2016年01月

無投票続出の地方選を救う教訓は
山縣有朋の「住民自治」にあり
松元 崇 [元内閣府事務次官/第一生命経済研究所特別顧問] 
【第5回】 2015年5月8日ダイヤモンド

統一地方選挙で無投票が続出 原因は戦後の地方自治の仕組み
日本の統一地方選の投票率は、低下の一途を辿っている。制度の構造的な課題は、どこにあるのか
 
 先の統一地方選挙は、町村長選挙の無投票が43.4%、町村議選でも21.8%が無投票(朝日新聞/2015年4月22日付)。投票率も軒並み最低(読売新聞/2015年4月27日付)というものであった。地方自治は「民主主義の学校」と言われるが、それが危機的と言ってもいい状況になってきている。かつては「出たい人より、出したい人を」などと言っていたが、今や「出たい人」もいなくなってきているのである。

 筆者は、その1つの原因が、憲法が定めた戦後の地方自治の仕組みだと考えている。というのは、戦前には「出たい人より、出したい人を」という流れがあったからである。実は、地方自治に造詣の深い塩野宏・東京大学名誉教授も、日本国憲法に問題があるとすれば、国政の基本を定めるべき憲法において、地方自治体の基本構造を規定してしまったことであろう、としているのである。

 憲法は、地方自治をその本旨に基づいて法律でこれを定めるとしているが、93条2項で「地方公共団体の長、その議会の議員(中略)は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」と規定した。立法者の意思は、それによって日本の民主化を図ろうとしたのであろうが、町村長まで直接選挙にしたことには無理があった。

 というのは、米国でもそうはなっていないからである。米国は「地方自治の実験場」とも言われる国で、町村長が直接公選の地域もあれば、町村議会によって選ばれる地域もある。他の国でも、英国やフランスの町村長は、町村議会で選ばれているし、日本と同様に敗戦国だったドイツの場合も、公選の議員からなる評議会が選任した参事会が行政を行うケースや、参事会の議長が首長になるケースなどと様々である。

 わが国の近代的な地方自治制度は、明治21年の町村制に始まるが、そこで導入された制度は、町村会が町村長を選出するというものであった。そして、町村長を選出する町村会議員は、立候補なしに町村会議員に選ばれ、選ばれれば拒否できないとされていた。それは、立候補などしなくても誰を地域の議員にすべきかを皆が知っており、皆から選ばれれば当然に引き受けるという仕組みであった。

 選ばれたのに辞退すると、公民権停止や市町村税の増課等の厳しい処分が待っていた。立候補制がなかったのは府県会も同じで、そのような制度の下、第1回の東京府会選挙では、福沢諭吉や大蔵喜八郎、安田善次郎などが当選して活躍している。
 (画像と記事はリンクしない)
IMG_6870 ちなみに、国政選挙(帝国議会議員選挙)では候補者制度が導入されたが、その場合でも本人の届け出以外に選挙民による推薦届け出があり、本人が知らないうちに選出されることがあった。「出たい人より、出したい人を」だったのである。

「出たい人より出したい人を」 だった明治時代の地方選挙

 それがどのような選挙だったかについては、国政選挙の例であるが、その実態が岡崎邦輔氏の『憲政回顧録』に紹介されている。

 「このとき(第1回と第2回の帝国議会選挙)は、まだ選挙に対して不正手段を用いて、これを腐敗堕落させるなどということを知らなかった(中略)。全国各地とも、地方第一流の人物を挙げ、藩閥官僚に代わって、直ちに国政を託するに足る人材を目標に、各候補者を選定したものである。(中略)われから進んで候補者として名乗りを上げる人間などは、品性劣等、士人のともに遇すべからざる者として排斥され、かえって選挙されることを迷惑がるような立派な人物を、無理やりに選挙民が担ぎ上げるという有様であった。中には本人の知らぬ間に、当選したものもあれば、本人の承諾なしに選挙してしまったものなどもたくさんあった。費用なども多くは、有志家の自弁で、候補者自身は一文も出さず、全部選挙民の負担したものなど至る所にあった。(中略)その実際は、驚くべく金の要らぬものであった。」

 選挙に金がかかるようになったのは、大正3年の大隈内閣が行った総選挙以来とされている。2個師団増設問題に反対した政友会を潰すために大選挙干渉が行われ、その際、財閥に声をかけて金を集めて候補者に渡すということが行われた。以降、選挙ブローカーが目立つようになり、選挙の金を着服して家を建てたの、妾宅を構えたのというような噂が出るようになった。

 大正7年から原敬内閣が推し進めた地域活性化を重視する政治も、選挙の利権化をもたらし、金がかかる選挙を加速した。「出たい人」による選挙の弊害が目立つようになっていった。そのような事態を是正すべく選挙浄化運動が繰り広げられ、戸別訪問の禁止などの様々な選挙運動取り締り規定が導入された。

