熱烈な支持者が数多くいます。フェイスブック上にはコミュニティーも存在します。石川氏の元には支持者から『虚偽の内容での告発は許さない!』と抗議があり、直前で被疑者不詳に変えました。今回の手記もファンの後押しを受け、本人もソノ気になったのでしょう。とはいえ、自らSTAP問題を蒸し返すとは…。理解に苦しみますね」と指摘する。

 27日、千葉県内にある小保方氏の実家はひっそりと静まり返っていた。白い外壁のしょうしゃな戸建てには、自家用車が止まっているものの、2年前から人の気配はないという。近所の住民は「騒動後はご両親をずっとお見かけしていませんね。雨戸も閉め切って、もうずっとそのままですよ」と話す。

 253ページ、15章からなる「あの日」。汚名返上のつもりで、さらなる痛手を負わなければいいが――。
(記事引用)
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【小保方さん手記】「絶歌」以来の反響、話題書コーナー…関西でも店頭に、ワイドショーも関心
2016年1月29日 12時27分 産経新聞 産経ニュース
書店に並んだ小保方晴子さんが出版した「あの日」=29日午前、大阪市浪速区のジュンク堂書店(南雲都撮影) 
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 STAP細胞をめぐる騒動の渦中にいた理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏の手記「あの日」(講談社)が発売され、29日朝には関西の主要書店の店頭にも並び、早くも売れ行きの良さを見せている。

 大阪市浪速区の「ジュンク堂書店難波店」では、45冊入荷。前日から問い合わせが10件以上相次ぎ、レジカウンターに平積みしたほか、関連本とあわせて話題書コーナーにも設置した。

 同店の橋本圭介副店長は「テレビのワイドショーでも取り上げられ、関心の高さをうかがわせる。社会書では、『絶歌』以来の反響で、今日一日で売り切れる勢いではないか」とみる。

 開店直後に訪れ、同書を手に取った大阪市中央区の無職男性(77)は「これまで彼女が言い尽くしていないことが書かれているかもしれず、関心がある」と話した。

 一方、阪急梅田駅改札口すぐの「ブックファースト梅田2階店」(同市北区)。午前7時の開店から約2時間で15冊近くが売れた。同店の女性店員は「残り数冊しかない状況だ」と語った。
(記事引用)

理研に衝撃…小保方さん“反論手記”に書かれた核心部分
2016年1月29日 10時26分 日刊ゲンダイ 
 2014年1月の「STAP細胞」発表会見から28日でちょうど丸2年。理化学研究所の元研究員、小保方晴子さん(32)が手記「あの日」(講談社)を出版した。“リケジョの星”から転落。14年4月の釈明会見以来、公の場から姿を消していた彼女が、突然の“反撃”だ。

 関係者などによると、出版を持ちかけたのは講談社サイドで、小保方さんは昨年夏ごろから体調不良を押して極秘裏に執筆。現在も療養中で、出版会見を行う予定はないという。

 さて、問題の手記では冒頭で世間を騒がせたことを謝罪。出版の動機については〈このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、卑怯な逃げであると思い〉などとつづり、捏造などと批判された論文の「図表」については〈誰かを騙そうとしたわけではない〉〈一片の邪心もない〉などと“潔白”を主張。何度も自殺を考えたこともほのめかしている。

 手記の前半では研究者を志した理由や、論文の共著者である山梨大教授の若山照彦氏、一昨年に自殺した理研副センタ―長の笹井芳樹氏(いずれも当時)らとの出会いなどについて淡々と記しているが、論文発表から撤回、理研退職、早稲田大による博士号の取り消しに至る後半部分は、次第に“ヒートアップ”。

 騒動が過熱するにつれ、理研サイドや若山氏は自分たちの身を守るため、事実とは異なる情報を一方的にリークしたと主張。〈本当に最後まで、私からは、真実を何も発信できない状況が、政治的にも、肉体的にも、精神的にも、固められ〉、自分ひとりが〈悪者〉に仕立て上げられていったなどと反論している。

 批判の矛先はバッシングを続けた大マスコミにも向けられ、中でも「捏造の科学者 STAP細胞事件」(文芸春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した毎日新聞の須田桃子記者は実名まで挙げ、〈脅迫〉のようなメールを送られ、〈取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった〉などと書いた。

 小保方さんと笹井氏が男女の仲だったかのような一部報道についても、〈二人きりで出張に行ったことは一度もない〉と否定。なぜか若山氏が週刊文春に“2人の関係”の証言者として登場していたと疑問を投げかけている。

■理研などには衝撃走る

 そして肝心のSTAP細胞については、再現のための検証実験で〈私が担当していた実験部分の『STAP現象』の再現性は確認〉されたが、若山氏の担当部分が本人の協力を得られなかったために失敗に終わり、確認されなかったと結論付けられたという。

 笹井氏の自殺などもあり、体重が30キロ台まで激ヤセした小保方さんは、〈魂の限界〉で戦う術もなく、博士号取り消しも〈再指導の結果として不合格を出すという、生け贄の儀式が行われるだけなのだと思った〉。

 こうして研究者の道は幕を閉じたと締めくくっている。真偽については再検証が必要だろうが、いずれにせよ「理研をはじめ、関係者の間では衝撃が走っている」(文科省事情通)。

 毎日新聞に問い合わせたところ、「記事は十分な取材に基づいて掲載している。一方的なリーク情報の垂れ流しとの批判は当たらない。なお、本の出版前に小保方氏から弊社への取材はまったくなかった」(社長室広報担当)。若山氏の研究室にも聞いたが、きのうまでに回答はなかった。
(記事引用)

青サギ ベヌウ  飛翔ベヌウ
 ちか、ちか、ちか~、
その音の正体が、どこから発信されているのか不明だった。肌に触れる感覚でもなく熱くもなく、実体不明だが太陽の核融合のようなプロミネンスのような赫々とした赤朱色。
 価値観の相違とか、生きている時間帯が異なるとか、不交差の要因がはっきりしているのに「なぜその気にさせた」、という事実ばかりが意識に残るという不可解さ。これが自分の目の前で起きているリアル世界なのか架空現実のバーチャルなのかと疑ってしまう。
 オンナが飛び去った瞬間に、「これがベヌウか~」と知った。やはりこれは架空世界のできごとだったのか。自分が今いる場所が何処の座標上なのか激しい不安が襲う。        

