2018年02月

イスラエルの軍事費はどこから出ているのか
2009年01月16日 政治ブログ
イスラエル軍のガザ侵攻、国連の停戦決議も無視して継続されているようですが、この戦いは一体いつまで続くのでしょうか。イスラエルは1948年の建国以来、ほぼ途切れることなく60年間闘い続けています。かれらはどうやって戦費を調達しているのでしょうか。イスラエルの軍事費について調べてみました。
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■軍事費の割りに、以外と小さな国イスラエル
イスラエルの軍事費は125億ドルでGDPの9.7%もあります。軍事大国のアメリカでGDP費4.1%、日本は1%、世界平均が2.2%ですから、その突出ぶりは目立ちます。
イスラエルの国は以外と小さなものです。面積は2.2万平方kmで日本の四国程度、人口は約700万人で日本の17分の1。しかし2006年のGDPは1378億ドルで、日本の4400億ドルの約3分の1もあります。イスラエルの産業を支えているのが、ダイヤモンドとIT産業です。

■昔からユダヤ人が独占するダイヤモンド
ダイヤモンドは古くからユダヤ人が独占してきた産業です。ダイヤモンド取引の歴史をまとめたサイトがありましたので要約して引用します。
ダイヤモンド産業とデビアス社

現在もその取引の殆どをユダヤ人系の企業であるデビアス社が支配しています。イスラエルは建国以来、ユダヤ人ネットワークを通じてダイヤモンドの研磨と販売に力を入れてきました。
そして1980年にはダイヤモンドの輸出額が 14億 900万ドルとイスラエルの輸出の4分の1をしめるまでになります。しかし、イスラエルとデビアス社がダイヤモンド市場の覇権を巡って対立することになります。
現在では、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが進んでイスラエルのダイヤモンド産業も以前の活況を呈するようになってきています。

■世界有数のIT産業
次に、近年のイスラエルの産業を支えているのが、IT産業です。紹介記事を抜粋します。
イスラエル、ハイテク産業の強さの秘密を探る!

軍事技術が、イスラエルのハイテク産業に大きな変化をもたらしたことも注目したい。独自で開発した数々の暗号技術や、データ圧縮技術、独特のアルゴリズムの発想などは、軍での経験が生んだといっても過言ではないだろう。
米ソ冷戦以降、旧ソ連からの大量の科学者の移民などの頭脳の流入はすさまじい。それを証拠にIT産業の主要なR&D(研究開発)ディビジョンがほとんどイスラエルに集結してきている。たとえば、ハイファには、マイクロソフト、インテル、IBMが軒を連ね、ヘリツィスでは、サイテックスを古参として、インターネット、マルチメディア関連のスタートアップカンパニーが200社を越える勢いで生息している。あのWindowsNTやペンティアムがこのハイファでデザインされたことはあまり知られていない。
またイスラエル政府が、ハイテク、IT産業を最も重要な輸出産業として捉え、政府みずからベンチャーキャピタル的な投資に積極的である点にも注目したい。

■イスラエル・ロビーと米国の外交政策
ユダヤ人の歴史とユダヤ人の世界的なネットワークを駆使し、そして、国家を挙げて主要な産業を支援することで、小さな国家でありながら高い収益構造を維持しています。しかし、これだけで60年間も戦争を継続できるはずもありません。イスラエルが戦争を続けられる最大の理由はアメリカの支援によるものです。
反ロスチャイルド同盟の資料室:イスラエル・ロビーと米国の外交政策から関連する部分を抜粋します。

1973年の10月戦争以後、米国政府は他国への援助を矮小化させるほどの水準の援助をイスラエルに供与してきた。その総額は2004年のドル換算で1400億ドルを越える。イスラエルは毎年約30億ドルの直接援助を受ける。
多くの軍事目的の被援助国はその全額を米国で支出することを必要とされるが、イスラエルは配分額の約25%を自国の軍需産業への補助金に使うことを許されている。
ユダヤ系米国人は米国の対外政策に影響力を行使するために多数の強力な組織を作り上げた。その中でもアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)が最も強力で有名である。
ユダヤ系住民は全体の3% 未満の人口しかいないのだが、彼らは民主党と共和党の両方の候補者に多額の選挙献金を行う。ワシントンポスト紙は、民主党の大統領候補は選挙資金の60% をユダヤ系の支援者から得ているとかつて推計した。
イスラエルとイスラエル系圧力団体からの圧力は2003年3月のイラク攻撃を決定した唯一の要因ではないが、決定的に重要であった。この戦争は石油のための戦争と信じている米国人もいるが、その主張を支持する直接的な証拠はほとんどない。そうではなく、この戦争はおおかたのところ、イスラエルをより安全にしたいという欲望が動機であった。

■電話一本でアメリカ大統領を動かすイスラエルの首相
イラク攻撃もイスラエルロビーからの圧力でイスラエルのために行ったというのは、少し疑問も感じますが、今回の国連決議をアメリカが棄権したのも、イスラエルの首相が電話をかけた結果だと明言しています。
米の停戦決議賛成、10分前に阻止=ライス長官「恥かく」-イスラエル首相