 注目すべきは、そのような選挙運動取り締り規定が、町村会選挙には導入されなかったことである。誰を地域の議員にすべきかを皆が知っているということは、普通選挙制度(大正14年)が導入されて選挙人の数が大幅に増加すると、建前に過ぎなくなっていく。そこで大正15年には、府県や市には国と同様の立候補制が導入された。しかしながら、そのときにも町村会には立候補制が導入されず、「出たい人より出したい人を」の選挙のままだったからである。

 そのように、「出たい人より出したい人を」の選挙に拠っていた町村会制度は、明治の元勲・山縣有朋によって創設されたものであった。その前史には色々と興味深いことがあるが、それは別の機会に譲ることとして、ここでは勝海舟の言葉だけをご紹介しておくこととしたい。

 勝海舟は明治26年、「地方自治などいふことは、珍しい名目のやうだけれど、徳川の地方政治は、実に自治の実を挙げたものだヨ。名主といひ、五人組といひ、自身番(警察)といひ、火の番(消防)といひ、みんな自治制度ではないかノー」(『氷川清話』講談社学術文庫、P242)と述べていた。

山縣有朋がつくった住民自治の基礎 「立憲制の学校」にするための工夫

 明治の元勲・山縣有朋が創設した地方自治というと、いかにも中央集権的な制度だったように思われるが、山縣は日本に勝海舟が言う「実に自治の実を挙げた」徳川の地方政治の伝統を引き継いだ制度を導入し、それを立憲制の学校にしようと考えていた。それを象徴しているのが、市町村会の選挙資格が極めて緩やかだったことである。

 市町村会の有権者は、満20歳以上(被選挙権は満25歳以上)の男子でその町村に居住して地租を納め、または直接国税2円以上を納めていればよいとされた。地租さえ納めていれば、その多寡は問われなかった。それは、帝国議会選挙や府県会選挙の有権者が直接国税15円以上(府県会は5円以上)とされて厳しく制限されていたのとは全く異なった姿であった(注)。

 帝国議会選挙における選挙資格は、明治33年に15円から10円に、大正8年に3円にとだんだん引き下げられていくのであるが、その土台に最初から納税額の多寡を問わない町村会選挙があったのである。

 町村会を立憲制の学校(住民自治)にするための工夫としては、納税額の多寡を問わない選挙資格の他に、等級選挙(町村議会)や複選制(府県議会)があった。ともに耳慣れない言葉であるが、等級選挙は市町村会が納税者という株主で成り立っている株主総会だったと思えば、なるほどというような仕組みで、大正15年の普通選挙制導入まで行われた。複選制は、米国の大統領選挙のようなものであった。

 等級選挙は、有権者を町村税納税額の多い者から順に、当該市町村の納税総額の半額(市では3分の1)に達するまでの者を1級選挙人、それ以下の者を2級選挙人(市の場合は3級に区分)と区分し、区分ごとの選挙人がそれぞれ議員定数の半数(市の場合は3分の1ずつ)を選出するものであった。それは、株主総会で大株主がより多くの取締役を選任できるような仕組みであった。市町村のいわば大株主である多額納税者に、より多く市町村行政に関与する権利を持たせて立憲制の学校にしていこうとしたのである。

(注)当時、直接国税を15円以上納めていたのは45万3000人(全人口の1.1%)、5円以上納めていたのは400万人であった。

なお、当時の市町村会選挙では多額納税者(納税額が市町村の上位3人の多額納税者よりも多い者)であれば、非居住者や未成年者、あるいは女性、会社その他の法人にも選挙権を認めていた。これも、市町村会が株主総会のようなものだったと考えれば、なるほどと理解できよう。

 府県会議員の複選制は、地方というよりも国の出先機関であった府県(その前身は江戸時代の藩という「お上」)の議会の選挙にも、江戸時代以来の自治体である市町村会の議員を関与させようとしたものであった。米国の大統領選挙では、州ごとに選出された選挙人が大統領を選挙しているが、市町村議会議員を府県会議員の選挙人にしたのである。

 しかしながら、この複選制は短命に終わる。それは今日の感覚で言えば、複選制がうまく行き過ぎたからであった。政府は、複選制の導入によって、明治10年代の自由民権運動で荒れる存在になった経緯のある府県会を落ち着いたものにできると考えていたが、そうはならなかったのである。

 複選制となっている米国の大統領選挙がフィーバーすることはよく知られているが、同様のことが起こってしまった。市町村会議員選挙に、米国の予備選挙のような過熱がもたらされ、落ち着くどころではなくなってしまったのである。結局、府県会議員の複選制は、導入約10年後の明治32年の改正で廃止され、府県会議員は直接国税3円以上を納める者の直接選挙とされた。

