2017年01月

グーグル生んだ移民の活力 新政権で消滅の危機 
伊佐山 元(WiL共同創業者兼最高経営責任者)
2016/11/22付 その他日経
 米国の次期大統領にドナルド・トランプ氏が就くことが決まった後のシリコンバレーでは、混乱が続いている。ベンチャー経営や投資への影響はまだ限定的だが、トランプ氏が掲げる移民排斥や人種差別は危険だ。

いさやま・げん 1997年東大法卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。2003年から米大手VCのDCM本社パートナー。13年8月、ベンチャー支援組織のWiL(ウィル)を設立。
 
 学校や日常生活の場では、すでに人種差別が原因の不満が沸騰し、衝突も何度か起きている。今日も我々のオフィスの前では、100人を超える人数の地元の高校生が「ピースマーチ(平和への行進)」に参加して街を闊歩(かっぽ)していた。

 これまで米国のベンチャー企業をめぐる社会では、出自を問わないオープンさが活力の原動力になっていた。この数年を見ても、珍獣の象徴である「ユニコーン」と称される時価総額10億ドル(日本円換算で1000億円)の非上場のベンチャー企業が150社以上も生まれており、その半分程度は移民が創業しているのだ。

 ウーバーテクノロジーズやエアビーアンドビー、スナップチャット、スペースX、ピンタレスト、ドロップボックス――。日本でも話題になるこれらのベンチャー企業の創業者はすべて移民だ。過去20年間に生まれたベンチャー企業の顔ぶれを見ても、創業者はインド人やカナダ人、英国人、中国人、イスラエル人と、まさに人種のるつぼとなっている。

 我々の生活には欠かせなくなったグーグルやヤフーも元はスタンフォード大学で学んだ移民が創業したベンチャー企業だった。シリコンバレーの重鎮の中で唯一トランプ陣営に参加することになった、天才経営者かつ投資家のピーター・ティール氏もドイツ出身だ。

 来年以降、新しい大統領の誕生により、仮に査証(ビザ)の発行が厳しくなり、白人と移民の対立が高まれば、シリコンバレーを支えてきた多様性は失われる。米国経済にも中長期的に大きなマイナスをもたらすのは明らかだ。シリコンバレーを含むカリフォルニア州は、世界の国内総生産(GDP)ランキングで6位に相当する巨大な経済圏だ。この地の活力は米国全体の経済のカギでもある。

 これまでシリコンバレーは、移民にとってアメリカンドリームを実現できる数少ない場でもあった。それゆえコストも競争環境も厳しいなかにあっても、世界中から才能豊かな人たちが集まり、切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

 「シリコンバレーで認められたい」「本国に錦を飾りたい」「一族の成功を果たしたい」「世界を変えたい」。彼らの想いは様々だが、リスクの高い環境で優秀な人材が競争することにより、世界でも、まれなイノベーションの聖地を作り上げてきた。この地の開放性が失われ、多様性が認められなくなることは、世界から起業家の希望の地が消えることに等しい。

 「Success follows people, not the technology(成功は技術にあるのではなく、人にある)」と言われるように、シリコンバレーの競争力の源泉は、世界中から集まる人の魅力に尽きる。投資にしても、企業の経営にしても、技術や資本、タイミングなどいろいろな要素が成功の要因ではあるが、その中でも人の要素が圧倒的に大きい。

 今、米国が置かれている状況は、日本にとってチャンスなのかもしれない。いかに世界から優秀な人材をひきつけるのか、どのようにして多様性に寛容で、リスクテークを応援する社会をつくるのか。日本には、その材料はそろっているはずだ。
[日経産業新聞2016年11月22日付](記事引用)

トランプ氏とシリコンバレーに漂う微妙な緊張 
2017/1/26 6:30 日経
霧雨の降る20日午後の米ワシントンDC。ジョン・ロバーツ米最高裁長官の立ち会いの下、ドナルド・トランプ氏が第45代米大統領に就任した。トランプ時代の正式な幕開けだ。

