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『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。紀元前3千年頃のシュメール文明で生まれたシュメール神話を起源とし、バビロニア王ハンムラビがアッシリアを制圧した紀元前1750年頃に成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなったような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)。この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。(検索ウキペディア)

2016年04月

首都のすぐ横を貫くアメリカの「植民地」

パナマ運河地帯

世界飛び地領土研究会(研究会) 
南アメリカの地図(1908年) パナマはまだコロンビア領ということになっています
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アメリカ租借地時代のパナマ運河地帯の旗

世界の2大運河といえばスエズ運河にパナマ運河。スエズ運河は英仏共同資本の会社が支配し続け、エジプトはイギリスの保護国だった。

一方でパナマ運河はアメリカ政府が管理し、パナマ運河の両岸5マイル(約8km)ずつは運河地帯としてアメリカの租借地、つまりアメリカの領土になっていた。戦後、列強による植民地支配が否定される中で、スエズ運河は1956年にエジプトのナセル大統領が国有化したが、パナマの運河地帯がパナマに返還されたのはようやく1999年末になってのこと。

アメリカがこの地帯を自国領とすることを狙っていたのは、パナマ運河が完成するよりも60年前、パナマ横断鉄道が開通(1855年)した時からだ。

大陸横断鉄道が開通(1869年)するまで、アメリカの東海岸から西海岸へ行くには、駅馬車でゴトゴトロッキー山脈を越えるよりも、いったん船でパナマへ向かい、パナマ横断鉄道で太平洋岸へ出て再び船でカリフォルニアへ向かったほうが、安全かつ大量輸送に適したルートだった。
ゴールドラッシュでは大勢の労働者がパナマ運河鉄道でカリフォルニアへ向かったし、江戸時代末期に幕府の使節団がサンフランシスコからワシントンへ向かった時にもこの鉄道を利用した。つまり当時のアメリカにとって、パナマ横断鉄道とその沿線は自国の一部にも等しい大動脈で、だから「自国の一部と同じように支配させろ」という理屈。ロシアがシベリア鉄道の一部として満州に鉄道を建設した時に、沿線を鉄道附属地 として行政権を取得したのと同じだ。

それにパナマという国自体、アメリカが運河を建設するために独立させたと言っても過言ではない。

パナマは多くの中南米諸国と同様にかつてはスペインの植民地。19世紀初めにスペイン本国がナポレオンに征服されると中南米の植民地は相次いで反乱を起こし、南米北部では1819年にボリバールの率いるコロンビアが独立。21年にスペインを追い出したパナマも自らコロンビアへの併合を決めた。当時のコロンビアは現在よりも大きな領土を擁していたが、中央集権制か連邦制かで内紛が続き、1830年にエクアドルとベネズエラが独立、パナマも30年、31年、40年と3回にわたって独立を宣言したが、そのたびにコロンビアに脅されたり、説得されたりして独立を断念したものの、その後も独立紛争は何度も繰り返されていた。

パナマ運河の建設が着手されたのはこの時代で、最初に着工したのはフランスだった。スエズ運河を1869年に開通させたフランス人レセップスは、余勢をかってパナマ運河建設も計画し、フランス政府はコロンビアと協定を結んで1880年に工事が始まった。
これを苦々しく思ったのがアメリカだ。アメリカはすでにパナマ横断鉄道を開通させていたほか、運河を建設する権利も得ていた。
しかしアメリカはコロンビアに鉄道沿線地帯の割譲を要求したり、パナマで独立紛争が起きると鉄道保護を理由に出兵を繰り返し、その一方で肝心の運河建設はニカラグア・ルートと両天秤にかけてなかなか着工しようとしなかった。そこで業を煮やしたコロンビア政府はフランスによる運河建設を認めたが、予想外の難工事だったうえマラリアや黄熱病で労働者が2万2000人も死亡し、運河予定地の4割まで掘ったところでレセップスの会社は破産、工事は頓挫してしまう。

一方でアメリカでは、1899年の米西戦争の時に西海岸にいた軍艦オレゴン号をキューバへ派遣しようとしたら、南米の南端を2ヶ月がかりで遠回りをするうちに間に合わなかったという事件が起き、「国防のためにも運河建設を急ぐべき」との世論が高まっていた。この戦争でカリブ海とフィリピン、ハワイを手中に収めたアメリカにとって、パナマ運河建設は戦略的に急務となった。

そこでレセップスの会社を買い取って再びコロンビア政府と交渉し、1903年に運河地帯の永久租借などを含むヘイ・エラン条約を結んだが、コロンビア国会は「屈辱的な内容だ」と批准を否決した。
するとその3日後にパナマでは独立を求める反乱が起こり、鎮圧に向かったコロンビア軍は事前に沿岸で待機していた米軍に阻まれて、パナマは独立を宣言する。そして2週間後、アメリカは新たに誕生したパナマ政府と運河条約を結び、運河地帯を「あたかも主権者として」永久に租借することを認めさせた。こうしてパナマ運河はアメリカの手で再び着工され、第一次世界大戦の勃発直後に開通した。

運河地帯ではアメリカが行政、司法の権限を持つだけでなく、パナマ人の居住も禁止され、住民はすべて立ち退かされた。もっとも運河建設に伴うガツンダムの完成で、地帯内にあった町や村はほとんどが水没してしまうのだが。またパナマ領の飛び地として残されたパナマ市とコロン市では、「疫病が運河地帯へ蔓延するのを防ぐため」とアメリカは衛生行政を握り、必要と認めれば治安活動を行う権利も得た。


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パナマ運河地帯の詳細図  


運河地帯以外でも、パナマ憲法では公安や秩序が乱された場合にアメリカがいつでも干渉できる権利が明記され、パナマはアメリカの保護国になった。

選挙のたびにアメリカは「混乱が起きる」とパナマへ進駐し、1904年にはパナマ軍は解散させられて警察隊に再編された。
アメリカの保護国規定と干渉権は1936年の条約で撤廃されたが、その後もアメリカがパナマへの介入を繰り返したのは同じこと。最近では1989年にアメリカ軍が侵攻して国防軍を解散させ、ノリエガ大統領を「麻薬取引に関わった」と逮捕する事件を起こし、世界中を仰天させた。またパナマの通貨は米ドルが採用されてアメリカ経済に完全に組み込まれ、1941年に独自通貨「バルボア」を発行したアリアス大統領は3ヶ月で追放され、現在に至るまで米ドルが使われている。

スペインやコロンビアから独立できたと思ったら、アメリカの実質的な植民地にされてしまったわけで、パナマ100年間の歴史はアメリカから主権を取り戻す闘いの歴史でもあった。
パナマ側の要求に対して、アメリカは1936年の米巴友好協力一般条約で運河地帯にパナマの最終的な主権があることを認めるとともに、運河地帯の租借料を年25万ドルから45万ドルへ引き上げ、55年の相互理解および協力条約では、運河地帯で働くパナマ人へのパナマ政府の徴税権や運河を横切る道路建設権を認めたり、パナマ市とコロン市への行政介入をやめ、租借料も年193万ドルへと引き上げた。
しかし1956年にエジプトがスエズ運河を国有化すると、「パナマ運河も続け!」という声が高まるのは当然のこと。パナマでも運河地帯にパナマ人が乱入してパナマ国旗を振りかざす「主権運動」が盛んになった。