もともと「ツルの恩返し」は、民話であって喩え話しとしての要素が備わり、一種の教訓みたいなものに出来ている。その結末は悲しい別れで終わっているが、生きる希望を暗示させるという意味合いでは、どちらも合点がいく。

砂の中に、今でも埋没してしまいそうな家に棲むオンナは、下界からの匂いを一切消されている。それは冬の間、炭焼き小屋で寝泊りしている「少女スワ」とまったく同じだ。
そして吹雪の晩に「ツル」が若い娘の人間として山小屋の老夫婦宅に助けてもらい、その「ツル」が小屋で機織する様子は、天運から授けられた果実を意味している。すなわち若い娘が迷い込んだ家に、子宝を与えるというシチュエーションであり、そこには性の交わりがあって子孫を作り遺すという教訓的な婚姻譚に解釈することも可能だ。

いま私が置かれているオンナの条件設定。私と縁のあるそのオンナに、今それを求めることは、そのような純粋で無垢な精神性を相手に委ねているかもしれない。そして僅かの希望に繋げる気持ちの顕われがそうさせている。
相手は若いオンナである、それは世間の常識からは乖離している関係で成り立つ。本来だったらあり得ない、そのセッティングで物事が進んでいる。これは現実であってバーチャル世界ではない。実際に起きている現実だが確率の比率が極端に少ないという結果。
許されざる行為だがデジタルコンテンツ社会の中でそれが可能、という様々な要素が運よく絡んでリアルな日常が私の目の前に展開しているという現実がバーチャルであるという気分的な自己矛盾。

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民話で語る「ツルの恩返し」。物語に登場する「指定された場所」というのはない。当然といえば当然で、民話の定型スタイルに詳細な風景描写は必要ない。
そこには必要最小限の小道具である山里とか、雪または雨、夜の黒、対比効果として白の衣装をまとった人間、そして動物の毛色の純白など、それだけで物語は作られている。だからといって物語の内容が貧弱になっているわけではなく、却って読む側の想像を掻きたて、人それぞれの物語として心の中に入り込む。

「ツルの恩返し」に登場するツルは、いったい何処から飛来してきたのだろうと、それを具体的に説明するには、「ヒマラヤ山脈上空八千メートルを飛び越えて~」、と解説してもあまり意味はない。そんな過酷な試練を乗り越えてやってきたツルが、雪の晩、日本の山里に降り立って「機織」をすることは出来ない。
物語りは架空の出来事であってバーチャル世界を私たちに見せてくれるだけである。しかし、その民話の発祥した年代や、場所、そしてキャストが実際に存在した、という可能性が少しでもあったら、それは覗いてみる価値はある。
 
 年代は紀元前1200年、古代エジプト王朝時代にさかのぼる。第19王朝期、第3代目ファラオ、ラムセス2世の正妃「ネフェルタリ」墓所の玄室内の壁面に描かれている青サギベヌウの図がそれだ。

その王墓にはラムセスがネフェルタリを偲んで詠んだ詩がある。
「愛する者はただ一人、ネフェルタリだけである。それに匹敵する妃はいない。生前のネフェルタリは絶世の美女であった」。
そのかたわらに描かれた聖鳥「ベヌウ」の壁画。
ベヌウは、ギリシア語で「太陽の町」という意味の「ヘリオポリス」で信仰された鳥である。原始の海から太陽の卵が生まれたとき、その卵を抱いて孵化させたと伝えられる鳥ベヌウ。

その呼び名は色々あって「昇る」という意味であったり「太陽の魂」と呼ばれたりする。またギリシアの不死鳥フェニックスの原型であるという。
不死鳥「フェニックス」のフェニキア人の由来

ピラミッド・テキストでは、ベヌウはセキレイの姿に代わり「太陽神アトゥム」の化身とされる。さらに後の時代、新王国以降は、ベヌウは金星を象徴する鳥として扱われた。
古代エジプト、そのピラミッド内壁に描かれた「聖鳥ベヌウ図」が、時空を超えてユーラシア大陸の果て、さらに海を越えてたどり着いた「日いずる国」に飛来するに及んだと、まったく荒唐無稽で無根拠な説を解いたところで誰も耳を傾けはしまい。民話のエッセンスが何処から生まれているのか・・・、そもそも、それが謎である。

民話「ツルの恩返し」を、ラムセス2世の正妃「ネフェルタリ」墓所の玄室内の壁面に描かれている青サギベヌウ図に転化してしまうというその策は、紀元前の出来事を今の時空にフォーカスするという目論見でもある。

その謎解きの糸口が古代エジプトのベヌウ壁画にヒントが隠されているのではないか、という途方もない推理を今、しているのである。
この青鷺「ベヌウ」は、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、インドネシア西部に分布している。夏季にユーラシア大陸で繁殖、冬季にアフリカ大陸、東南アジアへ南下し越冬。アフリカ大陸南部やユーラシア大陸南部などでは周年生息する。
日本の上空を飛んでいるのは亜種アオサギで夏季北海道に繁殖、冬季九州以南で越冬しているが、本州、四国では周年生息する留鳥である。大きな翼を広げて飛ぶ姿は聖鳥と呼ぶに相応しい。
 

 ヨーロッパ12世紀ルネサンスの話
 その現代事情とは、まったく一線を画した古代のアラビア文明は一体どこに消えてしまったのか、という疑問がある。
 ある著書によれば、「12世紀ルネサンス」とは1927年、チャールズ・ハスキンズの著した書物によって欧米で認知された研究成果であり、紀元前ギリシアで開花した人間世界の叡智が、どのような変遷過程で現代社会にもたらされたのか、というワンセクションを担ったのがアラビア文明である、と説明している。 (「12世紀ルネサンス」伊東俊太郎 岩波セミナーブック)
紀元前5世紀に起こったギリシア文明の叡智は黄金期であり「ピタゴラス定理」など数知れず、幾何学・数学がアラビア文明を象徴する学問として現代社会にもたらされているが、その過程は殆ど知られることがない。