トランプ氏(左端)は大統領就任前の昨年12月にペイパルの共同創業者であるピーター・ティール氏(左から2人目)、アップルのティム・クックCEO(右から2人目)、オラクルのサフラ・キャッツCEO(右端)といったIT企業トップと会談をもった=ロイター

 siliconvalley一方、シリコンバレーでは大統領選の夜の衝撃は薄れつつある。トランプ氏とことごとく意見が対立するIT(情報技術)業界は、同氏の勝利を受け放心状態に陥ったが、今は対応を練っている。IT業界の現時点での対応は今後4年間について多くを物語る。

■一定の距離もち静観

 今のところ、IT業界の関係者は(反トランプ)活動の中心となっている。先週初めにカリフォルニア州パロアルトで始まった抗議デモの矛先は、トランプ陣営の腹心であるピーター・ティール氏と、ティール氏が共同創業した謎多きデータ解析会社パランティール・テクノロジーズに向いている。デモを率いるIT労働者団体は、パランティールとティール氏が「イスラム教徒のデータベースと不法移民の強制送還で利益を得るべきではない」と訴えている。

 全米各地では、グーグルやアドビシステムズ、スラック、キックスターター、インスタカートなどの社員が21日、「今回の大統領選での発言」に対する大規模な抗議デモ「ウイメンズ・マーチ」に参加するため自主的にグループを結成した。「ワシントン・マーチ」はNPO「ガールズ・フー・コード(Girls Who Code)」と「アイファンド・ウイメン(iFund Women)」と手を組んだ。相乗り仲間を集めてバスをチャーターするサービスを手掛けるスタートアップのスケダドルは、このイベントのために1万1000人をバスでワシントンに送り届けた。フレックスも21日、女性向けに健康サービスを提供するスタートアップのための会議をサンフランシスコで開催した。

 国民からの圧力と訴えを受け、トランプ氏が対立的な手法を使う選挙運動で提示した問題に対して、一部の企業はある程度の立場を表明するように迫られている。フェイスブック、マイクロソフト、アップル、グーグル、さらにはパランティールまでもが、トランプ氏が提案したイスラム教徒のデータベース作成には手を貸さない方針を明らかにしている。もっとも、最大300万人を強制送還するという選挙公約について各社の口ははるかに重く、ウイメンズ・マーチに至ってはコメントしないつもりだ(われわれは既にグーグルやアップル、マイクロソフト、ツイッター、フェイスブックなど30社にコメントを求めた)。

 トランプ氏はIT各社の業績を揺るがし、主義に反する政策を導入する可能性が高いが、大半の企業は静観する構えだ。特にフェイスブックは社員に対し、あらゆる政治活動を仕事と区別し、フェイスブックの代表としてこうした活動を行わないよう求めている。

 (テスラモーターズの)イーロン・マスク氏や(ウーバーテクノロジーズの)トラビス・カラニック氏、ティール氏など、IT業界のトップには例外もいる。最初の2人はトランプ氏への助言組織「大統領戦略・政策フォーラム」のメンバーだ。政権移行チームの昨年12月の声明によると、フォーラムは「大統領と頻繁に協議し、経済政策の実行にあたって具体的な経験や知識を提供する」。この3人はおそらく、トランプ氏の漠然としたIT政策課題を具体化するだろう。そうなれば、政策の導入時期が明らかになる。

■将来の衝突は不可避?

 残りのシリコンバレーのそうそうたる面々(フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ氏やグーグルのラリー・ペイジ氏、アップルのティム・クック氏、アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾス氏など)はずっとおとなしくしているつもりもないし、できないだろう。査証(ビザ)の各プログラムの廃止やネット中立性の撤廃、監視活動の強化、不法移民の集団追放、イスラム教徒のデータベース開発などシリコンバレーがずっと恐れてきたトランプ氏の公約が政策になれば、業界リーダーは声を上げざるを得なくなるだろう。

 トランプ氏が構想する内容にシリコンバレーのリベラルな血が重なれば、どんなに政治的に中立な企業でも特定の主義に偏った論争に追い込まれるのは必至だ。だが、トランプ氏が民衆の対立と分断を招く人物なのは証明済みのように、その政策もIT業界に亀裂や派閥をもたらす恐れがある。IT各社の最高経営責任者(CEO)は株主にとって最善の行動と、国家的な価値観との間で選択を迫られるかもしれない。

