17歳の美少女、ビアンカ・デヴィンズの短い生涯と拡散された死
EJ Dickson |2020/01/14 17:45/rollingstonejapan
2019年7月に殺害されたビアンカ・デヴィンズ(写真提供:デヴィンズ家)

17歳の美少女、ビアンカ・デヴィンズの短い生涯と拡散された死|2020上半期ベスト5
EJ Dickson |2020/08/15 10:00
2020年上半期(1月~6月)、Rolling Stone Japanで反響の大きかった記事ベスト5を発表。この記事は「国際部門」第1位。17歳だった彼女は、喜び勇んで人生のスタートを切ろうとしていた。そんな時、彼女の無残な姿の写真がInstagramに投稿された。(初公開日:2020年1月14日)

17歳だった彼女は、喜び勇んで人生のスタートを切ろうとしていた そんな時、彼女の無残な姿の写真がInstagramに投稿された。

Instagramでのビアンカ・デヴィンズは、ゴスロリプリンセス「escty」だった。ハート型の手錠やルイ・ヴィトンのロゴが入った銃、拘束され猿ぐつわをつけられたハロー・キティの傍らで、口をとがらせておすましする。あるいは、どこにでもいる普通の女の子「beegtfo」。クリスマスに妹とハグして写真を撮り、パステルカラーのバレッタをつけて、まだよちよち歩きの腹違いの妹を抱っこしている。また時には、若き闇の女王「oxiecontin」でもあった。とろんとした目で、擦りむいた膝を短いチェック柄のスカートからのぞかせ、足元にはコンバース。自分の周りで世界が崩れ落ちていく中、煙草をくゆらせやれやれといった感じで天を仰ぐ(「マジもうウンザリだし何もかもイライラするし病む 笑」とは、彼女自身の投稿だ)」。

ビアンカが育った環境

ビアンカ・デヴィンズは米ニューヨーク州北部、シラキュースから1時間ほど東へ行ったユーティカの街でこの世に生まれ、そしてこの世を去った。かつて産業の街として栄えたユーティカは人口およそ6万2000人。他のラストベルト都市同様、20世紀半ばから後半にかけて大規模な不景気に見舞われ、未だ完全には立ち直っていない。大学ホッケーとイタリア系の住民が多いことで有名で(エンダイブをプロシュートと様々なスパイスでソテーした「ユーティカ・グリーン」は地元で人気のメニューだ)、犯罪率もそこそこ高いことで知られている。「TVをつければ、たいてい誰かが撃たれたというニュースが流れています」と言うのは、ビアンカの中学時代の同級生、レイチェル・シャンリーだ。ニューヨーク州が数百万ドルを投じて地域再生に乗り出し、何千人もの移民や難民が街の活性化に貢献しているものの、ユーティカの街はどんな天気であろうと、いつも陰鬱だった。涼しくて気持ちのいい9月のとある日も、空には太陽がさんさんと輝いていたにも関わらず、街を歩く人の姿は皆無だった。

だが、地元住民の間には地元愛が芽生えていた――不満を持つ人間もいたが、大半は残る道を選んだ。「住みやすいですし、子育てにもいい場所です」と言うのは、ビアンカの従兄弟トム・ホルト。「みんなよく『ここを出て、大きな学校に行くべきだ』と言いますが、ここにだって未来はあります」。ビアンカも急いで地元を離れるつもりはなかった。亡くなった当時も、自宅から15分ほどの場所にあるモーホークバレーコミュニティカレッジで心理学を学ぶ予定だった。「あの子は、洗濯物が溜まったら家に帰って来て洗うつもりでした」と、36歳の母親キムは自宅のリビングで語った。「家族から遠く離れたくなかったんです」


ニューヨーク州ユーティカの自宅からほど近い大学での学生生活を心待ちにしていたビアンカ・デヴィンズ。心理学の勉強を目指していた。(写真提供:デヴィンズ家)

4LDKのデヴィンズ邸は温かく、にぎやかだ。花の刺繍や額装された格言が壁に飾られ、床にはパステルカラーのユニコーンのぬいぐるみや色とりどりのレゴが散乱している。訪問するとハロウィンは1カ月以上も先なのに、リビングにはもうオレンジと黒のカボチャのちょうちんやテープが飾られていた。この家に暮らすのはキムと妹オリビア、キムの友人ケリー・リマー(キムの元夫マイクの元恋人でもある)、リマーの元夫コディ・モイゲングラハト、そしてリマーの4人の子供たち。子供たちは午後中ずっとリビングを行ったり来たりしていた。なぜ10代の女の子が小部屋に閉じ籠り、『マインクラフト』で遊んだり、寂しくなってインターネットで他の寂しい子たちとチャットをするのか、想像に難くないだろう。実際ビアンカもそうやって過ごしていた。
9b41469d8a763e3da1230997fce885a2