とくに「ユークリッド幾何学」はアラビア文化圏からもたらされたことに多くの人は知ることがない。その事実が明かしているように現代社会で学習している基礎的学問の多くは、ギリシア文明が育んだ知識をもとに歴史的時間を経過しながらアラビア文化圏経由で今の欧米社会へと帰結したという現実を現代歴史は直視しない。現代社会の西欧的価値観は、紀元前5世紀ギリシア文明の継承と考え勝ちだが実はそうではなかった。

古代エジプト・ギリシアにおいては幾何学が盛んに研究されていた。それは古代社会の生きる知恵であり、大河の氾濫をどのように食い止めるか、そしてそれを灌漑農業に生かせるかが国家形成の糧であった。古代メソポタミアにおいては早くより灌漑技術が発達し、その時代の先進国家であったことは数々の歴史記述で証明されている。

そうした古代オリエントの数学はタレス、ピタゴラスらによって小アジアのイオニア地方、南イタリアへもたらされる。そうして基礎づけられ発展した数学体系は「エウクレイデス」(英名)に因んで、「ユークリッド幾何学」と呼ばれた。

古代エジプトのギリシア系哲学史者「エウクレイデス」の著した「原論」が今日のユークリッド幾何学の基礎となったのである。 

ユークリッド幾何学「原論」は定義、公準、公理など、様々な定理を演繹的に導き出す手法で現代数学の原型をなす。ニ千年間におよび数学の聖典としてその地位は不動である。
近代自然科学、古典力学の雄「ニュートン」による「自然哲学の数学的原理」は、この「原論」を手本に書かれた、とも云われる。
地中海世界で育まれた数学は時代を経過しながらギリシアへと移行する。そして紀元前三世紀ころから始まるヘレニズム潮流にのりながらアレクサンドリアにおいて展開されるようになる。その研究成果はギリシアからビザンチンへ、やがてシリア文明圏へと移行し、シリア的ヘレニズムの諸科学はアラビア語訳されアラビア文明圏へと迂回の道を辿る。
やがてアラビア学術文化の時代が訪れ十一世紀ころに、それは黄金期に到達する。そして今日の西欧世界の礎をつくった学問の総ては、このアラビア学術文化を翻訳し「十二世紀ルネサンス」を迎えることとなる。



編集中

2007GL

バッハ動画
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https://youtu.be/vwp9JkaESdg?t=46


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2012-04-28 キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲
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J.S.バッハ | 23:41 | キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲を含むブックマーク

時々、バッハのゴルドベルク変奏曲を聴く。ゴルトベルク変奏曲は、初期の鍵盤楽器曲(チェンバロなど)として書かれた曲だが、私はピアノ版の方が好きで、いちばん愛聴しているのはバッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)。荒々しく、ロックともいえるようなタッチから、バッハが見た神が見えてくるような演奏で、これは「人類の宝」と言っても大げさでないほどの名盤で、何年、何十年と、いつまで聴き続けても飽きない(だろう)。しかしたまには、別の演奏者によるチェンバロ版を聴くこともある。

チェンバロの音色は鋭角的で、癒しというよりは厳めしい(いかめしい)。厳しさを感じる。響きはピアノの多彩さに比べると平板で、単調で、辛いときがある。だから聴き疲れしてしまい日常的にはあまり聴かないのだが、時々は無性に聴きたくなる。バッハの頃のもともとの響きはチェンバロだったわけで、その事実はたいへん説得力があるし、またシンプルなものを聴きたい時には、チェンバロの方がフィットする。

最近よく聴いているCDが、ジャズ・ピアニストのキース・ジャレットがチェンバロを弾いた録音だ。これが大変素晴らしい演奏となっている。

相当スイングしてるんじゃないの?そんなジャズ・ピアニストということから想像されるような要素はほとんどなくて、きわめてオーセンティックなクラシック音楽の演奏となっている。

解釈は基本的にオーソドックスで、全体的にゆっくりとしたテンポで、曲の構成がよくわかる立体的な演奏である。そして曲によってはごくわずかに、細部を意図的に崩している。この崩しによって、教科書的でない躍動感が生まれ、退屈さから解き放たれた音楽となっている。

ゴルトベルク変奏曲の魅力はたくさんあるが、私が一番感じるのは、崇高な精神によって書かれている音楽だということだ。バッハはめげないしぶれないし折れない。バッハの傍らには神がいる。崇高な精神によって書かれているということは、バッハの音楽全てに言えることかもしれないが、毎日毎日『マタイ受難曲』を聴いて過ごすわけにもいかないので、このくらいの規模の曲で(60分くらい)、バッハの音楽の神髄に触れることができるのは幸せだ。

それにしても、こういう曲だからこそ、ごまかしはきかない。クラシック音楽のピアニストしてのポテンシャルが出る。その点、何ら遜色がない。テクニックは万全でありながら、個性もある。ピアノのリサイタルでコンサートホールを満員にできるクラスの演奏家である。とはいえ、クラシック音楽からすると異端に位置するジャズ・ピアニストが、ジャズのアプローチでなく、クラシック音楽のアプローチでバッハに挑むという時点で、普通でない。じっさい、この録音のために冬の山に籠り(八ヶ岳高原音楽堂にて録音)、日本人のチェンバロ製作者、レコードのレーベル・ECMの録音エンジニアなどのスタッフとともに音楽を完成させたそうである。そんな特別な思いがひしひしと伝わってくる真摯な演奏で、感動の度合いの高い演奏である。

チェンバロ版のゴルトベルク変奏曲の名演を探している人がいたら、第一に推薦できるといっても過言ではない。私の場合、ずいぶん前に買ったCDだが、最近やっとその魅力に気づいて、愛聴している。

チックコリア動画
https://youtu.be/lCOtDcSRMYE?list=PL8E116F7C7BA1B937&t=125
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<[日本文学] 島崎藤村 『藤村詩集... | 2010-11-18>
2010-11-09

