挑戦者植村直己スピリット 
 冒険家・植村直己の業績を伝える、東京都板橋区の植村冒険館。その収蔵庫に1本の腕時計が眠っている。1974~76年、植村が北極圏1万2000キロを犬ぞりで単独走破したときに携行した、セイコーのダイバーズウオッチだ。ケースやバンドの表面についた無数のキズが、冒険の厳しさを物語っている。
 
画像1978年、北極点犬ぞり単独行の時の様子。北極点到達を果たし、野営地で喜びのポーズ。
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氷河を見たい。そんな思いを胸に、片道切符を握りしめてアメリカ行きの移民船に乗り込んだのが23歳。それから冬のマッキンリーで消息を絶つ43歳までの20年間を、植村は冒険に費やした。未踏峰ゴジュンバ・カンの初登頂、日本人初のエベレスト登頂、世界初の五大陸最高峰登頂。北極圏1万2000キロの旅を成功させた翌々年には、世界で初めて、犬ぞり単独行者として北極点に立つ。同年、やはり世界初となるグリーンランド3000キロ縦断をも成功させた。

 植村を突き動かしたのは、新しいことをしてみたいという、純粋なチャレンジ精神だ。“自分の冒険は未知なものへの挑戦、人間の可能性への挑戦ではなかろうか” “1つの夢が終わると、すぐに次の夢が呼び起こされる。自分の気持ちは常に新鮮だ” “私にとって終わりは始まりだ”。そんな文章を残している。※

 時に凍傷にかかり、時に飢えに苦しみ、時に涙を流しながら、未知なる世界を求めて進み続けた。その真っ直ぐな歩みは、消息を絶って35年を経た今も、多くの人をとらえて離さない。

 植村は、記録魔だったという。時刻に関しても、何時に出発し何時に休憩を取ったのか、著書の随所に見ることができる。それは登山家の習い性だったかもしれない。しかし、たった1人で極限の道を進む植村にとって、一刻一刻を記録することは、生命を記録することに等しい。そうしてみると、過酷な環境下でも正確に時を告げるダイバーズウオッチは、冒険の証人であり、頼もしいパートナーであったといえそうだ。

自分の中の植村スピリットを解き放つ
 植村のどんなところに魅かれるのか、植村冒険館の来場者に尋ねると、さまざまな答えが返ってくるという。登山家としての偉業、常人を超えた発想や行動力への憧れ、垣間見える温かい人柄への親しみ…。小柄な体型に勇気づけられると話す人もいるそうだ。

 それぞれ違う魅力が語られるのは、一人ひとりが自分の人生や冒険心を植村に投影していることの表れだろう。人はみな、自分にとっての冒険があるのだ。

  山へ、海へ、荒野へ。タフな時計を相棒に、自分なりのゴールを目指して踏み出してみてはどうだろう。かつて植村がそうであったように、世界の新鮮な表情を発見することができるはずだ。

※ 自著「青春を山に賭けて」「北極圏一万二千キロ」
(文春文庫)より引用、編集


https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/19/061700052/
ドローンで撮影した世界最高峰エベレスト。26枚の写真をつないだ360度パノラマ写真は下をご覧ください。(PHOTOGRAPH BY RENAN OZTURK)
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(記事引用)







鈴木紀夫と小野田寛郎
小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~.
2018年3月25日(日) 午後10時00分(90分). 第44回放送文化基金賞 テレビエンターテインメント番組 奨励賞/第34回ATP賞テレビグランプリ 情報・バラエティ部門 奨励賞 受賞.

戦後29年もの間、フィリピンのジャングルに身を潜めた小野田元少尉。彼を日本に連れ戻したのは、たった一人の若者だった!その若者の名は鈴木紀夫。冒険家を目指した紀夫はその後、ヒマラヤで雪男発見に没頭し、雪崩に遭い、37歳で生涯を閉じる。70~80年代、経済成長する日本社会に背を向け、なぜこのような生き方を選んだのか。小野田や雪男捜索の初公開資料を交え、男たちの生きざまをドラマとドキュメントで描く。

鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 - 1986年(昭和61年)11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。習志野市立習志野高等学校卒業。法政大学経済学部二部中退。
(記事引用)