これらの動きを苦々しく思ったのが、運河地帯に住むゾーニアンと呼ばれたアメリカ人たち。彼らは「パナマ運河はアメリカが資金を出して建設したもの」「パナマ運河は国際的に重要な交通路で、パナマ政府にうまく管理できるとは思えない」と、運河地帯をアメリカが支配するのは当然だとの意識が強く、60年にアメリカ政府が運河地帯でのパナマ国旗掲揚を認め、星条旗を掲げるときは必ずパナマ国旗も一緒に揚げなくてはならないという規則を発表すると、これに猛反発し、64年には「国旗事件」を起こした。事件の発端は、運河地帯の米人学校にわざと星条旗だけを掲げてパナマ人を挑発したこと。
これを発見したパナマ人学生が、パナマ国旗に取り替えようとしたところ乱闘となり、出動した米軍が発砲して死傷者が続出、パナマ市内は暴動となって米系の企業や商店が襲われ、パナマ政府は一時アメリカと国交断絶するに至った。国旗事件から3年がかりで米パ両国は運河を共同管理とする新条約案をまとめたが、それぞれの国の議会が強く反発して批准できなかった。

結局、パナマ運河返還を実現したのは、68年にクーデターで権力を握ったトリホス将軍だった。トリホスは72年に独裁体制を固めると、アメリカ資本が支配していた電力、通信会社やバナナ農園を国有化し、キューバに急接近してアメリカに圧力をかけた。
また73年には国連総長に安保理をパナマで開催して「植民地主義の問題とラテンアメリカにおける平和への危機」について話し合うように要望し、これを実現。パナマ運河の返還を国際問題化させることに成功した。
安保理でトリホスは「自国が植民地でないことを誇っている国が、我が国の中枢部に植民地を保持し続けようとするのは理解に苦しむ。われわれは絶対に星条旗のもうひとつの星にはならない」とアメリカを断罪する演説を行い、新たな運河条約の調印を促す「パナマ運河地帯に関する決議案」を賛成13、反対1(米)、棄権1(英)で可決させた。
この決議案はアメリカの拒否権発動で葬り去られたが、アメリカは運河地帯の返還を含めた交渉のテーブルにつかざるを得なくなり、1977年にカーター大統領は1999年末までの運河地帯からの撤退と、返還までの間は運河を米パ両国で共同管理する新運河条約の締結を認めた。

途中、89年には米軍のパナマ侵攻もあったが、運河地帯の返還は予定通り行われた。パナマ運河両端のコンテナ埠頭の運営を香港のハチソン・ワンポア社が20年契約で請け負ったことから、アメリカのタカ派は「中国がパナマ運河を支配しようと目論んでいる」と煽っていたが、ハチソン・ワンポア社は中国とも英国ともほどほどに付き合って来た典型的な香港商人・李嘉誠が率いる企業だし、パナマ政府は世界でも珍しく台湾政府を承認して中国と国交を結んでいない国。ま、大げさな対中脅威論の1つでしょう。

そういえば、バブルの頃に日本が資本参加して第二パナマ運河を建設するという話が進んでいましたが、一体どうなっちゃったんでしょう?パナマには当時の日本に期待して「大平通り」と命名された道があるそうですが・・・。
★運河地帯内のパナマの飛び地:コロン
コロン市の詳細地図  コロン市の衛星写真 (google map)

コロンから右へ伸びる道がコロン回廊
 
パナマ運河地帯のアメリカ租借地から、パナマ市とコロン市は除外されていて、コロン市は周囲をアメリカに囲まれたパナマ領の飛び地になっていた。パナマ市とコロン市が運河地帯から除外されたのは、そうしなければパナマという国が成り立たないから。
なにしろパナマ市はパナマの首都だし、コロン市もパナマ第四の都市。条約で運河地帯はパナマ人が住めないことになっていたが、パナマ総人口の4割以上が両市に住んでいるから、ここを除外しないわけにはいかない。

パナマの心臓部といえるような場所によくも運河を掘ったものだと思うが、パナマ市とコロン市を結ぶ場所が地峡の最も狭い地点だったから。両市とも運河が開通するずっと前から太平洋と大西洋を結ぶ物流拠点として栄えた町で、運河が開通する前は鉄道で、鉄道が開通する前は荷馬車と河運で、人や貨物を運んでいた。

運河建設時の地図 を見るとパナマ市もくさび形の飛び地になっていて、なんとパナマは首都が飛び地という有様だったが、1955年に市街地の拡大が認められてパナマ本土と直結するようになった。

一方でコロン市の一角には、運河の出入口でかつ他の地域から隔絶された飛び地という地の利を生かして、1953年からフリーゾーン(免税地区)が開設された。現在では香港に次ぐ世界第2位の規模の免税地区となり、中南米の貿易拠点や金融センターとして発展しているが、フリーゾーンの周囲にはパナマ各地はもちろんカリブ海諸国から職を求めて貧困層が集まり、治安の悪さも中南米随一といわれるほど。

ちなみにコロン市という名はコロンブスにちなんで命名された地名。コロン市の港・クリストバルはコロンブスのファースト・ネームから。パナマ市の港・バルボアは、コロンブスの新大陸「発見」に続いて、太平洋を「発見」したスペイン人の名前です。

★コロン回廊と領土の立体交差

旧「領土の立体交差」の衛星写真 上の高架道路がパナマ領、下の道路は元アメリカ租借地(google map)

点線で囲まれた部分がパナマ領のコロン回廊。 
で、この交差点が「領土の立体交差」。(クリックすると拡大します)
一方で、飛び地のまま残ったコロン市だが、1950年にアメリカとパナマが結んだ条約で、パナマ本土とはコロン回廊で結ばれることになった。コロン回廊は幅30~60メートルの道路で、パナマの領土としてパナマの法律が適用されたが、アメリカ人が回廊で車を運転する場合は、アメリカの自動車免許でも走ることができた。
またアメリカは回廊を横切って道路や鉄道を建設したり、上下水道や電話線などを敷設する権利を得たが、すでに存在していたランドルフ・ロードとの交差点はアメリカ領として残された(ただしパナマ国民にはパナマの法律を適用)。後にこの交差点は立体交差になり、陸橋の下はアメリカ領、陸橋の上はパナマ領と、世にも珍しい領土の立体交差が出現した。
後に運河を跨いで高速道路が建設された時も、同じように橋の上の道路はパナマ領、橋の下の運河はアメリカ領になっています。 

首都のすぐ横を貫くアメリカの「植民地」

パナマ運河地帯 旧アメリカ領

1903年11月3日 パナマがコロンビアから独立 
1903年11月18日 アメリカとパナマが運河条約を締結。アメリカは運河地帯の「あたかも主権者として」の永久租借権を獲得 
1914年8月15日 パナマ運河が開通 
1977年9月7日 両国が新運河条約に調印。1999年末の運河地帯返還が決まり、返還までの間は運河経営を共同管理に 
1999年12月31日 アメリカがパナマ運河地帯をパナマに返還。米軍も撤退
(記事引用)
 

北朝鮮の出来上がった深い経緯
1950年、日本の終戦復興の中、隣国朝鮮で戦争が始まり、軍需産業がにわかに活況となり、日本が戦後からの再建をはたすのに大きなファクターとなった。
しかし、南北問題は、その後世界平和を脅かす脅威の災禍をのこすこととなる。


景福宮 の画像
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サイエンスと歴史散歩内灘闘争(内灘砂丘、石川)
(解説)
 1950年(昭和25年)6月25日、北朝鮮軍は、北緯38度線を越え、韓国を奇襲攻撃し、朝鮮戦争が勃発しました。米軍を中心とした国連軍の参戦、中国の人民義勇軍の参戦、ソ連の北朝鮮援助と、戦況はめまぐるしく展開しました。