 主流派になりつつあるIT業界がトランプ氏と衝突するのは確実であり、当初から既に起きている。しかも、その影響はトランプ氏の政権基盤の核心に及ぶ。IT業界はトランプ氏が創り出すと約束している多くの雇用を、先を争って自動化しているからだ。

By Harrison Weber

(最新テクノロジーを扱う米国のオンラインメディア「ベンチャービート」から転載)

(記事引用)


 

トランプ政権を操る「謎のブロガー」 28歳の異常すぎる存在感
2017年1月22日 18時0分 Forbes JAPAN
「ネット上で最も嫌われている人物」と呼ばれ、荒らし行為でツイッターからアカウント使用停止処分を受けたブロガー、チャールズ・チャック・ジョンソンが、トランプ大統領の政権移行チームとの連携を深めている。

情報筋によると、彼はトランプ政権のチーム編成に協力し、候補者の吟味や「オルタナ右翼」と呼ばれる陣営からの承認を得る活動をしているという。自称「不正を暴くジャーナリスト兼作家」のジョンソンは現在28歳。彼は大統領選挙の数か月前からソーシャルメディアや自身が運営するニュースサイト「GotNews.com」上でトランプの応援を繰り広げ、トランプを批判する人々に向けては虚偽の情報を流した。そのジョンソンが、この国の運営を担うリーダーたちの選出に一役買っているというのだから驚きだ。

フォーブスは、政権移行チームの関係者から匿名を条件に、ジョンソンが関与している事実を突き止めた。先月、ジョンソンに意見を求めたところ、彼は「公式な肩書はない」と述べるにとどまり、具体的な関与についてはコメントを避けた。昨年12月の段階では、電話やメールでのインタビューに応じるとしていたが、今月に入ってコンタクトをしたところ、コメントを拒否した。

ジョンソンは昨年末に行ったメールでのインタビューで、次のように述べている。「トランプ政権の誕生についてはとても嬉しく思っているが、私が希望する人材の多くは政権メンバーに選ばれていない」

ジョンソンは、12月22日のラジオ番組にリバタリアンのブロガー、Stefan Molyneux と出演し、「トランプ政権のために多くの人物の精査を行っている」と述べている。彼は「Black Lives Matter Movement(黒人の命だって大切だ運動)」の活動家を脅したために、2015年5月にツイッターからアカウント使用禁止処分を受けている。

「オルタナ右翼」から絶大な支持
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その後も他人を誹謗中傷したり、虚偽の情報を流してネット上の「荒らし」としてその名が知られるようになった。彼は、ニューヨーク・タイムズの記者の住所を公開したり、バージニア大学で起きたレイプ事件の被害者として関係の無い女性の名前を公開したり、オバマ大統領が同性愛者であると公言するなど、これまでに多くの物議を醸してきた。

2014年のマザー・ジョーンズ誌とのインタビューで、ジョンソンは自身について次のように語っている。「ツイッターに投稿するとき、私はまるで別人格のように好戦的になる。それは、スパイダーマンがコスチュームを着ると穏やかなカメラマンから豹変するのと似ている。私は、自分が発信したコンテンツを拡散させるために、あえてそのようにしているのだ」

ジョンソンは、自身が運営するGotNewsを「嘘だらけの主要メディア」に対抗するものだとしている。彼によると、月間ページビュー数は250万に達するというが、ネット視聴率調査のQuantcastは過去30日間で24万6,000人が同サイトを訪れたと推計している。サイトを見ると、テッド・クルーズ上院議員が連邦最高裁判事の指名間近であることや、トランプが2016年の上院議員選でジョン・マケインを支持したことを「最大の後悔」と述べているといった記事が掲載されている。

白人至上主義団体とも交流

ジョンソンは最近、ワシントンD.C.で白人至上主義者の集会に参加している姿が目撃されている。彼は問題行動を数多く起こしているが、オルタナ右翼勢力から絶大な支持を得ている。彼らは、大統領選挙でトランプ勝利に大きく貢献したと言われている。

ジョンソンの友人で、同じくトランプ支持派の「荒らし」として知られるMike Cernovichによると、ジョンソンはこれまでも水面下で政治活動を行ってきたという。「メディアはジョンソンを批判するが、彼が政治にどれだけ大きな影響を及ぼしてきたかを知ったら驚愕するだろう」と彼は話す。