明治政府の試行錯誤に見る 「民主的な選挙」の難しさ

 明治政府が、複選制を導入したり廃止したりしたことは、今日から見れば滑稽にさえ見える。しかしながら、立憲政治の成熟を待たずに行われる民主的な選挙は危険なものである。そのことは、香港の選挙制度が、中国政府によって民主派が立候補できないように改められようとしていることからも、うかがうことができる。今日でも中国を初めとした多くの途上国では民主的な選挙は行われていないのである。

 民主的な選挙の導入がいかに難しいかを指摘していたのが、フランス革命がナポレオンの専制をもたらした時代を生きたトクヴィルであった(『アメリカの民主主義』)。トクヴィルは次のように述べている。

 「それまで参政権をもたなかった人民にこれを与える瞬間は、疑いなく危機の時である」「この点はいくら言っても言い過ぎではない。自由である術を知ることほど素晴らしいことはないが、自由の修業ほどつらいこともまたない。専制はこの反対である。往々にしてそれは多年の苦しみを癒すものとして登場する。権利を支え、抑圧された者を助け、秩序の礎をおく。人民は専制が産み出す一時の繁栄に眠り込み、目を覚ましたときには悲惨な境涯におかれている。自由は逆に、激動の中に生まれるのを常とし、国を分裂させて容易に根づかない」

 「人民が武装して公共の広場に集まって長を選ぶ場合には、(中略)このような選挙の仕組みから生ずるあらゆる内戦の危険にもさらされる」

 そして、民主的な選挙制を導入していたアメリカのケースは例外で、それは「アメリカは外国による征服を少しも恐れる必要がなかった。アメリカの立法者はこうした恵まれた状況のおかげで、(中略)執行権を弱く従属的につくっておけば、これを選挙制にしても危険は無かった」としている。

 明治政府が当時直面していたのは、西欧のアジア・アフリカ植民地化の流れの中で「外国による征服を」大いに恐れなければならない状態であった。そのような中で、明治政府は町村制などについての試行錯誤を行っていたのである。

町村長にも認められた専決処分 効率的な団体自治の観点が登場

 そのようにして導入されたわが国の町村制は、日露戦争後、町村への国からの委任事務が多くなる中で、行政能力向上のために効率性を重視する方向へと舵を切っていく。明治44年の町村制改正では、町村長の権限を強化すると共に、国の委任事務を町村が執行しない場合の代執行の規定が設けられた。町村長の権限が強化されたことは、それまで「町村会ハ其町村ヲ代表シ」とされていたのが、「町村長ハ(中略)町村ヲ代表シ」とされたことに象徴されている。

 当時、町村会によって選出されていた町村長は、今日国会で選ばれる首相と同様の位置づけにあった。その仕組みの下に、今日国会が国権の最高機関とされているのと同様に、「町村会ハ其町村ヲ代表シ」とされて、町村会が町村のいわば「最高機関」とされていた。それが変更されたのである。

 効率的な行政推進の観点からは、町村長に新たに専決処分が認められた(町村制75条)。専決処分は、それまで国の出先との位置づけだった府県知事には認められていたが、町村長には認められていなかった。それが認められたのである。

 ただし認められたと言っても、それは府県の場合よりはかなり限定されていた。府県の場合は、もともと府県会の議決事項が財務に関する6項目だけに限定されていたため(制限列挙主義)、その他の事項すべてについて府県知事の専決処分が当然に認められていた。それに対して町村では、原則としてすべての事項について町村会が議決できることになっていたので(概括主義)、町村長の専決処分は町村会が議決すべき事案を議決しないといった場合にのみ行うことができることとされた。

 また、市町村長に対する市町村会の権限の強化も同時になされた。町村会の議員は、それまで予算以外の案件について発案権が認められていなかったが、それが認められたのである。

実は、このような改正を主導したのは平民宰相と言われた原敬であった。原は「行政自治能力を公費国費で養成した退職官吏」を町村長に充てることが「地方の発達」にとっても益するところが大きいと述べていた。「藩閥官僚」に反発するという時代ではなくなっていたのである。

 効率的な行政の実現という観点は、大正デモクラシーの流れの中で、国・県の権限を市町村に下ろすといった形で、地方自治(団体自治)を推し進めることになっていく。大正15年の市制・町村制改正では、市町村への知事の許認可事項が大幅に整理され、町村長の町村会による選任についても、それまで必要とされていた県知事の認可が不要とされた。内務大臣の許可は、それまでの原則許可制が、原則許可不要とされた。

