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『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。紀元前3千年頃のシュメール文明で生まれたシュメール神話を起源とし、バビロニア王ハンムラビがアッシリアを制圧した紀元前1750年頃に成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなったような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)。この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。(検索ウキペディア)

2016年10月

日本の治水事業(琵琶湖)
疏水計画前史 都市史27
 「疏水」(そすい)という言葉は,水路を開いて水を通すことを意味しますが,京都では疏水といえば琵琶湖疏水を指します。京都は内陸部に位置するため,せっかく琵琶湖を利用して北陸地方から運んできた物資を,大津で牛車に積みかえていました。水運による大量輸送に比べコストがかかるので,琵琶湖と京都を結ぶ水路建設は長年の懸案でした。
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 疏水計画は江戸時代からありました。古くは寛政末(1800)年頃の疏水計画図が残っています。ついで天保12(1841)年壬生村の農民が京都町奉行所に請願した計画,文久2(1862)年豊後国(大分県)岡藩主中川久昭が朝廷に申請した計画,明治5(1872)年下京の住人が京都府庁へ請願した計画,明治7(1874)年に滋賀県が立案した外国資本を導入する計画等があります。

 琵琶湖疏水とは?

 明治2(1869)年,東京遷都に直面して,京都の地位低下を怖れた京都の人々は,水路開発による都市機能の再生を願って,疏水計画を立てました。当時の京都府知事は槙村正直(まきむらまさなお)でしたが,後任の北垣国道(きたがきくにみち,1835~1916)の主導で事業が推進されることになりました。

 その計画は,通船だけではなく,多目的なものになりました。第1は運輸のため,第2は灌漑のため,第3は動力源確保のため,第4は飲料水確保のためでした。
 明治14(1881)年から予備調査を始め,明治18(1885)年6月に起工。明治23(1890)年4月,第一疏水第一期工事(夷川<えびすがわ>の鴨川合流点まで)が完成しました。一方,鴨川合流点から伏見墨染のインクラインまでは,明治25年11月に起工,27年9月に完成しています。

 第一疏水は滋賀県大津市三保ヶ崎(みほがさき)で琵琶湖より取水し,三井寺の山下を貫き,山科盆地北部山麓を通り,蹴上(けあげ)に出て西に向かい,鴨川東岸を南に下って伏見に至り宇治川に合流します。全長約20キロメートルです。

 分線は第一疏水と同時期に着手されました。主に灌漑のためで,蹴上から分岐して北白川,下鴨を経て堀川に至り,全長約8.4キロメートル。

 起工当初は通船が第一目的でしたが,工事なかばで水力発電に着目し,日本最初の水力発電所を設け,市内電車の動力や工業用の電力を供給するなどの計画変更がなされました。

 明治18(1885)年,府庁内に疏水事務所を設け工事を進めましたが,事業主体は上・下京区にありました。明治22年の市制施行後は,京都市に引き継がれました。総工費は125万円で,当時の内務省年間予算額が100万円前後であることを考慮すると,その巨額なことがわかります。

 財源は,上下京区有の産業基立金(明治天皇が東京遷都の際に京都に下賜したもの),府や国庫からの下渡金,市債,寄附金によりました。不足分を補うために地価割・戸数割・営業割の三種類の税が市民に課せられました。

 疏水工事は空前の大事業であったため,中央政府の中でも賛否が分かれました。滋賀県や大阪府でも上下流の利害がからむ反対運動があり,両府県に対し予防工事費が支出されました。同じ理由で京都府内各地でも災害対策をめぐる建議や陳情が相つぎました。

 工事の特徴は?
 工事は北垣知事の下,工部大学校(東京大学工学部の前身)を出たばかりの田辺朔郎(たなべさくろう,1861~1944)を設計・指導者として抜擢し,日本人の力だけで施工されました。重要な工事は外国人技師にゆだねていた時代にあって画期的なことでした。

 延長2436メートルもある滋賀県側の長等山(ながらやま)疏水トンネルは,当時としては日本で最長のものでした。山の両側から掘るほかに,山の上から垂直に穴を掘り工事を進める竪坑方式を採用して,工事の促進をはかりました。

 疏水の影響
 明治24(1891)年に疏水を利用する蹴上発電所が設けられ,これにより工場動力の電化がはかられ,明治28(1895)年には,市街電車を全国にさきがけて走らせました。

 疏水完成により高瀬川曳船人足(たかせがわひきぶねにんそく)の失業問題,南禅寺附近掘鑿工事における井水枯渇問題,用地買収をめぐる裁判など派生的な社会問題も生じました。

 その後,水力発電の増強と水道用水確保のため,明治41(1908)年,第二疏水の工事に着手,同45年に完成しました。これは,第一疏水の北に並行して建設され,蹴上で第一疏水と合流。全長7.4キロメートル。水道源として汚染を防ぐため,全線トンネルになっています。

 現在の疏水
 疏水は現在も京都の上水道源としての役割を果しています。夷川管理棟では,昭和58(1983)年以降,疏水遠隔監視制御設備を整備して,集中的に流量管理をしています。昭和初年まで続いた舟運は廃止され,水路閣やインクラインは,歴史的建造物として観光名所となっています。