■[music] キース・ジャレット/バッハ 『平均律クラヴィーア曲集』Add Starbardiche-assaultburietasssSIMPLETON
http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20101109/1289305507
 ジャズ・ピアニストとして有名なキース・ジャレット(1945-)は、1980~90年代にかけて本格的なクラシック音楽のアルバムを何枚か発表している。特に、J・S・バッハ(1685-1750)の作品には力を入れていたようだが、同じ頃にバッハをジャズ風にアレンジして聞かせたピアニスト、ジョン・ルイスとは正反対に、全く崩れたところのない(つまりジャズっぽいところがまったくない)演奏を行っている。
 その中でも、『平均律クラヴィーア曲集』 は 『第1巻』、『第2巻』 それぞれ CD 2枚組という超大作で、当時、ジャズとクラシック両方のファンに注目された作品である。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻(1987年録音)
 
平均律第1巻は、1722年に完成された鍵盤楽器(クラヴィーア)のための練習曲。バッハは息子のために24の 「プレリュードとフーガ」 をすべて異なる調性によって作曲したのである。(楽譜が出版されたのは、作曲者の死後であったらしい。) 以下の演奏は、『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』 より、「プレリュード第1番 ハ長調」、「プレリュード第3番 嬰ハ長調」、「プレリュード第5番 ニ長調」。

 キースのピアノがいかに真剣にバッハに取り組んでいるか、よくわかる演奏といえるだろう。全体にテンポ速め、落ち着きのある、安心して聴いていられるバッハだと思う。余談だが、「プレリュード第1番」 にメロディをつけて歌にしてしまったのが、グノー作曲 「アヴェ・マリア」 である。
以下の音源は、カーペンターズのアルバム "Christmas Portrait" より、「アヴェ・マリア」。

平均律クラヴィーア曲集 第2巻(1990年録音)
平均律第2巻は、第1巻の20年後、1742年に完成された。第1巻と同じ構成だが、シンプルな前作に比べて絢爛豪華な雰囲気がただよう作品である。 以下の演奏は、『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』 より、「プレリュードとフーガ第1番 ハ長調」。キースは第2巻をハープシコードで演奏している。

 ピッチが低いなあと思ったら、キース自身が楽器を 「A=431Hz」 に調律したと CD のブックレットに書いてあった。*1 禁欲的な第1巻に比べて、なんと自信に満ち堂々とした演奏であろうか。ハープシコード(チェンバロ)という楽器はピアノと違って、構造上、タッチによって音に強弱をつけることができないのだが、そこのところを逆手にとって、巧みに音を重ね合わせていく。特に 2:25 から始まるフーガの素晴らしさ。これこそ、バロック音楽の醍醐味である。



http://yushimiura.blogspot.jp/2010/05/blog-post_11.html
2010年5月11日火曜日
キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲
今朝,通勤の車中で聴いたのがJ.S.バッハのゴルトベルク変奏曲.今日は,キース・ジャレットの演奏に
よるものを聴いた.

キース・ジャレットといえば,まずはジャスのキーボード奏者として有名だから,クラシック音楽の録音があることを知らない人も多いにちがいない.(そう思っているのは私だけ?)

このゴルトベルクの録音は,ハープシコードによって演奏されている.(このハープシコードは日本の職人の手によるものらしい.実は録音場所も八ヶ岳の音楽堂だったりする)

ゴルトベルク変奏曲といえば,なにはともあれ,グレン・グールドの手による二つの録音が有名で,最初の録音のビビッドさと,二度目の録音の深遠さが,後を追う演奏者への呪縛となっていると思われるけど,この録音はそうした呪縛から離れて,非常に素直な,そして優雅な演奏となっている.

なんというか,演奏者の色があまりついていない.純粋な,ジャケットの色である白というイメージ.
ジャズ奏者というと,即興演奏が持ち味だから(キース・ジャレットのケルンコンサートとか)
「スゴイ」バッハを想像してしまうのだけれど,全くそんなことはない.装飾音も慎ましく,素直という言葉が一番しっくりとくる.聴いているだけで,幸せになるような,そんな演奏である.

また録音の素晴らしさか,ハープシコードの音が本当に美しく,目の前で鳴っているような臨場感がある.
これは実は名盤なのである.

実際,私が一年で最もプレーヤーに載せる回数の多いゴルトベルクのCDはこれである.グールドは素晴らしいけれど,ちょっと今までに多数回聴きすぎてしまった感がある.
また,たとえば武久源造の録音なんて,収録された音の生々しさがあって,それはそれで感動するのだけれど,演奏で表現されている内容がちょっと深すぎる.気楽に聴くことができない.
自然,聴く回数が減る.その他,ヒューイット,高橋悠治,レオンハルト,リヒター,スコット・ロスなどの録音も所有しているけれど,やっぱりキース・ジャレットのCDを聴くことが多い.飽きない,というのも優れた音楽のひとつの指標ではないかと思う.
(同じ基準ではスコット・ロスの録音も捨てがたい)

彼のジャズの録音の良さは実はよく理解できないのだけれど,(「ケルンコンサート」を聴いてもピンとこなかった...)この録音のバッハへのリスペクトは十分に感じられた.そう,それこそがこの録音を名盤たらしめているのだと思う.

キース・ジャレットは90年代後半から,慢性疲労症候群に悩まされ,演奏がほとんどできない状態であったらしい.それから,なんとか復活して現在は演奏活動を精力的に展開しているという.
復活後,彼はクラシック音楽の録音は行ったのだろうか.もしあるならばぜひ聴いてみたいと思う.

#1
キース・ジャレットの録音には,その他にも
バッハの平均律やフランス組曲の他,
ヘンデル,モーツァルトのp協奏曲,
そして,ショスタコまである.
どれも未聴である.
いつかゆっくりと楽しみたい...

#2
最近,「ゴルトベルク変奏曲 バッハ 音のよろこび」という
絵本を見つけた.
これがなかなかに秀作.
不眠症のカイザーリンク伯爵のために,
バッハの弟子のゴルトベルクがこの曲を演奏したという
エピソードが紹介されている.
こちらもぜひオススメ.