 同年7月8日、連合国軍最高司令官、マッカーサー元帥は、日本に国家警察予備隊(のち自衛隊)創設と海上保安庁拡充を指令し、朝鮮戦争に備えました。

 1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ調和条約において、対日平和条約と同時に結ばれた日米安全保障条約の調印は、その後の日本国内の米軍基地における紛争事件の根源となりました。

 内灘村(のち内灘町)は、金沢市の北郊、河北潟畔の砂丘地に位置する貧しい寒村でした。男は遠洋漁業に出稼ぎに行き、女は村近くで獲れた漁獲物(沿岸漁業、地引き網漁など)を頭上にのせて売り歩き(振売、ふりうり)、金沢市民から、いただきと呼ばれていました。

 1952年(昭和27年)9月6日、米軍用地接収係が秘かに内灘砂丘地(旧陸軍演習地)を視察、10日後、日本政府は内灘の砂丘地及び接岸海域の接収を決定、米軍の各種砲弾試射場に指定されました。これは、小松製作所(小松、石川)で、朝鮮戦争の特需砲弾が製造され、その試射場として内灘砂丘が接収されるというニュースでした。

 内灘村民は、米軍進駐による風紀問題、試射による爆音や震動(着弾の時、地響きしたという)が漁業に深刻な影響を与えること、接収期間が半永久的であることを心配し、ムシロ旗を立て県庁に押しかけ、同年10月、県議会も接収反対の決議をしたため、政府は、総選挙を控えていたので、しばらく見送りました。新聞には、内灘砂丘接収に猛反対、わが生活を奪うもの、緊急村議会で絶対反対を決議、畑とられ漁とられ、村には宿命の砂丘など、大きく取り上げられました。

 しかし、第26回衆院選挙において、吉田茂(よしだしげる)、1878年(明治11年)~1967年(昭和42年)は、自由党を率いて大勝、第4次吉田内閣、1952年(昭和27年)10月30日~1953年(昭和28年)5月18日が成立すると、同年12月、4ヶ月間の期限付き接収を決定、砂丘には、鉄板道路、コンクリート製のかまぼこ形の珍しい構築物を建造、立ち入り禁止となり、1953年(昭和28年)3月から試射が始まりました。  

 その後、1953年(昭和28年)4月の第3回参院選挙は内灘問題が最大の争点となりました。接収促派の林屋亀次郎(国務大臣、自由党)と反対派の井村徳二(改進党)の両候補が戦い、武蔵(林屋、武蔵ヶ辻丸越百貨店の経営者)と大和(井村、片町大和百貨店の経営者)の内灘沖海戦と呼ばれました。井村は革新陣営からも支持され、21万票対19万票(1万6000票余差)で林屋が落選、内灘問題に対する県民の審判が下されました。

 しかし、1953年(昭和28年)3月14日のバカヤロー解散後、第5次吉田内閣、1953年(昭和28年)5月21日~1954年(昭和29年)12月7日は、少数与党のため、改進党と連携し、内灘地区の漁業補償措置と無期限使用を閣議で決定、使用強行を発表しました。

 内灘村民はあくまで試射中止と土地返還を要求、1953年(昭和28年)6月13日、試射場での座り込み、また、学生らのデモ、北鉄労組の軍需物質輸送拒否ストの応援など、激しい運動が展開されました。

 しかし、日本中が朝鮮特需の時期であり、政府による、試射場が日本経済を支えているという説得、また、愛村同志会による地域利益優先の条件闘争により、内灘村は3年間の使用を認めることで妥結、基地反対闘争は終息しました。
その結果、漁業及び公共事業(農地として河北潟の干拓、学校、医療などの諸施設、上下水道の整備、道路の改修、防風林など)の保障要求が認められました(国の保証金と見舞金は、22憶4000万円、当時の村の予算は2000万円)が、村民の表情は複雑なものでした。

 1953年(昭和28年)9月から米軍による砲弾試射が開始され、3年余の後、1957年(昭和32年)1月23日、政府は、内灘村に試射場の土地を全面返還しました。これは、戦後の日本の米軍基地反対闘争のさきがけとして、全国的にも注目された事件でした。
 ところで、1963年(昭和38年)3月17日、和泉雅子主演、非行少女(浦山桐郎監督)という日活映画が公開され、そのタイトルにひかれて見たことがあります。

 この映画が内灘闘争の内灘村を舞台に描かれている(少女とその家族が闘争に巻き込まれること、地元住民の人間関係など)とは、2006年(平成18年)、内灘町歴史民俗資料館 (風と砂の館)を訪ねるまで知らず、エッと驚きましたが、どういうわけか、美しい少女が鍬(くわ)を振り上げ畑を耕している姿しか思い浮かびませんでした。

(参考文献) 若林喜三郎監修: 石川県の歴史、北国出版社(1970); 若林喜三郎編: 加賀能登の歴史、講談社(1978); 石川県の歴史散歩、山川出版社(1993); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999); 野島博之(監修)、成美堂出版編集部編: 昭和史の地図、成美堂出版(2005); 詳説日本史図録編集委員会: 山川 詳説日本史図録(第2版)、山川出版社(2009).(参考資料) 内灘闘争(内灘町、石川):http://www.town.uchinada.lg.jp/webapps/www/info/detail.jsp?id=115; 



金沢、内灘闘争と朝鮮戦争

朝鮮戦争、1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境線と化していた38度線を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。

分断国家朝鮮の両当事国、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国と1949年10月1日に建国された成立間もない中華人民共和国が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化した後に荒廃させた。

1953年7月27日に中朝連合軍と国連軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。
現在も南北朝鮮の両国間、及び朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていない。休戦以来、休戦直後の1953年10月1日に調印された米韓相互防衛条約に基づいて大韓民国は北朝鮮を想定した米韓合同軍事演習を度々行い、他方朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国への領空・領海侵犯を契機に武力衝突を勃発させている。

第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国はカイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四国による朝鮮の信託統治が合意された。

1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍(赤軍)は8月13日に当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。
1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏、朝鮮は解放された。
しかし8月24日に平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領し、既に建設されていた朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施し、朝鮮半島南部には9月8日に仁川に上陸したアメリカ軍が朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を実施、朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や海外から帰国した左翼と右翼が衝突する連合国による軍政を迎えた。

その後、米ソの対立を背景に1948年8月15日に南部には大韓民国が建国され、追って翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。
南北の軍事バランスは、ソ連および1949年に建国されたばかりの隣国中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力による朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。

侵攻を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスやフィリピン、オーストラリア、ベルギーやタイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦し、一方の北朝鮮側には中国人民義勇軍(または「抗美援朝軍」「志願軍」。

実態は中国人民解放軍)が加わり、直接参戦しないソ連は武器調達や訓練などのかたちで支援し、アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した。
本項では、停戦後の朝鮮半島の南北分断の境界線以南(大韓民国統治区域)を「南半部」、同以北(朝鮮民主主義人民共和国統治区域)を「北半部」と地域的に表記する。
また、韓国および北朝鮮という政府(国家)そのものについて言及する場合は「韓国」「北朝鮮」を用いる。これは、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが、両国家とも建国以来現在に至るまで、「国境線を敷いて隣接し合った国家」の関係ではなく、あくまで「ともに同じ一つの領土を持ち、その中に存在する2つの政権(国家)」の関係にあるためである。

呼称に関しては、日本では朝鮮戦争もしくは朝鮮動乱と呼んでいるが、韓国では韓国戦争や韓国動乱あるいは開戦日にちなみ6・25(ユギオ)、北朝鮮では祖国解放戦争、韓国を支援し国連軍として戦ったアメリカやイギリスでは英語でKorean War、北朝鮮を支援した中華人民共和国では抗美援朝戦争(「美」は中国語表記でアメリカの略)または朝鮮戦争と呼ばれている。また、戦線が朝鮮半島の北端から南端まで広く移動したことから「アコーディオン戦争」とも呼ばれる。

