もっとも危険な「神の声」という錯覚

    やはりそれは安易に使うべきではないとおもう

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    障がい者施設襲撃容疑者の「神の声」はどこから来たのか
    千田有紀  | 武蔵大学社会学部教授(社会学)
    2016年7月28日 8時45分配信yahoo.co
    相模原市障がい者施設が襲撃され、多くの方が亡くなられた事件があった。多くのひとが憤りを示している。「ヘイトクライム」、憎悪犯罪である。特定の民族や宗教、性別などの集団に対する攻撃のターゲットは、今回は障がい者だった。しかし事件の全貌が明らかになるにつれ、さらにやりきれない思いに沈むようになった。

    大学時代の友人は、教員をめざしていた容疑者が、「2年生の時に障がい者施設に教育実習に行った後、『障がい者なんて死ねばいい』『(障がい者が)生きている意味が分かんない』と発言していた」という(植松聖「十分刑事責任問える」文章に乱れなく主張明瞭な衆議院議長あて手紙)。田中眞紀子議員らが提出した議員立法により、1998年から教育職員免許状取得者に、介護等の体験が義務化された。容疑者の障がい者への憎悪の始まりが、本来「人の心の痛みのわかる教員、各人の価値観の相違を認められる心を持った教員の実現に資すること」を目的とした制度によってだったことを考えると、皮肉としかいいようがない。

    容疑者は友人に「生まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障がい者は果たして人間なのでしょうか?」「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)というLINEを送っているという(LINEで友人に“障害者は人間ではない”)。

    多くの人は、元都知事が府中療育センターの視察に際に、「ああいう人ってのは人格あるのかね」、「みなさんどう思うかなと思って」、「僕は結論を出していない」、「ああいう問題って 安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」と発言したことを思い出したようだ(「ああいう人たちに人格あるのかね 」1999年9月18日『朝日新聞』)。強い抗議を受けた。石原慎太郎氏の名誉のために付け加えれば、「自分の文学の問題にふれてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた」とも発言しており、単なる差別を意図した発言ではなかったとは理解している。ただその後「ああいう人ってのは人格あるのかね」という発言は、一人歩きして差別の正当化に使われていった(少なくとも、私は何度も耳にしている)。

    障がい者施設の園長は「(利用者は)死んだほうがいい」というような容疑者の発言に対して、「その考え方は、ドイツ・ナチスの考え方と同じだよ」ということを言ったら、「そういうふうに捉えられても構わない」といような反応をしたという(障害者施設襲撃 男、障害者にいたずら書き「軽い気持ちで...」)。ナチス・ドイツではユダヤ人に対するホロコースト、大量殺戮が知られているが、実はそれだけではない。優生主義思想に基づく安楽死政策では、「生きるに値しない生命」とされた障がい者や重病者が、同性愛者やロマなどとともに、犠牲になっている。優秀な民族をつくるという「全体」の理想のために、「個人」は切り捨てられるべきだと考えられたのである。ユダヤ人へのホロコーストは、むしろ障がい者の安楽死計画である「T4作戦」の延長上に出てきたと考えることすらできる。

    しかしこれはナチス・ドイツに留まる考え方ではない。日本でも、優生思想に基づいて、障がいや病気をもつひとに対する断種、強制的な不妊手術は、戦前から行われてきている。実際には遺伝病ではないハンセン病(らい病)のひとは戦後になっても隔離され、1948年に制定された「優生保護法」の対象となり、戦後も不妊手術や人口妊娠中絶を強制されてきた。らい予防法が廃止されたのは、なんと1996年になってからである。女性の障がい者に対する子宮の摘出の問題もある。

    容疑者は、「神からお告げがあった」といっているという(首狙う残虐な手口 身守れぬ弱者襲う(その1)『毎日新聞』)。そのうえで、「障害者はいらない」「税金の無駄」ともいい、「日本国と世界の為」(衆院議長宛て手紙 全文『毎日新聞』)の犯行だともうそぶく。犯行後には「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」というツイートもしている(「beautiful Japan!!!!!!」 背中に般若の入れ墨画像 事件当日「世界が平和に」植松容疑者とみられるツイート)。

    容疑者のいう神のお告げは、どこからきたのだろうか。「税金の無駄」という言葉にドキリとする。近年の小さな政府をめざし、福祉の切り捨てを推進するなかで、さんざん目にしてきた言葉ではないだろうか。弱者が足手まといであり、弱者への福祉が、全体の福祉のためになっていないという考え方は、たんなる容疑者の妄想なのだろうか。私たちは、容疑者が異常なだけだと考え、非難したくなる。しかしひょっとして「彼」の問題は、「私たち」社会の問題なのではないのか。

    障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

    出典:植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告
    正しいかどうかは別にして、彼は車イスに一生縛られている利用者を、少なくとも「気の毒」だとは感じていた。また、「遺族の方には謝罪したい」(障害者施設襲撃 逮捕の26歳男「遺族の方には謝罪したい」)「職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します」という。しかし殺害した障がい者のかたがたへは、謝罪をしない。

    彼はどこを間違ったのだろうか。私たちが「彼」にならないためには、何をすればいいのだろうか。容疑者を非難するだけでは終わらない、大きな問題を突きつけられているのではないだろうか。

    千田有紀
    武蔵大学社会学部教授(社会学)
    1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数
    (記事引用)

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    小保方晴子さんの「罠」 私たちはなぜ彼女に魅了されるのか
    千田有紀  | 武蔵大学社会学部教授(社会学)
    2016年3月4日 7時40分配信
    小保方晴子さんの書いた手記『あの日』が、26万部超えだそうである。単純に電卓をはじいて、印税が3600万円以上だと類推してしまった自分はゲスい。しかしなぜここまで皆が小保方さんに魅了されるのかという疑問を抑えきれない。

    近年は、罪を犯したひとが出版して印税を得ることに対して、世間の風当たりは驚くほど強い。小保方さんの本は、研究費で購入して読んだ(*1)。本のなかには、恨みや悲しみは綴られていても、反省の念はまったくといって出てこない。もちろん、事件に至った真相も、まったく解明されていない。「反省の念がない」「犯罪者が印税を得るな」「そもそも出版するな」と叫ばれた手記への反応と較べると、首をかしげたくなるような違いである。
    (記事冒頭引用)

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