#3
そういえば,映画「羊たちの沈黙」の中で,
レクター博士がオリの中で聴いている曲が
「ゴルトベルク」だった.
レクター博士はハープシコードを弾くらしいけれど
(すみません.原作読んでいません)
映画ではピアノによる演奏だった.
あれはグールドらしい...



ただいま 編集中


 

日本芸能史六講/折口信夫 著
民俗学者の折口信夫さんは日本藝能の歴史を発生学的に論じた『日本芸能史六講』において、<藝能はおほよそ「祭り」から起つてゐるものゝやうに思はれます>と述べています。また、この「祭り」は饗宴といったほうが適当かもしれないとも言っている。かつては祭りそのものが宴会の形をなし、客人(マレビト)を饗応の御馳走で招くものだったからです。

このまれびとに対して対蹠の位置にある人があるじです。このあるじといふ語は、吾々は主人といふ風に考へ易いが、もとは饗応の御馳走のことを言うた語です。つまり来客の為に準備しておいた御馳走を、その客にすゝめることをばあるじすと言うてゐますが、御馳走をすゝめる役が、主人だつたのでせう。そしてこのことから、主人をあるじと言うやうになつたのです。
折口信夫『日本芸能史六講』

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神道の史的価値  折口信夫 著
 
長い旅から戻つて顧ると、随分、色んな人に逢うた。殊に為事の係りあひから、神職の方々の助勢を、煩すことが多かつた。
中にはまだ、昔懐しい長袖らしい気持ちを革めぬ向きもあつたが、概して、世間の事情に通暁した人々の数の方が、どらかと言へば沢山であつたのには、実際思ひがけぬ驚きをした。
此ならば「神職が世事に疎い。頑冥固陋で困る」など言ひたがる教訓嗜きの人々の、やいた世話以上の効果が生じて居る。而も、生じ過ぎて居たのは、案外であつた。
社地の杉山の立ち木何本。此価格何百円乃至何千円。そろばん量りの目をせゝる事を卑しんで、高楊枝で居た手は、新聞の相場表をとりあげる癖がつきかけて居る。所謂「官クワンの人ヒト」である為には、自分の奉仕する神社の経済状態を知らない様では、実際曠職と言はねばならぬ。

併しながら此方面の才能ばかりを、神職の人物判定の標準に限りたくはない。又其筋すぢの人たちにしても、其辺の考へは十二分に持つてかゝつて居るはずである。だが、此調子では、やがて神職の事務員化の甚しさを、歎かねばならぬ時が来る。きつと来る。収斂の臣を忌んだのは、一面、教化を度外視する事務員簇出の弊に堪へないからと言はれよう。政治の理想とする所が、今と昔とで変つて来て居るのであるから、思想方面にはなまじひの参与は、ない方がよいかも知れぬ。

唯、一郷の精神生活を預つて居る神職に、引き宛てゝ考へて見ると、単なる事務員では困るのである。社有財産を殖し、明細な報告書を作る事の外に、氏子信者の数へきれぬ程の魂を托せられて居ると言ふ自覚が、持ち続けられねばならぬ。思へば、神職は割りのわるい為事である。酬いは薄い。
而も、求むる所は愈加へられようとして居る。せめて、一代二代前の父や祖父が受けたゞけの尊敬を、郷人から得る事が出来れば、まだしもであるが、其氏子・信者の心持ちの方が、既に変つて了うて居る。田圃路を案内しながら、信仰の今昔を説かれた、ある村のある社官の、寂し笑みには、心の底からの同感を示さないでは居られなかつた。

其神職諸君に、此上の註文は、心ない業と、気のひける感じもする。けれども、お互に道の為、寂しい一本道を辿り続けて居る身であつて見れば、渋面つくつてゞも此相談は聴き入れて貰はねばならぬ。世間通になる前に、まづ学者となつて頂きたい。父、祖父が、一郷の知識人であつた時代を再現するのである。私ども町方で育つた者は、よく耳にした事である。今度、見えた神主は、どう言ふ人か。かうした問ひに対して、思ふつぼに這入る答へは、いつも「腰の低いお人だ」と言ふのであつた。明治も、二・三十年代以後の氏子は、神職の価値判断の標準を、腰が低いと言ふ処に据ゑて居た。かう言ふ地方も、随分ある。一郷を指導する知識の代りに、氏子も、総代の頤の通りに動く宮守りを望んで居たのである。

かうした転変のにがりを啜らされて来た神職の方々にとつては、「宮守りから官員へ」のお据ゑ膳は、実際百日旱ひでりに虹の橋であつた。われひと共に有頂天になり相な気がする。併し、ぢつと目を据ゑて見廻すと、一向世間は変つて居ない。氏子の気ぐみだつて、旧態を更めたとは見えぬ。いや其どころか、ある点では却つて、悪くなつて来た。
世の末々まで見とほして、国家百年の計を立てる人々には、其が案ぜられてならなくなつた。閑却せられて居た神人の力を、借りなければならぬ世になつたと言ふ事に気のついたのは、せめてもの事である。
だが、そこに人為のまだこなれきらぬ痕がある。自然にせり上つて来たものでないだけ、どうしても無理が目に立つ。我々は、かうした世間から据ゑられた不自然な膳部に、のんきらしく向ふ事が出来ようか。何時、だしぬけに気まぐれなお膳を撒かれても、うろたへぬだけの用意がいる。其用意を持つて、此潮流に乗つて、年頃の枉屈を伸べるのが、当を得たものではあるまいか。当を得た策に、更に当を得た結果を収めようには、懐手を出して、書物の頁を繰らねばならぬ。

「神社が一郷生活の中心となる」のは、理想である。だが、中心になり方に問題がある。社殿・社務所・境内を、利用出来るだけ、町村の公共事業に開放する事、放課・休日に於ける小学校の運動場の如くするだけなら、存外つまらない発案である。結婚式場となつて居る例は、最早津々浦々に行き亘つて居る。品評会場・人事相談所・嬰児委托所などには、どうやら使はれ相な気運に向いて来た。世間は飽きつぽい癖に、いろんな善事を後から/\と計画して行く。やつとの事で、そろ/\見え出した成績が、骨折りにつり合はぬ事に気がつくと、一挙にがらりと投げ出して、新手の善事に移つて行く。一等情ないめを見るのは、方便善の一時の榜示杭になつて居たものである。神社及び神職が、さうしたみじめを見る事がなければ、幸福である。

