2018年07月

マイクロソフトはなぜスマホ時代の敗者となったのか、
元アスキー西和彦が語る
ダイヤモンド2018.7.17 
西 和彦:東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクター

 ビル・ゲイツとWindowsを開発、その後、袂を分かって日本に帰国し「アスキー」の社長になった西和彦氏。現在は、東京大学でIoTに関する研究者として活躍している。日本のIT業界を牽引したと言っても過言ではない西氏に、まずはWindowsの開発について語ってもらった。
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自叙伝をまとめて改めて思う
15年刻みで転機迎えた私の人生

 2016年、松の内が明けると同時に、私は、「自叙伝」の執筆を始めた。そんな気になったのは、2月に60歳を迎えることに加え、マイクロソフトのビル・ゲイツと共にMS-DOSやWindowsの開発に没頭した過去のいきさつなどについて、書き残しておくことが重要だと思っていたからだ。そして、パソコンやインターネットの創生期から関わってきた者として、これからの未来についても考えを記しておく責任があると考えていたこともある。

 自伝をまとめてみて改めて確認できたのは、私の人生は「15年刻み」で転機を迎えていることだった。今、62歳だから、結局、私の人生は四つの“時代”で成り立っていたことになる。

 最初の15年は、「電気少年」の時代だ。物心ついた頃から、プラモデルやラジオの製作、アマチュア無線などに夢中になった。身の回りにあるものは、何でも分解して中身を確認しないと気が済まなかったほどだ。初めてコンピュータに触れたのは1972年、16歳の時だった。

 二つ目の15年は、大学在学中にパソコン雑誌(当時はマイコンと呼ばれていた)を創刊したことから始まり、米国では同世代のビル・ゲイツという若者がWindowsの開発を進めていることを知って、その開発に参画すると共に、Windowsベースの日本語版のパソコンOSの開発を進めていた時代だ。大学生から30歳くらいまでの頃だ。

 80年代初頭だったこの頃、私は日本と米国を毎月2往復するような生活を続けていた。今でこそ、海外を飛び回るビジネスマンは当たり前になったが、当時は、海外赴任を命じられたら数年は帰国できないような時代。そんな頃に、日米を頻繁に往復する生活は特異なもので、それだけパソコン革命の胎動に並々ならぬエネルギーを感じていたのだ。

 三つ目の15年は、半導体開発をめぐる方針の違いからビル・ゲイツと袂を分かち、日本に帰国してアスキーの社長に就任した時代だ。株式公開の喜び、バブルの熱狂、そしてリストラの苦しみなど、良くも悪くも会社経営のすべてを体験した時代だ。結果的にアスキーをCSKに売り、私自身もアスキーを去る。それが2002年のことだ。

 四つ目の15年は、教育者、研究者の時代だ。アスキーの仕事から身を退く前から大学で講師をしたり、1999年には博士号を取得したりするなど、研究に目が向き始めていた。アスキーのすべての役職を退いて以降は、マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授に就任したのを皮切りに、祖母が創立した須磨学園(神戸)の学園長と、尚美学園大学の教授を兼務する生活が続いてた。

 2017年には、東京大学工学系研究科の「IoTメディアラボラトリーディレクター」に就任。学部生や院生に「設計工学」や「産業総論」を共同で教える一方、インターネットを軸としたクラウドとIoT、つまり「ポストスマホ」時代のIT技術を研究している。具体的には、16Kカメラやディスプレイ、次世代の光ディスク、次世代FM音源チップの開発などだ。

 と、これまでの人生を振り返ったところで、まず語っておかなければならないのが「Windowsの蹉跌」についてだろう。

スマホにフルスペックWindowsなら
競争の風景は変わっていた
 東大でこうしたテーマに取り組んでいる背景には、ITのパラダイムシフトの中で、マイクロソフトもビルも、そして私自身も「負けた」という意識があるからだ。