地方自治の歴史の逆転と 市町村長にまで直接選挙を 義務付けた日本国憲法

 このような地方自治強化の流れは、先の戦争によってご破算になってしまう。昭和18年2月、日本軍がガダルカナル島から撤退を強いられ、9月にはイタリアが降伏するという流れの中、同年3月、東条内閣は総力戦体制を強化するために、市町村長への国の監督を強め、市町村会を名存実亡のものとする地方制度改正を行った。

 町村長の選任には再び知事の認可が必要とされ、内務大臣や知事に町村長や収入役の解職権が与えられた。国から選任の認可を受け、解職されるような町村長は、住民の代表というよりも、もはや国の代理人(国の末端行政機関)になってしまった。

 またこのときの改正で、それまで原則としてすべての事項について議決ができた町村会が、府県会の場合と同様に制限列挙した事項にしか議決できないこととされ、列挙された以外の「軽易な事項」についてはすべて市町村長が専決処分できることとされた。そして、それまで立候補制が導入されていなかった町村会選挙にも立候補制が導入されたのである。それは、立憲制の学校としての歩みを進めてきたわが国の地方自治の歴史の歯車が、戦争遂行のために大きく逆回転した姿であった。

 日本国憲法制定にあたって、米国の担当者が見ていたのは、このようになってしまったわが国の地方自治の姿であった。そこで、国の代理人になってしまった町村長を住民の手に取り戻すという観点から、住民による直接選挙ということにしたのであろう。

 しかしながら、そこには米国においても必ずしも町村長が直接選挙で選ばれているわけではないといった知識が欠けていたように思われる。その結果、今日のわが国の地方選挙で、町村長の無投票が43.4%という姿になってしまったというのが、筆者の考えである。この点については、国政選挙よりも地方選挙の方が投票率が高い(75%程度)フランスの現状と比較してみるとよくわかるのであるが、紙幅も尽きたので、それは次回に譲ることとしたい。
(記事引用)

若者の活動拠点『福島コトひらく』 場所がなくては起業もキツイ!
渡辺龍太 2015年08月07日 07:23

今年6月27日、福島県郡山市でコミュニティースペース「福島コトひらく」のオープニングセレモニーが行われました。この施設は十分な広さのある会議室、レンタルオフィス、さらには3Dプリンタなどのデジタル工房のような機能も備えた施設です。 
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利用料金も格安で、スピーチが行われている写真のような大きな会議室も会員になれば一時間1000円で借りることができるという優れモノです。この日のオープンセレモニーでは、郡山市長、日本財団理事長といった来賓によるスピーチや、地元の子供達による催し物などが行われ、とっても賑やかなイベントとなっていました。 

この施設を運営する特定非営利活動法人コースターは、2008年に法人を立ち上げた比較的若い団体です。今回、日本財団からの補助を受け、倉庫を改築し20~30代の人たちの活動拠点となるようなコミュニティスペースを作りました。今後、この施設を多様な人々のネットワーク形成やマッチングの場として育て、郡山のみならず、福島県の次世代を担う人材が育まれる場所を目指して運営していきたいと考えているそうです。 

こうした人材の交流を積極的に行っていける場所を「コワーキングスペース」といいます。様々な業種の若者が同じ建物内で仕事をしたり、オフィスをシェアしたりすることで交流が生まれます。そこで生まれた多様な人脈が元になり、他のビジネスにも発展していく可能性が高まるのではないかという考え方です。新たなビジネスが生まれる際には、安く集える場所→豊富なコミュニケーション→良いアイデアという流れになることも多いので、素晴らしい取り組みが始まったと感心しました。 

“場所”を提供することで起業のハードルが下がる

日本にも数多くのベンチャー企業がありますが、ベンチャーのメッカといえば、やはりアメリカ。要因には、アメリカの方がベンチャーを応援する投資家が大勢いる、世界中から優秀な人が集まってくるなど様々なものがあると思います。私は20代の頃、約4年間アメリカで暮らし、起業したアメリカ人とも知り合いになりました。その時にも感じたのですが、アメリカにベンチャー起業が多い理由の一つとして、「若者が集える十分な広さの場所が格安で手に入る」ということも大きいのではないかと思いました。 

例えば、アップルのスティーブ・ジョブズやデルコンピューターのマイケル・デルなど、多くのアメリカ企業の創業者は自宅のガレージや学生寮などで起業したと言われています。私の知り合いのおもちゃのネット通販をやっているアメリカ人も、同じように実家のガレージを使って場所代に一切お金をかけずに起業しました。 

その友人は仲間と共同で、3000~20000円くらいの子供向けおもちゃをネットで販売しています。3000円といっても、スケートボードのような大きさのおもちゃもあり、在庫を置いておくスペースもかなり必要です。しかし、彼の実家のガレージは広大で、車数台を余裕で停められるスペースがありました。なので、スペースを心配することなく在庫を抱えて、そこで一緒に創業した友人たち数人と楽しげに梱包や発送したり、会議をしたりしていました。 