開戦までの経緯

第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況

第二次世界大戦の連合国会議によって、降伏後の日本が朝鮮半島を含む海外領土の統治権を放棄することは既定方針であり、1945年7月26日に発表されたポツダム宣言に置いてもその方針は明らかにされていた。

8月、ソ連軍の朝鮮半島侵攻という事態に直面し、アメリカはソ連に38度線での分割占領案を提示した。この境界線はアメリカ陸軍のディーン・ラスクらによって30分間で策定されたものであり、アメリカ軍の占領域に首都ソウルが含まれる事も考慮されていたソ連軍はアメリカによる朝鮮半島分割占領案に8月16日に合意し、8月17日には一般命令第一号(英語版)として、38度線以北の日本軍はソ連軍(赤軍)に、以南はアメリカ軍に降伏させることが通知された。日本政府は8月14日にポツダム宣言受諾を連合国に通告、日本の降伏が決定された。ソ連軍は8月16日以降に本格的な侵攻を開始し、27日には38度線付近の都市新義州に至った。
9月2日、日本は降伏文書に署名、正式に降伏した。この際に一般命令第一号は日本側に伝達され、大本営は朝鮮半島に駐留していた日本軍に対し、一般命令第一号に従って降伏するよう通告した。

日本統治下の朝鮮半島内では独立運動を志向する諸勢力も存在はしたが、独立志向組織はむしろ国外にあり、その勢力は小さく亡命先での活動が主だった。
大きく分けると中華民国上海の大韓民国臨時政府、中国共産党指導下にあった満州の東北抗日聯軍(抗日パルチザン)、アメリカ国内における活動家などが挙げられるが、それらはいずれも大きな支持を得るに至らず、その影響力は限定的なものであった。

このような情勢ゆえに日本降伏時、朝鮮全土にわたって独立建国に向かう民意の糾合は醸成されておらず、日本統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられた解放」であった。
朝鮮人が自らの力で独立を勝ち取ることができず、独立運動の諸派が解放後、それも数年間にわたり激しく対立し続けたことは南北分断にも少なからず影響し、その後の朝鮮の運命を決定づけた。


アメリカは戦前の検討の中で、朝鮮には信託統治を適用するべきと考えていた。
1942年には朝鮮半島の国民は貧しく、文盲が多いため一世代は強大国の保護と支援が与えられなければならないという報告書が出されており、これはアメリカの朝鮮半島政策の根幹となった。
アメリカ大統領ルーズベルトは、1943年2月のアンソニー・イーデン英外相との対談でこの構想をはじめて明かした。
1943年11月22日のカイロ宣言では、朝鮮は自由かつ独立するべきとされていたが、「しかるべき手続きを踏んで」という、信託統治機関に含みをのこす形で発表された。
その後のテヘラン会談で「新設する国際連合によって40年間は信託統治すべき」とし、ソ連のスターリンもこれに同意した。1945年2月のヤルタ会談では「20〜30年間は信託統治すべき」とし、それに対してスターリンは「(統治の)期間は短ければ短いほど良い」と回答していた。

長期間の信託統治を提案したルーズベルトは1945年4月12日に死去したが、同月にモスクワでは米英ソ中の4カ国による信託統治が原則的に合意されている。
しかしその後、朝鮮問題についての詳細な打ち合わせは両国間で行われなかった。
1945年12月、ソ連の首都のモスクワでアメリカ、イギリス、ソ連は外相会議を開いたが(モスクワ三国外相会議)、朝鮮半島問題も議題となった。この席でアメリカは、朝鮮半島における民主主義的な政府の建設を目標として、暫定政府を成立させた後に、米英ソと中華民国の4か国による最長5年間の信託統治を提案した。
この提案は合意され(モスクワ協定)、12月27日に公表された。その後アメリカとソ連でその方法を継続して協議することになった。

ところが韓国民主党系新聞の東亜日報が協定について「アメリカはカイロ宣言を根拠に朝鮮は国民投票によって政府の形態を決めることを主張し、ソ連は南北両地域を一つにした一国信託統治を主張して38度線での分割が継続される限り国民投票は不可能だとしている」と事実と異なる報道をしたため、国内での反信託運動が大きく広まった(東亜日報#捏造記事・疑義が持たれた報道)。12月31日の集会とデモは空前の規模に達した。

信託統治に対してはほとんどの派が完全独立を主張し反対を表明していたが、年が明けると左派は一転して信託統治賛成に回った。右派は信託統治では反対だったが、内部では親日派や資産家が多い韓国民主党と臨時政府派が対立した。

金九を主席とする臨時政府派は、即時独立を求めて全国ストライキを訴えるなど過激化していった。軍政庁にとって行政運営上、朝鮮人登用は必要であり、過激な運動を抑える治安問題の解決のため、即時独立に固執せずアメリカの方針を理解する韓国民主党を重用した。さらにアメリカ政府の意向に反して反信託運動を黙認してしまった。ここに李承晩が合流した。
一方ソ連占領区域では、現在の北朝鮮政府が「各地で自発的に生まれた」と自称する人民委員会が1945年10月までに朝鮮総督府の統治組織を接収した。
ソ連は1945年11月に朝鮮民主党を起こした曺晩植に接触し、信託統治の容認を求めたが容れられなかったため、代わりに朝鮮共産党の北部分局のトップに過ぎなかった金日成の支援に回った。ソ連の後ろ盾を得た金日成によって

その後、国内の他の共産主義者たちは時間をかけて粛清されていくことになる。
アメリカとソ連は、1946年1月16日からの予備会談を経て、独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置したが、李承晩などが反信託運動とともに反共・反ソを激しく主張、ソ連はアメリカに李承晩らの排斥を訴えたが、アメリカは反信託よりも反共を重視して聞き入れずお互いの姿勢を非難して対立、5月6日委員会は決裂、信託統治案は頓挫した。
(資料ウィキぺデア)

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松本清張“ゼロの焦点

4月17日日曜 NHKBSプレミアム 午前1時15分~ 午前2時15分
第1回「松本清張“ゼロの焦点”」再放送 (本放送2016年1月21日(木) 22:00~23:00)

文学作品をテキストにこだわって読み解く「読書会」シリーズ。
今回は松本清張の「ゼロの焦点」。サスペンスの王道“断崖シーン”はこの物語から始まった。戦後日本の闇を背景にした“社会派小説”で、大ベストセラーになった松本清張の代表作だ。でも読み込んでみると、かなり変わった推理小説。事件がなかなか起こらない、女性目線で語り、女性が大活躍する、結婚こそが謎?と、実は硬派で軟派な物語を徹底的に読み解く。
【ゲスト】笠井潔,小森陽一,中村文則,橋本麻里,華恵 

【米大統領選2016】予備選は仕組まれているのか? 
BBCニュース2016年04月13日 18:09
アメリカ合衆国は民主国家かもしれないが、大統領選挙の党候補指名レースをじっくり検討すると、とても民主主義の輝かしい理想を体現しているとは言い難い。

米国史上、ほとんどの党候補は政党の実力者や駆け引き上手な仲介人たちが密室で、取り引きで決めてきた。政党は会員制クラブのようなものだ。独自のルールがあり、よそものには不審の目を向ける。

より開かれた予備選や党員集会の仕組みが、従来のやり方に上乗せされたのはごく最近のことだ。それによって本選候補選びに、一般市民も関われるようになった。

しかし僅差で激しい予備選となると、民主的に公明正大に行われているという表向きのメッキは簡単にはがれる。そして米国の政治システムをいまだに動かす、時にみっともないからくりが露呈されてしまう。