 マイクロソフトはWindowsに磨きをかけていく過程で、必然的にCPUやメモリーといったハードウエアの問題に直面した。簡単に言えば、自らが作ったOSを動かすためのハードを自ら用意すべきなのか、それとも他社に委ねるのかという問題だ。
 当時、私はマイクロソフトで、OSの受け皿となるパソコンの開発を担っていたから、必然的に自社開発を主張したのだが、ビル・ゲイツは最終的にハードウエアは他社に委ねることにし、ソフト開発に特化することにした。この戦略によりマイクロソフトは、半導体の景気サイクルに巻き込まれることもなく、ソフト開発で莫大な収益を獲得していく。

 Windowsが果たした偉大な功績は、改めて紹介するまでもないだろう。パソコンは、1992年頃から世に出始め、マイクロソフトが1995年に発売したWindows95を契機に劇的に普及する。また、業務用ソフトとしても発展を続け、ビジネスオペレーションのインフラにもなっていった。

 そんな巨人が、初めてうろたえるほどの衝撃を受けたのが、スマートフォンの登場だった。

 マイクロソフトも、「Windowsモバイル」というスマホを開発した。このOS自体は、「iOS」や「アンドロイド」に決して負けない優れたOSだった。しかし、最大の戦略ミスは、Windowsのフルスペックをスマホに移植しなかったことだ。スマホでWindowsが動く世界、言い換えればWindowsがプラットホームとなるスマホを創らなかった。それが最大の敗因になった。

 スマホでWindowsがフルで動かせたならば、絶対にWindowsが勝者になっていただろう。なぜならば、日常の暮らしや仕事で使っているOSが、そのままスマホというユビキタスなツールでも使えるからだ。

 しかし、マイクロソフトにその発想はなかった。「スマホにはスマホのOSが必要だ」と考えたのだ。フルスペックWindowsのスマホへの移植に挑戦していれば、今の状況は大きく変わっていたはずだ。

 こうしたマイクロソフトの戦略ミスを誘引したのはインテルだ、というのが私の見立てだ。

 皆さんご存じの通り、マイクロソフトとインテルは、“ウィンテル”と呼ばれるコンビで躍進を続けてきた。「卵が先かニワトリが先か」ではないが、Windowsの機能向上にCPUの機能向上が呼応し、CPUの機能向上にWindowsの機能向上が呼応した。

「複雑な作業をとにかく早く」がウィンテルの基本思想だが、スマホにそれほどの機能はいらない。むしろローパワーな機能で十分だった。インテルにとっては“うまみ”がないが、もしマイクロソフトが彼らにローパワーなCPUを作らせていたら、戦いは変わっていただろう。
スティーブ・バルマーの辞任で

スマホ戦略に幕引き
 マイクロソフトのスマホOS戦略は、CEOだったスティーブ・バルマーの実質的な引責辞任という形で幕を閉じる。

 スティーブの辞任については、ちょっとした裏話がある。ビルは、その前からスティーブを辞めさせる時期を模索し続けていたのではないか。その絶好の機会となったのが、スマホOSの覇権をめぐる中でスティーブが手掛けた、ノキアの買収と失敗だった。

 スティーブは、ビルの後を受け2000年にCEOに就任した。当時は、Windowsが覇権をさらに拡大させようとしていたと同時に、静かに“ポストWindows”とでも言うべき新たなITの主役が模索されていた時代でもあった。

 スティーブは、Windowsの覇権拡大については、辣腕営業マンとしての力量をいかんなく発揮していた。しかし後者の、次なるIT世界の主役の模索と開拓については、まったくと言っていいほど成果を出せていなかった。その象徴が、ゲーム用機器「Xbox」への多額投資の決断と挫折だろう。ただスティーブは、自分の失敗でも人のせいにするところがあり、言い方は妙だがなかなか汚点を残さなかった。

 ノキアの買収が持ち上がったときだ。私は「そもそも、失敗するつもりで買ったら犯罪だけど、ノキアを買って失敗してもマイクロソフトが揺らぐことはない。ならば買ったらいいんじゃない」と思った。