創業メンバーでフルタイム勤務しているのは社長だけで、他のメンバーは日中、他の仕事を持っていました。そのため、最初の頃は昼間の仕事が終わるとメンバーがガレージにやってきて、そこでみんなで寝泊りしながら仕事をするというスタイルだったと聞きました。 

同じことを日本でやろうと思ったら、どうでしょうか。福島に一軒家の実家があったとしても、大量の在庫を抱えた状態で3~4人の大人が作業したり、寝泊り出来るようなスペースが建物内に余っていることは、なかなかないと思います。そうしたスペースを賃貸しようと思えば、毎月それなりの固定費がかかってしまいます。 

また、私の友人は「一人だけではおもちゃの通販サイトを大きく出来なかった」と語っていました。おもちゃに詳しい自分と、ウェブに詳しい友人など、それぞれ強みを持った人たちと始めたことが重要だったそうです。このように、別々の能力を持った若者が格安で集える場所が確保しにくいというのが、日米の起業ハードルの高さの違いにつながっているのではないか、と感じました。そのため、「福島コトひらく」のように、安くて若者が気軽に集まることができるコワーキングスペースが日本でも確保されれば、起業へのハードルも多少は低くなるのではないでしょうか。 

何故「福島コトひらく」の利用料は安いのか

「福島コトひらく」の施設利用料を、具体的に見てみましょう。まだ暫定の金額ということですが、コワーキング会員になれば月額1万円程度で机を確保できます。そして、月に5万8千円で写真にあるような広いオフィスが借りることができます。しかも、両方とも法人登記が可能。確かに、東京でも格安のコワーキングスペースはあるかもしれません。しかし、法人登記が出来て、周りも本気で腰を据えて起業を目指す仲間に囲まれるといった環境はなかなか手に入らないでしょう。 


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この広さのオフィスを東京で月額6万円以下で借りることはまず不可能です。敷金、礼金、保証金などが必要になってくるので、東京なら100万円以上必要になる可能性もあります。いくら、東京と比べて土地代が安い福島とはいえ、建物を建てる値段はそれほど変わらないでしょうから、この利用料は破格だと思います。

こうした固定費をセーブして、商品、広告、人件費にお金を回して事業をスタートすることができるというのは非常に魅力的だと思いました。 

では、この破格のシェアオフィスがなぜオープンできたのでしょうか。それは冒頭でも軽く触れたように、New Days基金と日本財団による建物に対する資金援助があったからです。New Day基金は、アート関連の事業を行っているカイカイキキという企業と芸術家の村上隆さんが、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティオークション「New Day - Artists for Japan」を開催し、その売上金を元に日本財団と協力して運営されている基金です。約3億4000万円もの資金があり、東北の未来を作るために使われています。 

この資金を元に、「福島コトひらく」を運営する特定非営利活動法人コースターに約4000万円程の資金援助が行われました。その結果、建物や3Dプリンタなどを導入しているのにもかかわらず、コースターの初期投資が極めて少ない形で施設をスタートすることが出来ました。コースターの方に伺うと、このような巨大な建物を運営するにもかかわらず、月額30〜50万円程度の売り上げがあれば十分にビジネスとして回していけるそうです。税金が一切投入されていない施設にも関わらず、格安で運営するコトが可能なのです。 

東京から1時間チョットで行ける福島

今までメリットにばかり言及してきましたが、「いや、ちょっと待て!建物がいくら安くて、3Dプリンタもあると言っても、起業するには都会から離れすぎているから、特殊なことしか出来ないんじゃないか・・・?」と思う人もいるかもしれません。しかし、今の時代、特にインターネットで商売をする場合、場所はほとんど関係ないと思います。そのため、大都市でなければ成り立たないビジネスでなければ、むしろ地代の安い地方で起業する方が良いと思われます。 

例えば、ネットで物販ビジネスを始める場合、オフィスや倉庫が不可欠です。むしろ、東京のオフィスで起業していても、節約のため地代の安い地方に倉庫を借りているという企業も多いでしょう。あるいは、コールセンター運営のようなビジネスも、どこで電話を受けても変わらないので土地代の安い地域で運営する会社も相当数にあると思います。 

会社が巨大化して、社員を大量に採用したいという場合は、大都会で採用しないと人集めが厳しいかもしれません。しかし、スタートアップなら、創業メンバーが「福島コトひらく」でやると決めれば何の問題もないはずです。再びアメリカの例を引き合いに出しますが、アメリカの起業の中心地はシリコンバレーです。シリコンバレーで作られて大きくなった会社が、後からサンフランシスコやロサンゼルス、そしてニューヨークなど大都会に進出していくという順序になっているのです。 