抑亦、当世の人たちは、神慮を易く見積り過ぎる嫌ひがある。人間社会に善い事ならば、神様も、一も二もなく肩をお袒ぬぎになる、と勝手ぎめをして居る。信仰の代りに合理の頭で、万事を結着させてゆかうとする為である。信仰の盛んであつた時分程、神の意志を、人間のあて推量できめてかゝる様な事はしなかつた。
必神慮を問ふ。我善しと思ふ故に、神も善しと許させ給ふ、とするのは、おしつけわざである。あまりに自分を妄信して、神までも己が思惟の所産ときめるからだ。信仰の上の道徳を、人間の道徳と極めて安易に握手させようとするのである。

神々の奇蹟は、信ずる信ぜないはともかくも、神の道徳と人の道徳とを常識一遍で律しようとするのは、神を持たぬ者の自力の所産である。空想である。さうした処から、利用も、方便も生れて来る。二代三代前の神主の方々ならば、恐らく穢れを聞いた耳を祓はれた事であらう。県庁以下村役場の椅子にかゝつて居る人々が、信念なく、理会なく、伝承のない、当世向きの頭から、考へ出した計画に、一体どこまで、権威を感ずる義務があるのであらうか。

当座々々に適する事を念とした提案に、反省を促すだけの余裕は、是非神職諸君の権利として保留しておかねばならぬ。
其には前に言うた信念と学殖とが、どうしても土台になければ、お話にはならない。信念なくして、神人に備つて居るのは、宮守りに過ぎない。事務の才能ばかりを、神職の人物判断の目安に置く事を心配するのは、此為である。府県の社寺係の方々ばかりでなく、大きな処、小さな処で、苟も神事に与るお役人たちに望まねばならぬ。信念堅固な人でこそ、社域を公開してあらゆる施設を試みても、弊害なしに済されよう。これのない人々が、どうして神徳を落さない訣にゆくだらう。

信念の地盤には、どうしても学殖が横たはつて居なければならぬ。揺ぎ易い信念の氏子にすら気をかねて、諸事遠慮勝ちに、卑屈になつて行くのは、学殖といふ後楯がないからである。神に関した知識の有無は、一つ事をしても、信仰・迷信と岐れて現れる。
学術的地盤に立たねばこそ、当季限りの流行風の施設の当否の判断も出来ない。よい加減に神慮を忖度するに止めねばならぬのである。人間は極めて無力なものである。無力なる身ながら、神慮を窺ひ知る道がないでもない。現在信仰の上の形式の本義を掴む事の出来る土台を、築き上げる深い歴史的の理会である。其から又、神の意志に自分を接近させる事の出来る信念である。此境地は、単純な常識や、合理風な態度では達する事が望まれない。

神道は包括力が強い。どんな新しい、危険性を帯びた思想でも、細部に訂正を施して、易々とゝり込む事の出来る大きな腹袋を持つて居る様に見える。処が世間には間々、其手段を逆に考へて、神道にさうした色々な要素を固有して居た、と主張もし賛成もする人が、段々に殖えて来た。此は平田翁あたりの弁証法の高飛車な態度が、意味を変へて現れて来たのである。
さうした人々が、自分の肩書や、後押しの力を負うて、宣伝又宣伝で、どし/″\と羽をのして行く。常識から見ての善であれば、皆神道の本質と考へ込む人々の頭に、さうした宣伝が、こだはりなしにとり込まれ、純神道の、古神道の、と連判を押される事になる。

元々、常識と断篇の学説とを、空想の汁で捏ね合せた代物を、ちよつと見は善事であり、其宣伝の肩に負うた目を昏ますやうな毫光にうたれて、判断より先に迷信して了ふ。
源光ににらみ落されたと言ふ、如来に化けた糞鳶を礼拝して居るのだつたら、どうだらう。
此道に関しては、均しく一票を投ずる権利を持つた神職で居て、学殖が浅く、信念の動き易い処から、こんな連判のなかま入りをしたとあつては、父祖は固より、第一「神」に対して申し訣が立たない次第である。大本教ばかりも嗤はれまい。

なまなかな宗教の形式を採つたが為に、袋叩きの様なめを見た右の宗旨も、皆さん方の居廻りにある合理風な新式神道と、変つた処はあまりないのである。「合理」は竟に知識の遊びである。我々の国の古代と現代との生活を規定する力を許すのは、其が、どの程度まで、歴史的の地盤に立つて居るかと言ふ批判がすんでからの事である。廉々の批判は、部分に拘泥して、全体の相の捉へられないはめに陥れる事がある。
学者の迂愚は、常にこゝから出発して居る。我々の望む所は、批判に馴された直観である、糞鳶の来迎を見て、とつさに真偽の判断の出来る直観力の大切さが、今こそ、しみ/″\と感ぜられる。
合理といふ語ことばが、此頃、好ましい用語例を持つて来た様に思ひます。私は、理窟に合せる、と言ふ若干の不自然を、根本的に持つた語として使つて居る。此にも、今後も其意味のほか、用ゐない考へである。念の為に一言を添へました。