 これはあくまでも私の推測だが、このときにビルには、「ノキアを買収してもスマホ分野で勝ち名乗りを上げるのは難しい。だが、ノキア買収に失敗すれば、その責任を取らせる形でスティーブを平和に辞めさせることができる」というシナリがすでにあったのではないだろうか。つまり、ノキアに投じた金は、スティーブ・バルマーを辞めさせるための“工作資金”的な色合いを備えていたと思えて仕方がないのだ。

 寄り道になるが、一つ思い出話を書けば、私はビルがスティーブを雇う現場に立ち会っていた。
1980年夏のことだ。私と妻、そしてビルとその彼女ら6人は、カリブ海でヨットクルーズを楽しんでいた。そこで話題に出たのが、ビルに参謀役をつける時期が来たのではないかということだった。

 私が、「ビルにもそろそろ男の秘書役がいるんじゃないの」と言ったらビルは、「東京に行くと、お偉いさんは皆、運転手つきのクルマに乗っているけれど、あれは贅沢だと思わないか」と反論する。

 そこで、「それは日本の常識であって、今、言っていることは話が違う。女性の秘書はすでにいるけれど、男の秘書は役割が違う。君の分身として動く人物だ。メールを送っても返事が遅いし、電話もつながらない。そんな状態は、今後、ビジネスが拡大していく中で会社のリスクになっていくのではないか」と言った。

 ビルが納得したようなので、「誰かいないか」と聞くと、「スティーブがいい」という話になった。

 スティーブは、ハーバード時代にビルと学生寮で同じ部屋に住んでおり、第2優等で卒業した秀才だった。学校を出た後はP&Gに勤め、当時はMBAを取得するためにスタンフォードの経営大学院に学んでいた。

 カリブ海のヨットから、スティーブに無線経由で電話をかけた。「年俸5万ドルでマイクロソフトに来ないか」。当時の無線電話は、秘話システムなどないから話の内容はダダ漏れだったろう。と言っても、マイクロソフトという会社名など、一般の人はまだ誰も知らない頃のことだから、なんら問題はなかった。

「コンピューターはメディアである」
具現化で決まるIT世界の栄枯盛衰
 
 結局、ビルも私も、パソコンやネット、デジタルメディアの分野ではそれなりの仕事を残せたものの、スマホでは仕事らしい仕事はなにもしていない、いや、できなかった。それは、われわれにとって蹉跌であった。

 だからこそIoTやクラウドでは、結果を残したいと頑張っているのだが、基本的な考えは、初期の頃と何ら変わっていない。「コンピューターはメディアになる」という認識だ。

 私が仲間と『月刊ASCII(アスキー)』を創刊したのは1977年のこと。その創刊号のコラムで、私は「コンピューターはメディアになる」と書いた。その意味するところは、コンピューターはまず数字を扱い、次に文字を扱うようになり、そして写真やグラフィックスを扱うようになる。そこでとりあえずの成熟を迎え、そこからさらにオーディオ編集やビデオ編集などの世界が始まってくるというものだった。
なぜそんな認識を持ったかといえば、私がアマチュア無線をやっていたからだ。無線そのものは、音声や電信での通信を楽しむものだが、実はアマチュアでも電波を利用して音声映像を送受信したり(つまりテレビだ)、テレタイプをやったり、ファックスのような送受信を行うなど「上級者ならではの」楽しみ方があった。

 無線家にとって、コンピューターは通信機に他ならなかったし、ならば通信機と同様に数字や音声、映像などさまざまなメディアを展開できると考えるのはすごく自然な発想だったのだ。

 メディアとは、具体的には「情報を運ぶ」「情報を売る」「情報に広告を載せる」という三つの要因で成立している。従前は、運ぶを郵便や電話が担い、売るを新聞や雑誌が担い、広告を載せることはテレビが担うという形で、事業として成立させてきた。