とはいえ、あまりにも大都会から離れすぎていると、不便なこともあるでしょう。作業を行うのは福島だとしても、営業すべき取引先の企業は東京にあるというケースもあると思います。そのため、大都会へのアクセスが絶望的に悪い所では立地が足をひっぱるということになってしまうでしょう。しかし、「福島コトひらく」は、その点もまったく問題がないように思えました。 

東京から見ると、埼玉、栃木があって福島となるので、新幹線を使ってもかなり遠いのではないか、と考えている人もいるでしょう。しかし、「福島コトひらく」は、福島県の中央あたりにある郡山市にあります。個人的に意外だったのですが、郡山駅までは東京駅から新幹線を使えば、たった1時間20分ほどで行けてしまうのです。もちろん普通の電車より料金は高めですが、1時間と少しという移動時間は、毎日通勤しているという方もいる時間でしかありません。そのため、「福島コトひらく」でビジネスを始めても東京へのアクセスには困ることはないのではないかと思いました。 

そして、「福島コトひらく」にとって都会は東京だけではありません。仙台という東北の大都市へもアクセスしやすい立地です。新幹線でたった30分ほどしかかかりません。東京や仙台で仕事を受注して、地代の安い郡山で作業するというのは起業には大変良い環境に思えました。 

また、この施設は新幹線の郡山駅から徒歩20分程度の場所にあります。郡山駅は、とても便利な場所に思えました。地方都市における新幹線の駅は、必ずしも街の中心地にある訳ではありませんが、郡山駅は周辺に大型ホテルや飲食店などの繁華街があり、大きなショッピングセンターやマンションもありました。東京都内でも田畑が残るような住宅街メインの街にある駅の周辺よりも、圧倒的に便利そうな印象を受けました。 

この街で起業するために生活をしたとしても、行動範囲は限られると思いますが、地方だからといって絶対に車を保有しなければならないような街ではなさそうでした。こうした環境も、起業の際のコストカットという意味では魅力的に見えました。 

税金を投入される街から納税する街へ

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冒頭、「福島コトひらく」のオープニングセレモニーを見学に行ったと書いてきましたが、写真を見て違和感を覚えた方もいるでしょう。実は、オープニングセレモニーとは言うものの、今回は施設案内という感じのイベントで「福島コトひらく」の本当のオープンはまだ少し先になるそうです。

というのも、震災以降、福島では特に建築関連の人手不足が深刻で、復興や除染関連のプロジェクトに県内の業者がかかり切りになってしまっている状態が続いているそうです。 

その上、最近は東京オリンピックを控えた東京へも建築人材流出が止まらず建物が計画通りに建てられない状態。さらに、このオープニングセレモニーで、日本財団の尾形武寿理事長も言及していましたが、福島では今でも20万人が仮設住宅で暮らしているそうです。 

こうした福島の現状を解決するのにも、「福島コトひらく」のような若者に場を与えるというプロジェクトが一番効果的なのではないかと私は思いました。なぜなら、公共事業で復興と言っていても、税金が投入されなくなった時点で雇用はなくなってしまいます。 

しかし、先ほど書いたように、ネットのお陰で人は場所を選ばずに仕事ができる時代になってきました。そして、IT技術は、人間の仕事をサポートして何倍にも生産性を高めるものです。これを地元の若者が上手く利用して起業し、それが徐々に大きくなっていった場合はどうでしょうか。うまくいけば、ベンチャー企業が生まれて、税金を投入されることで雇用が生まれていた街が、自ら雇用が生み出し税金を納める街という良いスパイラルになっていく可能性まで見えてきます。 

もちろん、若者に場を提供するというやり方では、税金を投入する事業のように、明確に何か結果を残すことを予測できません。なので、確かに不確定要素は多いでしょう。しかし、若者に場を提供することで、税金に頼らない何か新しいビジネスが生まれる可能性は高まると断言できるのではないでしょうか。ちょっと気長に構えなければなりませんが、今回、「福島コトひらく」を見学に行き、「場」を若者に提供することが、長期的に見れば強い街として福島が復興するきっかけになる可能性を秘めているのではないかと思いました。 
(取材協力:日本財団)

日本は財政破綻することはないと主張する浜田教授の説得力
小笠原誠治 2015年08月19日 11:28
浜田教授の説得力
 PRESIDENT Oneline が「日本はギリシャのように破綻しない理由」と題した浜田宏一教授の意見を掲載しています。

 イエール大学の名誉教授であり、内閣官房参与でもある浜田氏。もちろん、アベノミクスの強力な支持者でもあるのですが…貴方はそんな浜田教授をどう思いますか?