家族関係と精神への影響

仕事で人事と給与の管理をしていたキムは、ここから数ブロック先の家で生まれ育った。ビアンカを身篭ったのは17歳のとき。まだカトリック系の学校に通う高校2年生だった頃で、元夫のマイク(現在は機械工)と付き合い始めてまだ数カ月だった。キムが見せてくれた妊娠前の写真には、イン・シンクのコンサートに行くためにおめかしして、髪を2つのお団子にまとめた少女が写っていた。

妊娠しているのを知ったとき、彼女は怖くなった。だが、子供を産むことについては何の疑問も抱かなかった。「私の母は常々、自分はずっと母親になりたかったと言っていました」とキム。「それが母の夢だったんです。私もずっと同じように感じていました」

ビアンカは2001年10月2日に生まれた。その2年後には妹のオリビア(通称リブ)が誕生。ビアンカは妹をかわいがり、過保護なほど面倒を見た。キム曰く、リブがまだお腹にいたときからビアンカは自慢気に「わたしのいもうとよ」と言って、超音波画像を見せびらかしていたそうだ。

キムとマイクの最初の別れは2010年。彼女の話では、マイクは「かんしゃくを起して当たり散らすタイプ」で、ユーティカ警察によると、キムから何度も家庭内の問題で通報があったという。キムによれば、母親の身は自分が守らねばと思っていたビアンカにも、成長するにつれ徐々に父親の怒りの矛先が向かうようになった。2015年、マイクは永遠に2人の元を去り、ビアンカともほとんど連絡を取らなくなった(マイク・デヴィンズにも再三取材を依頼したが、返答は得られなかった)。

キム曰く、ビアンカは父親がいなくなってホッとしたと同時に、見捨てられたとも感じたようだ。「娘の人生に関わっていたときの彼は、いい父親でした」とキム。「でも興味がなくなったら、全然。寄り付かなくなりました」(ビアンカの親友ジャンナ・マレーと、ジャンナの母親エリカも同意見だ)。

キムによれば、ビアンカはノートルダム中学高等学校の中等部に入学した頃から精神疾患に悩まされ始めた。小学校3年生のときにすでに分離不安障害を経験してはいたものの、比較的外向的で周りからも好かれていた。だが思春期に入ると「すべてに興味を失ってしまったんです」とキム。ごく限られた人間には心を開き、アニメやイラスト、日本の音声合成アプリVOCALOIDといった趣味を共有していたが、中高生時代の彼女は周りから内気で心配性な子だと見られていた。レイチェル・シャンリーも「彼女はどこか浮いていた」と言う。

キムはビアンカを何人ものセラピストに診せたが、ほとんどがお手上げ状態だったそうだ。母親曰く、精神治療制度になかなか適合できなかったことが、後にコミュニティカレッジで心理学を専攻するという決断に導いた。

不安定な精神状態

高校1年生の時、ビアンカは生徒数2700人強のトマス・R・プロクター公立高校に転校した。離婚してノートルダムの学費を払う余裕がなくなったためだ。人目を惹く容姿や178cmの長身にも関わらず、プロクターでのビアンカは人気者とは言えなかった。「彼女は小柄で小麦肌の、腰まで黒髪を伸ばした可愛らしいイタリア系ではありませんでした。ニューヨーク州北部ではそれが可愛らしさの基準なんです」と言うのは、ビアンカが慕っていた地元のカメラマン、メイ・シャルドネだ。「ここでは彼女は変わり者と見られていましたね。『あの子は何なんだ?』という感じです」

ただ1人、デレク・ワードだけが全く違う見方をしていた。穏やかな口調の、タトゥーの入ったロバート・パティンソン似の風貌の彼は、ユーティカのプラスチックを取り扱う会社にしばらく勤務していた。ワードとビアンカは高校1年生の時に付き合い始めた。「彼女には何でも打ち明けることができた」と本人。「たぶん、今までで最高のセラピストだったんじゃないかな」。交際が進展するにつれ、2人は波乱万丈な家庭という点で絆を深めていった。「彼女はよく、子供たちの面倒を見ているんだと言っていたよ」とワード。「ほら、あの家には子供がいっぱいいるだろ。(あれは)1人の人間の手に負えるもんじゃないよ」