 それぞれ個別の事業が、IT革命でどんな変容を迫られているかは、次回で詳しく述べてみようと思うが、いずれにしもスマホというツールが、メディアとしてどのような機能を発揮するかについて私は具体的な認識を持たず、技術的にもソフト的にも具体的な関わりを持つことができなかった。これは非常に悔しい。

 15年周期の第4時代である45歳以降は、研究者や教育者として生き、成果物も少なくなかった。マイクロプロセッサー「ネクスジェン686」、日本初のメディアセンター、世界初の64ビットパソコン、日本最速スーパーパソコンクラスターなど、自慢できる成果はあるのが、主流となるスマホに関わっていくものではなかった。

 ネットを軸にしたIoTとクラウドの新しいIT世界は、私が取り組んできたことを存分に活かせる場でもある。コンピューターはメディアとなる、という基本認識をどのように拡張していけるか、また流れに重ねていけるか。それが具体的にどのような形で展開されるか。次回は、その展開のアイデアについて既存メディアの変容などを踏まえつつ述べてみたいと思う。

*次回は7月30日(月)公開予定です。

(記事引用)


「ジョブズの再来」ともてはやされた女性起業家の虚構を暴く あのマードックも騙された   - 森川聡一 
WEDGE Infinity2018年07月13日 15:38
実用化できていなかった技術
 名門スタンフォード大学を中退し19歳の若さで血液検査ベンチャー、セラノスを起業したエリザベス・ホームズは、大学の教授や大物政治家、有名ベンチャーキャピタリスト、大企業トップたちを次々と味方につける。若くて美貌と知性を兼ね備えたエリザベスは、アップルのスティーブ・ジョブズの再来ともてはやされ、テレビや雑誌などマスメディアがこぞってとりあげスターダムにのしあがる。

 しかし、一滴の血液からいろんな検査をするという肝心の新技術は実はエリザベスの夢に過ぎず実用化できていなかった。世界を変える革新的なスタートアップとしてセラノスと、そのCEOであるエリザベスを世間がもてはやすなか、2015年10月にその虚像を暴くスクープ記事を掲載したのが米経済紙ウォールストリート・ジャーナルだった。その調査報道を手掛けた同紙の記者が上梓したのが本書だ。

 セラノス側は資金力を盾に全米ナンバーワンの弁護士を雇い、取材を続けるウォール紙に圧力をかけると同時に、記者の取材に応じているらしい元従業員らにも脅迫まがいの手法を使い口を封じようとする。しかし、ウォール紙が報道した後、セラノスは当局から血液検査業務の免許を取り消された。2018年3月には、アメリカのSEC(証券取引委員会)から、投資家をだましたとして提訴された。さらに、同年6月には検察当局がエリザベス・ホームズらを刑事訴追した。
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 アメリカ経済の革新性の象徴であるシリコンバレーで発生した詐欺事件で、世間を騒がせただけに、硬派の内容ながら本書は6月10日付のニューヨーク・タイムズ紙の週刊ベストセラーリスト(単行本ノンフィクション部門)で10位で初登場した。ランクイン4週目となった7月15日付リストでも8位につけた。いまや、多くの日本企業もイノベーションの種をもとめてシリコンバレーのスタートアップへお金を投じている。うますぎる話に騙されないよう、日本の経営者やビジネスパーソンたちこそ本書を手にとるべきかもしれない。


『Bad Blood』 (John Carreyrou,Knopf

各界の大物を味方につけたエリザベス
 セラノスを創業して間もなく、CEOのエリザベス・ホームズは600万ドルの資金調達に成功する。最初に、世界的に有名なベンチャー・キャピタリストであるティム・ドレイパーから1000万ドルの出資をとりつけたことが追い風となった。人脈や口コミを重視するシリコンバレーでは、有名な投資家を引き込むことで会社にはくがつく。ところが、エリザベスは幼いころドレイパーと家が近所で、その娘と友達だった縁を利用しただけだった。