ジョンソンはいち早くトランプの勝利を予測し、大統領選挙のパーティー会場ではVIP席にいる姿が目撃されている。彼は11月8日頃からトランプタワーに陣取る政権移行チームと連携し、ティールをはじめとする執行チームのメンバーと連絡を取り始めた。ペイパルの共同創業者でフェイスブックの取締役でもあるティールは、シリコンバレー人脈とトランプをつなぐ上で極めて重要な役割を果たしている。

ジョンソンは、トランプ政権の人事において、10名以上の候補者をティールに紹介している。その中には、連邦通信委員会(FCC)の委員長候補であるAjit Paiが含まれる。FCCの共和党系委員であるPaiが委員長候補に名が挙がるのは自然な成り行きだが、ジョンソンが推薦したということは、オルタナ右翼勢力もPaiが適任だと考えていることがわかる。Paiにコメントを求めたが、回答を得ることはできなかった。

ジョンソンは「ピーター・ティールとは共通の敵がいるが、面識はほとんどない」としてティールとの関係を否定した。彼の言う共通の敵とは、ティールが廃業に追い込んだゴーカー・メディアのことだ。ゴーカー・メディアは、元プロレスラーのハルク・ホーガンからプライバシー侵害で訴えられ、巨額の損害賠償によって破産に追い込まれた。

ティールは、ホーガンの裁判費用を密かに支援していたとされる。ジョンソンも、中傷記事を掲載されたとしてゴーカー・メディアを名誉棄損で訴えているが、ジョンソンが最初に相談を持ち掛けたのが、ティールがホーガンの裁判で使った弁護士事務所「Harder Mirell & Abrams」だった。その後、ロサンゼルスの弁護士事務所が引き継ぎ、現在はゴーカー・メディアの破産を受けて裁判は中断している。

保守系ニュースサイトに勤務の過去も

ゴーカー・メディアがジョンソンとティールの共通の敵だとしたら、両者にとっての共通の味方はトランプのアドバイザーで首席戦略官のスティーブン・バノンだろう。バノンは、ジョンソンがかつて勤めた保守系ニュースサイト「ブライトバート・ニュース(Breitbart News)」の会長だった人物だ。昨年12月の電話インタビューで、ジョンソンはバノンについて、「私はバノンの近くで働き、彼を尊敬している」と述べている。

ジョンソンとバノンは、昨年10月に行われた2回目の大統領選討論会の直前に、ビル・クリントン元大統領を性的暴行で訴えた女性4人とトランプによる記者会見を開催した。被害者とされる女性の一人、キャサリン・シェルトンは、1975年にビル・クリントンからレイプされたと主張しているが、ジョンソンは彼女のために1万ドル以上の寄付を集めている。

ジョンソンは先月、フォーブスに対して次のように述べている。「自分の元上司が米国大統領の相談役になったら、気安く間違いを指摘できなくなる」。バノンの広報担当であるAlexandra Preateにコメントを求めたが、回答を得ることはできなかった。

最近では、ジョンソンの友人であるMike CernovichとJeff Gieseaも政権移行チームと面談していることが確認された。この2名はトランプの大統領就任式の夜にワシントンD.C.の全米記者クラブで行われる「DeploraBall」と銘打った支持者向けパーティーを企画し、これまでに1,000枚のチケットを販売している。このパーティーの目的は「トランプの大統領選勝利まで政治的に無視されてきた人々に発言権を与える」ことだという。ジョンソンに、これまでの活動に対する功績をトランプ側から認められているかと尋ねると「私が期待しているほどは認められていない」という答えだった。

ジョンソンは、トランプ支持活動が大きな成果を挙げた要因は、ミーム(インターネット上で爆発的に拡散する単語や顔文字、画像など)によって多くの有権者の感情に訴えることができたことだと分析している。「ペペ・ザ・フロッグ(Pepe the Frog)」というカエルのキャラクターがトランプ支持者の非公式マスコットとなったことなどが良い例だ。ジョンソンは、最近の人々はミームを使い、感情に基づいて政治的主張を行うようになっていると指摘する。実際、ジョンソンらが拡散した事実に基づかない情報に多くの人が反応し、トランプ勝利の大きな流れを作った。