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図書カード
作家名: 著者 折口 信夫
作家名読み: おりくち しのぶ
ローマ字表記: Orikuchi, Shinobu
生年: 1887-02-11
没年: 1953-09-03
人物について: 創作では釋迢空を使用。大阪の医師の家に生れるが、父親の放蕩により家計が傾く。苦労の末、東京の国學院大學へ進学し卒業後教鞭をとる。
民俗学者柳田国男に「沖縄行き」を勧められて、当地に残る古の「型」「もの」に感動し、なかなか東京へ帰らなかった。そこで得たことが民俗学者折口信夫の基礎となる。天性の文学的才能が加味し、折口は大胆にも「まれびと」「貴種流離譚」など、独自の言葉を駆使しその論文を発表。
最初、そうした言葉を心よく思わなかったのは、師の柳田国男である。しかし折口は柳田を生涯にわたり尊敬し続けた。
折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでいる。それらのほとんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手)は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでついていくことに閉口したという。
生活能力に乏しい折口が公私共に信頼をおいていた弟子の藤井春洋を養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田国男が保証人であるその養子縁組を知ることなく、春洋は硫黄島へ出征してしまっていた。
間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺言通り、春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半分は、大阪の折口家代々の墓で眠っている。(まれびとプロジェクト)
wikipediaアイコン「折口信夫」

底本:「日本の名随筆44 祭」作品社 
   1986(昭和61)年6月25日第1刷発行
   1999(平成11)年2月25日第11刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第二巻」中央公論社
   1965(昭和40)年12月発行(新訂版)
※踊り字(/\、/″\)の誤用は底本の通りとしました。
※〔〕で囲った部分は、一行に小さい字で二行に渡って書かれています。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
※「かうした神嘗祭りの為の荷前を」の行は、底本では冒頭一字下げになっていましたが、底本の親本を参照して天付きに改めました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
(記事引用)

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決して潰しませんという銀行の確約
森本紀行  |HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長
2016年1月14日 10時56分配信
企業経営に浮沈はつきものです。故に、銀行にとって、多くの融資先企業のなかには、少数とはいえ、経営不振に陥り、破綻の危機に瀕するものがでることは、避け得ません。このとき、古くから銀行経営の究極の難問とされてきたことは、どこまで破綻回避へ向けた支援をするのかということです。さて、決して潰さないという確約は、銀行にとって可能なのか。
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雨が降ったら傘を取り上げる

融資先企業の経営不振に対して、銀行は、どのように対応すべきか、これは、非常に古く、かつ、難しい問題です。論点は、業況の悪化が一定の水準を超えると、銀行としては、与信判断を債務者に不利な方向へ変更せざるを得ない一方、そうすれば、債務者の業況の悪化を加速させてしまう可能性があるという矛盾に集約されます。
この矛盾は、古くから、銀行の融資姿勢を批判的に皮肉るものとして、晴れには傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる、というふうに表現されてきました。これでは、確かに、傘としては役に立たないのですが、これが銀行批判としての意味をもつためには、銀行とは、雨が降るときに傘を差し出すもの、即ち、企業の業況の悪いときには、金融支援をするのが銀行の責務だ、ということを前提にしなければなりませんが、さて、銀行とは、そのような社会的責務を負うものなのか。
亀井静香先生の思い
実は、かつて、民主党政権下で、亀井静香金融担当大臣は、そのように主張し、そのように行動したという事実があります。
2009年、前年の世界的金融危機をうけた景気後退期において、業況が悪化した中小企業等の救済は、大きな政策課題とされました。そこで、亀井静香先生は、「中小企業金融円滑化法」(正式には「中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律」)の制定に強い意欲を燃やしたのです。
この法案は、景気後退の強い影響を受けた中小企業等について、業況等の客観的基準からすれば、正常な債務者と位置付けることが困難な状況にある場合においても、銀行等が積極的に条件緩和等の措置を行うこと、即ち、傘を差し出すことを努力目標として定めたものです。法律は、実際に、2011年3月末までの時限法として、2009年末に成立し、結果的には、2013年3月末まで延長されて、そこで失効しました。

当然のこととして、当時、この法律を巡っては、賛否両論が激しく対立しました。
反対論は、金融の理論、銀行等の経営の健全性、金融秩序の維持等の見地に基づき、企業の業況等の客観的基準に従い、厳格に融資条件等を適用すべきであり、そのことにより、結果的に破綻に追い込まれる企業がでても、それこそ、産業の新陳代謝であり、産業構造改善を通じた効率化等による経済への好影響が最終的には上回るはずだ、というものです。
それに対して、賛成論は、経済政策の立場からすれば、金融の社会的機能とは、一時的な景気後退期においてこそ積極的な融資姿勢をとることで、企業破綻を未然に防止し、更なる景況悪化をくい止め、早期の景気回復に貢献することだ、というものです。
銀行経営のあるべき姿

では、賛成、反対、どちらに理があったのか。事案は、政治性を帯びるもので、理論的に黒白がつくとも思えませんが、金融規律に法律が介入することは、極めて異常な事態であり、また、資本主義経済体制に内在する原理からすれば、自由競争に基づく淘汰を通じて、社会全体の経済効率性を実現しつつ、成長することが前提されている以上、金融界としても、産業界としても、反対の立場をとるべきものであったと思われます。
ただし、民間銀行の融資判断に政治的に介入することは、経済政策の視点とはいえ、明らかに不適切で異常なことだとしても、銀行経営の本来あるべき姿として、銀行自身の中長期的な企業価値の問題として、融資先企業の業況の悪化に対して、どう対応すべきなのかは、全くの別問題であるといわざるを得ません。

実際、業況の悪化が景気変動に伴う一時的なものだとしたら、表層的な経営指標の悪化だけで、安直に融資判断を変更させることは、不適当であると考えられます。不適当という意味は、そうすることで、企業を破綻に追い込んでしまえば、なによりも、銀行自身の損失であるということと、淘汰による産業の効率化とはいっても、不況抵抗力の強さだけでは、企業の真の価値は測り得ないということです。
また、仮に、業況の悪化が、一時的なものではなくて、構造的なものだとしても、単に破綻に追い込めば済むというものでもなく、そこにある人材、技術、資産、知名度、歴史などは、別の環境で、別の条件下で、別の利用方法で、有効に活用し得るものも少なくないはずで、まさに、そのような資源の再配置こそが産業効率化の実質的な意味だとしたら、銀行として、融資を超えた支援の方法があり得ると考えられるのです。
「事業性評価に基づく融資等」