ビアンカ(中央)と母親のキム(右)、妹のオリビエ(左)( 写真提供:デヴィンズ家)
ユーティカに住むビアンカの知人はみな、彼女が親切で優しかったと言った。だが、時に彼女の行動は突拍子もなかったとも言った。よく言えばエキセトリックでチャーミング。思い付きで自分の髪をばっさり切って染めてみたり、ランプシェードを被ってWalmartを走り回るのも、羽目を外したがる10代の少女の奇行だろうと。だが問題視する声もあった。ビアンカの友達は、彼女にはつまらないことで嘘をつく癖があったと語った。
高校の同級生には自分はユダヤ人で自閉症スペクトラム障害を抱えていると語り、元彼にも自分はキューバ系とアジア系の血を引いていると言っていた。ワードの友人デヴォン・バーンズによれば、ビアンカはワードが他の女の子と話すことにナーバスになって、そのことで度々ケンカしていたそうだ。2人の交際は、ビアンカからの連絡が突然途絶えたことで終わった。何の説明もないまま、いきなり彼や彼の友人の前から姿を消し、数週間学校にも現れなかった。

そうした行動は、情緒不安定や自分に対する否定的な見方、衝動的な行動や捨てられることに対する恐怖といった境界性パーソナリティ障害の特徴と合致する。ビアンカが正式にBPDだと診断されたのは2018年だったが、キムの話では高校の頃にはすでに、家の外にすら出たがらないというところまで症状が進んでいたという。その頃、とあるセラピストは心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を下していた。コディ・モイゲングラハト曰く、大きな物音や大声に反応してしまっていたと言う。「学校に行く時間になると、彼女はよくパニックを起こして『無理、行けない』と言いました」とキムも言う。「もしくは保健室に駆け込んで、早退させてもらっていました」。 2017年、高校2年生の途中でキムはビアンカを自宅学習させることにした。


/r9k/のアイドル

一日中家の中に籠もりきりになったビアンカは、さらにネットの世界へと引き篭もっていった。「いつも携帯で何かしていました」とジャンナ・マレーも言う。この時期、ビアンカと連絡を取っていた数少ない人間の1人だ。「友達を連れて遊びに行くと、どうコミュニケーションを取っていいかわからないみたいでした」。 Tumblrでは人種も、民族も、性別も様々な分身をいくつも作り出した。そうした分身は10代の少女がよくやる実験的な遊びとも、悪口や嫌がらせから自分を守る壁とも、また自分を売り込むツールとも見える。「彼女はいつも、話し相手やグループに合わせて、みんなが興味を持ちそうな架空の人物を作っていました」と言うのは、ビアンカの長年のネット友達ヤング・シム。「みんなから『ヘイ、すごく気の合うイケてる友達がいるんだ』と思ってもらえるようにね」

だが、そうした分身の中で最も注目を集めたのは、ビアンカ本人とそっくりな人物だった。愛らしく、はにかみ屋のオタク少女。若くて、キレイで、寂しくて寂しくてしょうがない女の子だった。

ビアンカ殺害のニュースが出た当初、メディアは彼女を「Instagramのセレブリティ」と呼んだが、これは総じて正しくない。ビアンカのフォロワーはたった2000人程度――大した数だが、大人気とは言えない。だが、彼女がそれなりに知名度を誇っていたコミュニティがひとつだけあった。匿名画像掲示板4chanだ。

現在4chanと言うと、極右至上主義者の温床として広く知られている。だがこうした考えが生まれた原因は、白人ナショナリストの勧誘の場として有名な掲示板/pol/によるところが大きい、とジョシュア・シタレラ氏は言う。オンラインコミュニティとZ世代カルチャーを専門とする研究者だ。4chanユーザー全員が極右思想を支持しているわけではないが、ビアンカも常連だった/r9k/など、その他多くの掲示板でも極右思想が話題を独占する傾向が見られる。「4chan上の極右的なプロパガンダが/pol/で蔓延していた人種差別や女性蔑視と共に/r9k/に流れてきた、といった感じです」と、シタレラ氏は言う。


ビアンカのInstagramに投稿されたコラージュ

一見すると、/r9k/はオリジナルコンテンツの投稿フォーラムに見える。だが実際は、「孤独な連中がたむろして、自分が病んでいる理由や状況を語りあう場」とシムは言う。2人は2016年にDiscordで知り合った。/r9k/のユーザーは圧倒的に男性が占めているので、女性ユーザーにはすぐに大勢のフォロワーが集まる。こうした女性ユーザーには共通して見られる特徴がある。痩せていて、つぶらな瞳をして、大多数が白人。コスプレかつ/または日本や韓国系ファッションを好んでいる(この手の女性は“eガール”と呼ばれることもある。エモやアニメっぽさを表す言葉だが、最近では性的蔑称として使われることが多い)。 掲載1~5 まで  6~13、カット

note
https://note.com/29530503/n/n3198dc09ff6e