「大統領選の勝因は、多くの人がミームを生み出したことだ。ミームによって新しい大統領が誕生したのだ」とジョンソンは話す。
(記事引用)






 

離任のケネディ大使、真の日米の懸け橋に 高く評価されるその功績とは?
NewSphere2017年01月20日 17:45

1月20日のトランプ政権発足を前に、キャロライン・ケネディ駐日米大使が帰国の途に就いた。2013年に着任した際には、政治経験のほとんどない同氏の任命を危惧する声も多く聞かれたが、振り返れば日米の調整役として高い能力を発揮し、見事にその役割を果たしたと海外メディアは評価している。

◆セレブから大使へ。就任当初は低評価
 ケネディ大使は、アメリカの「ロイヤルファミリー」とも呼ばれるケネディ家の一員で、第35代アメリカ大統領、故ジョン・F・ケネディ氏の長女だ。名門大出身で、弁護士資格も保持しており、まさにセレブと呼ぶにふさわしい人物で、大使就任のニュースは国内外で大きく報じられた。
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 しかし人気とは対照的に、大使としての評価は就任当初は低かったようだ。ワシントンポスト紙(WP)に寄稿した、シンクタンク「日本再建イニシアティブ」の理事長、船橋洋一氏は、十分な政治経験がなく日本の専門家でもないケネディ大使に識者は懐疑的だった、と述べる。ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)も、大使という役目に適しているか否か疑問符が付けられたと述べ、2015年の米監察総監室の報告書では、ケネディ大使が在日米大使館規模の機関を指揮管理することに不慣れであることが強調され、大使館内でのコミュニケーションの欠如が批判されたと伝えている。

 さらに、大使就任直後の2013年12月に安倍首相が靖国神社を参拝し、米大使館として「失望」の意を示したこと、また2014年に大使がソーシャルメディアで日本のイルカ漁に反対するコメントを出したことなどで波風が立ったとAPは指摘している。

◆オバマ広島訪問に貢献。日米の調整役へと変身
 しかし、実際にケネディ大使と仕事をした人々は、オバマ大統領と非常に近いこと、またケネディ家の名前による好感度をうまく活用し、大使は日本政府、ビジネス界、日本国民と強い関係を築きあげたと述べる。米国務省東アジア・太平洋局のダニエル・R・ラッセル次官補は、大使は「有名人から信頼され、尊敬され、愛され、そして耳を傾けられる影響力のある公人、そして立派な政治家へと変貌を遂げた」と述べている(NYT)。

 ケネディ大使の功績として、多くのメディアが上げるのが、オバマ大統領に広島訪問を勧め、サポートしたことだ。NYTによれば、大使は執拗ともいえるほど、数ヶ月間にわたり週に何度も広島訪問に関するメールを大統領に送っていたという。また船橋氏によれば、原爆資料館の見学を大統領に勧めたのも、自ら見学してその必要性を強く認識していたケネディ大使だったという。

 大使が日本政府の信頼を勝ち得ていたことを示すのが、安倍首相から戦後70年談話へのアドバイスを求められたことだと船橋氏は述べている。日韓の歴史についての考えをより明白にするように、という大使のアドバイスは、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」という部分に反映され、慰安婦問題への暗示となった。広島訪問と同様、和解の努力の意図を強めることにおいて、大使が重要な役割を果たしたと船橋氏は見ている。

 岸田外相もケネディ大使を高く評価していた政治家の1人だという。「彼女を説得できたときは、ワシントンも説得できた。彼女が断固として否定的な反応を示したときは、日本側も代案を出す時だと思った」と述べ、大使は手強い交渉役だったと回想している(NYT)。沖縄の米軍施設の移転に関しても、日本の高官をワシントンまで連れて行き、日米双方の理解を深めることに尽力したのもケネディ氏だったと船橋氏は指摘している。

 APは、政治的波長の違いにもかかわらず、保守的な安倍首相とリベラルなオバマ大統領の間に信頼関係を構築できたのは、ケネディ大使の在任中だったと述べ、大使が日米のリーダーの距離を埋めたことを示唆している。