そしてこれに対して特に2人の候補の支持者たちが、異を唱えているのが現状だ。ドナルド・トランプ氏とバーニー・サンダース氏の支持者たちは、それぞれの党の主流派が徒党を組んで両候補の指名獲得を阻止しようとしていると受け止めている。

しかしその懸念は実際にはどうなのか? 指名レースが最後の数カ月を迎えるにあたり、4つの疑問を挙げてみた。

トランプ氏は損させられているのか?
トランプ氏は共和党の候補指名レースで先頭を走るが、最近では、勝ち進んでいるという雰囲気ではなくなってきた。

代議員757人を獲得し、2位のテッド・クルーズ氏の529人に安定の差を着けてはいるものの、水面下の政治プロセスでは駆け引きに負けているようだという情報が積み上がっている。必要な過半数の1237人を獲得できず、候補指名を自動的に得られなかった場合、この水面下の駆け引きが効いてくるかもしれない。

コロラド州の共和党は9日までに、予備選や党員集会での投票ではなく、党の会合で代議員が誰が支持するかを決めた。その結果、クルーズ氏が34人全員の支持を獲得した。予備選や党員集会の投票でトランプ氏が1位になった州でも、クルーズ陣営は実際に全国党大会に送り込まれる代議員はクルーズ支持者がなるよう、熱心に運動を続けている。

たとえばサウスカロライナ州ではトランプ氏が代議員50人を獲得したが、7月の党大会に出席する代議員の多くはクルーズ支持者だ。この人たちは党大会で、最初の数回はトランプ氏に投票しなくてはならないが、もしなかなか決着がつかずに取り引きで決まるようなら、クルーズ支持に回ることもあり得る。

おかげでトランプ氏と支持者たちが、おかしいじゃないかと声を上げている。

トランプ氏は11日、「同じことが国中で起きている。偉大な人たちが政治家に足を引っ張られている。共和党は大変なことになってる!」とツイートした。

トランプ陣営の予備選対応を担当するポール・マナフォート氏は、クルーズ陣営がコロラド州で「ゲシュタポ戦術、焦土作戦」を使ったと非難した。

トランプ氏が11日に主張したように、候補選びの仕組みが「仕組まれ」た「八百長」試合なのだとしても、必ずしもトランプ氏の対抗馬に有利に働くとは言い難い。共和党の代議員配分方法のおかげで(フロリダ州では1位候補が代議員全員を獲得するなど)、トランプ氏は得票率は37%でも、代議員は45%も獲得しているのだ。

もしクルーズ氏が代議員の数と得票数の両方でトランプ氏より劣っているのに、党大会で共和党の候補指名を獲得するようなことになれば、トランプ氏の不満にも理由はあるかもしれない。

しかしあまり声高に文句を言う前に、アインシュタインの発言と(誤って)伝えられる助言を気に留めたほうがいいかもしれない。

「試合のルールを覚えなくては。その上で、誰よりも上手にプレーしなくては」

この言葉をトランプ氏は知っているはずだ。2014年10月にツイートしているので。

記事
BBCニュース2016年04月13日 18:09【米大統領選2016】予備選は仕組まれているのか? 2/2

なぜサンダース氏は追いついていないのか?
サンダース氏は5州の予備選で連勝している。直近の8州のうち7州だ。もしアメフト・チームならプレーオフ入りしているころだ。プロボクサーなら、タイトル戦に出ているころだ。

しかし実際には、代議員の数でクリントンに迫っているとは言っても、大差をつけられているのに変わりはなく、大差がほんのわずかばかり減っただけだ。ウィスコンシン州で得票率56%(クリントン氏は43%)、ユタ州では同79%(同20%)、ワシントン州で同72%(同27%)と連勝はしているものの、サンダース氏はわずか91人の代議員を増やしたにすぎない。

米紙ニューヨーク・タイムズの計算によると、前国務長官は現時点で1350人の代議員を獲得している。サンダース氏は1086人だ。どちらを支持するか表明していない「特別代議員」(民主党首脳や重鎮)の票を含めると、その差は1774人対1117人に広がる。

民主党の候補指名を党大会ですんなり獲得するには、代議員2383人の支持が必要だ。

サンダース氏は確かにここ1カ月間の連勝でかなりの成果を上げてきた。しかしいずれも、代議員の少ない州でのことだ。たとえばワイオミング州(代議員14人)、アイダホ州(23人)、アラスカ州(16人)など。それがサンダース氏の抱える問題だ。人口の多い南部のテキサス、フロリダ、ジョージア各州で圧勝したクリントン氏に比べると、同じ勝ちでも成果が色あせるのはそのせいだ(この3州だけでクリントン氏はサンダース氏に代議員184人の差をつけている)。

今後のニューヨーク州(代議員291人)、メリーランド(118人)、ペンシルベニア州(210人)の各州でクリントン氏が予想通りの結果を出せば、この3週間でサンダース氏が巻き返した分はほとんど帳消しにしてしまう。

実際の票数に意味はあるのか?
代議員の人数計算や候補選出のルールが複雑すぎて頭が痛くなるとしても、せめて単純に候補たちの獲得票数を比べれば、どれくらい人気があるのかざっくりとした感覚はつかめるはずだ。そうだろう?

そうではないのだ。

最近の開票集計によると、クリントン氏は今年の予備選で今のところ941万2426票を獲得している。サンダース氏は703万4997票だ。サンダース氏は代議員の数が示すよりも国民の人気は高いというのがサンダース陣営の主張だが、クリントン氏と支持者たちは240万票差というこの数字を容赦なく繰り返して反論材料にしている。

しかし、アイオワ州やワシントン州のように党員集会を開く一部の州は、この数字に含まれていない。候補ごとの得票数を公表しないからだ。

米紙ワシントン・ポストのグレン・ケスラー記者は、投票率をもとに全州での得票数を計算してみた。その結果、クリントン氏はサンダース氏に230万票差で勝っていることになった。大差をつけていることには変わりない。

対する共和党は得票数をきっちり公表している。トランプ氏は825万6309票で1位。クルーズ氏は631万9244票で2位。すでに撤退したマーコ・ルビオ氏は348万2129票で3位。オハイオ州知事のジョン・ケーシック知事は297万9379票で4位だ。

最終的にトップ候補の得票数が多ければ、有権者に選ばれた候補としての正当性の根拠にはなるかもしれない。しかし見た目に惑わされてはいけない。

「候補者を選ぶのは有権者だというイメージを、マスコミは作り上げた。そこに齟齬(そご)がある」とノース・ダコタ州の代議員カーリー・ホーグランド氏はテレビ取材にこう答えた。「党大会で政党が候補者を選ぶように、ルールは作られている。今でもそうだ。そういうことになっているのだ」。

共和党全国大会の代議員に袖の下は効く?
共和党の予備選期間は、ドナルド・トランプ氏が指名を確実にするために必要な1237人の代議員を獲得しないまま終わりそうな気配になってきた。もしそうなると共和党大会は、現代の米国政治史では前例を見ないほどの、なんでもありな乱戦状態になるかもしれない。

党大会では代議員たちが各州の予備選結果に基づいて何度か投票するが、このままでは誰も過半数を得ないまま膠着する。そうすると次に代議員たちは、各々自分の良心に従って投票できるようになる。しかしその良心は何で決まるのか? たとえばドナルド・トランプ氏所有のゴルフ・リゾートに無料招待されたら? あるいはクルーズ一家と素敵な夕食を共にしたら? さらには、ケーシック政権で何らかの地位を約束されたら? そうすれば代議員たちの良心はいくらかでも動くのだろうか?