 エリザベスはさらに、ドナルド・ルーカスという古参のベンチャー・キャピタリストからも出資を仰ぎ取締役にも就任してもらう。エリザベスは父親が政府系機関で働いていたときの人脈もたどり、元国務長官のジョージ・シュルツやヘンリー・キッシンジャー、今ではトランプ政権で国防長官を務めるジェームズ・マチスまで、セラノスの取締役会のメンバーに据える。ほかにも、大手銀行の元CEOや元国防長官のウィリアム・ペリーといった政財界の大物たちがセラノスの取締役に就いた。いずれも高齢で社会的な名声を確立した大物で、バイオテクノロジーの専門知識はない。才気あふれる若き美貌のCEOの魅力にほだされたといったところだろう。

 大手ドラッグストアのウォルグリーンのCEOら大手企業の経営者もエリザベスを崇拝し業務提携のために多額の資金を投じる。ウォルグリーンの社内では、話題先行で実証データを示さないセラノスの対応に疑問を持ち提携に反対する声も出た。しかし、経営トップがエリザベスを気に入り慎重論に耳を全く傾けなかったという。

 各界の大物を取り巻きとして味方につけながら、エリザベスの野望だけは大きくなる。起業家として成功することを夢見てきたエリザベスは当然ながら、スティーブ・ジョブズを崇拝しており、自身も黒のタートルネックを日ごろ着るようになりジョブズの真似をすることが多くなった。2011年11月にジョブズがなくなった直後のエリザベスの言動に関する、セラノスの従業員グレッグの次の証言は滑稽であると同時に、そうした単純な思考のCEOが率いるスタートアップが多額の資金を集めた現実に唖然とさせられる。

 A month or two after Jobs’s death, some of Greg’s colleagues in the engineering department began to notice that Elizabeth was borrowing behaviors and management techniques described in Walter Isaacson’s biography of the late Apple founder. They were all reading the book too and could pinpoint which chapter she was on based on which period of Jobs’s career she was impersonating.

 「ジョブズの死後、一カ月か二カ月たった後、グレッグのエンジニアリング部門の同僚たちは気づき始めた。エリザベスが、ウォルター・アイザックソンの手によるアップル創業者の伝記に書かれている行動や経営手法を借りていることを。みなも同じその本を読んでいたので、エリザベスが真似しているのがジョブズのキャリアのどの時期のもので、本のどの章に出ていたかをピンポイントで分かった」

 自らをジョブズの再来と信じるエリザベスの独善的な振る舞いを助長し、反対意見を許さない企業文化の醸成に一役買ったのが、セラノスのナンバー2だった通称サニーで知られる元起業家の男だった。エリザベスより20歳以上も年上にもかかわらずサニーはエリザベスと恋愛関係にあったという。

 サニーは徹夜してでも働くことを従業員たちに求め、監視カメラで社員の出社や退社時刻を監視した。社員のメールでのやり取りにも目を光らせ、会社に対して批判的なことを言う人物は次々に解雇した。辞める人間には会社の内情を洩らさないよう守秘義務契約に改めて署名することを求め秘密主義を徹底した。

 一滴の血液だけでは実際には正確に検査できないことを訴えてきた誠実な社員たちも退職を余儀なくされていく。エリザベスが新技術を開発したと対外的に喧伝していたのとは裏腹に、開発中の製品では基礎的な血液検査もできず、セラノスはシーメンスなど他のメーカーの血液検査装置を使って検査をしていた。しかも、十分な検査体制を整備せず間違いだらけの検査結果を利用者たちに伝えていた。
 たった一滴の血液だけで病気を検査する、という自分たちのビジョンを信じるあまり、それを否定する人たちの意見を全く寄せ付けなかった。自分たちのことをイノベーションで世界を変えるカリスマ経営者だと信じこんでいたのだろうか。もちろん、真に革新的なことを成し遂げるにはそれなりの信念がいるだろう。それでも、次の指摘のように現実と夢の区別がつかないようではまさに喜劇だ。

 Part of the problem was that Elizabeth and Sunny seemed unable, or unwilling, to distinguish between a prototype and a finished product.