1月13日19時23分配信
エルサレム13日時事】イスラエルのオルメルト首相は12日、パレスチナ自治区ガザでの即時停戦を求めた8日の国連安保理決議について、採決の10分前にブッシュ米大統領に電話をかけ、賛成しないよう要求していたことを明らかにした。これが奏功し、米国は棄権に回る方針に転換したという。ロイター通信などが伝えた。
 オルメルト首相は「ライス国務長官は自ら作成した決議案を棄権することになり、恥をかくことになった」と語った。

■世界のユダヤ人ネットワークが政治を動かしていることの証明
ユダヤ陰謀論を全くの捏造と考える人もいるようですが、イスラエルが60年間戦争をし続けることが出来るのは、世界に網を張るユダヤ人ネットワークと、そのロビー活動により世界の政界が大きな影響を受けていることの証だといえます。
世の中に流布している陰謀論の中身は捏造が多いかもしれませんが、ユダヤ人の世界的ネットワークが強い意思を持って、世界の政治経済に大きな影響を与えていることは間違いのない事実でしょう。
(記事引用)







ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正
 fujipon 2018年02月08日 10:46琥珀色の戯言
【読書感想】ロケット・ササキ
 佐々木正はシャープの技術担当専務である。カシオ計算機との激しい「電卓戦争」でシャープの陣頭指揮を執り、後に「電子工学の父」とも呼ばれた。電卓は当時、電子工学のあらゆる先端技術が詰め込まれた最先端のハイテク商品だった。
 1964年に早川電機(シャープの前身)が発売した世界初のオールトランジスタ電卓は、重さ25キログラムで価格は53万5000円。机の上を占拠する大きさで、自動車が1台買える値段だった。

 だが激しい開発競争の中で、電卓は劇的に小さく、安くなっていく。それを可能にしたのがLSIだ。軍需産業でしか使われていなかったLSIを「電卓に使う」と決めたのが佐々木である。
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 シャープは1969年に世界初のLSI電卓(9万9800円)を発売した。製品の重さはわずか1.4キログラム。わずか5年で重さは18分の1、価格は5分の1に減った。その後も電卓は進化を続け、1985年にはついに、胸ポケットに入る重さ11グラムのカード電卓(7800円)が発売された。凄まじい技術革新である。

 20年間に及ぶ「電卓戦争」は日本メーカーの独壇場だった。半導体を発明した米国も、電卓を発明した英国も、日本メーカーが仕掛ける激烈な小型・低価格化競争についていけず、続々と脱落した。電卓は日本が外貨を獲得する輸出産業としても、重要な役割を担った。

 今となっては、携帯電話の基本アプリの片隅にひっそりと入っている電卓が、日本のハイテク技術の最前線だった時代があったのです。

 僕も子供のころ、父親が買ってきた「電卓」(いまのiPadくらいの大きさ)に、いろんな数字を入れてみて、本当に複雑な計算が一瞬でできることに驚いた記憶があります。  

 佐々木さんは、京都大学工学部を卒業後、日本軍の施設で「殺人電波」を開発させられていたのです。
 実用化にむけて、人体実験が行われようとしていた直前に日本が降伏したとき、佐々木さんは「科学者として死なずに済んだ」と思ったそうです。

(ちなみに、この「殺人電波」と同じ技術が、のちに「電子レンジ」に応用されています)

 その後、さまざまな実績を築きながら川西機械製作所から神戸工業に移った佐々木さんだったのですが、48歳のときに、神戸工業の業績不振の責任をとる形で、母校の京大で研究者として生きる決心をしました。

 ところが、そこで「技術がわかる幹部」を求めていた早川電機の佐伯勉専務の熱心な誘いを受け、シャープの前身である早川電機へ入社することになったのです。

 あらためて考えてみれば、48歳になっての転身だったわけで、僕なども、まだまだ諦める年齢でもないのかなあ、なんて励まされるところもあるんですよね。  

 早川電機の開発陣は、苦心の末、1台53万5000円の「卓上計算機」をつくりあげます。しかしながら、その時点で、「自分たちの能力やこの会社の資金力では、これ以上は無理だ」と、燃え尽きた状態になっていたのです。

 佐々木と大阪市立大学教授の三戸左内が早川電機に入社したのはそんな時だった。三戸は笹尾の後任の研究室長になり、佐々木は浅田や鷲塚がいる産業機器事業部の事業部長になった。
(助かった)

 浅田は「地獄に仏」の思いで佐々木を迎えた。
 だが佐々木の第一声を聞いた浅田は、途端に不安になった。

 浅田や鷲塚が進めてきた電卓研究の資料を一通り読んだ佐々木は、開口一番、こう言ったのだ。
「浅田君、これ面白いね。この回路はいつかチップになって人間の脳に埋め込まれるかもしれないよ」