もしかすると! 公職に就いている人の収賄を細かく禁止する腐敗防止の法律はあるが、党大会代議員は一般市民だ。政府規制によって、企業や労組、政府委託業者、外国人からの金銭受け取りは禁止されているが、それ以外となると法律はかなり不透明だ。

候補の選対本部や、候補に寄付している支援者が、代議員の移動費用を負担することはあり得る。単なる移動ではなく実に豪華な旅行に仕立てて提供することはあり得る。では、金の時計は? 何の印もついていない小額紙幣を詰めた袋は? 汚職防止の州法の適用はあり得るが、判例はほとんどない。

しかし候補者の陣営が代議員にこのような形であからさまに働きかけたことが記録に残り、明るみに出たら、ひどい悪評判につながる。各陣営を食い止めるのはもしかすると、それが最大の抑止力になっているからかもしれない。しかし今回の選挙戦では、国民の考え方や態度は本当に予想しにくい。

全国党大会までまだ数カ月あるが、どこの陣営がどういう汚い手を使ったという非難合戦はすでに始まっている。10日にはトランプ氏がツイッターで、サウスカロライナ州の共和党大会でクルーズ陣営が賄賂を提供していると批判。クルーズ氏はこれを強く否定した。

「州の投票で勝っても、代議員はこちらを代表しない。クルーズ陣営が色々なおいしいものを差し出すから。ひどい仕組みだ!」とトランプ氏は書いた。

一方で同日午前のテレビ番組では、トランプ陣営のポール・マナフォート顧問が、自分たちも党大会では代議員たちをためらわずにもてなすつもりだと認めるような発言をしている。

「まあ、法律があって、倫理があって、そしていかに票を得るかというのがある。どういう手口があるかは詳しく話さないが。代議員を獲得するのにベストな方法は、代議員たちにドナルド・トランプを見てもらうことだと思っている。その言い分を聞いてもらうことだ」

別のトランプ陣営顧問、バリー・ベネット氏は「トランプ氏の自家用機に席を用意するとかそういうことではない」、「大事な一線は引かないとならない。道徳や法律にもとる、倫理的でないことは何もしない」と強調した。

しかし、大統領候補になるかどうかがかかっている時、そしてそれを決めるのがわずか一握りの代議員だった時、その「大事な一線」はもしかすると、ひどくぼやけたものになってしまうのかもしれない。

(英語記事 Is the US presidential race 'rigged'?)
アンソニー・ザーチャー北米担当記者
(記事引用)
renewable
経済推移指標
原油価格が1バレル=40ドル未満のまま反発していなければ、与信枠のさらなる削減圧力になりかねない。

※齟齬
齟齬があるようです!」 漢字が難しく見ただけでの理解は難しい言葉です。
<齟齬の読み方> まず読み方ですが、 「齟齬(そご)」 と読みます。 <齟齬の意味> この意味は、 「上下の歯がかみ合わない事」 が本来の意味...whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-1.html
 

揺らぐ資本主義。「パナマ文書」で流出した大物政治家の実名リスト
2016年4月12日 814まぐまぐニュース
全世界を震撼させている「パナマ文書」。各国の首脳・有力政治家のみならず日本でもセコム創業者らの名前も上がっているといいます。たしかにタックスヘイブンの利用は今のところ違法ではありませんが、国民や消費者から「収奪」したカネを脱税もしくは避税することは、モラル的に大問題と言えるのではないでしょうか。メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では今回の事態を受け、「グローバル資本主義は中枢部から腐り始めている」と厳しく糾弾しています。

「パナマ文書」で噴き出したグローバル資本主義の死臭
パナマの法律事務所──と言えば聞こえがいいが、実質はタックスヘイヴンを利用した「資金洗浄(マネー・ロンダリング)」幇助専門のコンサルタント会社──「モサック・フォンセカ」から流出した膨大な内部文書の衝撃が広がっている。米誌「タイム」の4月4日付電子版は、これが「資本主義の大危機に繋がるかもしれない」という見出しの論説を掲げたが、それを大げさすぎると笑うことは出来ない。

もちろん、世界中の大富豪や大企業・大銀行だけでなく麻薬密輸団やテロリストなどの国際犯罪組織などまでがタックスヘイヴンを使って資金を洗浄して脱税したり秘密送金したりして来たのは、今に始まったことではなく、いわゆる「地下経済」の問題の一部としてさんざんに議論されてきた。しかし、今回の一件が特別に深刻なのは……。

2.6テラバイトの膨大な文書
第1に、漏出した資料の膨大さである。匿名の告発者から南ドイツ新聞に届けられた文書は、全部で1,150万件、電子データにして2.6テラバイトにのぼる。1977年から2015年末までの40年近くにわたり、モサックの本社及び全世界に35以上もある事務所と20万人/社に及ぶ顧客との間で交わされた480万通の電子メール、100件の画像、210件のPDF文書が含まれていた。2010年にスノーデンが米外交文書などを持ち出してウィキリークスで暴露した時に世界はその膨大さに驚いたのだったが、その量は1.7ギガバイトで、今回の文書はその1,500倍ほどもある。

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とても1社では手に負えないと判断した南ドイツ新聞はこれを、ワシントンに本拠を置く「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」に持ち込み、そのコーディネートによって約80カ国の100以上のメディア(日本では朝日新聞と共同通信)から約400人の記者が出て、1年間かけて解析し取材した。

ということは、これまでに報じられているのはまだ概略程度にすぎず、今後恐らく1年間かそれ以上にわたってさらなる新事実やディテール、他の国際的腐敗事件との関連(例えばスイスと米国の検察当局が捜査中のFIFAの底なし汚職事件でもモサックを通じての資金操作疑惑が浮上して、すでにウルグアイ出身の幹部が辞任した!)などが次から次へと暴かれていくことになろう。

第2に、モサックの顧客たちの顔ぶれの豪華さ、とりわけ各国の大統領・首相・閣僚・政府高官など政治指導者とその家族・親戚・仲間たちの多彩さである。ICIJのウェブサイトではその主だったところを「パワー・プレイヤーズ」というタイトルで似顔絵入りで一覧に供していて「汚職と脱税のための世界首脳サミット」でも開けそうな雰囲気である。……と思っていたら、9日付朝日川柳に一句あり、「サミットはバージン諸島でどうでしょう」と。

似顔絵をクリックすると、それぞれの説明が出て来るので、詳しくは直接参照して頂きたいが、名前と肩書きだけ列挙すると(左上から)

マクリ=アルゼンチン大統領、イヴァニシヴィリ=元ジョージア首相、グンロイグソン=アイスランド首相(すでに辞任)、アラウィ=元イラク副大統領、アリ・アブ・アル・ラゲブ=ヨルダン元首相、ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アル・サーニー=元カタール首相、ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニー=元カタール首長、サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ=サウジアラビア国王、アフマド・アル・ミルガニ=元スーダン大統領、ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン=アラブ首長国連邦大統領、ラザレンコ=元ウクライナ首相(米国で服役後、財産差し押さえ)、ポロシェンコ=ウクライナ大統領。

アリエフ=アゼルバイジャン大統領の妻・子・妹、習近平=中国国家主席の義兄、李鵬=元中国首相の娘、プーチン=露大統領の仲間、アサド=シリア大統領のいとこ、キャメロン=英首相の亡父、ムバラク=元エジプト大統領の子、モハメッド4世=元モロッコ国王の秘書、シャリフ=パキスタン首相の子たち、クフオル=元ガーナ大統領の長男、ラザク=マレーシア首相の子、キルヒナー=元アルゼンチン大統領の秘書、ニエト=元メキシコ大統領のお仲間ビジネスマン、カルロス1世=元スペイン国王の姉、バグボ=元コートジボアール大統領のお仲間の銀行家、ズマ=南アフリカ大統領の甥、コンテ=元ギニア共和国大統領の未亡人……。