 「問題のひとつは、エリザベスとサニーは、試作品と完成品の違いを理解できない、あるいは理解しようとしないことだった」

脚光を浴びることで崩壊が速まった
 シリコンバレーでは、これまでは夢でしかなかったことをテクノロジーの力で実現するというサクセストリーには事欠かない。その神話の磁力から逃れるのはなかなか難しい。スーパーマーケット・チェーンのセーフウェイもセラノスの虚像に取りつかれた大企業のひとつだった。店舗の一部を改装して顧客が気軽に血液検査を受けるコーナーを開設し、セラノスの製品を使う業務提携を結んでいた。計画は遅れに遅れ、セラノスとの提携を主導したセーフウェイのCEOは業績低迷の責任をとってついに退任させられる。それでも、セーフウェイは提携解消には消極的だったという。

 What if the Theranos technology did turn out to be game-changing? It might spend the next decade regretting passing up on it. The fear of missing out was a powerful deterrent.

 「もし、セラノスのテクノロジーが本当に物凄いものだとなったら、どうなる? セーフウェイは今後10年、それを見過ごしたことを後悔することになりかねない。チャンスを見逃すことになるかもしれないという恐れが、決断を鈍らせる大きな障害となった」

 シリコンバレーのスタートアップへの投資は、いま目の前にあるものへの投資ではなく、未来に大きな革新を起こすというまさに期待への投資だ。今の時点で具体的な成果がなくても、5年後、10年後に業界そのものの構造を変えてしまうイノベーションの芽があるかもしれない。だから、日本の企業も多額の資金をベンチャー企業に投じ始めている。将来への期待値が投資判断に影響するだけに目利きするのはかなり難しい。ましてや、セラノスのように、有名な投資家が株主に名を連ね、おまけに政財界の大物たちが取締役会にも名を連ねている場合、簡単に騙されてしまう経営者が出るのは想像に難くない。 

 セラノスがマスメディアで名声を築く過程では、セラノスの取締役だった元国務長官のジョージ・シュルツの果した役割が大きかった。シュルツは90歳を超える高齢にもかかわらず保守派の論客として一目おかれており、ウォールストリート・ジャーナルの論説委員会と太いパイプをもっていた。そのおかげで、ウォール紙にセラノスCEOであるエリザベス・ホームズのインタビュー記事が大きく掲載される。これがきっかけとなり2014年6月に、経済雑誌フォーチュンがエリザベスをカバーストーリーで取り上げ、エリザベスは一気に時代の寵児となる。新聞や雑誌などさまざまな媒体が競ってエリザベスを持ち上げテレビ出演も相次いだ。

 世間で脚光を浴びたことが逆に、セラノスの崩壊を速めたのは皮肉だ。いろいろな記事やインタビューのなかで、エリザベスが自社の技術の素晴らしさを訴える一方で、実証データや学術論文での裏付けなどが一切ないことに疑問を持つ専門家が出てきたのだ。そして、ウォールストリート・ジャーナルの記者である本書の筆者が本格的な調査へと乗り出す。元従業員やセラノスの血液検査サービスを利用して誤った検査結果で迷惑した開業医や患者たちに取材を重ね、セラノスの虚構をあばく記事を15年秋に報じるにいたる。重要な内部情報を記者に提供した元従業員の一人が実は、セラノスの取締役を務めるジョージ・シュルツの孫だったというのも驚きだ。

 記者が真相に迫るにつれて、セラノスの大物弁護士からの取材源への干渉も目立ち始める。大物弁護士はセラノスの株式を報酬として受け取っておりセラノスを守ることに必死だ。なんとか記事の掲載を止めようとするセラノスの弁護士がウォール紙のオフィスに来訪し、記者や編集幹部らと長時間の押し問答をするなど、報道にいたるまでの手に汗握る展開も読ませる。