(ウィキぺデア)
琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。
両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑、工業用水などに使われる。また、疏水を利用した水運も行なわれた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。

水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んだ。落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。
水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。一部の区間は国の史跡に指定されている。また、疏水百選の一つである。

(京都市)
無鄰菴の庭園は、東山を借景とし、疏水から引き入れた水の流れがゆったりとした曲線を描いている。東端には醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝。池、芝生を配した池泉廻遊式庭園。明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)の作。昭和26年に明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。
ホームページhttp://murin-an.jp  

内容概要 無鄰菴の庭園は、東山を借景とし、疏水から引き入れた水の流れがゆったりとした曲線を描いている。東端には醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝。池、芝生を配した池泉廻遊式庭園。明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)の作。昭和26年に明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。

土木工学者。琵琶湖疏水の設計、工事監督者。江戸生まれ。工部大学校卒業とともに京都府御用掛となり、疏水工事を完成。水力発電所設置を成功させた。東京帝国大学教授。
のちに京都帝国大学教授。第2疏水、水道など京都市三大事業にも尽力。墓は東山区、市営大日山墓地。蹴上公園に銅像。1861(文久1)~1944(昭和19年)
 
 琵琶湖疏水 大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水口から山科・蹴上を経て京都に入る運河。幹線は蹴上から鴨東運河・鴨川運河(インクライン2ヵ所)を通り伏見で宇治川に直結する約20キロ。
(記事引用)
 

豊洲問題の"紛糾"は「現代型組織」の必然だ
政治家に「公約以上」は期待されていない
中島 義道 :哲学者
東洋経済オンライン / 2016年10月1日 8時0分
いまや、築地の東京中央市場の豊洲移転にまつわる不手際で大騒ぎです。豊洲市場の最高責任者である歴代5人もの「市場長」が各建物の下に広がる巨大な地下空洞を「知らなかった」とは、そして(9月下旬の時点で)「誰が」盛り土をやめてこの空洞を造ることを指令したのかわからないとは、怒りを通り越しておかしくてたまらない。これこそ、組織というものの「盲点」ではなくて「笑点」です。

多分、何度も会議を開いて、細部にわたるまで綿密に「検討」したことでしょう。しかし、ポカンと大穴が開いてしまった。私は、これを聴いても何の不思議も覚えなかった。まさに、組織とはこういうもの、その自然な欠陥が全部露出してしまったと言えましょう。

■人類は不自然なほどの無責任体制を採用した

近代社会における組織は、官庁や会社をはじめ、病院でも大学でも、「ほんとうのこと」を見ようとしない。チラリと見えても、必死の思いで隠そうとする。マスコミなどが追及の手を緩めずに、じわじわと瀬戸際まで責めて、もうごまかしきれないと悟ったときに、やっと「ほんとうのこと」を小出しにする。われわれは、何度こういう絵に描いたように画一的な構図を見てきたことでしょうか。

極めて興味深いことは、こういう構図は近代法の基本原理である「基本的人権」を背景にして成立しているということです。責任を負わせるには、どこまでも注意深くなくてはならない。かつての魔女裁判・異端尋問をはじめとする残酷な濡れ衣を避けるために、人類は不自然なほどの無責任体制を採用したのです。

このことは、前々回で取り上げた「舛添問題」に典型的に現れていますが、ある不祥事を人から責められて直ちに責任を認めることは、まずない。まずは、「まったくの誤解」であることを「誠心誠意」語る。テレビの視聴者は、画面上で動く舛添さんの表情や身のこなし、口調から「どこかおかしい」と思うのですが、決定的証拠を見いだせない限り、すでに「あきらめる」覚悟もしている。一種のゲームが開始され、すべては直感的・常識的な「おかしさ」とは 別のところで動いていくことを予感するのです。

国民は、格闘技を見物するかのように、野党やマスコミの追及を舛添さんがどう「かわす」か、その力量を見てやろうという姿勢になっている。もうこれは慣れっこになっているので、どんなに「おかしく」思っても、公的な裁きは審判の判定に頼らねばならないように、個々人の印象とは別に、法律や証拠によらねばならない、という「教養」を身につけているのです。

そして追及されている者は、いくらごまかしても、いくら人を騙しても、明らかに法律に反していない限り、「法律に反していない」ことを楯にとって、居直っている。そればかりか、自分を責める者を反対に人権侵害と言わんばかりに責め返す。実際、責め返さないまでも、自分は被害者だと言わんばかりの姿勢に早変わりするのです。

法律や証拠にのみ従うというのは、全然尊敬すべき態度ではないのに、そう思い込んでしまうほど、現代人は退化している。いいですか? 「正しい」態度とは、法律や証拠に加えて自分の「良心」に従うこと、単に外形的につじつまを合わせることではなく、内面の叫び声をも聴くことでしょう。たとえ法律上(証拠上)何の問題もないとしても、良心に照らし合わせて、みずから責任を取ることでしょう。