こうやって書き写しているだけで気分が悪くなってくるようなリストである。

この似顔絵リストには出てこないが、英紙ガーディアンの報道によると、北朝鮮の「大同信用銀行(DCB)」もモサックの顧客で、06年にバージン諸島にフロント企業「DCBファイナンス」を設立し、同国の軍需企業のための資金調達など秘密の金融工作に当たっていた。DCBは13年以降、米国の制裁対象に指定されている。

ICIJによると、文書に出て来る政治家や政府高官は140人に上る。幸いと言うべきか、これまでのところ日本の政治家の名は出て来ていないが、経済界では、セコムの創業者の飯田亮と故戸田寿一=両最高顧問が大量の自社株をバージン諸島に移して管理する仕組みを作って、個人の持ち株を小さく見せかける操作を行っていた。他に福岡県のトレーダーや兵庫県の男性など400人ほどの名もあるらしい。
「1%ワールド」への反感
この一件が尋常なことでは済まないだろうと思わせる第3の要因は、米大統領選でのトランプ&サンダース現象をはじめ世界中で新しい格差と貧困への怒りが広がっている中で勃発したというタイミングの悪さである

上掲「タイム」誌論説の著者ラナ・フォルーハーは、この問題が米大統領選の焦点と直結していると感じている。

有権者は感覚レベルで、グローバル資本主義のシステムは「99%の人々」ではなく主に「1%の人々」の役に立っていただけだと分かっている。それがサンダーズとトランプが健闘を続けてきた大きな理由で、なぜなら彼ら2人は、別々の方法ではあるけれども、その真相をさらけ出しているからである。
パナマ文書は、グローバル化が「1%の人々」(それが個人であれ企業であれ)の資本や資産がどこへでも自由に移動出来るようにしているだけで、「99%の人々」はそんなことは出来ない。その結末は、グローバルな脱税の横行と雇用の海外流出であり、エリートは国民国家とそこで暮らす納税者が抱える様々な問題を3万5,000フィートの上空から見下しながら空を飛ぶ。
どうすればいいのだろうか。私が思うに、市場システムがいかに役に立つのか立たないのかを再評価するという根本まで立ち返らざるを得ない。自由貿易についての議論、脱税に対するグローバルなキャンペーン、金融資本の自由な移動に対する厳しい監視、等々。
行動経済学者のピ-ター・アトウォーターは言う。「金融・企業・政治のエリートの刹那性に有権者はますます怒っている。1%の人々はどこへでも移動することが出来て、その移動から大きな利益が生まれる。しかし99%の人々にそれは出来ない。もっと悪いことに、99%の人々はさびれたデトロイトの空きビルや、ウェスト・ヴァージニアの化学プラントの有毒廃棄物や、プエルトリコの到底持続不能な税負担義務といった廃墟の中に取り残されているのだ」と。
こうしたことを解決するには「成長」とは何かを問わなければならないが、それは米国はじめ豊かな国々にとってのみの問題なのではない。最近の研究では、モサックのような金融操作によって途上国経済は04~13年に7兆8,000億ドルもの損失を被っている。さらに、不法な金融取引は年率6.5%、世界GDPの2倍の勢いで伸びている……。

トランプ&サンダーズ現象が笑えないのはまさにここである。水野和夫が言うように、資本主義は(少なくとも原理的には)終わった(『資本主義の終焉と歴史の危機』、集英社新書、14年刊)。資本主義の根本原理は利潤率の増大であり、その資本主義が地球上のありとあらゆる辺境を食い尽くして、なお引き続き利潤率を確保しなければならなくなった時に何をしたかと言えば、自国の中間層の食いつぶしである。

辺境があった時代には、そこから得た利潤の一部を国内に環流させて自国の労働者を「中間層」として育て、そこそこ経済的にいい思いをさせながら政治的にも懐柔することが出来た。ところが資本はその本性として凶暴で、外がダメなら内を平気で食い尽くす。それが、米欧日の先進国で共通して「豊かさ」の中の格差と貧困が広がっている根本原因である。

ところがその時に、1%の人々は、自国の中間層以下の99%の人々の苦しみなど歯牙にもかけず、3万5,000フィートの上空をプライベート機かファースト・クラスの座席で高級ワインなど舐めながら、地上の貧民どもをあざ笑っているわけである。

注目すべきことに、ほとんどの場合、これらの政治家や独裁者や大富豪たちは、自分でモサックに電話をかけてトンネル会社の設立を依頼しているわけではない。彼らが隠し財産を預けている巨大銀行や運用を委ねているコンサルティング会社が「顧客サービス」の一環としてモサックを紹介し、脱税や資金洗浄を指南しているのである。パナマ文書には欧州系を中心に500もの金融機関がモサックを通じて1万5,600社のトンネル会社の設立に寄与している様が描かれている。そのうち最も上位の10行とそれが設立を手伝ったトンネル会社の数は次の通りである(ICIJ資料)。

エクスペルタ・コーポレート&トラスト(ルクセンブルク) 1,659
J・サフラ・サラシン(ルクセンブルク) 963
クレディ・スイス系(英領チャネル諸島) 918
HSBC系(モナコ) 778
HSBC系(スイス) 733
UBS(スイス) 579
クーツ系 (英領チャネル諸島) 487
ソシエテ・ジェネラル系(ルクセンブルク) 465
ランズバンキ(ルクセンブルク) 404
ロスチャイルド系(英領チャネル諸島) 378

もちろん、タックスヘイヴンを利用すること自体は「今のところ」違法ではないし、そこに移される資金のすべてが犯罪がらみという訳でもない。しかし、タックスヘイヴンとは「租税回避地」のことであり、それを利用する全ての人が他人に知られたくない財産を持っていて、自国で税金を払いたくないと思っている「非愛国者」であることは間違いない。各国の最高指導者が率先して脱税もしくは避税したがって、妻や子や親戚や秘書やお仲間を使ってあの手この手でモサックに頼るという餓鬼道地獄に墜ちていく。その手引きをしているのが国際的に名の知れた巨大銀行であり、その意味でグローバル資本主義はすでにその中枢部から腐り始めているのである。

ちなみに、モサックが顧客の依頼に応じて設立したトンネル会社をどこに置いたかを見ると(INSIDER No.832「パナマ文書」のきらびやかな政治家リスト)、香港が2,212社で最多で、以下、英国、スイス、米国、パナマ、グアテマラ、ルクセンブルク、ブラジル、エクアドル、ウルグアイがトップ10である。資本主義はブラック・ホールだらけである。

一服の解毒剤としてのムヒカ
この資本主義が放つ腐臭で卒倒しないようにするには、解毒剤が必要だろう。この騒動の最中に、たまたま来日したのが「世界で最も貧しい大統領」と言われたホセ・ヒムカ=前ウルグアイ大統領で、彼は2012年にブラジルで開催された「国連持続可能な開発会議」で人類がグローバル資本主義を超えて生きるべき道を説いて有名になった。その演説は日本でも書籍や絵本として出版され、とくに絵本は16万部も売れるロングセラーとなった。その絵本の出版社の招きで初来日したもので、各地で講演したりインタビューを受けたりした後、広島を訪れる予定である。

