角栄側近・石井一氏が語る ロッキード事件真相と政治腐敗
公開日:2020/02/24 06:00 更新日:2020/02/24 06:00日刊ゲンダイDIGITAL
 田中角栄元首相の側近の一人として、間近で見てきた“ロッキード事件の真相”をつづった著書「冤罪」が今年1月に文庫化。昨年末には自公連立の病理を解説した「つくられた最長政権」を上梓し、ともにベストセラーになっている。自民党時代は「田中軍団の青年将校」と呼ばれ、選挙制度改革に消極的な宮沢内閣への不信任決議案に賛成して93年に離党。その後は民主党政権でも党筆頭副代表を務めた政界の重鎮が、いま語っておきたいこととは――。
――「冤罪」の文庫化にあたり加筆された巻頭文では、ロッキード事件の本質を「問題の焦点を軍用機のP3Cから民間旅客機トライスターに、主犯を中曽根康弘から田中角栄に置き換えたフィクションのストーリー」と断じていますね。
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 昨年11月に中曽根元首相が亡くなりましたが、訃報は称賛一色で、大手マスコミは彼の功績だけに光を当てた。戦後最大の疑獄である「ロッキード事件」で中曽根が犯した“罪”に触れた報道は皆無でした。このままでは、あの事件の真相が歴史の闇に葬られてしまう。そうした違和感、焦燥感から、文庫版の巻頭に「中曽根の犯罪」を明確に示すことを決意したのです。単行本を著した2016年はまだ中曽根氏が存命で、そこまでハッキリとは記述しませんでしたからね。
ロッキードから日本の代理人である児玉誉士夫には、20億円以上の工作資金が渡されたことが分かっていますが、資金の行方は解明されていない。大半はP3C売り込みの工作金に使われたのでしょう。当時、児玉と近かったのは中曽根です。オヤジはたいして親しくなかった。70年の第3次佐藤内閣で防衛庁長官だった中曽根は、対潜哨戒機の国産化を目指していたが、ロッキードからP3Cを買うと翻意したのは72年のことです。21機で1050億円のトライスターと、45機で3500億円のP3Cでは、動くカネの量が違います。
 ――濡れ衣だとしても首相経験者の逮捕は、よほどの確証がないとできないのでは?
 自主独立の資源外交を展開し、米国に先んじて日中国交正常化に動いたオヤジを「デンジャラスジャップ」と呼んで毛嫌いしていたキッシンジャー米国務長官の“田中潰し”や、金権批判でオヤジを追い込んだ三木武夫が76年当時に総理の椅子に座っていたこと、その三木内閣で中曽根が幹事長を務めていたことなど、さまざまな思惑が重なって引き起こされた冤罪事件だという確信を持っています。防衛汚職となれば日米安保体制を根本から揺るがす大事件になるため問題化できず、オヤジがスケープゴートにされた。
――そういう確信を持つにいたった根拠は?
 事件の詳細な背景は本に著しましたが、オヤジ本人から聞いた忘れられない言葉もあります。1審の有罪判決後、「田中判決解散」といわれた83年の総選挙で落選し消沈していた私に、越後の郷土料理をふるまってくれた時のことです。東京・目白にあったオヤジの本宅の茶の間で、食事をしながら2人で語り合い、事件のことや、中曽根ら「灰色高官」と呼ばれた議員のことなどを話題にした後、さらりと、しかし意味深長にオヤジがこう言った。「P3Cのことは墓場まで持って行く」と。その言葉には、同じ1918年生まれで47年初当選同期組でもあった中曽根に対する男の友情を感じたし、自分は事件と無関係だから真実が必ず明らかになるというオヤジの信念もひしひしと伝わってきました。
――76年に逮捕されてから、93年の逝去による公訴棄却まで実に17年間。文字通り、墓場まで秘密を持って行ったと。


 事件の底流には政治的意図があり、その意図に沿って検察が動く。検察が作り上げたストーリーをマスコミが喧伝し、大悪党に仕立て上げられてしまう。それは私自身、09年の「郵便不正事件」で冤罪に巻き込まれかけたので、よく分かります。オヤジはまず外為法違反で逮捕された。別件逮捕もいいところです。そして、米国の関係者に罪を問わない「嘱託尋問調書」という司法取引で得た証言が裁判の証拠に採用された。この調書は違法収集証拠だとして、オヤジの死後にこっそり証拠から排除されています。だったら有罪判決自体が無効ではないのか。とにかく、ロッキードの捜査と裁判は不可解なことだらけです。