(この人は、本当に大丈夫か)
 地黒な浅田の顔が少し青ざめ、丸い目が一段と丸くなった。

(俺たちが死ぬ思いで小型化しても、まだ卓上を占拠している計算機が、たった一つのチップになる? それが人間の頭に入るだと?)
 突拍子もなさすぎて話にならない。宇宙人と話しているようだ。

 だが浅田と鷲塚が佐々木の部屋に入り浸るようになるのに、たいした時間はかからなかった。電卓の開発で何か問題に突き当たると、佐々木は必ず解を与えてくれるのだ。
「ああそれなら、三菱電機に頼みなさい。僕から電話をしておいてあげよう」

「それは(当時、世界最大の電機メーカーだった)RCAに聞くのが早い。向こうが朝になったら電話しよう」
 部屋に入って、課題を相談すると、その場で解決策が飛び出してくる。

 全ては人脈のなせる技だった。ベル研究所のショックレー、ブラッテン、バーディーンから始まったアメリカの人脈は半導体、エレクトロニクス業界全体に及んでいた。RCAの経営陣ともクリスマスカードをやり取りする仲。のちにインテルの経営者となるロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブも友人だった。

 浅田たちが「今まで狭い研究室でひざを突き合わせて悩んできた俺たちは何だったのか」と嫌になるほど、佐々木の見識と人脈は広かった。

「いいかい、君たち。わからなければ聞けばいい。持っていなければ借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」

 佐々木が座右の銘とする「共創」の思想を披歴すると、浅田と鷲塚は「なるほど」と頷いた。浅田たちは尊敬を込め、佐々木のことを「ドクター」と呼ぶようになった。

 なんてカッコいい人なんだ……
 佐々木さんは、優秀な技術者、というだけではなく、その技術を世の中に活かすことを考えていたし、生き馬の目を抜くような技術開発の世界で、その懐の広さで、多くの人に信頼されていたのです。

 佐々木さんはその「人脈」を惜しげもなくシャープのために使っていきました。
 自分にできないことは、できる人の助けを借りればいい、その代わり、逆の立場になったときには、惜しみなくサポートする。

 そんな佐々木さんも、マイクロプロセッサー(MPU)の開発で、インテルの遅れをとってしまったことを、ずっと「痛恨の失敗」として語っておられたそうです。

 ベンチャー企業だったインテルの創業期に、佐々木さんが救いの手を差し伸べたこともあったのに。  

 海外に送るクリスマスカードは5000枚を超え、そのすべてに直筆のメッセージを添えた。

「取締役20人で接待費が年間に2000万円」という質実剛健のシャープにあって、佐々木が使う交際費は群を抜いていた。社長の佐伯をはるかに上回る交際費を、「使いすぎだ」と問題視する役員もいたが、佐伯は「ドクターだけはしゃあない」と目をつぶった。佐々木の人脈によって会社にもたらされる利益もまた桁違いだった。

 本当に「破格の人」だったのだなあ、と。
 そして、当時のシャープの佐伯社長も、「ドクター」の価値と動かし方をよく知っていたのです。

 ただし、佐々木さんに対する評価は、必ずしも好意的なものだけではありません。

 それは1970年のことだった。半導体の開発で行き詰まったサムスン電子の会長、李健熙(イ・ゴンヒ)が佐々木の下を訪れた。
「佐々木さん、助けてください」
 韓国帽を脱いだ李健熙は、プライドをかなぐり捨て、佐々木に半導体の技術指導を求めてきた。その時、佐々木の頭に浮かんだのは、終戦直後、発見したばかりのトランジスタを教えてくれたベル研究所のバーディーンの顔だった。

(日本人だってアメリカに教わってここまで来た。技術は会社のものでも国のものでもない。人類のものだ)
 シャープはサムスンと技術提携し、4ビットマイコンの製造技術を供与した。これがきっかけとなってサムスンの半導体事業は大躍進を遂げ、日本の半導体メーカーは壊滅的な打撃を受けた。サムスンに技術を渡した佐々木を、人々は「国賊」と呼んだ。

 だが佐々木は、自分が間違ったことをしたとは露ほども思っていない。

 たぶん、佐々木さんがその決断をしなくても、誰かが同じことをやっていた、あるいは、いつかは追いつかれていたのではないかとは思うのです。
 佐々木さんは、自分自身の利益のためにやったというよりは、自分の研究者としての信念を貫いたにすぎない。

 しかしながら、これが直接のきっかけになったことは事実ですし、人というのは「そういう時代」という解釈よりも、わかりやすい「犯人」を探してしまうものなのです。

 世界の技術者・研究者が、みんな佐々木さんのような人なら、人類は、もっと先に進めているのではなかろうか。
 でも、現実は、そんなに綺麗なものじゃない。

 世界にとっての正しさは、身内を不幸にするかもしれない。
 そんななかで、君たちは、どう生きるかのか?

 佐々木さんの人生は、読者に、そう問いかけてくるのです。

(記事引用)







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