調査報道を大切にするアメリカの新聞社
 なお、前述の通り、主要メディアのなかで最初に大きくセラノスのことを好意的に取り上げたのはウォール紙そのものだった。最初の記事は論説委員会が扱ったものとはいえ、同じ新聞の別の記者がセラノスの虚構を暴く記事を書くことにウォール紙の社内では何も問題はなかったのだろうか。本書の筆者は次のように書き、その疑問に答えてくれている。

 I thought: my newspaper had played a role in Holmes's meteoric rise by being the first mainstream media organization to publicize her supposed achievements. It made for an awkward situation, but I wasn’t too worried about it. There was a firewall between the Journal’s editorial and newsroom staffs. If it turned out that I found some skeletons in Holmes’s closet, it wouldn’t be the first time the two sides of the paper had contradicted each other.

 「わたしは考えた。自分の新聞は、主要メディアのなかで最初にエリザベスの偉業を報じ、彼女を一気にスターダムにおしあげるのに一役買った。やっかいな状況ではあったが、わたしはその点について悩まなかった、ウォールストリート・ジャーナルの論説委員会と報道記者の間にはファイアーウォールがある。もし、自分がエリザベスのクローゼットのなかで骸骨を発見したとしても、ウォール紙の論説委員会と報道記者の見解が相違するのは初めてのことではない」

 つまり、調査報道に従事するニュース記者の独立性が守られているわけだ。実際、不幸にしてセラノスを好意的に最初に報じたウォール紙が、手のひらを返して批判記事を掲載した事実が、調査報道を大切にするアメリカの新聞社の姿勢を如実に物語る。

 そしてもうひとつ、報道の独立性めぐるエピソードを本書は明かす。ウォールストリート・ジャーナルの親会社ニューズ・コーポレーションを率いるルパート・マードックも実は、セラノスに対し個人で100億円を超える出資をしていたのだ。本書の筆者がちょうど取材を進めている最中にセラノスは新たな資金調達を進めており、知人から紹介されてエリザベスと知り合ったマードックは何も調べずにセラノスの株式を購入したのだ。

 ウォール紙の記者はマードック個人がセラノスに出資したことを知らなかった。しかも、エリザベスはマードックに何回か接触し、ウォール紙に調査報道の記事が出ないようにしてくれと頼んだ。しかし、マードックは報道には介入しないと繰り返し答えたという。メディア王として毀誉褒貶のあるマードックだが、報道の独立性を守るその姿勢には感銘した。

 さて、ウォール紙の報道をきっかけに、凋落の道をたどったセラノスの株式をマードックはどう処分したのか。エリザベスらを相手取り訴訟を起こす投資家が多くいたなか、マードックの対応は一味違った。

 One notable exception was Rupert Murdoch. The media mogul sold his stock back to Theranos for one dollar so he could claim a big tax write-off on his other earnings. With a fortune estimated at $12 billion, Murdoch could afford to lose more than $100 million on a bad investment.

 「注目すべき例外のひとつがルパート・マードックだった。メディア王は持ち株をセラノスに1ドルで売却することで、多額の損失を税務上の損金として他の収入と相殺できた。個人資産が推定で120億ドルにのぼるマードックだからこそ、1億ドルを超える投資損失にびくともしないのだった」

 シリコンバレー神話の危うさと、アメリカのジャーナリズムの健在ぶりを示す好著である。スタートアップ投資に熱をあげる日本の経営者にはぜひ読んでほしい。

(記事引用)






EVにまつわる数々の「うそ」 既存産業が保身のため拡散
フォーブス ジャパン2018年07月05日 11:30
石油業界と自動車業界では、電気自動車(EV)に関する誤った情報を流布する試みが露骨さを増している。その目的は、地球環境や人々に害を及ぼすとの認識が日々高まるビジネスモデルを守ることだ。この問題については、英紙ガーディアンや米CNBCテレビなどが報じている。
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こうした偽情報の中には、EVは従来型自動車よりも大きな汚染源であるとするものがあるが、この説はこれまで再三に渡り否定されてきた。多くの州や国では持続可能な発電への切り替えが進んでいる。仮に化石燃料から発電する場合でも、EVの使用によって都市部の大気汚染は大幅に改善できる。