 人は外見では判断してはいけないなんて言いますが…

 いずれにしても、では何故日本は財政破綻を心配する必要がないと浜田教授は言うのでしょうか。

 彼の考えを要約してみました。

1.政府の債務返済能力を判断するには保有する債務額だけではなく資産額も見なければならないが、日本政府は15年3月末で574兆円の金融資産を保有している。それを負債総額から差し引くと残った分はGDP比で130%弱と見かけほどは高くない。その他、保有する土地や官庁の建物などの資産も相当な額に上る。

2.日本は官民を合わせて見たとき、世界で最も多くの対外資産を持つ純債権国である。日本の対外純資産は14年末時点で366兆円と、24年連続で世界一である。

3.財務省は「政府債務というツケを次代に残すな」というが、債権もまた将来世代に移転される。

4.日本国債は円建てで発行されている。このため返済を求められれば、日銀がお金を刷ることによりすぐに返すことができる。

5.市場が日本国債が返済不能となることを心配しているのであれば、高い金利を約束しない限り誰も日本国債を買ってくれないはずであるが、日本国債の発行金利は10年国債で年率0.5%前後であり、それだけ日本国債はマーケットで信頼されていることを意味している。

 如何でしょう?

 先ず、日本政府は巨額の資産を保有しているという点。

 でも、そのような主張をするのであれば、財務省が毎年度、国(政府)としての貸借対照表を発表していることを忘れてはいけません。

 例えば2014年3月末時点で、国(政府の)の保有する資産が652.7兆円に対し負債が1143.1兆円。ということで、債務超過額は652.7兆円となっているのです。

 要するに、政府部門は既に多額の債務超過に陥っているのであるが、国民という債権者がお金を貸してくれるのでどうにか倒産をせずに済んでいるだけなのです。

 それに、574兆円も金融資産を保有しているなんて浜田教授は言っていますが、現預金の保有額は僅かに20兆円弱程度でしかないのです。その他、有価証券は130兆円ほど保有していますが、これも殆どは米国債であり、そう簡単に処分するにはいきません。

 念のために米国債をそう簡単に処分できない事情に触れておきますと…

 米国から怒られる?

 もちろん、そういったこともないではないのですが、100兆円ほどの米国債を急に処分するようなことになれば、急激なドル安円高を招く恐れがあるからです。というよりも、政府が何故多額の米国債を保有しているかと言えば、過去において円安に誘導するために為替介入した結果がこの多額の米国債になるからです。

 次に、日本は純債権国家であるという点ですが、しかし、問題は日本国が、国全体として破綻するかどうかではなく、政府部門の財政について論じている訳ですから、国民の多くが容易に増税に応じない限り、幾ら国全体としては純債権国であるとしてもそのことは関係ないのです。

 それとも、そう簡単に国民は増税に応じると言うのでしょうか?

 というよりも、積極財政派の人々こそ、いつも増税に反対しているではありませんか?

 3番目の債権、或いは資産も将来の世代に移転されるという論拠についてはどうでしょうか?

 国債の債権者という地位についても将来の世代に移転されるというのは、そのとおり。しかし、それをいうのであれば、資産と負債を帳消しにすれば、政府部門の借金はちゃらになると言っているのと等しいと思います。

 しかし、実際に国債を保有している人々にとっては、そのようなことは全くの暴挙であることは論を待たないでしょう。というよりも、資産と負債を帳消しにすること自体が、日本の財政が破綻したことを意味していると言ってよいでしょう。

 4番目の日銀がどれだけでもお金を刷れるからという論拠も、それを言っちゃおしまいよ、というしかありません。

 つまり、呆れてしまって開いた口が塞がらない、と。この人は本気でそんなことを考えているのか、と。もし、それが可能であれば、最初から国債など発行せず、政府が政府紙幣を発行すれば幾らでも増税なしで必要な財源が確保できるのです。

 でも、そのようなことになったら、誰が政府紙幣などを受け取るものか、と。

 5番目の日本国債の金利は世界で一番低いではないかという議論は、これはある程度は説得力があるとも考えられる訳ですが、しかし、そうした日本国債の金利が極めて低い状況にあるのも、日本銀行が市場から大量に国債を買い入れるから現実になっているという事実を見逃してはいけません。

 こうしてみてくると、浜田教授の考えは殆ど説得力を有しないことが理解できると思うのですが…その浜田教授自身も、次のようなことを言っているのです。

 「もちろん、永遠に歳出が歳入を上回る状態は望ましくない。いずれは消費税率を上げるなどして、財政を均衡させなくてはならないが、問題はそのタイミングにある。この場合、景気を好転させ、日本経済を成長軌道に乗せてから税金を取るアベノミクスの立場と、EUがギリシャに押し付けているように、経済の状態とは関係なくまず税率を上げようとする立場の2つがある。どちらが正しいのだろうか。」

 いいでしょうか?