◆地道な活動が好感を呼んだケネディ氏。後任はビジネスマン?
 セレブと見られていたケネディ大使だが、その地道な活動でファンを増やしたとNYTは指摘する。大使は、来日以来35の都道府県を訪問。震災で被災した東北での自転車レースなどにも参加し、女性やLGBTの権利を尊重する活動も積極的に行った。また、クリスマス時期に米大使館が公開したビデオで、人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のダンスを真似た職員たちとともにサンタ姿で登場。遊び心にあふれたビデオは話題を呼び、650万回以上視聴されている。

 離任を前に公開したお別れのビデオメッセージでは、大使は「いつか日本に戻ってきたい」と述べ、感謝の気持ちを表した。NYTによれば、以前は政界入りに気持ちが傾いた時期もあったが離任後のプランは決まっていないらしい。ロイターによれば、次の駐日大使として名前が上がっているのは、テネシー州出身の投資会社取締役、ウィリアム・ハガティ氏だ。こちらも外交経験はないとのこと。ケネディ大使の苦労をねぎらうとともに、次の大使の活躍を期待したい。

(山川真智子)

フラメンコギター「沖仁」
ヤマハ
ジャンルを超えた活躍で話題を集めているフラメンコギタリスト沖仁。クレモンティーヌ、葉加瀬太郎、福山雅治など多彩なアーティストとの共演をはじめ、NHK大河ドラマ「風林火山」の紀行テーマ曲の提供、さらにはFUJI ROCK'08への出演など活動フィールドは多岐に亘っている。また2010年7月にはスペインの3大ギターコンクールに数えられるムルシア"ニーニョ・リカルド" フラメンコギター国際コンクールの国際部門において、日本人初の優勝という快挙を成し遂げた。

ギターをはじめたきっかけを教えてください。

はじめて手にしたのはエレキギターで、中学2年の時でした。ロックが好きでBOØWYなどをよく弾いていましたね。高校になるとアコースティックギターで指弾きをするようになって、ビートルズやサイモン&ガーファンクルなどを弾きはじめ、そこからラグタイムギターなどのソロギターを弾くようになりました。これは面白いと思いました。しかもバンドを組まなくてもいいし。(笑)。

そこからフラメンコギターに?

いえ、まだです(笑)。高校卒業後にクラシックギターを習い始めるのですが、それも最初はスティール弦のギターで弾いていました。クラシックギターを弾きはじめるとスペインや南米の曲が好きになり、そうするとだんだんフラメンコも視野に入ってきて。そこで決定的だったのが当時デビューしたばかりのフラメンコギターの新星、ビセンテ・アミーゴのファーストアルバムでした。これにはかなり衝撃を受けました。僕が弾きたかったのはこれだったのかも、と。それでフラメンコギターを弾きはじめたんです。

「行かなきゃ何もわからない」そう思い立ってスペインへ。


フラメンコギターはスペインで修行したのですか。

フラメンコは楽譜なんてない世界ですから、とにかくスペインへ行かないと何もわからない。そう思ってスペインに渡って何人かのギタリストを訪ねました。連絡先も電話番号も知らなかったので現地で誰かに教えてもらって(笑)。結局ビセンテには会えませんでしたが、セラニートには会うことができました。セラニートについて習うことから修行を始め、さらにスペイン南部のヘレスという、フラメンコの発祥地と言われるアンダルシア地方の村へ移って、そこの住人として暮らしながらフラメンコの勉強をしました。

現地で感じたフラメンコの魅力とは何でしょうか?

いろんな言い方ができると思いますが、僕が一番魅力だと思うのは、人生で起こる深い感情、たとえばすごく辛いことから歓びまでを全部そのまま受け止めてくれる大きな器を持った音楽だということです。現地では小さな子どもからよぼよぼのお婆ちゃんまでフラメンコをやるんです。暮らしの中で自然に。それがいいんですよ。本当に器が大きな音楽だと思います。

優勝した時、フラメンコに抱きしめられた気がした。


優勝なさった"ニーニョ・リカルド" フラメンコギター国際コンクールについてきかせてください。

このコンクールには2008年にも出場したんですが、この2年の間にレベルが上がっていて驚きました。もし落ちたら恥ずかしいので一人で行くつもりだったのですが、結局「情熱大陸」のテレビクルーも同行することになり、これは参ったなと(笑)。でも実を言うと今回でコンクールに出るのは最後にするつもりだったし、それだからこそ賞を獲りたいと思っていました。