 ――検察は決して正義の味方ではない。安倍政権は今般、検察庁法の規定をねじ曲げ、「定年延長」という荒業まで使って検察人事に介入したと批判されていますが……。
人事権を振りかざし、公文書改ざんにも手を染める長期政権の驕りというのか、政治の劣化は目に余る。内政にしても外交にしても、後の世に語り継がれるような大きな成果のないまま、圧倒的議席数で歴代最長政権が続いている理由のひとつが、選挙制度の問題です。


 ――著書「つくられた最長政権」では、自公連立が政治劣化の原因だと指摘していますね。

 99年に自公連立政権が誕生して以来、創価学会を母体とする公明党は政権を目指さず、自民党を下支えすることに徹している。自力では小選挙区で勝てない公明党も、学会票で野党候補を落選させる力はある。各選挙区で最初から2万~3万票のゲタを履かせてもらえば、そりゃあ自民党候補はラクですよ。しかし、宗教団体がこれほど政権に関与することに問題はないのか。「小選挙区は自民党、比例は公明党」で権力を維持する不気味な体制を自民一党支配の「55年体制」になぞらえ、私は「99年体制」と呼んでいます。
 ――政権交代の実現性を高めて政治に緊張感を持たせるための選挙制度改革が、かえって政治腐敗を招いたとは皮肉です。

 正直に言って、今日のような事態になることは想定していませんでした。水と油の自公が手を組むなんて、それほどの野合は誰も想像できなかった。私は90年代に自民党の政治改革本部の選挙制度部会長を務めて、議員立法の提案者として政治改革関連4法案を成立させた。羽田内閣では自治大臣として小選挙区の区割り画定を統括しました。まさに現行制度を生み出した張本人ですから、そこは責任を痛感しています。自公連立による政治の劣化を招いた「戦犯」と言えるかもしれません。
小選挙区が政治劣化を招いた責任を痛感
 ――最近は小選挙区制の弊害が問題視され、中選挙区制に戻すべきだという声もありますが。


 それは現実的ではないですね。中選挙区制にも良い面はありましたが、昔は「5当4落」といって、4億円で落選し、5億円使えば当選するといわれたものです。金権政治と派閥間の同士打ちを再び招くわけにはいきません。それに、小選挙区制で当選し、圧倒的多数を持つ与党政治家が、自分たちに不利なように制度を変えようとは思わんでしょう。完璧な選挙制度はありませんが、あえて言うなら衆院はすべて小選挙区制、参院は比例代表制にするという方法が妥当ではないかと思います。

 ――確かに、現行の「小選挙区比例代表並立制」というのは分かりにくい制度です。

 死に票が少なくなる比例代表制は少数政党への配慮から必要とされたのですが、私は当初、小選挙区450、比例代表50くらいの割合で考えていました。ところが、現状は小選挙区289、比例代表176で3対2くらいの割合になっている。こういう議席配分になったのは、最終的には当時の細川護熙総理と河野洋平自民党総裁の与野党頂上会談で決まった妥協の産物です。選挙区で落選しても惜敗率で救われたり、名簿に掲載されるだけで当選する議員が200人近くいるわけで、当初掲げた小選挙区制の理念とかけ離れた反民主主義的な選挙制度になってしまった。この木に竹を接いだような奇怪な制度を最大限に利用して巨大与党の座を守っているのが、自公連立の「99年体制」です。次の政権交代を困難にしているのは、小党に割れたままの野党の体たらくも一因ですが、選挙制度の問題も大きいのです。しかし、民主政治を支えるのは特定の宗教団体ではなく、国民の意思であるべきです。選挙で政治を変えるという意識が高まり、投票率が上がれば宗教票の威力も通用しなくなることは、09年の政権交代が証明しています。
(聞き手=峰田理津子/日刊ゲンダイ)

▽いしい・はじめ 1934年、兵庫県生まれ。69年、35歳で衆院初当選。衆院11期、参院1期の計39年間にわたり国会議員を務め、国土庁長官や自治相、国家公安委員長などを歴任。著書の出版を記念した講演会が来月、東京と神戸で開催。 


角栄側近・石井一氏が語る ロッキード事件真相と政治腐敗
2020年2月24日 日刊ゲンダイDIGITAL
田中角栄元首相の側近の一人として、間近で見てきた“ロッキード事件の真相”をつづった著書「冤罪」が今年1月に文庫化。昨年末には自公連立の病理を解説した「つくられた最長政権」を上梓し、ともにベストセラーになっている。自民党時代は「田中軍団の青年将校」と呼ばれ、選挙制度改革に消極的な宮沢内閣への不信任決議案に賛成して93年に離党。その後は民主党政権でも党筆頭副代表を務めた政界の重鎮が、いま語っておきたいこととは――。