 浜田教授も、いずれは消費税を増税して財政を健全化する必要があると言っているのです。

 つまり、景気さえよくなれば増税など実施しなくても財政再建は可能だという、否、増税を実施すれば余計に財政は悪化すると言っている上げ潮派の考えとは違うということなのです。

 つまり、最低限度の理性はまだ備えていた、と。

 最後に私は浜田教授に聞いてみたいのですが、成長軌道というのは、日本の実質経済成長率がどれほどの水準に達することを意味するのでしょうか?

 例えば、実質成長率で2〜3%は最低必要だと言うのでしょうか?

 でも、だとしたら、それは人口が減少傾向にある我が国としては相当に難しいと思います。だって我が国の潜在成長率は今や1%を相当下回っているかもしれないからなのです。

 ということは、永遠に増税は嫌だということで、政府の借金は大きくなるだけなのです。
(記事引用) 
 

メルマガ失敗もブログ開設の少年A 「更新待ってました」の声も
2016年1月7日 16時0分 NEWSポストセブン

 長靴を履き、右手に傘を持った人物が目の前のおぞましい巨大生物を眺めている。雨に濡れてたたずむその生物は、ナメクジだった──。昨年12月25日、神戸連続殺傷事件の犯人・少年Aの「公式ホームページ」が更新された。冒頭のそれは、新たにトップ画面に掲載されたAのイラストだった。

『存在の耐えられない透明さ』。昨年9月、そんなタイトルで突如開設されたAのホームページ。自作イラストや大量のナメクジ写真で世を戦慄させたのは記憶に新しいが、この日の更新では、水色のタイトル文字が雨に流されるように形を崩しつつあった。水のように透明で、揺らぎ、流されてゆく存在。それが自分だとでも言いたいのか。

 昨年6月に手記『絶歌』(太田出版)が出版されて6か月あまり。激動ともいえるAの動きを、女性セブンは追い続けた。

 7月初旬、Aが長く静岡県浜松市内の小さなアパートで暮らしていたこと、手記出版直前に東京に転居し、直後に彼の自宅付近で猫殺しが頻発したことを報じた。

 Aからの手紙が編集部に届いたのは、その翌月のことだった。手紙に遺族への謝罪の言葉は一切なく、手記出版に至るまでの経緯が自分本位に綴られ、ホームページ開設の宣伝文もつけ加えられていた。

 9月には、Aが手記出版直前に不正な手法でパスポートを2通取得し、警察からマークされていることも発覚。直後、Aは世間を嘲笑うかのように、月額800円でメールマガジンの配信を始めた。全国紙記者が語る。

「ホームページのメールフォーラムに届いた読者からの質問に答えていく内容でした。しかし、わずか1週間後、配信元となるネット会社からAのアカウントが凍結され、メールマガジンは廃止されました。『規約上の違反があった』というのが表向きの理由ですが、“殺人鬼の金儲けに協力するのか”というクレームが配信会社に殺到し、会社側がすぐに手を打ったというのが現実です」

 この間、Aは生活拠点を転々としてきた。前述のように、手記出版直前に東京に引っ越してきたAだが、本誌がそれを報じた直後、都内某所に引っ越し。以後も首都圏内を転々としており、一つの場所に落ち着く気配はない。

 メールマガジンの凍結以降、表舞台から姿を消したAだが、今また不気味に動き始めた。今回のホームページ更新では「ブログ」と題したコーナーを新たに設置。昨年7月に練馬区立美術館で開かれた展覧会『舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに』を見に行ったことを明かしている。

《息が止まるほど美しい。(中略)肉厚のレリーフは斜め下から見上げると圧巻だ》《たとえ手足を捥がれようと、常に何かを造らずにはいられない表現者という生き物の業に身震いがした》(AのHPより)

 晩年、脳梗塞で倒れ、右半身不随と闘いながら創作活動に精を出した彫刻家・舟越の苦悩に寄り添い、その作品に感嘆する様子を綴っている。

「彼は、『絶歌』の中で、《本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした》と書いていました。やはり自分の考えや作品を発信していくことはやめられないんでしょう。有料のメルマガは失敗したので、今後はブログの形を取るようです。“金を取らない以上文句を言われる筋合いはない”という発想ですね。その裏で、手記のプロモーションをして、印税でさらに儲けたいという俗的な欲求もあると思います。彼の狂気を止められる人はいないんでしょうか…」(前出・全国紙記者)

 ホームページ開設当初、本誌の取材に対し、多くの識者が「このサイトはAの崇拝者を生む装置になりかねない」と危惧していた。現在、Aの新設したブログには多数のコメントがついている。《更新待っていました!》《今度は絵本を書いてほしいです》Aの“信者”は増えているようだ。
※女性セブン2016年1月21日号
(記事引用)

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※画像は本稿と関係しません。

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