その有名な演説を今更紹介するのも気が引けるが、要旨はこうだ(英語版からの本誌抄訳)。

質問をさせてください。ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。別の言い方をすると、西洋の豊かな社会と同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの資源がこの地球にあるのでしょうか。
市場経済の子供、資本主義の子供である私たちが、この無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。私たちがグローバリゼーションをコントロールしているでしょうか。それともグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄のための議論はできるのでしょうか。我々の前に立つ巨大な危機の原因は環境危機ではありません、政治的な危機の問題なのです。
私たちは発展するために生まれてきたわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。にもかかわらず多くの人々が高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しています。消費が社会を駆動する世界では、私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが現れるのです。
このハイパー消費を続けるには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。10万時間保つ電球を作れるのに、1,000時間しか保たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです。人々がもっと働いて、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれもなく政治の問題であり、私たち首脳は別の解決の道に世界を導かなければなりません。
昔の賢者たちは言っています。「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と。これがこの議論の文化的なキーポイントです。根本的な問題は私たち作り出した社会モデルであり生活スタイルなのです。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい1,300万頭の牛がいて、羊も1,000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。私の同志である労働者たちは、8時間労働を獲得するために戦い、そして今では6時間労働を獲得した人もいます。しかしその人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜかと言えば、バイクや車などのローンの支払いに追われているからです。毎月、2倍も働いてローンを払っているうちに、いつしか私のような老人になっている。幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎていくの
です。
これが人類の運命なのでしょうか。私の言っていることはとても単純で、発展は幸福を阻害するものであってはならず、人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達に恵まれること、そして必要最低限のものを持つこと。こうしたものをもたらすような発展でなければなりません。幸福が私たちのもっとも大切なものだからです……。
パナマ文書に名指された首脳たちは、それこそバージン諸島に集まってヒムカの本の読書会でも開いたらどうか。チューターは、そう、バーニー・サンダースでしょう。

『高野孟のTHE JOURNAL』より一部抜粋
著者/高野孟(ジャーナリスト)
早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。
(記事引用)
 

宇宙で目に見える物質はたった5%
XMASS神岡
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/xmass/darkmatter.html
宇宙の組成宇宙が何でできているかを調べてみると、われわれが知っている、陽子や中性子など”目に見える”(観測されている)物質は全体の約5パーセントにすぎません。
その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられます。残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものです(図1)。これまで宇宙の観測に利用されてきたのは、主に光やX線、赤外線などの電磁波ですが、”暗黒”物質というのは、電磁波での観測では見ることができないため、”暗黒(ダーク)”という呼び名がついています。

ダークマター存在の証拠はいくつもある

ダークマターは様々な観測からその存在が示唆されてきました。1970年代後半、渦巻き銀河の回転速度分布を観測し、銀河内の明るい星や星間ガスではない、光では観測できないが重力を感じる物質の存在を立証しました(図2)。また、非常に重い物質(すなわち大きな重力)があると光が曲げられる、という「重力レンズ効果」からもダークマターの存在を示す証拠が得られています。
 
宇宙の成り立ちと密接に関わるダークマター

さらに、現在の宇宙は、銀河、銀河団、何もない空洞などが複雑に連なった大規模構造を形作っていることがわかってきました。この成り立ちは次のように考えられています。初期の宇宙のわずかなゆらぎ(図3)からダークマターの密度に差が生じ、密度の濃いところは重力によってさらにダークマターを引き寄せていき、しだいに目に見える物質であるチリやガスも引き寄せ、やがて星や銀河が形成されていきました。このようにダークマターは宇宙の成り立ちに非常に密接に関わっているのです。

宇宙の96%を占める未知の物質「ダーク」
TEDxTokyo - 村山斉http://logmi.jp/14241
東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構初代機構長 物理学者 村山斉 氏宇宙が何から出来ているのか、どのように働いているのか……。
もしかしたら皆さんの中には「知ってるよ、原子で出来ているんだ。学校で習った」と言われる方もいるかもしれません。私はこういう化学が覚えられなくて嫌いで、実験室ではたくさんの間違いを犯し、さんざんの成績でした。ですから、覚えることの少ない物理学を選びました。

今、大きな改革が起きています。2003年から、ある衛星の観測によって、新たなことがわかってきています。例えば、瓶の中に入っているゼリービーンズをアトム、原子とします。
そうすると原子は宇宙の4パーセントしか構成していなくて、あとの96パーセントは何か、わからないのです。宇宙の96パーセントは理解できていないのです。これが”ダーク”です。”ダーク”は存在するのです。

地球や宇宙の存在に不可欠な「ダークマター」

村山 かつて私たちは、地球が宇宙の真ん中だと考えていました。しかし、太陽が宇宙の中心だとわかり、それから太陽系は、銀河系から離れたところにあるとわかりました。銀河系の離れたところに、若い家族や子供たちである太陽系がいるわけです。ここで私たちが生まれました。非常に喜ばしいことですね。
私たちの銀河系は、大量のダークマターの海で、その中に星が泳いでいるようなものです。素晴らしい映像があります。実はここは、恐ろしい場所を映しています。何が起きているのかというと、二つの銀河系が、衝突したのです。
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しかもそのスピードは4500㎞/s。秒速ですよ。この青い部分がダークマターで、赤く示されているのが原子です。これはレントゲンで見れるものです。二つの星団がぶつかり合うと、恐ろしいことにぶつかり合った原子は熱を発し、摩擦で崩れ落ちます。
キャプチャ7
しかしその間も、ダークマターは何もなかったかのように、幽霊のように存在し続けます。この美しい写真が映しているものは、そのような恐ろしい場所なのです。
ダークマターは、私たちにとってはとても重要なものです。宇宙には何百万という銀河系がありますが、どのように生まれたのでしょうか?
ダークマターは実は良い物質です。このシミュレーションを見てみましょう。宇宙は初め、このように何もない、つまらない状態でした。しかしダークマターがありますと、重力が発生するので、物質同士の出会いが起こります。ここから銀河系が始まり、そして生命が生まれるのです。つまりダークマターがなければ、私たちがここに存在することは出来なかったのです。

「ダークエネルギー」は科学者にとって悪者

村山 目に見えないものについて、話していますが、ダークマターは良い物質であるということが言えます。二つ目にお話したいことは、このダークマターというものは、Matterする、つまり重要であるということです。しかしダークマターは宇宙の23パーセントしか占めていません。では残りは何なのでしょうか?
それはダークエネルギーと呼ばれているものです。これは実際に存在していまして、どこにでもあるものです。宇宙が拡大していることは、皆さんご存知かと思いますが、そのスピードは加速しています。このダークエネルギーが、宇宙を拡大させている力なのです。この美しい銀河系の写真を見てください。
このダークエネルギーによって星々が隔離されていくので、宇宙はどんどん拡大していきます。

残念ながら、このダークエネルギーは悪なのです。なぜならこれによって、私たちが見える星が、近距離の物だけになってしまうからです。
未知のものを恐れず、認めることの大切さ
村山 ダーク、つまり暗黒というものが存在することを認めるまでに時間がかかってしまいましたが、私たちは今、暗黒について新しい実験を行うことができ、存在を認めることが出来ます。そしてこの暗黒に対する戦略が見えてきました。これは素晴らしい発見です。このダークの正体が不明であるにもかかわらず、対抗策がわかったのです。

この暗黒に出会った時、恐ろしいと思うかもしれません。自分には何の力もないと思うかもしれません。しかし、もっとも大事でまず為すべきことは、暗黒が存在することを認めることです。そうすれば、それに対して戦略を考えることが出来ます。最後に私が言いたいのは、暗黒が存在するということがわかっても、恐れるなということです。

ありがとうございました。
(記事引用)
 
 

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