では、業況の悪化が、一時的なものなのか、構造的なものなのか、銀行に判断できるものでしょうか。また、支援といったときに、高度に規制された銀行として、一体、何ができるのでしょうか。
銀行として、融資先企業の業況について、表層的な数字を超えて深く経営実態を理解しない限り、支援すべきかどうか、支援すべきとして、何をすべきか、判断できないはずなのです。実は、この点は、現在の金融庁において、「事業性評価に基づく融資等」という表現をとって、問題提起されていることです。
事業性評価というのは、企業の過去の事業活動を反映した財務諸表に現れる表層的な数字の評価ではなくて、企業が営む事業の現在と将来に関する評価ですから、当然に、財務諸表には未だ現れてこない情報から融資判断することを意味します。つまりは、死んだ数字ではなくて、生きた活動を評価して、それを融資判断につなげるということです。
こうした事業性評価に基づけば、業況の悪化について、一時的なものか、構造的なものかは、判断が可能なはずで、2009年のような経済状況においても、「中小企業金融円滑化法」のような政府の過剰介入を待つまでもなく、銀行自身の利益と顧客の利益の視点において、支援されるべき企業と、そうでない企業の選別は、十分に合理的になされ得たのでしょう。

そのような視点から、亀井静香先生を再評価するならば、経営の実態をみず、表層的な数字しかみない銀行に対して、今の金融庁の用語でいうところの事業性評価を努力目標として課そうとされたものと、いえなくもないでしょう、その評価が多分に好意的にすぎるとしても。
銀行としての支援のあり方
要は、事業性評価に基づけば、経営の問題点も特定できるので、適切な支援の方法も工夫できるということです。徹底した事業性の評価に基づけば、一時的な経営不振についても、構造的な経営不振についても、それぞれに、適切な支援の方法が明らかになるはずなのです。
もちろん、支援とはいっても、高度に規制された銀行には、業として、できることは限られます。例えば、商品の販売政策、内部管理体制、生産工程等に、企業経営の問題点を発見したとして、銀行にできる助言や支援は多くはないかもしれません。しかし、支援できる専門家を紹介することはできます。

また、銀行の専門分野として、保有資産の合理化、債務の削減、資本の増強、事業の譲渡や承継等、適切に助言できる分野は広いですし、銀行自身では実行できない不動産の処分等や外部資本の導入等については、外部の専門家との連携が可能です。
そうした支援の一環として、銀行自身としても、融資残高の維持や条件緩和等も必要になるでしょうが、周辺の支援が適切になされている限り、それらは不良債権の予備軍ということでは決してなく、立派な正常債権として、位置づけ可能なものになるはずです。
加えて、支援の継続のなかで、一定の顧客の再編等はあるにしても、銀行として、融資先の確保が図られ、そのなかから、新規融資機会も開発できれば、それこそ、まさに、銀行の利益であるはずなのです。

支援の確約

ここで、論点は、どうすれば、銀行として、企業経営の生きた実態を把握できるのか、ということですが、実は、その答えが表題の意味です。つまり、銀行として、決して潰しませんという確約をすること、即ち、支援を確約することによって、企業の生きた実態を知り得るようになるのです。この理屈は、銀行と債務者である企業との関係を、医師と患者との関係に比較して考えれば、すぐにわかることです。
債務者である企業は、当然のこととして、銀行との円滑な関係を維持できるように、意図的に行動する傾向をもちます。具体的には、業況の改善は、それを示す証跡とともに、積極的に銀行に伝えても、経営の悪化については、それを示す証跡を隠し、銀行に覚られないようにするでしょう。これでは、銀行として、適切なときに、適切な支援をしようとしても、そもそも、きっかけを得ることができません。
銀行として、適切に事業性を評価し、適切な支援の方法を工夫できるためには、業況の悪化について、債務者が早期に相談に来るように仕向けなければなりませんが、その結果として、融資条件等の不利益な変更を予想するなら、即ち、傘を取り上げられるのでは、誰も、そうはしません。
それに対して、患者は、最適な治療を得るために、体の悪いところを包み隠さずに医師に報告します。それは、最適な治療の提供が医師の職業上の義務として、確約されているからなのです。同様に、債務者が悪いところを包み隠さずに銀行に報告するためには、銀行として、債務者に支援が確約されていなければならないのです。

フィンテックの射程

もちろん、事業性評価をテクノロジーで実現することも不可能ではないでしょうから、その方向にフィンテックの重要な可能性が潜むことは間違いありません。例えば、融資先企業の日々の膨大な取引実態の解析から、業況の変調の先行指標を取り出すことは、技術的に可能のように思えます。医療に喩えれば、患者からの積極的な情報提供がなくとも、高度な検診技術のもとでは、的確に体の変調を突き止め、早期に最適な治療を施すことも、可能になるのでしょう。
しかし、医療の根本にあるのは、医師と患者との間の信頼関係、というよりも、より高度な信認関係、即ち、フィデューシャリー関係であり、患者の生きることへの強い意志です。こうした心的なものがなければ、テクノロジーによって正しく病因が突き止められ、適切な治療方法が発見されても、患者として、治療を受け入れることはないでしょう。
同様に、企業経営において、基礎にあるのは、働く人、取引先、そして何よりも、経営者なのであって、それらの人の心抜きには、また、銀行と債務者である企業との間の関係、信認関係へまでは高め得ないにしても、とにかく強い信頼関係抜きには、いかなる支援策も有効には機能し得ないと思われます。
テクノロジーは、道具です。いかに強力で有能な道具であっても、所詮は道具であって、使う人間の人的能力に従属するものです。

最善を尽くす義務

当然のことながら、銀行は、支援を確約しても、成果は保証できません。銀行は、収益事業として、支援を行うのであって、慈善事業を行うのではありませんから、厳格な金融規律のもとで、一切の支援を打ち切らなければならない局面もあるのです。それは、医療においても、治療し得ない能力の限界を超えた領域があるのと同じです。
問題は、最善が尽くされたかどうかです。医師として、最善を尽くしたといえる限り、治療し得なかったとしても、患者も遺族も納得できるのであって、治療の確約は成就したのです。銀行として、最善を尽くしたといえる限り、支援し得なかったとしても、経営者も従業員も納得できるのであって、支援の確約は成就したのです。
(記事引用)

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