コンクールの映像ではとてもリラックスしているように見えましたが、演奏していていかがでしたか。

とにかく緊張しないように心がけました。「コンクールで緊張せずに演奏する」ということを自分のテーマにしていたんです。















大舞台で緊張しないためにはどうすればいいのでしょうか。

とても難しいですが、一言で言うと「自我を捨てる」ことです。「自分の力を見せつけよう」とか「負けないぞ」とかライバルに対して「失敗しろ」などと思うのはダメなんです。「自分のベストを見せよう」と考えることすらダメですね。

まるで禅の境地のようですね。

でも結局それしかないと思っています。そうでなければ「勝った、負けた」の話になってしまいますよね。それは小さな「戦争」みたいなもので、その先にいい音楽ってあるのかと考えると疑問です。僕がやりたいことは、聴いてくれるみんなが笑顔になることだし、元気になること。だとすれば「俺のギター、凄いだろ?」というのは違うと思うんですよ。

優勝した時はどんな気持ちでしたか?

優勝を告げられて審査員にハグされた時、まるでフラメンコに抱きしめられたような気がしました。やっと自分のフラメンコと本場スペインのフラメンコが溶け合ったような感じがしたんです。スペインから帰ってからは日本で自分なりのフラメンコを追求してきたんですが、それが伝統と摩擦を起こす部分、折り合いがつかない部分がありました。でもそれがコンクールでフラメンコの母国で受け入れられたことで、折り合いがつきました。それまでは「世界を敵に回して弾いている」ぐらいの気持ちで弾いていたのですが、いまはまったく違う気持ちで自然に演奏できるようになりました。これからが自分としての第2期という気がしています。

ヤマハFC50はフラメンコらしい音。
僕の手にフィットしてピッチも正確です。


コンクールではヤマハのフラメンコギターを弾かれたそうですね。

コンクールで弾いたのはヤマハのフラメンコギターFC50です。他社のものも含めてギターはたくさん持っていますが、コンディションも良く音も気に入っていたので、迷わずFC50を持っていきました。

FC50のどこが気に入っていますか。

まず音です。とてもフラメンコらしい音で、昔のCDで聴けるフラメンコギターの音のようだと感じました。とても野太くて、男性的です。それと僕の場合はサイズも重要なんですが、それが僕にピッタリでした。スケールや弦の間隔、ネックの形。僕は手が小さいほうなのでスペインのギターはたいてい大きすぎるんです。またヴィンテージなどの古いギターは確かにいい音なのですが、チューニングが合わないものが多い。昔のフラメンコなら5フレットより上はほとんど使いませんが、僕はハイポジションも多用するのでピッチは重要です。それと「プルサシオン」と言うのですが、フラメンコってちょっと弦を押し込んで演奏するんですね。その押し返される感覚が気に入っています。抱き心地みたいなものですね。

ヤマハのいい点は「音」と「機能」の両面ということですね。

そうです。ある意味でヤマハのフラメンコギターは僕の音楽とリンクしているんですよ。僕は昔のフラメンコではなく今、この時代のフラメンコを演奏したいと思っていますが、その根底にはフラメンコの伝統があります。このギターもまさにそういう感じがします。

たしかにコンクールの映像を見ても他のギタリストと音の違いがよくわかりました。

審査員の方からも「出場者の中で一番いい音だった」と褒めてもらいました。フラメンコギターにはいわゆる「白」と「黒」があって、それは側板の素材の色を指しています。黒(ローズウッドなど)は音がふくよかでコンサート向きとされていてコンクールでもほとんどの人が黒を弾いていました。一方、僕のFC50は白(スペインシープレス)でした。白はよりジャリンとして、ストレートにハートに来る気がします。普通は伴奏向きとされる白ですが、F50の音にはふくよかさもあったので、僕はあえてFC50で演奏しました。

フラメンコギターはポップスでもジャズでも魅力が出せる楽器。

フラメンコギターの魅力とは?