ほかの虚偽情報としては、交通手段は真の問題ではなく、汚染の実際の原因は暖房や産業だとする主張がある。だが実際には、乗用車やトラックの排ガスは二酸化炭素排出量の3分の1以上を占めている。そのうちの多くが、私たちが住み働く場所で排出されており、排出量を少しでも減らせれば私たちの生活改善につながるだろう。

また、EVは高過ぎるとか、航続距離に不安が残るといった声もある。だが、EVの航続距離は伸び続けており、既に化石燃料車の航続距離に近づいたり、さらにはそれを超えていたりする場合もある。メルセデスによると、同社の次世代EVの航続距離は500kmに到達した。さらにテスラは、次世代ロードスターなどで約1000kmの航続距離を実現する予定だという。これらEVは一般向けではないかもしれないが、このトレンドは明らかだ。バッテリー性能の飛躍に伴い、EVの走行距離は伸びる一方なのだ。

バッテリーもまた、偽情報の標的となっている。バッテリーはリサイクル不可能な希少鉱物がなければ製造できない、という主張だ。まず、バッテリーはリサイクル可能だ。バッテリーの材料は完全に再利用可能であり、さらに一般的な認識とは異なり、使用や時間経過によって劣化はしない。厳密な研究の結果、バッテリーの劣化率は3万km毎に約1%と、内燃機関よりもかなり効率が良いことが示されている。

全てのEVを充電するのには発電能力が不足している、との偽情報を広め、恐怖を煽る者もいる。英国では、国内のエネルギー供給事業者団体によりこの主張が既に否定されている。同団体によると、メンバーとなっている事業者らは今後数年間に生産されるEV数百万台分を超える電力を供給できる見通しだという。

メンテナンス性はどうだろう。従来の内燃エンジンは、潤滑油や定期交換が必要な1万個以上の可動部品でできている。マイカー持ちなら誰しもが知るとおり、部品の交換は非常に高くつく。一方、一般的なEVの可動部品の数は18で、劣化率は低く、内燃エンジンと比べメンテナンスの必要性も圧倒的に少ない。

私たちは、ハイブリッド車を完全に飛び越え、EVへの移行を迅速かつ効率的に進める必要がある(ハイブリッド車は非効率的であり、その唯一の目的は、今すぐにでも販売が禁止されるべきである時代遅れのテクノロジーとなった内燃エンジンの延命だ)。これから自動車の購入を検討している人は、ディーゼル車、ガソリン車、ハイブリッド車は忘れ、EVを選ぶべきだ。

スペインなどの国々では、自動車業界が今も”技術中立性”という虚構に基づく主張を持ち出しているが、その実態は中立的なものとは到底言えない。実際は極めて長い移行期間を作り出すことにより、既に倫理的にも企業の社会的責任の面からもすべての限界を超えている旧来の産業を守ろうとしているだけだ。

交通の未来については、うわさや半分だけの真実、あからさまなうそではなく、事実に基づいた議論をしようではないか。

EV(電気自動車)は本当にエコカーか
大西宏 2017年12月11日 11:50
世界各国がEV(電気自動車)ポピュリズムとでも言うのでしょうか、遅れてはならじと、つぎつぎに、ガソリン車やディーゼル車を規制し、EVへ切り替える政策が発表されてきています。ドイツはディーゼル車の排ガス不正で次世代の自動車市場をリードする技術を失ったためにEVで再び技術優位を生みだそうという思惑、中国は、ガソリン車やディーゼル車では、とうていドイツや日本には追いつけないため、EVにシフトし、国内産業に競争力をもたせようという思惑などもからみ、なにかEVは国策合戦の様相を帯びてきました。

(記事冒頭引用)














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