■ある「村長」が西洋人学者たちに投げかけた問い
 
個人のレベルでは、これがまだあるかもしれない。法律的には罰せられず、誰も証拠をつかめないのに、みずから友人や恋人を騙した非を認めて、責任をとるかもしれない。しかし、民事・刑事事件ではこうしたことはほとんど期待できず、なかでも組織にはまったく期待できません。

医療ミスで病院が、いかなる違法行為でもなく、証拠も挙がっていないのに、(内部告発でもなく)病院長あるいは執刀医みずから「良心に照らして」ミスを認めることがあるでしょうか? 企業が、マスコミから追及されているわけでもなく、国民の批判を浴びているわけでもないのに、ただ「良心に照らして」商品検査のごまかしや手抜きを、やくざとのつながりを、認めることがあるでしょうか? 私が記憶している限り、ないのです。

これに関しては、哲学的に興味深い「ウェイソンテスト」と呼ばれるものがあるので、紹介します。統治形態(よく治められているか)を調べるために、西洋人の学者グループがある未開部落に入った。彼らが「村長」と面会し、統治の仕方を聞き出そうとしたところ、村長はこう答えた。

「この村においては『毎朝(痛い)入れ墨をした者に、私はパンを与える』というルールがあるだけだ。これから村民のうち代表者4人を選ぶ。Aは入れ墨をした。Bは入れ墨をしていない。Cはパンをもらった、Dはパンをもらっていない。さあ、彼らのうち2人だけを選んで『入れ墨をしたか?』あるいは『パンをもらえたか?』という質問をすることによって、私が『よい村長』であるかどうかを決めてくれ。ただし、彼らは質問に対して「はい、いいえ」だけで答える。あなた方はどんな2人を、どういう理由で選ぶであろうか?」

なかなか頭のいい村長ですが、大学のコミュニケーション論の講義で、この問題を出したところ、ほとんどすべての学生は正解に至らなかった。まさに村長の「思う壺」にはまってしまったのです。

さて、結果はどうであったか? 西洋人たちは「なんと簡単な問題なのだ!」と叫んで、すぐにAとDを選んだ。その理由は、もし入れ墨をしたAに「パンをもらえたか?」と聞いたら「はい」と答え、もしパンをもらえなかったDに「入れ墨をしたか?」と聞いたら「いいえ」を答えたら、「入れ墨をしたらパンをもらえる」というルールは守られているわけで、この村は「よい村」であり、村長は「よい村長」であることが証明される。Bは入れ墨をしなかったのだから、パンをもらえないのは自業自得であり、Cはパンをもらえたのだから入れ墨をしたのは当然であって、聞く必要はない。

西洋人たちは自信に満ちた顔つきで、いくぶん村長に軽蔑的視線を注ぎながら、こう答えました。あなた方も、まさに明答と思うのではありませんか? しかし、そうではないのです。この答えを聴いた村長はカラカラと大声で笑って、こう言いました。

「あなた方、私をそんな悪い村長とお思いか? 私がルールを『守る』のは当たり前だ。私はルール(約束)以上のことをするのだ。私は、『入れ墨をすればパンを与える』というルールを作りながら、入れ墨をしなくてもパンを与えるほど『よい村長』なのだよ」

■政治家に公約以上のことなど誰も期待していない
 
これには、西洋人学者たちも度肝を抜かれた……というお話です。わかりますか? 現代社会では、選挙の公約を守るのが「よい政治家」であり、守らないのが「悪い政治家」であって、公約以上のことをすることなど誰も期待していない。都知事が給与を半減するという公約をして、実際は無給にするとしたら、みんな驚くでしょう。

舛添前都知事が、誰からも追及されないのに、家族一同回転寿屋で飲み食いし、それを公費につけておいた(すべて単なる想像ですが)、とみずから告白して辞職したら、みんな唖然とするでしょう。しかし、これこそ正真正銘の「よいこと」ではないでしょうか? しかし、「ウェイソンテスト」が示そうとしていることは、(西洋型)近・現代人は、このことを自覚しなくなったということです。

たとえば、私は35年以上京王線沿線に住んでいるのですが、最寄りの芦花公園駅から新宿駅まで12駅もあるのに、運賃はたったの170円、記憶のある限り変わっていません。京王線は清潔で(うるさい車内放送と駅構内放送を除いて)快適で、乗務員の対応もよく、現代日本のほかの物価とくらべても格安だと思うのですが、たとえそこで私が新宿駅長室を訪れ「京王線は安すぎますから、これからはぜひ新宿まで200円払いたいのですが……」と訴えても、たぶん聞き入れられないでしょう。

私はあの「よい村長」と同じ思想のもとに「よいこと」をしようとしたのですが、どんなに説明しても駅長を納得させることはできないにちがいない。いや、まずくすると気味悪がられて、警察を呼ばれるかもしれない(から、私といえども実行はしないのです)。

というわけで、現代社会は、ルール以上の意味での「よいこと」をすることはまったく期待されないどころか、異常者として排斥されるほどである。とすると、豊洲の巨大な地下空洞を誰が指示したか、なかなかわからないのも、まあわかるというものです。
(記事引用)

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