伝統楽器と考えられがちですが、僕はまだまだフラメンコギターには大きな可能性が秘められていると思うんです。フラメンコという音楽ジャンルの枠には留めておけないぐらい面白い楽器です。自分でもフラメンコギターのポテンシャルのまだほんの数パーセントしか使っていないと感じているぐらい。もちろん僕一人では100にはとても届きませんので、ぜひ多くの人にフラメンコギターを使ってもらって、可能性を拡げてもらいたいと思っています。

フラメンコ以外の音楽でフラメンコギターをどう使ったらいいでしょうか。

まずは身近に感じて欲しいですね。ガットギターの音が欲しい時にクラシックギターではなくフラメンコギターを選ぶ、そんな感じでいいと思うんです。フラメンコギターには柔軟性があり、使ってみるとポップスやロック、ジャズやクラブミュージックにもマッチします。しかもいわゆる「立つ音」なので使いやすいんです。ぜひ手にとって弾いていてほしいと思います。

今後の活動について教えてください。

僕はまずは日本のリスナーにフラメンコをきちんと届けたいと考えているんです。フラメンコだからスペインで、とか世界を舞台に、という前に、まずは今の自分とつながっている方々、同じ時代に同じ土地で生きているみなさんに、フラメンコギターの魅力を直接伝えたいと思っています。

2010年10月29日、ヤマハミュージック浜松店ホールでのリサイタルから

沖 仁(おき じん、1974年9月3日 - )は、日本のフラメンコギター奏者。神奈川県在住。2010年、3大フラメンコギターコンクールの一つであるムルシア“ニーニョ・リカルド”フラメンコギター国際コンクールで、日本人で初めて優勝した。
長野県生まれ。14歳でエレキギターを始める。高校卒業後に、カナダでクラシックギターを学んだ。その後アメリカ合衆国に留学するための手続を行っていたが、同じ頃にスペインのフラメンコギター奏者のビセンテ・アミーゴのアルバムを聴いて衝撃を受け、アメリカへの留学を取りやめてスペインに移住。アンダルシア地方などに住み、地元住民の輪に入って3年半フラメンコギターを学んだのち、2000年に帰国。
帰国した2000年に、カンタオール(フラメンコの唄い手)の石塚隆充と、フラメンコユニット「Taka y Jin」を結成。2002年には初のソロアルバム『ボリビアの朝』(自主制作)をリリース。その後もソロアルバムをEMIミュージック・ジャパンやビクターエンタテインメントからリリースしたほか、さまざまなアーティストに楽曲提供をしている。
2010年7月、スペインで開かれた第5回ムルシア“ニーニョ・リカルド”フラメンコギター国際コンクール(Concurso Internacional de Guitarra Flamenca ‘Niño Ricardo)で、日本人で初めて優勝した。同年9月、毎日放送『情熱大陸』に出演。
ディスコグラフィー
アルバム
ボリビアの朝 Una manana en Bolivia(2002年、自主制作) - 2008年、TONETONE RECORDSより再発。
New day to be seen(2005年、TONETONE RECORDS)
Nacimiento〜誕生〜(2006年、EMIミュージック・ジャパン)
Respeto 〜十指一魂〜(2007年、EMIミュージック・ジャパン)
OKI JIN IN CONCERT 2005(2008年、TONETONE RECORDS)
Al Toque 〜フラメンコの飛翔〜(2010年、ビクターエンタテインメント)
MI CAMINO 〜10年の軌跡〜(2010年、ビクターエンタテインメント)
Concierto 〜魂祭〜(2011年、ビクターエンタテインメント)
映像作品
Con Palmas 〜ライヴ・アット・ブルーノート〜(2011年、ビクターエンタテインメント)
楽曲提供[編集]
「風林火山〜巡礼紀〜」 - NHK大河ドラマ「風林火山」使用曲。
「ONE TIME feat. 一星 & 沖仁」 - SoulJaの楽曲。
「マイ・フェイヴァリット・シングス」 - JR東海CM曲。
「Viajero 〜旅立ちの日〜」「My way 〜Mi camino〜」 - BS-TBS「にっぽん歴史街道」OP、ED。
「My way 〜Mi camino〜」 - BS-TBS「美しい日本に出会う旅」ED。
「La Vida」 - 中森明菜 「Rojo -Tierra-」カップリング。
主なメディア出演
テレビ
『情熱大陸』(毎日放送、2010年9月5日)[5]
『ヨルタモリ』(フジテレビ、2014年10月19日・2015年9月20日) - 2014年は「世界音楽紀行」コーナーで出演
(記事引用)



 

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